〜あかうに観察日誌〜
4月分の日記です
2002 4/14
〜大学始まって一週間です〜
とりあえず、何とか学年あがっていました(笑) ものすごくホッとしております。
これで春休み中にかかっていたうつ状態も幾分かはましになってきました。
もう引きこもってばかり入られないです!
ところで、最近タバコの銘柄を変えたのですがこれが結構いい感じです。
前はマルメンライトを吸っていたのですが、それがかなり重く感じてしまい、
これより軽く、なおかつ1ミリじゃないのをということでフロンティアのメンソール3ミリを
吸い始めました。これがなかなかの重さでかつ苦しくならないのでとてもよかったです。
タバコを吸い始めて3ヶ月、そろそろ日常化してきました。
一日上限5本と定めておりますが、これを超えないようにきちっと守っていきたいです。
うまく使えばタバコはメンタル面の維持で非常に役に立ちますからね。
やはりストレスが今まで以上に解消されたのは事実です。
精神面での健康害とタバコによる健康害、両者の兼ね合いが重要みたいですね。
2002 4/01
〜何とか半年です〜
おかげさまで無事にHP開設半年を迎えることが出来ました。
これもひとえに皆様のおかげです。いつもいつもありがとうございます(^^:
さてさて、先々日からわけのわからないまま展開しております日記ですが、あのままではかなりの誤解を
生んでしまう可能性が非常にあると考え、見ていただく場合には反転していただくこととしました。
一応見ていただいてある程度意味を理解できる基準としまして、一度でも世間で言う
「感動」するギャルゲー(特にKanon)
をプレイされているというのを定めました。いまさらなのですが、、、。
一度でもやったことのない方は本当によくわからないと思いますのでご覧になられないほうがよいかと思います。
これからの文章もいわゆる「感動」ゲームをやったことがある方に対して、またあるいは知識として
もっている方に対して書いておりますので、興味がない方はここまでであとはすっ飛ばしちゃってくださいませ(笑)
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実を言うと前々からKanonに対するアンチテーゼを持っていました。
それは雑誌やインターネットでよく見る「泣ける」とか「感動した」とかに対してです。
何回かやったことのある人間としては
「果たしてあの作品はそこまでヒトの感情を動かせるものなのか?」
と。
確かにやっていてところところで涙腺が緩くなる場面はあったのですが、それがどうも
それは本当に物語によって心を動かされた涙なのか?(いや違うだろう)
ビジュアル、音楽、文章が三位一体となっている悲しさをあらわす演出によって
ただ機械的に涙腺が緩くなっているだけではないのか?
と感じてしまうのです。何度も何度も考えてみましたが。
私が昨日述べた「無理な不幸自慢大会」はこのことです。
ところでちょっと面白い論理を述べている本があります。
去年の暮れ近くに出版された「動物化するポストモダン 〜オタクから見た日本社会〜」という本なのですが、
ここで著者の東浩紀さんはKanonに代表される「感動」ゲームをこう述べています。
「オタクたちに人気のある萌え要素を徹底的に組み合わせ、彼らが効率よく泣き、萌えるための一種の
模範的回答を提供するために作られている (中略) 物語の重要な箇所がすべてあいまいなまま、物語はただ
設定だけを組み合せた骨組みとして進んでゆく (中略) そこで求められているのは旧来の物語的(例としてはガンダム等)
な迫力ではなく、世界観もメッセージもない、ただ効率よく感情が動かされるための方程式なのである」
つまりこれらが物語性により感動し涙したのではなく、ただ単純に泣ける要素、萌える要素をふんだんに
取り入れたことによって涙したのであり、オタクたちはそれを「感動」と表しただけであるのだといっているのです。
この意見がすべて正しいとはいい切れませんが、私の論理にかなり近かったので今回私の論理を擁護するために
載せてみました。同じ考えを持っている人を見つけて内心ホッとしております(笑)
あれほど批判じみたことを展開してきましたが、私自身Kanonは結構好きです(ぉ
よく他人とのコミュニケーションで、食べ物ネタとか口癖ネタとかを使っちゃっています。
ただしKanonで好きなのはあくまでキャラの設定を使った、無理に感動に結び付けない
いわゆる現実的な面を押し出している部分であり、無理やり感動に結び付けている部分は
やっぱり嫌いというか、体が未だに受け付けてくれません(苦笑)
〜もどります〜