抜き書き言葉集
あらゆる書物や映画その他から、自分の心に残った言葉を集めてみました。
十月生まれの皆さん、お誕生日おめでとうございます。豊かな実りの時があなたに訪れますように。
柳川房彦マスター
「NG90ますたぁふぁいる」
人間と社会の暗い部分を見届けながら深刻ぶらず、酸いも甘いも知り尽くした上で、話を敢て陽気にしめくくる工夫が、語りものの芸の極意だ。(中略)深刻ぶった現実暴露は易しく、人を納得させるハッピイエンディングは遥かに難しいのだ。
谷沢永一
「紙つぶて」
何が「普遍的なもの」の本質であるか、何が「最大多数」の真の「幸福」であるかを他人になりかわって自分だけで勝手に判断して押しつけてくるこの「高貴」な人の自己陶酔的な献身ほど、世に恐ろしい暴虐はないのだ
谷沢永一
「紙つぶて」
(中略)それは必ずしも職務不熱心を招来したのではなかったが、「歯車意識」は濃厚で、口を開けば傍観者らしい冷たい観察と批評があり、その何気ない片言隻句が、時には、純粋培養の青年将校や一徹の老大佐などの神経をさか撫ですることもあった。
(中略)以上三種類の第一に属するのが、主として士官学校出のいわゆる「青年将校」であった。「軍部ファシズム」というものがあるとしたら、それを支えているのは彼らであったろう。だがその実体は、一言でいえば「ものまねファシスト」であった。
「一下級将校の見た帝国陸軍」
山本七平
この“自転”する組織の内部にまで浸透して来る強烈な総合的な指揮官はどこにもいない。みな、危機感を抱きながら結局は、その日暮らしになる。そしてそのためには一つの心理操作が必要であった。
(中略)敵は着実に一歩一歩と前進してくるのだが、このころになると逆に危機感がなくなり、アッツのときのようなショックは、誰も感じなくなっていた。「危機なれ」というのであろうか。人間にはまことに奇妙な「なれ」がある。
そしてこのように徐々に危機が迫るときは、不思議にだれも「狼が来る、狼が来る」とは言わなくなる。逆に「大丈夫、大丈夫」「平気、平気」の声があがる。
(中略)これらはいわば、一種の精神安定剤であり、八方ふさがりの状態に心理的に耐えられず、景気の良い言葉で、無意識のうちに、内心のバランスをとって平静を維持していたのであろう。これが前述の心理操作である。
「一下級将校の見た帝国陸軍」
山本七平
相変わらず横行しているのが、「アメリカはアジアの心を知らなかった」というような言葉である。だがそういう言葉を口にする人は、「アジア」という語の意味内容を、その内心で真剣に検討したことがあるのであろうか。
「アジアはない」。この言葉にはすぐ反論が出るだろう。これは日本人のタブーに触れる言葉だから、激烈な反論かもしれない。では次のように言いなおしてもいい。
「われわれが頭の中で勝手に描いているアジアとかアジア人の心とかいった概念に適合する対象は、現実にはどこにも存在しない」と。
三十年前、何百万という人が、入れかわり立ちかわり、東アジアの各地へ行った。私もその一人だった。そして現地で会った人びとが、自分のもっているアジア人という概念に適合しなかったとき、「こりゃわれわれの“見ずして思い込んでいるアジア人という概念”が誤っているのではないか、否、この広大なユーラシア大陸の大部分を占める地に“アジアといった共通の像”があると一方的にきめてしまうのは誤りで、単なる一人よがりの思い込みではなかったのか?」
と反省することができたなら、日本の犯した過ちはもっと軽いものであったろう、と私は思う。われわれは、否、少なくとも私は、残念ながら当初は、そういう考え方、見方ができなかった。そして、自己の概念に適合しない相手を見たとき、多くの人と同じように私も、いとも簡単に言ってのけた。「ピリ公なんざアジア人じゃねェ」。ピリ公とはフィリピン人への蔑称である。そして、アジアの各地で、実に多くの人がこれと似た言葉を口にしていたことを、戦後に知った。
これはどういうことであろうか。自己の概念に適合しなければ、自己の同胞をすら「非国民め」と村八分にする精神構造から出た「非アジア人め」という相手を拒否する言葉だと思うが、一体なぜわれわれは、こういう場合、自己のもっている“アジアという概念”の方を妄想と思えないのであろうか。一体なぜ、甚だ茫漠として明確でない自己の概念――というより妄想――を絶対化するのか。「アメリカはアジアの心を知らなかった」と言うなら、そう言う人は、「アジアの心」とやらを、本当に知っているのか。そしてそれは、その心を探し求めて、全アジアを経めぐった上で形成された概念なのか?
