抜き書き言葉集

あらゆる書物や映画その他から、自分の心に残った言葉を集めてみました。

 

 自らの置かれた状況を冷静に把握し、果すべき役割を完璧に遂行する。しかも皮相で浅薄な価値観に捉われることなく、すべてを醒めた眼で、相対的に見ることができる人間――それが行動的ペシミスト。

 

「サイレント・マイノリティ」

塩野七生 


 

 戦後、それでなければ夜も日も明けない感じであった民主主義も、全体主義の波にさらされた経験のない私には、これもまた、絶対的なものでは少しもなく、人類が今までに考え出した思想の一つにすぎなかった。ファシストで後にコミュニストになったイタリアの作家の、自伝的な作品を読んだことがある。読後の私の感想は、絶対主義的思想法をたたきこまれた者は、それがなくなって自由になっても、その自由を生かすことができなく、結局もう一つの絶対的なものにすがりつくしかない、ということだった。マルクスは死んだ、と言えるのは、マルクスは生きていた、と思っていた人だけである。私のように、マルクスは善良な人々の夢としてだけ生きていたと思う者には、死んだという言葉の裏に、生きていると言っていた時と同じエモーショナルなものを感じて、あの人たちは所詮変ってはいないのだ、と思うだけである。

 エモーショナルといえば、焼跡派だけがエモーショナルなのではない。われわれに続く世代も、そしてもっと後の世代も、われわれよりははるかにエモーショナルな点では、同じではないだろうか。三島由紀夫の事件の時、私はある席でこう言った。

 「あれは切腹ではなくて、HARAKIRIです。切腹ならば、自宅の奥の間で畳でも裏返しにして、天皇陛下にラヴ・レターを書いてもいいから、その後で一人だけで静かに死ぬものです」

 その時の私を猛然と非難したのは、自殺をこのような形でした作家と同世代に属す人たちのほかは、私よりはずっと若い人たちであった。三島由紀夫は、私にとって公人である。公人と見てこそ感じた違和感を、正直に述べたまでである。しかし、われわれは、サイレントであるだけでなく、マイノリティでもあるのだろうか。

 

「サイレント・マイノリティ」

塩野七生


 

 真の保守主義者とは、量よりは質に重きを置く人である。また、認識は軽視しないが、それが原則をともなわない場合は価値のない事を知っている。そして、時には後退も辞さない。なぜなら、前進には時として、いったん後退してから行うほうが効果があるのを熟知しているからだ。

 

「サイレント・マイノリティ」

塩野七生 

 


 

 真の保守主義者とは、まず、いわゆる保守反動や伝統主義者や回顧主義者と区別されねばならない。保守主義者は、普遍的な原則の影響をのがれられないとはいえ、新らしき課題には新らしき回答が必要であることを知っているからである。彼らはただ、失敗した経験を何度もくり返す愚を犯したくないがために、過去を、つまり歴史を軽視しないのである。

 

「サイレント・マイノリティ」

塩野七生 

 


 

 保守主義者は、社会の一部の人々の貧困と不成功が、社会組織の欠陥に必ずしも由来するとはかぎらないことを知っている。そして、それの改善は、ハンディを持つ人たちにもう一度機会を与える制度、つまり敗者復活戦的な制度で解決するほうが、社会組織の全般的な改革よりも有効である事実にも盲ではない。

 

「サイレント・マイノリティ」

塩野七生 

 


 

 保守主義的立場からしても、言論の自由は絶対に守られねばならないことは同じである。ただ、この自由の駆使は、常に社会への「責任」と裏腹でなければならないとも信じている。

 

「サイレント・マイノリティ」

塩野七生

 


 

 真の保守は、国家を愛する気持も義務の観念も、そして、人間的なるものへの尊重の気持も、少数の者のみが持つ「徳」でしかないことを理解している。

 

「サイレント・マイノリティ」

塩野七生

 


 

 全体主義について

 この言葉を辞書は、次のように解説している。

 ――全体主義とは、一つの政治上のドクトリンであると同時に、国家に、あらゆることが吸収され従属されることを第一義の目的とした、体制を示す言葉でもある。全体主義政府は、国民に、自由な政治上の活動を許さないだけでなく、経済から文化にいたるあらゆる活動が、独裁的な組織のもとに統合されることを、なによりも目指す。全体主義は、自由主義とは反対の極に立ち、しばしば、国家主義的であり、外国の強い勢力からの保護者として、自ら認じ、示す傾向を持つ。――

