ののみSOS
熊本市にある江津湖自然公園
ここは湖を中心とした、水に親しむ施設の豊富な公園である。
その入り口で、時計を見てはそわそわしている人影があった。速水厚志である。
「あ、あっちゃんだぁ!」
ほがらかな声に顔を上げると、かわいいリボンをゆらして東原ののみが駆け寄ってきた。
その後ろには複雑な表情をした芝村舞の姿。
「よかった。入り口がたくさんあるから会えないかと思ってたよ」
「えへへ、これでみんないっしょだね。ね、まいちゃん」
「う、うむ」
舞は落ち着かない様子で曖昧に答えた。
事の発端は数日前の昼休み。
ののみが「こんどの日曜、みんなであそぼ!」と提案したのである。
場にいたのは厚志に舞、壬生屋に滝川であった。
壬生屋は「道場で稽古がありますので…」と断った。
滝川は「茜のヤツとゲーム対決の日なんだよね」とこれまたNG。
結局、ののみ、厚志、舞の3人で遊びに行くことになったのだ。
「遊ぶところがいっぱいあるみたい。とりあえず遊歩道でぐるっと回ろうか」
「うん!」ののみは楽しそうに賛成する。
舞は腕組みをしたまま無言でうなずいた。
ののみは歌をうたいながら先行して歩いていく。
厚志と舞は自然と並んで歩く格好になった。
「どうしたの、舞?」
「なにがだ」
「あまり喋らないし…お腹でも痛いの?」
「そんなことはない。気のせいであろ」
舞は横を向いた、頬が赤らんだのを見られたくなかったからだ。
先日の幻獣騒ぎのときの厚志の言葉を、彼女は思い出していた。
(原と私の、どちらが大切なのだ?)
舞の意地悪な質問に厚志はまっすぐに答えたのだ。
(…比べられない。どっちも大切に思ってる)
その意味をどう捉えるべきなのか。
舞はそれ以来、厚志の顔をまともに見られなくなっていた。
「見て見て、ボートがあるのよ!」
ののみが走っていく。
上江津湖のボート乗り場に3人はたどり着いた。
厚志は残念そうに言った。
「このボート、2人乗りなんだね。ののちゃん、一緒に乗ろうか」
「ののみはいいの。あっちゃんとまいちゃんで乗って。ののみ、ここで見てるから」
にこにこしてののみは言う。厚志は舞と顔を見合わせた。
「…意外と力があるのだな、そなたは」
「うん、それなりに訓練しているからね」
ボートはゆっくり水面を滑っていく。
頬を撫でていく風が心地よい。
岸辺に目を向けると、乗り場のあたりからののみが手を振っていた。
舞は思い切ってたずねた。
「今日のことは原に話してあるのか?」
「どうして?」
厚志はきょとんとして答える。
「…私と一緒であることを知ったら、あやつは気分を害するであろ」
「またそんなこと」厚志は苦笑した。
「確かに僕は原さんと付き合ってる。でも、舞とこうして時間を過ごすのは嫌いじゃない」
「それは、そなたの主観にすぎぬ」
「じゃあ聞くけど、舞は嫌なの? 僕といっしょにいるの」
「いや、そ、そ…そんなことはない…が」
「それなら、べつに何も問題はないんじゃないかなあ」
微笑んでオールをこぐ厚志。舞はため息をついた。
「その自然体は、いつかそなた自身を殺すであろな」
「殺す? ぶっそうなの。…でもね、最近思うんだ」
「何をだ」
厚志は考え深げな表情になって続けた。
「『付き合う』とか『愛してる』ってなんなのかなって」
「ふむ…?」
「素子さんは僕に好意をもってくれてる。僕も好きだよ。きれいな人だし。でも…」
「でも?」
「あの人は、まっすぐすぎるんだ。ときどき…ときどきだよ? 窮屈に思えるときもある。
こういうのって、言っちゃいけないことなのかもしれないけど」
厚志は過ぎ行く水面を眺めた。
「うまく言えないけど…。舞といるほうが、本当の自分でいられる気がする」
「本当の自分とは何だ」
「ごめん。そこまでは僕にもよく分からない。でも、舞のことは好きだよ」
「…!?」
舞は不意に立ち上がった。
ボートがぐらぐらと揺れる。
「ど、どうしたの? 舞」
「小さき者がいない」
振り向くと、さっきまでいたはずのののみの姿が消えていた。
「あれ…ののちゃん、どうしたんだろう」
「厚志、急いで戻れ。嫌な予感がする」
ボートは舳先をめぐらしてボート乗り場に向かった。
確かにののみはいなかった。多目的結晶の通信にも応答が無い。
ボート乗り場の係員に訊くと、大人の男性に声をかけられていたらしい。
「厚志…!」
「うん、ののちゃんを探そう!」
2人の捜索が始まった。
遊歩道をはじめ、釣り場や湖畔の広場をくまなく探して回る。
ボート乗り場に再び集った2人は空しい結果をつきあわせるだけとなった。
「どうしよう…」
「焦るな厚志。まだ最悪の結果となったわけではない」
そこへ、黒ずくめの服装をして帽子を目深にかぶった男性が通りかかった。
ボート乗り場の係員が低い声で2人に告げた。
「あの人ですよ! 女の子に声をかけていたのは…」
厚志は反射的に男性に飛びかかった。
「おい! ののちゃんをどこに連れていった!?」
「な、なんですか?!」
厚志と、それを上回る厳しい舞の尋問のすえ、彼は無実であることが分かった。
「ほ、本当に、ただどこから来たのか聞いただけなんですよ」
「本当だな! もし違ったら、そなたは末代まで後悔することになるであろ」
男の襟首を離すと、舞は厚志のほうを向いた。厚志はうなずく。
「もういちど園内を回ろう。見落としがあるかもしれないし」
「うむ」
すでに日は傾き、夕暮れが公園に迫っていた。
と、明るい声がかけられた。
「あっちゃん、まいちゃん!」
ののみは呑気に遊歩道を歩いてくる。
後ろにいるのは杖をついた老婆だった。
「ののみねえ、このおばあちゃんとね、いっしょにおさんぽしていたの!」
「本当にいい子。こんなしわくちゃの婆さんの話を聞いてくれるなんてねえ」
「おばあちゃん、むかしばなしをいっぱい話してくれたの。ののみ、楽しかったのよ」
「でも、通信に答えなかったのは?」
厚志が訊くと、ののみは照れくさそうにもじもじした。
「…えへへ、ののみ、ちょっといねむりさんしちゃったみたい」
厚志と舞は一気に脱力した。
「今日は本当に大変だったね」
黒電話に厚志は話しかけた。舞のうなり声が聞こえてくる。
「まったく、心配ばかりかけてくれる…」
「でも、結果的にはよかったじゃない。何事もなかったんだから」
「ところで、それよりもだな」
受話器を手にした舞は咳払いをした。
「うん?」
「ボートで話したこと。まことか?」
「なあに?」厚志のぽややんとした声が響く。
「い、いや。その…」
「どうしたの? 僕なにか言った?」
「何でもない。切るぞ」
舞は受話器を置くとすうっと息をついた。
(…舞のことが好きだよ)
彼女はその言葉を、もう一度聞きたかったのだった。