終わるはずのない頁
「……司祭様」 エトルリアにあるエリミーヌ教団本部、まだ少年といってもいいくらいの若い神父が自分の少し前を歩く司祭を引きとめようと司祭の背中を必死に追っていた。少年神父が呼びとめようとしている司祭は呼ばれているにもかかわらず、全くといっていいほど無反応、自分が呼ばれているという自覚もない様子で淡々と歩いていた。 「司祭様!……サウル司祭様!!」 己の名前を呼ばれたサウルはぴたりと歩みを止めた。サウルを引きとめようと必死になっていた少年神父は安堵の色を見せ、急いでサウルの正面に回った。 「サウル司祭……」 「……はい、何か私に」 「すみません、突然お呼び止めして……あの、私、サウル司祭の活躍を聞いて」 少年神父は緊張しているのか、少したどたどしくサウルに話しかける。 「私の……活躍?」 「ええ、ベルンの動乱の際にエリミーヌ教団の代表としてエトルリア軍に参加されていたと聞きました」 「ああ、そんなこともありましたね」 自分を羨望の眼差しで見つめる少年神父にサウルの答えは随分としらけていた。 「世界の明暗を分ける戦いに参加されたなんて栄光をかざすことないその謙虚な姿勢、やはり私の想像した通りの方です!サウル司祭、尊敬いたします」 いえ、そういうわけではないのですが……サウルはそう思ったが、純心無垢な瞳を向ける少年神父を前にそれを言葉にすることがはばかられた。 「あの、今サウル司祭が編纂されているというベルン動乱一連の記録、私、楽しみにしております」 サウルのしらけ心とは裏腹に少年神父のサウルに対する羨望は高まる一方だった。 とんでもない方向へ突進していくものだ、サウルは少年の生き生きした瞳に控えめの笑みで答えた。 「お忙しいところお呼び止めして申し訳ありませんでした。お話できて本当に光栄です。あの、それでは失礼します、司祭様」 丁寧に礼を言うと少年神父はサウルの前を去って行った。自分の前を去っていく少年神父の後姿をしばらく見送ってからサウルは再び歩き出した。 司祭様ですか……やれやれ、そうぼやきながらサウルはドアの前に立つとノブに手をかけ扉を開いた。 扉の向こうにはこじんまりとした部屋があった。そこには多くの書籍が納められている書棚が部屋の壁すべてを占領するかのように置かれ、小窓のすぐ傍には書類が乱雑に置かれた机があった。サウルはその机の対に置いてある椅子に腰をかけ、机にひじをつき小窓から見える夕日をぼんやり眺めた。焼けるような緋色の沈みゆく太陽は、今の脳裏に焼き付いている少女を彷彿させる色だった。 ――……もういいです!教会に戻ったら覚悟してください! 頬を膨らませ、口を尖らせて彼女は言った。 覚悟しろとはこういうことだったのですか? 「ドロシー……」 記憶にある動乱中の少女の姿を思い出しながらサウルは呟いた。 ベルン動乱 大陸エレブに存在する二大王国のひとつであるベルン王国の国王ゼフィールによって各地への侵略が開始されたことを発端とし、その後大陸全土を巻き込んだ大乱。 ベルンがイリア、サカを制圧しリキア同盟諸国への侵略を開始したころ、ベルン国王ゼフィールの妹である王女ギネヴィアはベルン国の至宝ファイアーエムブレムと共に姿を消した。 聖女エリミーヌの教えに従い竜の探求をしていたエリミーヌ教団はファイアーエムブレムと竜の関係に関心を寄せていた。王女ギネヴィアがファイアーエムブレムを持ち去ったのだろう、そう判断した教団は王女がリキア同盟に接触しようとしているという情報を入手、王女に接触することに決めた。王女ギネヴィアと接触、王女がファイアーエムブレムを所持していることを確認、その後は教団もファイアーエムブレムの監視のためリキア同盟軍に参加することとなった。 サウルはそのエリミーヌ教団の代表としてリキア同盟軍に参加した僧侶であった。そして、サウルの従者兼護衛としてドロシーという名の弓使いの少女がサウルと共に同盟軍に参加した。 ドロシーは敬虔な信者という言葉が最もふさわしいと思うような真面目で純朴でしっかりした少女だった。