 

「サイレント・マイノリティ」

塩野七生

 


 

 われらが国日本が、現在、全体主義の危険にさらされているとは、私も思わない。それどころか、今のところはそんな心配はしなくてもよいのではないか、という意見のほうに賛同する。だが、危険にさらされていると感じはじめたときはもう手遅れなのが、全体主義の真の危険なところではないかとも思うので、ここでまったく非専門的な“考察”を試みるのも、一興ではないかと考えた。ただし、ここでの“考察”は、体制としての全体主義にかぎらないで、「空気」というか「動向」というか、そういう漠としたものに重点をおいて話してみたい。そして、この“考察”に参考とするのは、すべて過去の例である。歴史上どうであったからこう、というふうに話をすすめる。なぜなら、私は、われわれこそが歴史をつくる、という人ほど、楽観的な人間ではないからだ。

 

「サイレント・マイノリティ」

塩野七生

 


 

 それで、全体主義的動向が台頭してくるのは、

 悪意からであろうか。答えはノー。常に善意の所産である。

 右翼からであろうか。ノー。常に左翼と認ずる方向からである。(略)

 冷徹なる計算より生れるものか。ノー。常に情緒れんめんたる心情が、その特色である。(略)

 精神の腐敗より生れるものか。答えはノー。ほとんど唯一の例外もなく、清潔好み、クリーン好き、潔白なる人々が、主導力になって進めてきた。

 

「サイレント・マイノリティ」

塩野七生

 

 


 

 私が全体主義ないし全体主義的動向を嫌うのは、なにも思想的な確固とした信念があってのことではない。では、なぜいやか、というと、

 まず第一に、人間性の自然に反すると思うからである。全部をある何か一色で塗りつぶすということ自体が、どうしたって、種々様々なのが特色の人間性に対して、不自然な「労力」と思うからである。ムリを していると思うのだ。ムリをしているから、遅かれ早かれ、ギクシャクしてくる。そのギクシャクを直そうとして、またムリをするから、制度としては、非効率な制度と思うのである。動向としては、息がつまりそうな環境と化す。

 第二は、馬鹿げていてこっけいで、やりきれない気分にされるからである。

 私はこの人と政治上の意見を同じくしないが、イタリアの小説家モラヴィアがこう書いていたときには、心から同感だった。

 彼がデビューしたての頃は、イタリアはファシズム政体下で、小説といえども、公的機関による検閲を受けねばならなかった。文部省内のその方面の委員会は、幾人かの外部から選抜された、いわゆる忠誠なるファシストで構成されている。モラヴィアの作品は、彼らのまないたにのるたびに、あらゆる「欠陥」を指摘されたあげく、つっかえされるのが常であった。

 モラヴィアはいう。自分の作品が、芸術的に下手である、といわれるのならわかる。それも、検閲する人々に、そういう方面をわかる感覚の持主がいて、その人たちによって自分の作品が反対されるのならば、まだ我慢ができる。ところがそうではない。委員たちのほとんどは、文学的才能もないくせに文学をこころざしたことのある人であり、しかも、その世界では成功できなくて、現在は中学の教師でもしている人々なのだ。彼らが、自分の作品にケチをつけてくる。彼らの月並みな頭で判断して、ケチをつけてくる。これにはなんとしても我慢がならなかったのだそうだ。

 まあ、全体主義とは、右のファシズムにかぎらず左でも、このようなものである。諸事全般にわたって、このようなものである。私も、悪人であっても能力のある者に支配されるのならば我慢もするが、善人であっても、アホに支配されるのは、考えるだけでも肌にあわが立つ。

 

「サイレント・マイノリティ」

塩野七生

 


 

