| 3YVO - Imagination - 同じ行動&時計が支配 |
| 3YVO - Imagination - 同じ行動&時計が支配 |
ドンな方でも起きて朝食・昼食・夕食をとり、寝る。これを基本として毎日生活を送る事になるが、 ある日ふと「自分は何をしていたのか」と気づく。学校が在る時は計画の壱ページとして進められ、 無い時は自分だけの(とは限らないが)時間が出来る。聞こえは良いかもしれないが、実際は日常で 似たような事を繰り返しているに過ぎない。何かを見る・本を読む・頭を使う……と、誰もがやりそうな 事だけを行ってはいないだろうか。ならば、今一度気をつけて暮らした方が良いかもしれない。 自分自身のために。 自分は自分だと認める事は容易であるが、他人に認めさせようとすると途端に難しくなる。例えば 身分証明書は、ある人の性別・名前・出身・身分等を証明するものである。それ以上でもそれ以下 でもないため、それでは自分を証明しきれていない。それは、性別では男か女かでしかなく、名前 では勝手に(又は影響されて)決められて、出身では只そこに住んでいたに過ぎない。身分に おいては、社会的立場判断(生活力・財力・権力等)によって作られた世界の人でしかない。それらの 世界で人は誰しも食糧を得ようと必至(一部例外あり)になり、そして終わる。その中で個人は何を していたのだろうか。いや、個人とはそもそも何なのか。「個」という時点で一つの者と表すならば、 只の者ではない、一般人とは異なる人、即ちそれが個人である。という事は、特殊……ではなく独自の 能力を持った人が個人と言える訳である。その個人独自の能力も証明することが、そのまま個人の 証明に成るのではないか。 物事を実行(行動)する際、必然的に不可欠なのが時間だ。移動・競争・筆記・読破・睡眠……。 行動(補給は除く)の何を選択しても消費するのはカロリーと時間。一日での限られた中で生活しなくては ならない要因であり、しかもカロリーと同じ様に、足りなくてもダメ・余ってもダメ・他の人に渡すのもダメと、 ダメな非情の三拍子。足りない事は期限が近づいた時で、余る事は地獄(?)の暇な時、渡せないのは 己の寿命である。 しかしよく考えてみると、人はカロリーと時間にも支配されているのだ。まず、カロリーは人を中心として 栄養の摂り過ぎ・無さ過ぎに影響するが、時間は人の行動を制限し、中心となって操っているとしか 思えない。もし、(仮想案として)その時間を逆に支配できたとするならば、垂直な数直線が1本、 2本(2D、平面)、3本(3D、立体)に時間を加えた4本目(4D?未認可)が出現するので、何時の合戦を 生で見る事や、先の事を知ることが出来る……。当然今は未だその技術の証明や実行も無理だが、 人が人として終わった後には何も手を出せない。ならば、終わる前に形に残し、存在や証を確保して 後世(永遠)に伝われば、3Dを越えて4D!(?)とまでは行かないとしても、価値の在る3Dのモノとして 生き残ることは可能。 |
| Back_to_Top |