布教と称し女性ばかりに声をかけるサウルを叱り、リキア同盟軍に参加してからもなおも直らない不真面目な行いの数々の尻拭いに奔走していた。常に自分に小言をいう少女にサウルは最初は少々煩わしさを感じたが、同時にどこか憎めないでいた。それどころか、いつしかそれは日常としてサウルにすっかり馴染んでいった。 しかし、大乱も終結を迎え教団本部に戻ってきたサウルとドロシーに互いを結ぶものはなくなった。旅が終わればサウルは護衛をつける必要もなくなる、護衛をする必要がなくなったドロシーはサウルの従者である必要はなくなるのだ。それは至極当たり前のこととしてやってきて馴染みの日常も終わりを告げた。 サウルとドロシーが教団本部に戻ってきて数日後、ドロシーはサウルにはなにも告げず故郷へと帰っていった。 故郷に帰るにしてもなにか一言あってもいいだろうに……当たり前の感情としてサウルは思った。それは自分はドロシーを困らせてばかりいただろう、それでも、生死を分かつ戦いを共にくぐりぬけたのだから、別れに一言あってもよかったろうに。なにも言わずに去っていくなどとは、それほど自分はドロシーに嫌われていたのだろうか。 ――神父様が悪いんです!! 目を吊り上げて自分に矢を向けてくるドロシーの姿を思い出して、サウルは自嘲気味に笑った。 迷惑ばかりかけておいて、別れに一言あってもいいではないかなどとドロシーを責める資格は自分にないのだろう。 「サウル……」 ドアをノックする音と同時に聞きなれた声がした。 笑いでつりあがった口元を元に戻し、平静の顔に戻すとサウルは立ちあがった。 「はい、ヨーデル様」 サウルが返事をすると、ドアを開けヨーデルが入ってきた。 「どうですか、進んでいますか?」 机の上に乱雑に置かれた書類に目をやりながらヨーデルは言った。 「……報告のほうですね……」 ヨーデルの言葉と視線から、自分になにを言いに来たのかが予想できたサウルは苦々しい顔をした。 「その歯切れの悪さは、あまり進んでいないのですね」 「……」 図星をさされてサウルは目を泳がせることしかできなかった。 動乱が終わり教団に戻ってきたサウルに架された仕事は、ベルン動乱のことをできるだけ詳細に記録として残すことであった。 「これは、お前にしか出来ないことです……それに、この仕事が終わりさえすればお前には確たる地位が約束されるのですから」 「……確たる地位、ですか」 先ほど少年神父に司祭様と呼ばれただけでもむずがゆい心地がするのに、それ以上の地位などと…… 「お前の仕事の動機づけになるとも思いませんが」 ヨーデルは少し目を伏した。 サウルの内心はヨーデルにはすべてお見とおしだった。 「地位を望まないのであれば、そのときに断ればいいでしょう。地位が欲しくないから仕事が進まないというのは理由にならないことくらい分からないお前ではないと私は思っていますよ」 「ヨーデル様が思っているような人間ではないのです、私は」 なにからなにまで見透かされて、面白くないサウルは俯きながら少し皮肉っぽく言った。 「そうですね」 サウルの皮肉に怯むことなく端的に言葉を発するヨーデル。 予想外のヨーデルの返事に俯いたサウルの顔が上がった。 「私はドロシーがお前の元を去るとは思いませんでしたよ」 脈略もないそれでいて今の自分の脳裏を支配して止まない人物の名前を出され、これだからヨーデル様にはかなわないとサウルはひとつため息をついた。 「……私とドロシーが共にある理由はもうありませんし……」 冷静を装うとサウルは必死に言葉を探していた。 「……それに、ドロシーは……そうです、故郷で家族と暮らすのが、それが彼女にとっていいことです」 ヨーデルに自分の動揺は伝わってしまっているだろう。しかし、反論されないだけのそれらしいことは言えたつもりだった。 「サウル……」 ヨーデルは目を丸くしていた。その様子にサウルは少し怪訝な顔をした。 「お前はなにも知らないのですか?」 「……?」 「……ドロシーに家族はいませんよ」 「!!」 