橘解体新書


4大名家の1つと言われながら、源、平、藤原ほど振るいませんでしたが、

調べるうちに「事実は小説より奇なり」と言われるような

面白いネタがゴロゴロ出てきました。

まだまだ未熟ですが、興味あったら読んでね

 

●橘氏の由来 

最初の主は女性
  県犬養橘宿禰(あがたいぬかいのすくね)三千代の「橘」にもとづく。
この女性は、天武朝以来歴代天皇の後宮に仕えた功績を賞せられて、盃にうかぶ橘を賜り、
それにちなんで橘姓を名乗るようになりました。
 
また、のちに、藤原氏と婚姻関係を結び、 光明皇后の母となっているところをみると、
かなりのやり手ウーマン??

● 藤原&橘

 はるか昔より両家は政権争いを続けていましたが、
残ったのは藤原氏、10世紀以降、橘氏は没落の一途をたどります。
「遙か1」の時代では、もうすでに白虎2人の「家」としてのライバル意識は
微塵も感じられないですね。
  もし、遙か昔(奈良時代あたり)の八葉も白虎2人が藤&橘の人間で、
ゲーム化されていたら、あんまりにも仲悪くて??協力技どころか、札探しも難航していたのでは??

母の愛だと思っていたら.....。
 
橘三千代の再婚後、彼女の息子である橘諸兄が当時、事実上藤原氏の独裁と化していた
政治舞台に上がる事が出来たのは、彼の義父である藤原不比等の力による所が大きかった
ようです。
 このことから推測すると、三千代は橘家の将来を憂い、
藤原氏と婚姻関係を結んだのでは、と思いましたが、
実は藤原氏と不倫の末、前夫と別れて結婚しちゃったようです。         敏達王
略奪婚だったらしい。<やるねぇ〜。                      |
 この藤原不比等という方、中臣(藤原)鎌足の次男ですが           難波皇子
親の七光りと思いきや、 大宝律令や養老律令完成に貢献した            |
キレるお方でした。 こちらになびいても無理ないなぁ〜。(笑)         栗隈王           中臣(藤原)鎌足
 この時代、天智、天武両天皇が額田女王を取り合ったように、          |              |
恋愛についてはオープンだったようですし、                  美努王==橘三千代======藤原不比等
その上、彼女も前のダンナさんよりずっと権力あったんでしょう。             |      |      |
 まあ、結果的には、好きな人と一緒になれて、しかも息子は出世して、   多比能=
==橘諸兄  光明皇后 [麻呂 宇合 房前 武智麻呂]
一石二鳥で良かった??                       (不比等の娘)| (葛城王)  |       |      |
                                        奈良麿      孝謙帝
    広嗣    仲麻呂
息子もヤリ手なんです???

 
橘諸兄が橘姓を名乗る前は、葛城王(かつらぎのおおきみ)でした。
姓を受ける、と言う事は、つまり臣籍降下、
藤原家との結びつきを強化するため、また、藤原家と婚姻関係を結んだ
母親の橘姓を 受け継ぐためだったようです。
 三千代が再婚した頃(三千代さんの年齢は不祥なんですが)
彼は13才くらいだったんでしょうか?? 子どもの頃からそんな事を考えられるなんて、
今の時代からは考えられないですねぇ〜。
 また、後に不比等の娘と結婚しているので、
「お母さんの命令なんだろうなぁ〜。」 とも思うけど、
やはりこの人もお母さんと同様、野心家だったんでしょうか。
 なんだか、お父さん(美努王)が気の毒なのですが、
不比等は自分が政治の実権を握ってからは、とりわけ美努王をたてるようにしたとか。


藤原VS橘の仁義なき戦い
 
藤原不比等には先妻との間に、のちに藤原氏四家の基となる4人の息子がいましたが、
相次いで天然痘に倒れた事によって、政治の実権は参議より大納言に昇格した諸兄が握る事
になります。
 これが、長き戦いのきっかけとなったのでしょうか。
これを不満とした、広嗣(不比等の孫)は反乱を起こしますが、失敗に終わります。
のち、同じく不比等の孫である仲麻呂の進出、圧迫により、諸兄は辞任に追いこまれます。
仲麻呂の専横さを不服とした、奈良麿(諸兄の息子)は仲麻呂打倒を計画しますが、
実行に至る事はできませんでした。
 その後も両者の対立は続きますが、結局、10世紀以降、橘氏の力は急速に衰えます。
後の時代では、楠木正成のような人物も出てきますが、多くは地方の中級役人に甘んじ、
政治の表舞台からは、姿を消す事になります。
 藤原氏の策略にまんまとはめられちゃった、と言うべきか.......。

● 翡翠さんもやはり橘氏??

 コミック番外編で、幸鷹さんが「貴族の血筋で、昔、賊を鎮圧した先祖もいる」
と翡翠さんの生い立ちを調べたくだりがありましたが、
「吾妻鏡」には、橘諸兄の一族が 四国で反乱を起こした賊徒を鎮圧した功績により、
伊予、讃岐領を賜った、 と記されているそうです。
 こちらの橘氏はのちに楠木正成を輩出する楠木姓になったと考えられているそうですが、
楠木正成も翡翠さんのように、博学で、 スリリングな人生(?)
送った人ではなかったかな??

●芸は身を助ける??

 そんな訳で、政治とは縁遠くなってしまいましたが、
学者、書家、歌人、......明治時代になってからは、バレリーナやピアニスト.
筑前琵琶の橘流...と、
文化面で頭角を示した人物が多いのも橘家の特徴のようです。
 偶然か否か文化勲章のモチーフは「橘」ですしね。

●美しき??橘家

「橘は菓子(このみ)の長上にして、人の好む所なり。枝は霜雪を凌ぎて繁殖し、 葉は寒暑をへて彫しぼまず。
珠玉と共に光りを競ひ、金銀に交りていよいよ美し。 是を以て汝が姓には橘宿禰を賜ふ。」
  どの文献を見ても、 橘家を誉めたたえるものが多かったのです。
橘家の人物に真直な人物が多かった所をみると、
あらゆる画策を巡らす政治の世界には不向きだったといえるようです。
悲しいかな、実直な生き方が報われないのは、いつの時代も一緒なんですね
 友雅さんの場合は??ん〜、この方も出世には全く興味なかったようですしねぇ〜。
普通だったら、出世のため、お家繁栄のために、と、とっくにどこかの止ん事無き姫でも
ゲットしてたでしょうにねぇ〜。
しかも彼は跡継ぎではありませんから、たとえば、源氏の次期棟梁である頼久さんよりは
ずっと「家」のプレッシャー少なかったはず。
だから、この時代には珍しく、自由奔放な生き方ができたのかもしれませんね。
ある意味、幸福な人ですよ、ね。<ってこれはやっぱり現代人の考え方??
 


参考文献


「ものと人間の文化史 87  橘」/吉武利文著/(財)法政大学出版局 

「日本姓氏大辞典-解説編-」/丹羽基二/角川書店

「姓氏の語源」/丹羽基二/角川小辞典=14/角川書店

「日本古代氏族人名辞典/坂本太郎 平野邦雄 監修/吉川弘文館

「律令制の虚実」/村井康彦/講談社現代新書424 新書日本史2/講談社

「大仏開眼」/井上光貞/松本清張
「大伴家持」/山本健吉
「孝謙.称徳女帝」/永井路子/門脇禎
以上 「日本史探訪4 大仏開眼と平安遷都」/角川書店編

「藤原不比等」/上山春平/角田文衛/「日本史探訪3 律令体制と歌びとたち」/角川書店編