『子供に戻った大人たち。』



榎木津がやってきて、まだ30分も経っていなかったことだろう。千鶴子の不在を知り、じゃあ、
風呂焚きでも手伝ってやる、と風呂場へ駆け込んだのを見、僕は台所へと立った。

PM6:00 

―さて、今日は茄子が食べたい気分だ。
ふと思いついた。

しかし、茄子は無かった。否、そんな他愛も無いことはすぐ忘却してしまう事件が起こった。
これは極めて特殊な例である。
ぼふん、という爆発音と共に、奇妙な音が聞こえた。それが榎木津の声だと察し、風呂場へ駆けつけると、
涼しい顔をした榎木津は言った。

「京極、風呂壊れた。」
「・・・・・・・。」
果たして、風呂とはどこをどうすれば斯様に壊れるものなのだろうか。見れば、風呂釜のそばには、
同様にこなごなになった手桶やらタワシが散乱していた。

―理由は聞くまい。
この男に理由などと、無粋なことは聞くまい。

一種、悟りのような心持になっていた僕は、じゃあ銭湯にでも行こうか、と榎木津を誘い出した。
 ―この自分の一言が、これからの恐ろしい事件を引き起こすとも知らずに―・・


 ***
「うわはは、あすこの爺さん、湯に浮かんでるぞ!」
銭湯初体験らしい榎木津は、見るもの全てに感動していたようだった。

「榎さん、そういうのは見たら一応声をかけて生存を確認するくらいはしたほうがいいですね。」
「うん?そうか。」

 そして次に、湯上りには牛乳が飲みたい、という。
「榎さん、アンタは金持ちなんだから、いっぱい買うんですよ。」
「うん。」

 榎木津は横でわしゃわしゃと頭を洗ったかと思うと、僕が身体を洗い終わる頃には既に湯船に
入っており、僕が湯船に浸かろうとすると、もう上がると言い出した。

「榎さん、アンタ速いな。」
「超高速だ。」
 そう言い残すと、榎木津はさっさと上がってゆく。

―なんか変だ。
ちらりとそうは思ったものの、榎木津は外で待たせておけ、という心の声に従った。どうせ、
早く上がって牛乳でも飲みたいのだろう。きっと奴は仁王立ちで飲むのだろうな。
などと考えると,妙にはまっていて、一人で笑えた。


***

ちょっと長湯をしてしまった。きっと榎木津は牛乳も飲み終え、もしかしたら珈琲牛乳も飲んでいるかも
知れない。待たせられたと言って拗ねていないことを願おう。そう思いつつ、僕は脱衣場へと向かった。
身体を拭いて、手ぬぐいを羽織る。

―体重も量っていこうか。
などと考えてると、その場に榎木津がいないことに気がついた。

「・・・??」
先に帰ったのだろうか。いや、いくら榎木津が非常識だと言っても、帰るのならば一言くらい言って
いくだろう。
なにはともあれ、僕はきちんと着付けをしようと、服の入っている籠を見た。

「・・・・・・ッ?」
 微妙に服のたたみ方が崩れ、整然となっていたはずの籠の中が乱れている。
―なんだ?榎さんが落としてしまったのかな。ありうる。
ごそごそと積まれた服の中を探り―・・、僕は大変なことに気がついた。

 まさか―・・

 まさか―・・ッ

 まさか―・・・ッ!!

―下着がない!?
そんな馬鹿なッ!
僕は顔には出さずに慌てた。

いや、忘れたなんてことはない。準備をしたときと、出掛け、そして銭湯に脚を踏み入れるときの計3回。
僕は確認したのだ。だから、忘れたなどということはまず考えられない。

 考えられるのは、いきなり姿を消した榎木津。
―コレしかいない。
「・・・・・!!」
僕は悔しい気持ちで一杯になりながら、上から着流しを羽織った。家には誰もいないので、取ってきて
もらうことも出来ず、それ以前に「下着がないから届けて欲しい」などとは死んでも言いたくない。
これはプライド云々以前の問題だ。

 よく、川に遊びに行く子供で、最初から水着などを装着していた場合、帰りの着替えを忘れる子供が
いるが、まさに僕はその子供を笑えない。いや、別に僕が忘れたわけではないのだが。そう言う場合、
彼ら子供達はどうやって帰途につくのだろう。参考にしたいが、分からない。

いやいや。
 このようにいたずらをした以上、榎木津がどこかで様子をうかがっているはずだ。
なんとしても取り戻さねば!!