ドロシーが故郷に帰ったと聞いたとき、家族の元へ帰ったのだろうとサウルは単純にそう思っていた。 「長い間共にいたのですから、知っていると思っていましたが……」 頭が真っ白になるとはこのことを言うのか、言葉が見当たらない、鼓動ばかりが高くなり、それでいて手足はまるで自分のものではないように冷たい。 戦乱の時世、親兄弟がいないということはめずらしいことではなかった。であるから、ドロシーに家族がいないといわれればそれはそれで十分ありうる話として納得がいく。しかし、長い間共にいたにもかかわらず、そのことを知らなかったということがサウルを愕然とさせた。 「……共に過ごしたからといって相手のすべてを知っている必要があるわけではありません」 ヨーデルの言っていることは最もすぎてサウルにとって慰めにはならなかった。しかし、衝撃のあまり言葉を失っていたサウルにとって、場をつなぐ言葉が必要であったのは確かで、その意味でヨーデルの言葉は慰めになっていたかもしれない。 「おまえはドロシーに家族がいないということを知らなかった。そのことにどんな意味があるのでしょう……」 「……知らない意味……」 思い出されるのはむくれた顔で「神父様!」と自分を呼ぶドロシーの顔ばかりだ。 「私はドロシーのことをなにも知らないのかもしれません」 「……お前達がそれだけの仲だったのか、それを問題としないほどの仲だったのか……それとも他に……?」 「……わかりません」 「そうですか。しかし、お前の仕事が進まない理由は分かったような気がします」 そう言うとヨーデルはサウルを残し去って行った。 サウルは呆然とヨーデルの背中を見送り、そのままへたり込むようにその場に合った椅子に腰を落とした。 気がつくと先ほどまであった緋色の夕日は薄い色をした月に変わっていた。 仕事が進まない理由 答えは多分 ドロシーがいないとなにもできない *** エトルリア国境付近のとある小さな村、あまりにも辺境にあるためか動乱の爪あとと呼べるような荒廃はなかった。しかし、辺境という土地柄か賑わいと呼べるような活気もなくどこか貧しさが漂う村でもあった。 「ドロシー……ドロシーかい?」 野菜が詰まった籠を抱えた老婆がひとりの少女を見てそう言った。老婆の視線の先には弓を携えた長身の少女が立っていた。 「……ただいま」 老婆に呼ばれたドロシーは少し照れくさそうに笑った。 「エリミーヌ教で働いてるって聞いたけど、戻ってきたのかい?」 「うん、暇をもらったから……随分と家を空けちゃったし」 「お前がいない間、十分とは言えないけどいつでも帰ってこれるように掃除だけは毎日していたんだよ」 「ありがとう」 「皆を呼んで盛大に歓迎でもしたいところだけれど、年よりは天に召されたり、若い衆は都会に出たりでね」 「いいのいいの、ゆっくりしたいから戻ってきたんだし」 「そうかい」 「じゃ、あたし家に戻るね」 「ああ、そうだねここまでの道のりで疲れてるだろう、ゆっくりお休み」 「うん」 老婆と会話を終えドロシーは自分の家に戻った。 ノブに手をかけドアを開けようとしたドロシーは動きを止め一歩後退すると自分の家を眺めた。 随分とこの家には戻っていなかった。この村から一番近い街にあるエリミーヌ教の教会で働き出してからずっと戻っていない家だった。 「ただいま」 ドロシーは家に向かって言った。 家に入っても誰もいない、自分を待つ家族などドロシーにはいなかった。ただいまというのであれば、ずっとこの場所で待っていたこの家に言うのがふさわしい。 今度こそドアを開けドロシーは家に入った。 老婆の言っていたことは本当だった。何年も開けて埃だらけだと思っていた家の中はきれいに掃除されていた。帰ったらすぐ掃除だと思っていたドロシーには嬉しい褒美だった。寝室に入り荷物を下ろすとドロシーはそのままベットに沈みこみ大きくいきを吐いた。 教団の命でリキア同盟軍に参加したドロシーは、弓の使い手としての腕を上げ戦争の終局では神将器を持つほどの実力をつけた。