抜き書き言葉集

あらゆる書物や映画その他から、自分の心に残った言葉を集めてみました。

 

十二月生まれの皆さん、お誕生日おめでとうございます。あなたの物語が、全ての予想と障害をこえて育ち続けますように。

 

柳川房彦マスター

「NG90ますたぁふぁいる」

 


 

「人間の関係など、もろいものだ。利害でなければ感情でつながっている。その感情のきずなを断ち切ってしまうなど、これほどたやすいことはない。イネどのがいま言った言葉、それだけでいい。イネどのは、私とのあいだの感情を断ち切ろうとするのか」

 

村田蔵六

「花神」司馬遼太郎


 

年をとって困ることは、つい自分の今の気持ちに溺れることでございます。あるお人の前では何を言ってはならない、あるお人には、その人の今の気持をいたわってあげなければならないという、自分への戒めが弛みがちになります。

 

「変容」

伊藤整

 


 

すべては、美しく勝つために。  

 

デビット・ベッカム

 


 

あなたがたの実力以上に有徳であろうとするな!

できそうもないことを己に要求するな!

 

 

「ツァラトゥストゥラ」

ニーチェ

 


 

政治的、宗教的熱狂は直接参加という幻想にとらわれた集団の内部でしか成立しない。電子的なコミュニケーション手段は、人間を本物の熱狂にはみちびかない。

それを用いているかぎり、参加者は集団であると同時に、責任を持たぬ個人(つまり観客)でありうるからだった。

 

「地球連邦の興亡3 流血の境界」

佐藤大輔

 


 

力の差が問題じゃねぇだろ 納得できるかどうかが問題なんだ

間違いだらけの瑞希(ダチ)の思い通りにはならねぇよ

 

和泉祥

「特攻天女」みさき速

 


 

サーベル虎はその牙のながさゆえ滅亡した

 

 

海江田艦長

「沈黙の艦隊」かわぐちかいじ

  


 

「いいよ、君。ユーモアがなければ人生は砂を噛むようなものだ」あすらは微笑していた。

「危地に陥った時、武器がそれだけだという場合もありうる」

 

勾引あすら

「A君(17)の戦争4 かがやけるまぼろし」豪屋大輔

 


 

通じる相手には対話が最上の戦術だよ。

 

梅津艦長

「ジパング」かわぐちかいじ


 

自分の行為を他人にする説教に合わせることは、他人にする説教を自分の行為に合わせるのとまったく同じように、むずかしい。たいていの人は、その行うことと説くこととが違う。

 

サマセット・モーム 


 

「策士策に溺れるということもあるから、自分の信じる事を語りなさい」

 

坂本金八

「3年B組金八先生」


小集団の中では、あらゆる些細な情報までよく伝達される。お互いにそれは伝達する義務があるかのようで、もし、ある成員がその当然のつとめを怠ったような場合は、「なぜ知らせてくれなかったか」という非難を受けることになり、また、知らされなかった人は「聾桟敷におかれた」といってたいへん立腹する。これは、その情報が特定個人にとってとくに関係がなかったり、必要と思われないようなもの、また、とるに足りないような些細なものであっても、問題になりうるのである。それは、小集団の成員としては、常に同様にあらゆる情報に通じているということが当然のこととされ、また、そのこと自体が小集団の意味ならびに活動を高揚することになるからである。したがって、仲間はずれにされるということは、すべての情報が入ってこなくなることで、この意味でも、日本人にとって、小集団所属がいかに意味を持つかがわかるのである。

各人が個人を中心としたネットワークをもち、それによって情報を得ているようなシステムであれば、日本的な小集団所属の存否はあまり大きな意味をもたない。小集団成員間ならびにタテの線を伝わっての小集団への情報の流れ方というものは、個人と個人を結ぶネットワークにおける情報の流れ方とは、いささか質を異にしている。

ネットワークという概念は、社会学的には、本来、個人と個人を結ぶもので、ネットワークの網の目は個人であって、集団ではない。この意味で、小集団の機能がたいへん高く、タテ関係が優先されている日本人にとっては、ネットワークの機能ならびに範囲はきわめて限定されているといえよう。このことは、日本人の集団所属が単一的である(実際にはいくつか持っていても、常にその一つが優先されるから、構造的には単一ということができる)という構造的な制約にもよるものである。以下にのべる、そうでないあり方と比較すると、それがよくわかるのである。

