――壱    ファシズム写実シティ  ――               

 光。蒼と虚空。発光虫のうたにのせて。                     

 こぼれ日に照らされて、青い溶液に満たされたガラスケースが薄暗い部屋の中で浮き上がる。

憂鬱な換気口の音が巻き上げる埃の中でユキはまだ眠りの深みから戻っていない。魚の様に密かな呼吸だけが静寂して、広い空間を埋めていた。

―― 小汚い雑居ビルが建ち並んだ騒然とした街。治安を放棄された放却地域――旧市街。

浮浪者、麻薬常習者、娼婦、男娼、犯罪者のメッカと化した旧市街の朝は、死んだ様な静寂に包まれたまま。

元はボーリングステージだった、廃屋の窓辺に通信手段である鳩が羽を休めている。ユキは愛鳥の帰還に目を覚まし、光の線を広げ開けた。憂いの朝の訪れを、胃の痛みで自覚する。

 彼女は待ち人から届いた便りを鳩の足枷から取り出した。旧市街には電柱の残骸が立ち並ぶばかりで、暇な住人が改造してやっと扇風機が回るぐらいの電気が作り出せるような発電器ぐらいしか電気源がない。政府からは、水道も電気もガスも生活資源は公的には断たれていた。そんな中では交信も古式な伝書鳩が書かせないのだ。

 ユキは前から此処の住人だった訳ではない。一週間前まで中野のワンルームマンションを借りていて、人並みに大学(飛び級で)にも通っていた。それでも、ユキは教育を受ける程に幼くはなかったし、絵空事ばかりを言う、管理されている周りの人間にうんざりしていた。

 ユキや其の周りの十代の若者達は新世代といわれている。それは、丁度20年前に行われた、国を挙げての一大プロジェクトによるものだ。世間に知られている、最新としてのテクノロジーは氷山の一角に過ぎず、水面下での人の技術は神の領域に達していた。そんな事情で、また此の国の政府も乗り遅れること無く、一つの法案が可決された。

ライフクリエイション法。明るい響きのこの制度は、民主主義を全く無視した横暴として、多くの非難と野次を投げられ、マスメディアだけでなく国中を揺るがした。其の恐るべき内容は、まさに国民の完全管理法。遺伝子工学を駆使して、生まれてくる生命の全てを操作し、今までに無い完全な人間の製造を試みたのだ。そうして、法案の可決後、翌年から制度は施行され、製造番号のついた新世代が次々誕生した。試験管の中で生まれた天才児達は政府の従順な人形として教育され、これまた政府によって選抜された里親にそだてられる。とうとう、人が創造主となったのだ。

ユキは出生不明だった。例外にも。製造番号、遺伝子元、生まれた病院、彼女の出生に関しての記録は全て白紙だった。ときたま、政府管理下から逃れ、隠れて子供を産む親はいたのだが、そんな子供は市民権を得られず、旧市街の様な街しか、居場所がない。ところが、ユキには戸籍上、20歳になっているのだ。つまり、旧世代に分類される。何者かに過去を抹消され、生年月日を変えられ、おかげでユキは下らない制度から逃れられた。

 更に不思議なことは、ユキの能力は、プログラムさ、常人離れした頭脳を持つ製造物に劣っていなかったことである。

 まぁ、とにかく、何故彼女が、廃屋の街と化したかつての新宿にいるのかと――

 ――彼女は自分の出生の謎を知ったのだ。

        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                ―― 弐    快楽ディラック  ――

 シンヤは思わずほくそ笑んだ。どうしても侵入できなかった、太白大学の中枢コンピューターのハッキングに成功したのだ。これは彼の趣味。侵入が難しい程、情報に興味がなくとも、熱くなってしまう。一大学のパソコンが何故にこんなにもガードが堅いのか分からなかったが、彼は達成感からか、鼻歌まじりで知られてはいけないのだろう情報に目を通していく。

 ぴた、と彼の手がとまった。興味無くながめていたが、其の項目は彼の目を釘付けにした。HC−MSという記号。そこには、かつて、ある軍事主義国家で研究され、あまりに危険なため、研究をうち切られた薬について述べられていた。

