ぼくの美しいヒトだから・後編



芝村舞は、いつまでもハンガーに現れない厚志を待ち焦がれていた。

うつむき加減の壬生屋がやってきて作業を始める。
そわそわして落ち着かない様子の彼女に、舞は訊いた。
「そなた、厚志を見なかったか?」
壬生屋はぎくっとして顔を赤らめた。
「ふ、不潔です!」
「何がだ」
「あ…い、いいい、いえ、何でもありません。わたくしは存じませんが」
あからさまに不審な壬生屋の様子を見て、舞はテレパスセルの使用を決めた。
(最初からこれを使えば良かったのだ)
目を閉じて検索結果を待つ。ほどなくして結果が視神経に直接表示された。
<速水:プレハブ校舎屋上:会話中>
(こんな時間に会話だと…? 相手は誰だ)
彼以外に、プレハブ校舎屋上に存在する人物を特定するのに時間はかからなかった。
<原:プレハブ校舎屋上:会話中>
「なに!?」
思わず声に出して言ってしまう。
壬生屋と、後から来た滝川がびっくりして彼女のほうに振り向いた。
舞は咳払いをひとつすると、作業をしているふりをした。
昼間に感じた嫌な予感がいっそう大きくなるのを、彼女は意識せざるをえなかった。

宵の口から降りはじめた雨は、夜が更けるとともに強いものになっていった。
舞の危惧と裏腹に、厚志はいつものようにぽややんとした笑顔でハンガーにやって来た。
ただ、いつもより上機嫌で、鼻歌を歌いながら士魂号の調整を行っている。
深夜になってハンガーからは次々と人が去り、最後には舞と厚志の2人が残された。
各部の電源を落として回った彼らは、1本のボロボロの傘を発見した。
「みんな持って帰っちゃったんだね」
「そのようだな」
女子寮まで送るという厚志の申し出に、舞に選択の余地はなかった。

ぱらぱらと降る雨の下、ふたりは家路についた。
舞は、厚志が半身を濡らしながらも、傘で彼女をカバーしていることに気が付いた。
そのことを不公平だと苦情を述べても、厚志は笑って取り合わなかった。
心が温まるのを感じると同時に、舞は胸の中にある不安を取り除くことができなかった。
「…厚志。そなたに尋ねる」
「なに?」
「今日の夕方だ。仕事時間に遅れたであろ」
「ああ、うん。ごめんね」
「何をしていた?」
「あは…ちょっとね、ウン」
厚志ははにかんで微笑んだ。
「私にも話せないような用事か?」
いつになく詰問口調になる舞に厚志は戸惑った。
「そ、そうじゃ…ない、けど」
「では話せ!」
「どうしたの? そんなに怖い顔して」
「目つきが悪いのは生まれつきだ。正直に話すがいい」
言い切って舞は口をつぐんだ。
厚志は、そんなときの舞が回答を得るまで喋らないことをよく知っていた。

沈黙の時間が続く。
女子寮の明かりが見えてきたときに、厚志のほうが根負けした。
「…分かったよ。話す。話します」
「たわけ。最初から降伏しておればよいのだ」
「誰にも言わないでね」
「だから何なのだ」
すうっと息を吸ってから厚志は答えた。

原さんと、つきあうことになったんだ。

彼は照れくさそうに下を向いた。
「別に、隠すことじゃないんだけど。その…恥ずかしいじゃない」
「なんだ、そんなことか」
拍子抜けしたような調子で、舞は言った。
明日の天気予報を聞いたときのような何気ない返事だった。
しかし、その瞳に複雑な色が交錯していたことに、厚志は気が付かなかった。
舞は足を止めた。
「ここまででよい。送ってくれたことには感謝する。そなたも帰宅するがいい」
「えっ…ちょ、ちょっと、舞?」
舞は雨の中に駆け出していった。
いきなり取り残された厚志は、ただ呆然とその後姿を見送った。

自室のドアを閉めると、舞はブーツを脱いでバスルームに向かった。
鏡の中には、ずぶ濡れになった自分がいた。
水の滴るジャケットをハンガーにかけると、タオルでおおざっぱに髪を拭く。
もういちど鏡を見た。
「…何が言いたい?」
鏡の中の自分に向かって吐きすてた。
「分かっている。愚かなことだ」
前髪から、拭き残した雨の雫がしたたり落ちた。
「こんなとき、どのような顔をすればよいのか…私は、知らぬ」
そして、糸が切れた操り人形ようにその場にへたり込んだ。
次に彼女が意識を取り戻したのは、ブラウスがだいぶ乾いた頃だった。



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