 私は、失望することのほうが、オカシイと感じた。人間的な共産(社会)主義なんて、ありえようはずがないのである。スターリンのほうが、よほど首尾一貫している。バカなのは、そういう社会が実現可能だと信じていた良心的なインテリたちである。私が真の共産主義者ならば、彼らのような人間は社会に害毒をおよぼす人種と断じ、粛正でもなんでもして、消してしまったであろう。政治的センスのない良心的な人々が、政治に口をだすことほど害なものはない。とくに、それらの人が、社会的名声など持っていたりすると・・・・・・、とソ連の支配者が思ったとしても、あの国の政体からすれば、当然ではないかと思う。

 

「サイレント・マイノリティ」

塩野七生

 


 真の保守主義者は、個人の自由が、発明や進歩や発見の素地であることを知っている。だが、また、弱者に対しては残酷な結果をもたらすこともあるのを知っている。とはいえ、この種の自由が有害なものに一変する時期を知らせてくれる、計器はどこにもない。ただただ彼らは、個人の自由を「権利」としてでなく、「義務」と考えることで、その時期を見計ろうと努めているだけなのだ。

 

「サイレント・マイノリティ」

塩野七生


 真の保守主義者は、人間の考え出したすべての制度が、完璧どころか不完全ばかりであるのを知っている。だが、同時に、完全無欠な制度など、神であっても創り出せないことも知っている。だから、「無いよりもマシ」という視点が、意外と進歩に貢献しているのだと考えることができるのだ。

 

「サイレント・マイノリティ」

塩野七生


 

 装いとは、自分の個性に合ったものであるべきである、という定義に、私は真向から反対する。それよりも、装いとは、自分が化したいと思う個性に合ったものであるべきだ、と思っている。自分の個性などそうそう簡単にわかるものではないし、わかったとしても、自分の思う個性と他人の評するそれが、ひどくちがっている場合だって多い。そして、アイデンティティー探しに無用な努力をするよりも、いろいろちがう自分を演じてみて、その選択と演じ方の総合から浮びあがってくるのが、その人のアイデンティティーだと思うほうが好きなのだ。(略)これは、絶対とか正義とか使命とか声高に叫ばれるととたんにアレルギーを起す、私個人の性癖によるのかもしれない。

 

「サイレント・マイノリティ」

塩野七生


 

 説教の法則

 説教は必要からするのではなく、したいからするものだ。

 

「続・マーフィーの法則」


 

 説得の法則

 どんなに正しくても、自分を侮っている者を説得することはできない。

 

「続・マーフィーの法則」

 


 

 <十万桁まで計算されたパイに人間性がないというのですか? 人間以外に誰がします?>

 

「笑わない数学者」森博嗣


 

「君は、鶏と卵はどっちがさきだと思う?」

「そりゃ、科学的に考えて、卵です」

「僕は、鶏がさきだと思うね」

「またぁ・・・・・・、何かのジョークですよね?」

「いや・・・・・・、意志の問題だよ。鶏になりたい、という意志が最初の遺伝子にあった。だから、鶏がさきだ」

 

犀川創平と西之園萌絵

「詩的私的ジャック」森博嗣


 

「先生、素朴と単純って、どこが違うのかしら?」

「現象としては同じだ。まあ、違いといえば、観察者の先入観かな」

 

犀川創平と西之園萌絵

「笑わない数学者」森博嗣


 

「どうして、こんな話になったんです?」

「さあ・・・・・・たぶん、話題の脱線を指摘する三人目がいないからじゃないかな」

 

犀川創平と西之園萌絵

「笑わない数学者」森博嗣


 

「ぼくは地球人です。

地球人は、困ってる人をほっておかないんです。

ほっておかないような地球人に、ぼくはなりたいんです。

そのために努力をしてるんです。

・・・・・・もっと早くに、ぼくの星のみんなが素直にそうしていたら、きっといろんなことが、もうちょっとはましになってたかもしれない。<帝国>と出遭ったときに、あんなに慌てずに、もっと立派におつきあいができたかもしれない。村の大人たちから、ぼくはそんなふうに教わってきました。

ぼくらは、もっと良いものに、なれていたかもしれない、と。

だから、<鮮血の天使>が復活するって知ったときに、士官学校へ願書を提出したんです。

お給金もろくに出ないと知ってて、そうしたんです。

村のみんなも、それは全部承知の上で、お金を集めてくれたんです。

だって・・・・・・いいですか、よく聞いてくださいよ・・・・・・この、とてつもなく広い銀河系のなかで――直径十万光年の、三千万の居住星系の、何千億の何万倍もの人たちのなかで――何の見返りも無いって最初からわかってるのに、それでも人助けをしようなんていう阿呆の集まりは、しかもそれが立派な仕事だなんて言いはってるのは、<鮮血の天使>のほかには一人もいないんですから。