「一下級将校の見た帝国陸軍」
山本七平
一体なぜこういうことになったのだろう。一言でいえば、日本軍には、いや日本人には、戦闘の体験はあっても、戦争の体験がなく、戦争の実体を何も知らなかった、そのくせ、何もかも知っていると思い込んでいた、ということであろう。その関係は「アジア」という言葉を絶対視しながら現実のアジアを知らず、「アジアという言葉」に対応する対象はどこにもないことを知らなかったのに似ている。
日清・日露の勝利と誇らしげに言う。だが当時の清朝は長髪賊の乱以後の清朝、日本と清朝の戦いを中国人は第三者的に眺めている。日露となればこの関係はさらにはっきりしている。従ってこれらの場合は、相手の戦闘力を破砕すればそれで万事終了であり、そのことと「ロシア本土でロシア人と戦う」こととは全く別である。いわばお互いに土俵を借りて戦っているのであり、この場合には、相手を倒した瞬間に観客が総立ちになって自分に向かってくることはない。だが一国の占領とは、これとはまったく別のことなのだ。中国との戦争の苦い苦い体験はそれを日本人に教えたはずなのに――だが迷妄は簡単には覚めない、昔も今も
「一下級将校の見た帝国陸軍」
山本七平
知らないなら「無能」なのがあたりまえであろう。そして「戦争や占領統治に無能」であることを何で恥じる必要があるだろう。そして戦争に有能な民族を、何で羨望する必要があるであろう。何でその「中途半端なまね」をする必要があるであろう、ないではないか。われわれにはわれわれの生き方がある。それを探求し、合理化し、世界の他の民族の生き方と対比し、相互理解の接点をどこに求めればよいかを、自分で探求すればそれで十分ではないか。また矢野暢氏は「ベトナムは秘密国だ」と言っておられるが、どの民族にも民族のプライバシーとも言うべきものがある。それを十分に尊重すれば、それで良いのではないか。
「一下級将校の見た帝国陸軍」
山本七平
社会的存在としては可なりのロクでなしでも、口には進歩を唱え又みずからを進歩的だと説明している者なら沢山いるだろう。そこで世間の心ある人達の或る者は、そもそも進歩とは何であるかという反省をし始めなければならなくなるのである。
「日本イデオロギー論」
戸坂潤
愛とは何か、本当は私には分りません。愛というのは、執着という醜いものにつけた仮りの、美しい嘘の呼び名かと、私は良く思います。
「変容」
伊藤整
「愛嬌というのはね、――自分より強いものを斃す柔らかい武器だよ」
「それじゃ無愛想は自分より弱いものを、こき使う鋭利なる武器だろう」
「虞美人草」
夏目漱石
自分自身の体験と思索によって到達した考えは、たいがいの場合われわれはおだやかにつつしみ深く口にするものである。
「美しき惑いの年」
カロッサ
考えてみると世間の大部分の人はわるくなることを奨励しているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊ちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。
「坊ちゃん」
夏目漱石
人が新しい事実を発見と呼ぶとき、発見をして発見たらしめるものは事実そのものではなくて、それから出てくる新しい思想である。
「実験医学序説」
ベルナール
ああ、馬鹿ですか。馬鹿にもさまざまな種類の馬鹿があって、利口なのも馬鹿のうちのあまり感心しない一種であるようです。
「魔の山」
トーマス・マン
政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。
「職業としての政治」
マックス・ヴェーバー
一般に、青年の主張するところは正しくない。しかし、それを彼らが主張するということは正しい。
「愛の断想・日々の断想」
ジンメル