 

「タテ社会の力学」

中根千枝 

 


中国人がその社会生活において、さまざまなネットワークを活用していることは、よく知られているところである。かつての中国における「行」、つまりギルドのネットワークは、日本のそれの比ではなかったし、父系血縁原理による宗族成員、同郷の人々をはじめ、さまざまなアソシェーションがあるが、個人は種類の異なるいくつかの類別集団に同時に属している。そのいずれもが個人の必要に応じて、時と場合によって高い機能をもつわけで、個人は集団所属において、そのいずれかを常に優先するといった日本的集団所属のあり方ではない。各々の集団は、その性質・目的により機能をもつわけで、日本的集団のように多目的で、個人の様々な要求を満たすといった性質をもつものではない。したがって、個人は常にいくつかの集団所属を必要とする。すなわち、個人はいくつかの大集団への個人参加によって、豊富で複雑なネットワークの中に位置している。

このような集団所属のあり方は、必然的に個人単位にならざるをえないものである。個人の主体性なしには、このシステムは機能しない。ネットワークとは点と点を結ぶのであって、いくつかの点をくくるのではない。

個人参加による類別集団の存在は、その成員各人に正当なネットワークを保証するものであり、常に必要とあれば、各人は相手がその成員であれば、誰とでも相互に信頼できるネットワークを発動させることができる。このような類別集団における個々人を結ぶネットワークのあり方は、さらに個人にその集団以外の人々とネットワークをもつことを容易にしている。なぜならば、このような個人と集団の関係は、個人に高い自主性を与えるからである。これは小集団という枠内に安住できる日本人のあり方とはたいへん異なっているもので、いわゆる甘えの許されない世界を形成する。

 

「タテ社会の力学」

中根千枝 


東南アジア諸社会の組織・人間関係の理解は、ネットワークという概念なしにはほとんど不可能ではないかと思われるほど、これら諸社会においては、個々人を結ぶネットワークの機能は大きな意味を持っている。(中略)

すなわち、東南アジア諸社会には、日本的な小集団の存在も、また中国・インド・西欧などに顕著にみられる個人参加による類別集団の存在もほとんどみられない。いかなる意味でも、排他的な機能集団というものが伝統的にみられないのである。そこにみられるのは、個人と個人を結ぶネットワークの累積・連続を基盤とした人間関係の総和である。

したがって、ある個人を中心にしてみると、その関係はどこまでつづいているのか、どの方向に結びついているのかさえ判定しにくい。

たとえば、ある個人が二十人の人々と関係をもっているとすると、その二十人の各人がまた何人かとの関係をもっているわけで、そうした個々人を起点としたネットワークが網の目のようにはられているわけである。もちろん、いずこの社会においても、ネットワークは存在しうるのであるが、東南アジア諸社会では、明確な恒久的な集団というものがないために、人々は全面的にこうしたネットワークに依存しなければならない、というところに、全体社会のシステムとしてネットワークが注目されるのである。他の社会における集団の役割までもこのネットワークが担っているということができるのである。また逆に、これらの社会において、集団が形成されにくいのは、個々人があまりにも複雑なネットワークにつながっているからである、とみることもできるのである。 

 

「タテ社会の力学」

中根千枝 

 


 

しかし、ここで考察している東南アジアの人々のもっているネットワークの世界と、日本の地域社会の人々のものとの違いは、無視できない重要なものである。それは、この日本人のネットワークの世界というものが、特定の農村地域社会とか、下町のようにを共有する歴史の古い範囲においてのみみられるということである。すなわち、長い期間の(何世代にもわたるような)コミュニティを前提として形成されているということである。これは、小集団の拡大された、また数々の小集団がかさなり合って、その累積の結果できた、より大きな特定範囲の人々の世界ということで、そのソトの人々に対しては、タテの構造をもつ集団と同じように強い排他性をもっていることに注目しなければならない。こうした特定の地域社会のある個人とどんなに親しくなっても、ソトの者はその地域社会の成員になることはほとんど不可能である。