「・・うん?まてよ?」
そういえば、と僕は思い当たった。無くなったのは、替えに持ってきた下着。ならば、くるときに
着けていたものは―・・!?

 僕は探した。
しっかりと探した。籠の中は勿論、もしかしてくるときに落としたのでは、と脱衣場から入り口にかけて
くまなく探した。あまり脱衣場から出てしまうと、女湯覗きと間違われる危険性が出てくる。
微妙な位置で、入り口付近を検索する。

―・・ない・・。というか、榎木津本人もいない。
 榎木津は何を考えているのだろうか。
確か榎木津は手ぶらで来たはずだ。
―榎木津は僕の下着を手に、うろついているのだろうか・・?
 猛烈に恥かしい。なんだ!アイツは何を考えているんだ!

「あ、京極、上がったの。」
片手に牛乳瓶をしっかりと握り締めた榎木津は妙にまったりとしながら声をかけてきた。
脱衣場には珈琲牛乳が無かったからひとっ走りして店まで行ってきた、という。

「・・榎さん、返してくださいよ。」
「うん?何をだ?」
白い喉を上下させながら、榎木津はふわふわと笑う。

「とぼけないで下さい!!」
ひゅう、と入り口から風が入る。暖かい脱衣場にいたから気付かなかったが、なんだか脚がスース―
するのだ。

「・・ふふん、開放的だろう?」
「・・ッ!」
僕の表情を見取ったのか、榎木津はさも嬉しそうに僕を眺め回す。

「いいからっ!早く返してください!」
「やだよ!返して欲しくばここまでおいで!!」
「!!!」

 たしか榎木津はもう三十路に差し掛かっていた、と思う。だがコレはどうだ・・。
「ほゥら!!早くしないと捨てちゃうぞ!!」
「うわ!やめろ!振り回すな!!」

 他に人がいなくて良かった。僕等よりも先に入っていた爺さんはまだ湯に使っている。
―・・危なくないか?という疑惑が浮かんでは、消えた。今はそれよりも僕の下着だ。

「うわっははは!!」
榎木津は狭い脱衣場で走り回っている。
「どうした!京極!もじもじしてないでちゃんと僕を捕まえロ!」
そんなことを言われても、なんだか心もとないのだ。
下着がない、というのはこんなにも心細いものなのか・・。
僕は涙がこぼれそうだ。

「榎さん!いい加減にしてください!」
 これでは下手な中学生日記のようだ!クラスに一人か二人はいるものだ。好きな子の筆箱やランドセル
を取って困らせる・・ああ、これでは小学生ではないか。

 僕は一層悲壮な表情を浮かべた。
すると、おい、これくらいで泣くなよ。といい、
「ふふん。わかったよ、これは返してやろう。その代わり―・・」
「その代わり―・・?」
「・・今日は、僕と水戸黄門様ごっこをしロッ!」

 その下着はもともと僕のものだ。それを勝手にとっておいて、「返す代わりに・・」などと要求を
通すのはお門違いもはなはだしい。しかも、なんだ。水戸黄門様ごっこって・・???

だが―・・、

だが―・・、

だが。

「・・・わ、分かったよ、だから・・それ・・」
いい加減、身体は湯冷めし、顔ばかりが火照って熱い。

 返してくれ。と言うと、榎木津はさも嬉しそうに、うん。といった。







    ぴぱっくす別館〜京極感〜よりひば様からいただきました。

    ひば様、素敵なお話感涙の限りです。