なぜああなるのか、なぜ思考を停止せざるを得なくなるのか。「戦争とは結局そんなもんだ」ではない。今の今まで「絶対にやってはならない」と教えかつ命じていたそのことを、最後には「やれ」と命ずるから思考停止になる。これは「判断を誤った」ことと同一ではない。人は全知全能ではないから、判断の誤りはありうる。指揮官とて例外ではない。従って、それを非難しようと私は思わない。だが今の今まで「絶対にやってはいけない」と判断を下していたそのことを、なぜ急に一転して「やれ」と命ずるのか――(中略)
「戦後三十年たったこの民主社会で、まったく事情の違う戦争中のことをとやかく非難しても無意味だ。はじめから次元が違う」という意味のことを口にする当時の責任者もいる。確かに事情は違う(略)しかし、いまのべたことを私が、否私だけでなく多くの人が口にしたのは戦争中と戦争直後であり、「三十年目」のことではない。(中略)
よく言われる「客観情勢の変化」は実は遁辞にすぎない。情勢はある一点で急に転回してはいない。それはむしろ発令者の心理的転回のはずであり、ある瞬間に急に、別の基準が出てくるにすぎない。それはむしろその人の内部の「二重基準(ダブル・スタンダード)」の問題であろう。
「一下級将校の見た帝国陸軍」
山本七平
だが、こう言いながらも不思議なことに、精神力を否定するかに受けとられそうな言葉は、絶対にだれも口にはしない。そして、軍隊外の人間には、徹底して口にしなかった。ここには奇妙なタブーがあった。そしてこれは、戦後社会にも存在するある種のタブーと同根のもので、念力ブームを吹き出させた精神構造と、おそらく関係があるであろう。また「黒いパジャマを着て、はだしでジャングルの中を歩いていると信じられていた人民解放軍は、その日、ソ連製の重戦車を先頭にサイゴンの中心部へ入ってきた」と言われても「黒いパジャマの精神力が戦車を圧倒した」という図式で対象を見たがる傾向とも同じであろう。そしてこれが自国の軍隊となるとさらに徹底する。従ってそういう思考図式は成り立たないと講義をしているその人でさえ、その図式を正面からは否定できなくなる。それはまことに不思議な精神状態であった。
「一下級将校の見た帝国陸軍」
山本七平
確かに、それまで言いつづけたことが虚構で、それを主張した本人が自分でそれを信じていないなら、そしてそれで支障ないなら「どーってことない」であろうが、戦争はフィクションではない。だが、戦争以外の世界も、最終的に虚構ではない。その証拠に、もし次のようなことが起こったらどうするつもりか。いま多くの団体も政党もマスコミも、平和憲法は絶対守れと教えかつ言いつづけている。だが、私は過去の経験から、また「精神力への遠慮」に等しきある対象への遠慮からみて、その言葉を、それが声高であればあるほど信用しない。一番声高に叫んでいたものが、何やら“客観情勢の変化”とかで、突然クルッと変わって自分の主張を平然と自分で否定する。それが起こらない保証はどこにもない。
「一下級将校の見た帝国陸軍」
山本七平
確かに人生には、そして特に戦闘には「何ものにも屈せず立ち向かっていく強い精神力」が要請される。だがこういう意味の精神力と“強がり演技”にすぎないヒステリカルな「気迫誇示」とは、本来、無関係なはずであった。真のそれはむしろ、静かなる強靭な勇気と一種の自省力のはずであり、この本物と偽物の差は、最後の最後まで事を投げず、絶対に絶望せず、絶えず執拗に方法論を探求し、目標に到達しうるまで試行と模索を重ねていけるねばり強い精神力と、芝居がかった大言壮語とゼスチュア、無謀かつ無意味な“私物命令”とそれへの反論を封ずる罵詈讒謗の連発との違いに表れていた。精神力とは、これらの気迫誇示屋の圧迫を平然と無視して、罵詈讒謗には目もくれず、何度でもやり直しを演じて完璧を期し、ついに完全成功を克ち得たキスカ島撤退作戦の指揮官が持っていたような精神の力であろう。そしてこの精神が最も欠如していたのが「気迫誇示屋」なのだが、あらゆる方面で主導権を握っているのがこの「気迫誇示屋」というガンであった。
「一下級将校の見た帝国陸軍」
山本七平
前提がなくなっているのに、それに目をつぶって前提は変わっていないとしたとき、帝国陸軍はすでに虚構の存在になっていた。(中略)だが、このような前提の変化に、われわれは常に対処しそこなう。