戦争が終結し教団本部に戻ってからというものドロシーの境遇は随分と変わった。教団で働くいち信徒であったドロシーはいつのまにか英雄扱いだ。教団からはなにか褒美をとまで言われた。とんでもないと断ったが、どうもそうはいかないらしく、それならと長い暇をもらうことにした。ここに戻る途中、元々働いていた教会にも立ち寄ったが、そこでもこの教会出身者が神将器の使い手だと英雄扱いで正直疲れた。 さすがにこの村の人間はドロシーのそのような事情は知らないようだ、今まで通りに接してくれるのが先ほどの老婆と話したときにドロシーはそれを実感してやっと重荷から開放されるような心地がした。 ベットのシーツは太陽の匂いがした。自分がいない間も、布団を干していてくれた証拠だ。ドロシーは匂いをいっぱいに吸いこんで瞼を閉じた。 ――やれやれ、これドロシー、お前が怖い顔をして近づくから逃げてしまったではないですか 「怖い顔は生まれつきです!」 ――やれやれ、なにを怒っているのやら 「神父様が悪いんです!」 ――やれやれ、それでは始めますか ――やれやれ ゆっくりとまぶたを開けたドロシーはむくりと起き上がった。少しぼんやりする頭を醒ますかのようにおでこに手をあてた。 「やれやれ」 自分で呟いてドロシーは小さく吹いた。この言葉を呟いたとたんに情けない気持ちになってきて、それがおかしかった。 この言葉をあの人はどんな気持ちで呟いていたのだろう。どんな局面でもこの言葉に尽きる人だった。白い法衣に鮮やかな赤の聖布がはためいて、蒼の髪は白と赤をいっそう引き立たせていた。いい加減で、女性ばかりに声を掛けまくるとんでもない人だったけれど、本当はやさしくて…… いや、自分はそんなこと思う資格はないのかもしれない。 動乱を共に潜り抜けたその人、サウルの元をドロシーはなにも言わず去ってきた。 英雄扱いされて疲れた、そのことに嘘はなかったけれど、もっと嫌だったこと。それは自分の心にもたげる不安があったから。 神父様にとってあたしってなんですか? あたしにとって神父様は…… すべてを明らかにする勇気がないからあたしはここに逃げてきた。 傷つきたくないからあたしはここに逃げてきた。 だから、もう神父様のことは考えるのはよそう、そう言い聞かせてドロシーはベットを降りた。 あたしはここで新しい生活をする、そう決めたのだから。 今までのことは無かったことにしたいから。 数ヶ月はドロシーの希望は叶った。村のものはドロシーがエリミーヌ教の命で動乱に参加したことなど知らない。村人の知っているドロシーはエリミーヌ教で働くようになる前のドロシー、普通の村娘のドロシーだった。 しかし、ある日突然それは崩された。 「ドロシー!ドロシー!!」 家の外から村人が大きな声を上げて自分を呼んだ。何事かと家の外に出たドロシーは目を丸くした。 少数ではあるが貧しい村には無縁とも思えるような煌びやかな一行がいる。その一行を率いているのは、漆黒の鎧を纏った騎士。 「パーシバル様!」 あまりの驚きにドロシーの声は裏返った。ドロシーの声を聞いたパーシバルは静かにドロシーのほうを振り向くとドロシーに近づいた。 「久しぶりだな」 「あ、あの……なんでパーシバル様が……」 ドロシーがパーシバルとにニ、三言葉を交わしている間に村人全員が家の外に出て自分を遠巻きに眺めていた。まずいと思ったドロシーは慌ててパーシバルを自宅に招き入れそこで話すことにした。本当は粗末な自分の家にパーシバルのような高貴な身分の人間を招くなどとは気が勧まなかったのだが、村人の好奇の目で眺められながら話しをするよりはましだった。 「実はクレインが弓将軍を辞したのだ。そこで、後任を探しているのだが適任者がいなくてな」 「はあ」 「そこで君を思い出した。どうだろう、エトルリアに仕官する気はないか?」 「えぇぇぇ!!あ、あたしがですか!!」 「聞くところによると君はエリミーヌ教の仕事はしばらく暇をもらっているというじゃないか」 「そうですが……あたしでは、ただの村娘ですよ」 「身分などは関係ない。