 『xxxx年11月2日 当軍事施設研究所内で行われた最初の動物実験中のこと。

 誤って薬のグラスファイバーを取り落とし、其の学者と他4名が薬を吸引。4人はその 場にいた2人の研究生を殺害、内2人は間もなく心臓麻痺で死亡。残る二人は、研究所 にいた16人を次々に惨殺し、34発の弾丸をうけ死亡。司法解剖の結果、全身の筋肉 が硬直し、通常の約5倍の脳内科学物質が検出された。当研究所ではこの研究を撤退し 施設を閉鎖。研究中にとられたデータもほとんど処分され、薬は完成されることはなか った。しかし、密かに持ち去られていた記録の一部をこちらで入手。御方には此の薬の 研究を再開し、完成させてもらいたい。なお、此の事項に関しては極秘に取り扱うこと。』

そこまで読むと、シンヤは興奮と焦燥と恐怖でふるえた。まるで、自分も殺されるとでもいうような、言いようのない絶望感。知らなければ良かった。何故、知ってしまったんだろう。・・・誰かに知らせるべきなのだろうか?それは危険か?彼は今の自分の現状が恐怖だった。

 

 

 鼻をつく鉄臭さと饐えた油の匂いでいささか顔を顰めた。幾度、此の場所を訪れても、辺りにまとわりつく異様な雰囲気には慣れないものだ。実際、旧市街の住人は滅多に近寄らないのだが。しかしながら、こんな、廃棄物のたまり場でしかない鉄のかたまりを絶好の基地にしている酔狂な人間がいるのをユキは知っていた。

 ユキはいくつも連なる廃車の山に向かって石――実際は石だったかは定かでない――を思い切り投げつけた。暫く、CM一つ分ぐらい待ったが、其処にいるはずの人物からは応答がない。

「天才様!後10秒で顔を見せないと、此処のがらくたに火付けるからね!」

ジッポの火で顔に似合わず脅しを掛ける。

「やぁ、ユキ。僕のラボにようこそ。君みたいな娘が来てくれるなんてまったくうれしいね!感動だよ。」

芝居がかった妙に高音の主は、焼きただれた――元は機械工場であった――2階から崩れ

そうな手すりに掴まって愛煙しているマルボロを挟めた手を振っていた。

「気持ち悪いこといわないでよ。らしくない。」

滅多に言わない彼の冗談は、これまた滅多に笑わないユキを苦笑させる。もっとも、冗談ではなくて、本当に放火を恐れたのかも知れない。

「まぁ、上がってこいよ。見せたくてうずうずしてたんだ。全くもって、俺は天才だよ。」敢えて其れにはつっこまず、彼女は鉄山の横の螺旋階段を駆け上った。彼のラボの玄関は『EXIT』と表示のあるこれまた重い鉄の扉だ。建物の内部は外とはうって変わり、こざっぱりとしていて清潔感さえ漂っている。床には何本ものコードが交通路のように張り巡らされ、気を付けないと躓いてしまう。

 ユキを自分の基地に呼んだ張本人――氷坂 シンヤは、年こそ違えど彼女と大学では同期だった。其の頭脳は一介のハッカーには勿体ないほどで、あらゆる分野の知識に長け、およそ知らないモノの方が少ない様にも見える。しかし企業が挙って彼を口説こうと苦心してはいるが、何しろ、かれは『変人』なのだ。何がと云われると全部が可笑しい。奇天烈極まりない人種としか云いようが無い。

 先刻から其の変人は4台のパソコンに囲まれてキーボードを打ちならしている。

「其れ、何なの?」

 ユキが画面を差して問う。

「ハッキングしたんだ。なかなか手がだせなかった代物さ。」

「だから何ってば。」

「HC−MSって聞いたことあるか?」

 シンヤの目が鋭くなっていた。

「HC−MS?」

 部屋に一つしか開いてない窓から赤い陽光がもれている。

「巷じゃ、今こんな噂が持ちきりなんだ。」

 

 

――世界を空白に戻す呪文って、知ってるかい?

――救いようのない世の中なんて壊してしまったほうがいいと思わない?