その結果、あらゆる組織は無意味・無目的の“自転”をはじめ、その“自転“が無意味でないことを自己に納得させるため、虚構の世界に入ってしまう。そしてそれが虚構でないように見せる演技が「気迫誇示」であり、そのため「事実」を口にした者には、「気迫」を持ち出して徹底的な罵詈讒謗を加えて、その口を封ずる以外に方法がなくなる。それが”組織の自転“”辻政信型言いまくり“”兵隊の要領“を生み出した根本的な原因であった。そしてこの三つはとめどもなき悪循環を重ねて行く。
(中略)すべては無駄であり、実効性はなく、実戦の場に役立つ教育訓練はなく、そのための一切の努力は無意味となる。それがまた“気迫屋”と“自転”“要領”の悪循環に拍車をかけ、同時に、何ともならぬという悲壮感だけを生む。その悲壮感だけは、虚構の中の唯一の心理的現実だから、この心理的現実に基づく「気迫演技」はまず本人を盲目にし、それだけが現実に対処する道だと信じ込ませるから、他人をひっぱって同じ虚構の世界にひきずりこむ。醒めている者にはそれがわかっても、仲間うちの摩擦はさける。そしてこういう絶対化された虚構と現実の間にはさまれた人間は、どうにもこうにも方法がないという状態におかれてしまう。
「一下級将校の見た帝国陸軍」
山本七平
「歴戦の臆病者はいるが、歴戦の勇者はいない」と私は前に記した。そして『虜人日記』の小松さんも、同趣旨の事を記している。だが、「歴戦の臆病者」の世代は、いずれはこの世を去っていく。そして問題はその後の「戦争を“劇画的にしか知らない勇者”の暴走」にあり、その予兆は、平和を叫ぶ言葉の背後に、すでに現れているように思われる。
「一下級将校の見た帝国陸軍」
山本七平
だれにでもわかることが、なぜわからなくなったのか。その原因はもちろん存在自体が虚構だったことによるが、その虚構を外部に対して支えているものが、「仲間うちの摩擦を避ける」がさらに外部へ発展した形の、「仲間ぼめ」という詐術だったことである。陸軍ぐらい、徹底した「仲間ぼめ」の世界はなかった。(中略)AがBをほめ、BがCをほめ、CがまたAをほめるといった形で、その「ほめ言葉」だけを外部に広める。「仲間ぼめ」による相互称揚をお互に着せあい、その結果みながみなキンキラキンの言葉の衣装をまとって、それで威風堂々とそっくりかえって馬に乗って一般人を睥睨している。しかし、その衣装にまどわされているのは「日本語」で鎖国している日本人だけ、しかし、それがいつしか彼ら自身に王様のような気分を味わわせるから、外地へ来ても同じ態度になる。しかし、そのキンキラキンの言葉の衣装は、原住民から見ればまさに「無」だから、「裸の王様」なのである。
だが、彼らは子供ではないから陰では「裸だ」と言っても、正面から「裸だ」とは言わない。しかしそれは、何かの瞬間、不意に口をついて出ることもあれば、何気ない言葉のはしばしに表れることもある。これを耳にすれば、全フィリピン人が「日本はいまにくたばる」と内心では思っていることがわかる。それは対日協力者でさえ同じであって、彼らの多くは、ある種の義務感から表面的に協力しているにすぎない。もちろん、ガナップのような例外はあったし、他にも例外はあった。だが例外のように見える場合も、実は、大日本帝国に協力したのではなく、真の友人となり得た一日本人に協力した例がきわめて多い。(中略)友達だからその個人には最後まで信義を守る。それは対日協力とはまた別の基準であった。
「一下級将校の見た帝国陸軍」
山本七平
私が、住民の位置から帝国陸軍の兵士の姿と態度を見たのは、後にも先にも、このときだけであった。その姿は決して、傲慢でも横暴でもないが、一種「からかう」とも「ふざけ」ともいえるような態度、「悪意はないが軽く見、対等に応対はしていない」という感じであった。この態度は、やる方は「親しみ」のつもりでも、相手のプライドを傷つけ、異様な屈辱感を与える場合が多かった。
「一下級将校の見た帝国陸軍」
山本七平