君はそれだけの実力を持っているし、これからの治世は身分にとらわれない人事をと王子も仰せだ」 なにを言われてもドロシーはエトルリアに仕官する気にはなれなかった。しかし、こうしてパーシバル自らが足を運んでいるという事実、とてもじゃないが断れる状況とは言えない。 「……あたし、ここで暮らすと決めたんです」 意を決したようにドロシーは言った。 礼儀知らずといわれても構わない。自分はこの村にいると決めたのだから。 「……そうか」 ドロシーの意を汲んだのか、パーシバルもそれ以上しつこくすることは無かった。 「すみません。せっかくのお話を……」 「いや、こうして国領の村々を視察するのも仕事のうちだ」 「はい」 「君が気を病むことじゃない」 わかるねとパーシバルは言うと無表情の顔をすこし柔らかくしてドロシーの家をあとに、そして、連れてきた一行を引き連れ帰っていった。 一行を見送ったドロシーはひとつため息をついた。 「ドロシー、おまえ、あの人達は一体……」 パーシバル達を見送った自分の背後に感じる気配、おそらく全員いるだろう。村人全員が自分の後ろで自分が振り向くのを今か今かと待っている姿を想像して再びため息をつき、そして、くるりと向きを変えた。 そこには想像通りの光景があった。 「おい、ドロシー、あれはエトルリア王家の軍人さんじゃないのかい」 「ドロシーいつの間にあんた、あんなすごい人たちの知り合いになったんだい」 「すごいや、ドロシー姉ちゃん!!」 答える間もなく次から次へと村人はドロシーに言葉を浴びせた。 「ドロシー、どうなんだい!?」 「あーー、だから……その、そう、エリミーヌ教で働いているとね、そういう人と知り合いになることも……」 「そうなのかい!!」 「へぇー、やっぱり街へ出るとちがうもんだな」 苦し紛れの返答だったが、その返答のぎこちなさなど村人は気にならないくらいに盛り上がっていた。おかげでパーシバルが何者なのかとか、一体なにをしに来たのかなどという疑問までは村人には起きなかったらしい。実際、その後ドロシーはなにも聞かれることはなかった。 外の世界とは無縁な辺境の村にはエリミーヌ教の教会もないので、教会の実情を知るものなどいない。教会で働けば王家に使える武官と知り合いになれる、などという普通であればだれも信じないであろう話を村人誰しもが信じ込んだ。 信じられないような話しだけど、でも、嘘じゃないんだよね、ドロシーは心の中でひとり呟いた。 ほっとしたのも束の間、数週間後にまたもや貧しい村に似合わない来訪者がやって来た。 「ドロシー!!」 声高らかに自分の名前を呼ばれて、ドロシーは慌てて家を飛び出した。 「ク、クラリーネ……」 「ドロシー、聞きましたわよ!弓将軍の話を断ったんですって!!」 ドロシーの姿を見つけるとクラリーネはそのまま大きな声でつかつかとドロシーに歩み寄った。 「わたくし、ドロシーとアクレイアで一緒にいられると楽しみにしておりましたのよ!!」 どうやら、クラリーネは相当ご立腹のようだった。 「そ、そうなの。ご、ごめんね」 こうなったらクラリーネは止まらない、しかし、困った、またもや村人全員が自分を好奇の目で見ている。しかも、先ほどクラリーネが大きな声で「弓将軍の話を断った」と言ったことに村人は相当反応している様子だった。 「どうしてですの!ドロシー」 「いや、だから、あたしにはそんなの無理だよ」 「またそうやって!ドロシー、あなたは、あの動乱のなか立派に戦ったじゃないですの!しかも、お兄様を差し置いて神将器まで使ったんですのよ!!」 ああ、もうだめだ。ドロシーは心の中で嘆いた。せっかく知らないでいた村人達にすべてがばれてしまった。 「ドロシー!聞いているんですの!!」 「う、うん。聞いてるよ」 その後、なんとかクラリーネをなだめ納得して帰ってもらうのに苦労をしたドロシーに、更なる心労がやってくる。 「ドロシー……あんた」 「動乱で戦ってって、どういうことだい?」 「しん、しょー……き……ってなんだい?」 