・・・・・・わかりましたか?」

 

ザユストのアルロン

「天のほとりの愚神ども」新城カズマ

 


 

 人はなぜ間違いを犯すのだろうか? なにも明確に「あーっ間違えた!」というようなミステイクではなく、気がついたらなんだかうまくない事態に陥ってしまっていたような間違いは、自分ではどうやって防いだらいいのかわからないので途方に暮れてしまう。自分は正しいことしかしていないつもりでも、周りがほとんど全部その正しさなんか気にしてくれないと、やっぱり間違いをしでかす。たとえば「車は左側通行だ、よし」と思っていたとしても、そこが外国で右側通行だったりしたら思いっきり正面衝突になる。その場合周囲のことを前もって知らなくてはならないわけだが、どこまで知っていれば“安心”ということになるのか、それをどうやって判断すればいいのだろう? この世には法律というものがあって「これは間違いです」と色々定めてあるのだが、あなた六法全書全部知ってますか。知らないのなら何が間違いで、何が間違いじゃないかわかっていないんじゃありませんか。それにどうやらこの世には常識とか世間様とか流行とかいう得体の知れぬ決まり事も色々あるらしいし。全部わかってます?一体どうやっててめえが間違いを犯さないようにしてるんですか皆さん。俺は困ってるぞ。

 だいたい、周りのことを全部わかってから何かしようとしたって、そんなのは膨大すぎる。無理である。でもやっぱり知っておくべきことの基本、心のよりどころは欲しい。あんまり世界のことを知らない稚いうちに、多少適当に選んだものであっても、これさえ押さえておけば大丈夫だと己に言い聞かせているようなものが誰にでもあるはずだ。そう、要するに人の信念とか信仰とか正義とかは、結局はそういうもののことじゃないかと思ったりする。「間違いたくねえなあ」その気持ちからすべては始まっているような。しかし往々にしてそれは人それぞれバラバラな形をしていて、その思い込み自体が対立という名の大きな間違いにつながってしまったりする。この世には安心できる基準というものが存在しないのだろうか?

 ――うん、とか。そう、存在しない。少なくとも私が周りではとてもではないが、色々なことはそれぞれ矛盾しあっていてコレで正しいと言いうるものなど何もない。そうとしか思えない。では間違いを犯さずに生きていくことはできないのか?――うん。できないと思う。じゃあ何もかもが間違いで、この世には誤りしか存在しないのか、と訊かれると、ここで私はハタと気がつくのである。誤りしか存在しないのなら、どうして自分自身に「間違えると嫌だなあ」なんていう気持ちがあるのだろうか? 全部間違いだったら、その中で何が間違いかなんて考える必要もないはずなのに、どうして?(しかし“?”の多い文章だ)

 結局は、自分自身がどう思うかという問題に全部弾ね返ってくるような感じがする。ヨソから正しいとされることも、実感できないとそれは“正しい”ことにはならない。だが世の中は、人が一々「ちょっと待って、実感できるかどうか考えてみるから」と言うのを許さず速く流れていってしまう。だから――気がつくと間違いをいつのまにか犯してしまっている。しかしおそらく、ここで怯んではいけないのだ。「どうせ間違えるんだ」などと開き直ってしまえば楽みたいだが、それは「間違えちゃった……嫌だなあ」という気持ちがつきまとうことでもある。それが出発点なんだから解放されることはない。ある武術家は「周り中すべて敵でなく師」と言ったそうだが、もしかすると人生で出喰わし続ける間違いという奴もそうなのかも知れない。それに対して自分はどう思うのか、生きていくということはそういうものと遭遇し続けることなのかも知れない。それで答えが出るか出ないか、そんなことはこれまでの歴史で一度も証明されていないと思うが、しかしそれを決めるのもやっぱり自分自身の胸の裡にしかないんだろうなあ。胸の鼓動に手を当てて考えてみろ、ですか。試練だなあ。強引ですけど、以上。