このような排他性のメカニズムは、ネットワーク社会からは生まれない。それは日本の場合のように、とか人間接触の長さに限定された人間関係ではないからである。もちろん、この種の要素に当然影響はされるが、まったく個人と個人の関係であるから、場をはなれても、あるいは過去の人間関係の有無、期間の長短にかかわらず、自由に設定できる関係である。したがって、個人は自分のコミュニティを離れても同様な、むしろより広範なネットワークの世界をもちうるわけで、また、既存のネットワーク自体も同じように存続しつづけるのが常である。これに対して、日本の特定の地域社会のネットワークは、そのコミュニティを離れて生活しはじめると、たちまち機能が弱くなるし、個人は新たな場において人間関係を作るが、それはほとんど小集団帰属の形になってしまう。

 

「タテ社会の力学」

中根千枝

 


 

――ネットゲームに必要なものは?

 

ネットワークの確保とコミュニケーションの意思。

この場合ネットワークは柔軟性に優れ、かつ開放的でなければなりません。

固定化した少数集団内でのネットワークは、ネットゲームにおいてはほとんど

無意味です。熱力学の第二法則と同じく、ネットゲームにおいても閉鎖系に

おけるエントロピーは常に増大します。

ネットワークの柔軟性を保証するのは、ネットワークを構成する個々人に

おけるコミュニケーションを希求する姿勢です。これが失われた状態で運営

されるゲームは、もはや「ネットゲーム」という呼称に値しません。

かといってネットワークが目的にすり替わってしまっては、ネットゲームは

ゲームでなくなってしまいます。難しいところですね。

 

「NG98総集編」

水無神知宏DGM 

 


 

立派な交渉家に必要な資質の中でも最も必要なものは、ひとが言おうとすることを、

注意深く、よくかみしめながら傾聴することができ、相手が述べたことに対して、的外れ

でない、その場にあった返事はするが、こちらの知っていることや望むことをせかせかと

全部言ってしまおうとは決してしない、ということである。

 

「外交談判法」 

カリエール


 

「夢、だ」

「これは夢だ。満開の桜のもとで宴を開くような。ほんのわずかな時間に過ぎないが、素晴らしい時期を過ごしたのだという記憶は永遠に残る」

勾引あすら

「A君(17)の戦争4 かがやけるまぼろし」 豪屋大輔

 


 

 

人間は誰でも三つの性格を持っている――見せびらかすための性格、彼の持っている性格、それから自分で持っていると考えている性格。

 

アルフォンス・カール


 

「気に入ったようにつくりなおせるとわかっている世界・・・・・・」

「夢と希望がかなえられる世界、よ」

「かなえられるとわかっていたら、夢でも希望でもないよ。月並みな感想だけど」

 

朧野ほのかと小野寺剛士

「A君(17)の戦争4 かがやけるまぼろし」 豪屋大輔

 


 

「三成。貴公、もっと男を磨け!!」

 

前田利家

NHK大河ドラマ「利家とまつ」

 


 

雪国の難儀暖地の人おもひはかるべし。

 

「北越雪譜」鈴木牧之

 


 

怒りは性急である。理性は公平な判断を下すことを望むが、怒りは下した判断が公平に見えることを望む。

 

「怒りについて」

セネカ


 

『どのような人間であれ過ちは犯す。不可避的な・・・・・・そう、情熱によって。(中略)

――君は、たとえば、無謀な計画をたててから後悔したことはないかね?』

 

 

「星の、バベル(下)」

新城カズマ


 

ひとを罰しようという衝動の強い人間たちには、なべて信頼を置くな!

 

 

「ツァラトゥストゥラ」

ニーチェ

 


 

「そこに事実があっても、そのことが念頭になければそれが目に入らない」

というのは人間の常識である

 

「標準整形外科学」医学書院

 


自由な立場から物事の根本に立ちもどり、己の柔軟な思考を駆使し、新たな倫理を創出せよ

 

 

「ゴーマニズム宣言第6巻」オビ

小林よしのり


 

「オレ達が選んだ道はとてつもないプロの集団、野望の集団だ!

そう簡単に聖域が手に入るとは思っちゃいない・・・」

 

北条彰

「サンクチュアリ」小池一夫 


 未来は僕らの手の中!!

 

ブルーハーツ

 

 


言葉集トップに戻る