パーシバルのときのようにうまいこと言うのはもう無理だった。 諦めたドロシーはすべてを村人に明かすことにした。 エリミーヌ教で働くようになってから、教団の命でリキア同盟軍に加わったこと、その後エトルリア軍と名を変えてベルンに侵攻したこと、最終決戦では人竜戦役のときに使われたという神将器を持って魔竜と対峙したこと、そして、教団本部に一度は戻り、その後こうして暇をもらって村に戻ってきたことをすべて話した。 「……」 ドロシーの話しを聞いた村人は唖然として黙り込んでしまった。 「ドロシー……いや、今度からはドロシー様って呼ばなきゃいけないかね」 だれかが思いついたように呟いた。 「そうだな、ドロシーはすごい人になったんだからな」 「いやあ、すごいなドロシー!あっ、ドロシー様か!!」 はははとだれかが笑い出すと皆がつられて笑い出した。 ドロシーも一緒になって笑った。今までのことを話しても、ここにいる限り村娘でいられるかもしれない、そう思えた。 「ねぇ、ドロシー、そのお前がしてきた旅とやらの話をもっと聞かせておくれよ」 「そうだよ!せっかくだから話して聞かせてもらおうじゃないか」 貧しくさびしい村にポツリとひとつ明かりがついたように活気がわいた。 それ以来、ドロシーの周りには自然と村人が集るようになった。村人に頼まれドロシーは今までの自分の旅の話を聞かせた。 旅の話といいながら、エリミーヌ教の教えが頭をよぎり、自然と旅の話しにそれが織り交ざっていることにドロシー自身が気づくのに時間は掛からなかった。自分にとってエリミーヌ教がどれだけ大きな存在なのか、思い知らされるようだった。 すべてから逃げるようにこの村に来たけれど、結局は逃げられなかった。 旅の話をするたびに、エリミーヌの教えを口にするたびに、思い出した。 皆が自分の家へと帰った後、ひとり夜空を見上げると、その深い蒼にさらに記憶は鮮明になった。 「神父様、今ごろどうしているのかな」 少し胸が痛んだ。でも、この胸の痛みもいつか時間が癒してくれるだろう。 実ることはなかったけれど、せめてあたしの心の中だけでは大切にしまっておこう。 胸の痛みがなくなるまでは大切にしておこう。 あなたのことが好きです。 *** 今回の旅はどのくらいかかるだろうか。 エリミーヌ教団本部の執務室、ヨーデルは旅支度をしながら部屋を見まわした。 高位の司祭に与えられる個室、贅沢な装飾品に飾られた書棚、書記机、応接セット、自分に与えられてから随分と時が経っていたが、ほとんどそれを使った記憶がヨーデルにはなかった。視察や殉教、そして、竜の探求を兼ねた旅で部屋を空けることのほうが多かった。 竜の探求、エリミーヌ教僧侶ヨーデルの人生のほとんどはその一言でくくってもいい。エリミーヌの教えに従いヨーデルは竜の復活を阻止せんと、そのための尽力は惜しまずにやってきた。 ベルン動乱で竜の謎は明かされたし、竜の復活も阻止された。ヨーデルの竜の探求に関わる仕事はほぼ終わっていた。 ヨーデルが竜以外のことで旅に出るのは久方ぶりだった。今回の旅の名目は戦乱であれた町や村の視察、戦災者の救済、しかし、目的は別のところにあった。 噂の真偽を確かめること、それが今回のヨーデルの旅の目的であった。 出立は明日。しかしその前にもうひとつの噂を確認しなくては、ヨーデルは荷物をまとめ終えると部下の部屋へと向かった。 「サウル……いますか?」 扉のをノックしながらヨーデルは返事を待ったが、期待したような返事はなかった。ただ、物音がかすかに聞こえたので空室ではないことは伺えた。 「いいですか?入りますよ」 しばらく様子を伺った後、一言そう添えるとヨーデルは扉をあけた。 小さな部屋の中、机に向かい黙々と書物をするサウルがいた。あまりの集中にヨーデルのことなどには気づかない、そういう様子が背中から見て取れた。 「サウル……、ちょっといいですか?」 声をかけてもサウルは返事をしない。 「サウル」 肩をひとつ叩いて名を呼ぶと、ようやくサウルはヨーデルに気がついた。 