(しかしおまえ自身は、なんでもこうやって一人合点することが間違いなんじゃないのか)

(…………。ま、まあいいじゃん)

 

「ビートのディシプリン SIDE1」あとがき

上遠野浩平

 


 

 ボランティアが扱うのは、飢餓の問題とか環境問題とかいう、世界的規模の大問題とは限らない。むしろ、大多数のボランティアが遭遇するのは、身近な、小さな問題であろう。しかし、問題の規模やそれがそれが直接影響を与える範囲が大きいか小さいかということが重要なのではない。

 ボランティアにとっては、たまたま電話で事情を聞くことになった外国人のアパート契約のちょっとしたトラブルであっても、隣に住むひとりの老人の週一回のお弁当を作ることであっても、自分の家族が使うだけの牛乳パックのリサイクルをすることであっても、車椅子で移動している人が階段を昇るのをたまたま手助けすることであっても、それを「他人の問題」と片付けずに、ある種の切実さを感じて行動するということが重要なのである。

 「問題と自分が結びついている」というかかわり方をするといっても、新聞を読み、テレビを見、電車に乗り、道を歩き……などをするときに目にはいってくるすべての問題を自分につながっているものとして考え、その解決に向けて行動するなどということは、現実的にできるわけはない。したがって、どんな人であっても、どの問題に関してどの程度切実な結びつきを認めるかという選択をすることになる。その選択は、その人が、自分の経験と関心と好奇心と直感によって決めるものであり、他から強要されるべきものではない。したがって、ボランティアをしている人が、していない人を避難するということは、適当でないし、逆効果にもなりかねない。ボランティアは脅迫してやらせるものではない。できるのは、何か楽しいことが起こるかも知れないよと「誘う」だけである。

 

「ボランティア もうひとつの情報社会」

金子郁容

 


 

「わたしは良いインディアンです」

「良いインディアンとは死んだインディアンのことだ」

 

コマンチ族族長の降伏とシェリダン将軍の返答。

 


 

「大義か・・・・・・。そんなものは、この国は五〇年前に捨てたんだよな・・・・・・」

 

相川少将

「第二次太平洋戦争」大石英司

 


 

「アメリカはなぜあんなに怒ると思うかね? 連中は単純過ぎる時もあるが、純粋だよ。ベトナム戦争は、方法では失敗したが、理念は正しかったじゃないか。中東には未だに独裁者が君臨している。アメリカのやって来たことすべてが悪ではない。共産主義との冷戦を遂行したこと自体も、誤りだったわけではない。彼らが言いたいのは、それだと思うよ。彼らが戦後払ったのは、払い続けたのは、銀行の借金でもなければ、税金でもない。文字通りの血と汗だよ」

「それは、キリストの教えを広め、自由というおせっかいな価値観を売って歩くためだ」

「我々はそのお蔭で商売ができた」

「なら、なぜあんたはこんなくだらんことをしているんだ!?」

「対等なパートナーとして再出発するための、最後の夫婦喧嘩さ」 

 

「第二次太平洋戦争」

大石英司

 


 

 現実主義者が誤りを冒すのは、相手も現実を直視すれば自分と同じように考えるだろうから、馬鹿なまねはしないにちがいない、と判断したときである。 

 

ニコロ・マキャベリ

 


 

 ブラウン管の向こう側 カッコつけた騎兵隊が インディアンを撃ち倒した

 ピカピカに光った銃で 出来れば僕の憂鬱を 撃ち倒してくれればよかったのに

 

 神様にワイロを贈り 天国へのパスポートを ねだるなんて本気なのか

 誠実さのかけらもなく 笑っている奴がいるよ 隠しているその手を見せてみろよ

 

 生まれた所や皮膚や目の色で いったいこの僕の何がわかるというのだろう

 運転手さんそのバスに僕も乗っけてくれないか 行き先ならどこでもいい

 

 こんなはずじゃなかっただろ 歴史が僕を問いつめる まぶしいほど青い空の真下で

 

 ブルーハーツ「青空」歌詞

 


 軍備を整備しながら守勢を期待するという状態は、いかなる国家も堪えうるものではない。

 

ゲーテ

 

 


 

 


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