しかし人びとが忘れたのか、覚えていても故意に口にしないのか私は知らないが、もう一つの恐ろしいものがあった。それは世間といわれる対象であった。軍が家族を追及することは絶対にない。では、母一人・子一人の母子家庭、その母親でさえ、兵営に面会に来たときわが子に次のように言ったのはなぜか。「お母さんがかわいそうだと思ったら、逃亡だけは絶対に、しておくれでないよ」――彼女が恐れたのは帝国陸軍ではなく、世間という名の民間人であった。その「後ろ指」なるものは、軍より冷酷だった。――少なくとも、正面から指ささぬので「指した人間」が不明だという点で。
「一下級将校の見た帝国陸軍」
山本七平
「敗戦は非情だねー、あんなきれいな奥さんと離婚とはネー・・・・・・だけど芸術家はいいなあ、大日本帝国がひっくりかえっても、奥さんと別れても、自分の世界があるからなあ。もっとも将官連にいわすと『絵そらごとをやっとるヤツはのん気なものじゃ』ということになるけど」
この一言が、私を憤激させ、自省を失わせた。カーッと頭に血がのぼって来た。そして、あらゆる罵言が次から次へと出てきた。「絵そらごと」とは何事だ、頭の中に絵そらごとしかなかったのは、あの将官たちじゃないか。軍人たちではないか。自分たちだけが祖国・民族のことを思いつめているような顔をして一人よがりのシナリオを自作自演し、その舞台から他の同胞を見下し、他の職業人を、やれ「のん気」「自覚がない」「意識が低い」などと蔑視していたくせに、その実体は空虚なカガシではないか。今こそ開放されたような顔をしているではないか。
一体、日本の将官、指導者に欠けていたのは何なのか、一言でいえば自己評価の能力と独創性、想像性の欠如ではないか。またその前提であるべき事実認識の能力ではないか。阿部さんが対象を正確に見て、それを把握して自らの手でカンバスの上に創造する、あらゆる面での、そういった種類の能力が全く欠如していた。そのはずだ、それを可能にする自らの世界がはじめから「から」だったのだ。
否、彼らだけではない、日本軍のすべてが、新しい発想もなければ、創造力もなく、変転する情勢への主体的な対処もできず、対象を正確に直視して、その弱点を見抜くことさえできなかった盲目無能の集団だったではないか。その点、比島人ゲリラにすら劣っていたではないか。日本という枠内での、軍部という井の中の蛙が、仲間ぼめという相互評価で、土地ころがしのように軍部の評価を高めて無敵無敵と自称したところで、それは単なる自画自賛で国際的評価としては通用しない。
だが戦争はまさに国際的事件であり、国際的評価に耐え得ないものは、はじめからこれに対処できるわけはない。それすら理解していない。一人よがりの思い込み集団。その実体はまさにこの将官幕舎と同じではなかったのか、鉄柵の中で「閣下」「閣下」と言いあっているこの状況と。その連中が何で他人の仕事を「絵そらごと」だなどと軽蔑できるのだ、と。もっともこの私の主張は公憤と言いがたい。公憤に仮託した私憤といった方が正しいであろう。
「一下級将校の見た帝国陸軍」
山本七平
勝利と敗北、そのどちらが人々の精神をより歪ませるのか、明確な判定はいまだにしめされていない。
「侵攻作戦パシフィックストーム3 可能行動」
彼は得々として、復員船の中でやった将校や下士官へのリンチの話をした。その話は、昔の内務班の、加害者・被害者の位置が逆転しているだけで、内容は全く同じであった。
「かつて加害者は、こういう顔をしてリンチを語ったなあ、戦争は終っても、立場の逆転だけで、その内容は結局何もかも同じことか」。私はそう考え、暗い気持になった。宇都宮参謀副長はただ黙って聞いていた。
相手にはわれわれの反応が意外であったらしく、「アンタらの船にゃ、そういうことは、なかったんすか」ときいた。私は口をきく気はなかった。そのとき氏は静かに言った。
「なかったな。何もなかった・・・・・・。この人たちはみな地獄を見たのだ。本当に地獄を見たものは、そういうことはしないものだ」
「一下級将校の見た帝国陸軍」
山本七平