「これは、ヨーデル様」 筆を休め、サウルは席を立ちヨーデルに向き合った。 「取り込み中に悪いことをしましたね。ちょっと話す時間はありますか?」 ヨーデルの言葉にサウルはおもむろに視線を窓の外に移した。 「まだ夕暮れまでには少し時間があります」 窓の外をうかがったサウルを察してヨーデルはそう言った。 「……ヨーデル様はなんでもお見とおしなんですね」 サウルはどこかさびしそうに笑った。 「私だけでなく、教団のほとんどの者が知っていますよ」 夕日を窓からずっと眺める司祭がいる。ちょっとの間ではなく、傾き始めてから完全に沈みきるまで微動だにせずに眺めつづけ、ときにひとりうっすらと笑みを浮かべているらしい。 夕日が沈み夜が来ると床につき、朝日が昇る前には目を覚ます。そして、夕日同様に朝日を眺めているらしい。 沈む夕日、昇る朝日を眺めるときに窓から顔を出す以外、司祭が外に出ることはない。ここ数ヶ月自室にこもったきり出てこないらしい。 あの司祭は気が触れたのではないか。 いや、でもあの司祭はなんでもあのベルンの動乱で至高の光を操った司祭だそうだ。 教団内でまことしやかに囁かれる噂話だった。 「あれから、動乱が終わってから季節は巡って、あのときと同じ季節を迎えようとしています」 「あのとき……」 サウルは俯きながら目を細めた。 おそらくヨーデルの推測が間違いなければ、サウルが言うあのときとはサウルの前からドロシーが姿を消したときのことだ。 「まるで筆が進まなかった当時に比べればおまえは随分とやっているとそう思います」 「ええ、ヨーデル様」 やたらと素直な返事をするサウルにヨーデルは両眉を上げた。 「思いませんか?ヨーデル様、沈み昇る太陽はドロシーを思い出させてくれるのです」 俯き辛そうな面持ちのサウルの表情が一瞬にして柔らかくなる。 「沈む夕日に見送られて彼女の夢を見ることが出来れば、そして、目覚めに朝日が向かえてくれれば……」 「サウル……」 「そう思う私は愚かでしょうか、そう思うと筆が進む私は気が触れていますか、ヨーデル様」 幻をさまよっていたサウルが現に戻った。 「……私にお前のことをとやかく言う資格はないのかもしれません」 自分についてまわっている噂のことは本人も自覚しているようだ、気が触れたなどというのは噂に過ぎない、ヨーデルはそう結論した。 布教と称しては婦人にばかり声をかけ、聖女エリミーヌの教えを傷薬のような扱いをするといった過去にサウルがしてきた行いに比べれば、サウルについてまわる噂など問題にするほどでもないことだった。実害があるわけでもあるまい。 以前のサウルが今と同じような行動を取ってもだれもなにも言わなかっただろう。問題はサウルの行動ではない。サウルが一介の神父ではなく今となってはエリミーヌ教史上に名を残してもおかしくないほどの司祭となっていたことだ。 肩書きや体裁といったものに人は弱い。サウルがこうして教団本部で噂されるのは愛だ平和だ、真実だ正義だと善良を語る聖職者でもそれは同じという証拠だ。 「……そろそろ、時間ですね」 ヨーデルは窓の外を眺めてそう言った。真上にあった太陽は傾きかけて煌煌とした光を落とし始めていた。 「そうでした……私はしばらくここを留守にします、噂が流れていましてね……」 一度は部屋を出ようとサウルに背を向けたヨーデルが踵を返した。 「教会もない村にエリミーヌの教えを説く少女がいるとか……」 教会もない貧しい村でエリミーヌの教えがもてはやされているという。 そのような噂がどのようにして流れ着いたのか、真相は全く分からない。 本来であれば布教は教会か、神父、司祭、もしくはシスターといった位を持つものがする行為である。教会もない村で、位もなにも持たない少女がエリミーヌの教えを説いているとなれば、教団としては黙っているわけにもいかなかった。 事の真相を確かめに行ってきます、そう添えるとヨーデルは再びサウルに背を向けドアのノブに手をかけた。 「……ヨーデル様」 サウルは首を傾げ少し考えるようなそぶりを見せると退出しようとするヨーデルをサウルが引きとめた。 「それはもはやエリミーヌの教えではないのではないですか」 「というと?」 ヨーデルが再びサウルの方向へ向きを変える。 「噂などは話しの流れが逆になるものです。少女の話しに聖女エリミーヌを重ねた者がいたのだとすれば……」 「なるほど。私が明日からしようとすることは、我々が自意識過剰である証拠ですな」 ヨーデルは笑った。 悪意もなく実害も及ぼしていない少女に対し、我らの教えを汚していると躍起になっているエリミーヌ教団、滑稽な話だ。 エリミーヌ教団とは純然たる信徒の集りである前に世界をまたにかける一大組織なのである。規律とか序列とかそういうものに振りまわされる、集団とはそういうものだ。おかしいけれど、そのおかげで竜の探求もできたし、世界の平和に一役買えたのだ。 「さて、本当に時間になりました」 そういうとヨーデルは今度こそサウルの部屋を去った。 東の孤児に温かい食事を 南の傷ついた被災者に癒しの光を 西の悲嘆者に聖女の言葉を ヨーデルが教団を発ってから数ヶ月が過ぎた。噂をたどってやって来た街は以前ヨーデルも滞在したことのある街だった。しばらくぶりにやってくるその街のエリミーヌ教会にはヨーデルの顔を知る者が数人残っていた。その者たちに今回の旅の目的を話すと、皆が笑った。 「それなら、あの村だ。ヨーデル様は知らなかったのですか?」 きょとんとするヨーデルにもったいぶるようにだれもが何も言わない。 「明日にでも行ってみればよろしいですよ」 それ以上なにも教えてもらえず、ヨーデルは言われるままに翌日言われた通りの村へと向かい、村についたヨーデルはその村の光景に思わず息を飲んだ。 少女の周りに村人が集り少女の話しに耳を傾ける光景、小さく貧しい村に、小さな明かりのようにそこに点る活気。 そして、その少女はヨーデルのよく知る少女で…… 「ドロシー……」 ヨーデルの声に、そこにいた村人すべての視線が集る。そして、ヨーデルのほうに振り向くドロシー。 「……ヨーデル様」 「ドロシー……おまえだったのですか……」 ヨーデルはドロシーの傍へと歩み寄ると、ドロシーもつられるようにヨーデルに歩み寄った。 「ヨーデル様……どうしてこのような所へ?」 動乱時より少し大人びたドロシーがヨーデルに問いかけた。 「おまえの噂を聞いてやってきたのですよ」 「あ、あたしの?」 「ええ、小さな村に聖女が舞い降りたとね」 にこりと笑ったヨーデルにドロシーは目をぱちくりさせた。ヨーデルの言っていることがよくわからない、そんなそぶりだ。しばらくドロシーは不思議そうな顔をしていたが、ヨーデルの顔を再び見ると思い出したように言葉を発した。 「あ、あのヨーデル様……あたし、やっぱり教会で仕事がしたいんです」 今度はヨーデルが目をしばたかせた。なにも教会で仕事をしなくても、今の光景はまさに人々の救済で、布教ではないか、ヨーデルはそう思った。 「……今でも十分なのではないですか?おまえのしていることは立派に聖女エリミーヌにしたがっていると思いますよ」 「いえ!!今はただ、今まであたしがしてきた旅の話をしてるだけですから……」 とんでもないというふうに、ドロシーは慌てて言った。恐縮する様子はいかにも彼女らしい。思わずヨーデルは目を細めた。 「サウルが言ったことは間違っていませんでした」 ドロシーはなにも布教をしようとしていたわけではない。ただ、自分にできることをしていただけ。それが、この村に明かりを点したのは自然の成り行き。噂などは他人が勝手に都合のいいように脚色しただけの話。 「神父様が……!?」 ドロシーはサウルの名を聞くと、飛び跳ねるようにすこし目を大きくした。それは、ほんの一瞬ですぐにドロシーの顔は元に戻ってしまったが、ヨーデルはそれを見逃すことはなかった。 二人に教団は窮屈すぎる。 さて、どうしたものか。 「わかりましたドロシー、私に任せてもらえますか?」 しばらく考えた後にヨーデルはドロシーにそれだけを告げた。 |