―― 伍  相乗デモストレーション ――

 日頃から頻繁に来るわけじゃないので、朝のこの道のりははじめてといっていい。ユキがいま住処にしている、ボーリング場の廃屋からシンヤのラボまでは決して遠くはなかったが、それでも連日通うのには不便だ。それで、彼のがらくたの中で比較的破損のない数少ない車の中から、大型のバンに移り住むこととなった。本日は争奪決行に向けての作戦会議初日でもあり、ユキのささやかな引っ越しの日でもあった。

 十二月の冷たい空気が耳に痛い。それでも、彼女はという薄ら寒そうなかっこうで汗をかいている。女1人に、15キロの荷物は重いようだ。

「荷物整理終わったら、上がってこい。珈琲入れてやる。」

すこし離れた頭上からお声が掛かり、ユキはいそいそと段ボールを引きずった。

 

「開発を直接携わっているのは此の大学研究室の羽野役紫。俺とタメだな。あと、助手の真神英一朗ってのがいる。他に数人関係者はいると思うんだが、実質、事実を知ってんのは此の二人だろう。っていうのは俺の勘。この辺から当たってみるのが妥当かな」

シンヤは自力で調べ上げた資料の束を片手に珈琲を啜った。情報収集は赤子の手を捻るより簡単な事である。

「あたってみるって――直接会いに行って『物をよこせ』なんて言うじゃないでしょうね」

「何、此の俺を見くびるなよ。業界じゃ顔がきくんだ。あの手此の手で根回しすればどうにかなるさ」

此の男は自分が偉人であると云う事実を信じて疑わない。此もまた彼が変人と云うレッテルを貼られる所以の一因でもある。

――此処は、彼に任せる他ないだろう。

 

 其の後、ディープな争奪計画会議が行われることもなく、ユキは買い物に出掛けた。

 鳶色の雲が流れて、日が暮れたのだとぼんやり思いながら歩く。

 地球に日が昇って一日が終わり、日が沈んで一日は終わる。そんな意味が在るのか無いのかあやふやな事象を一体幾度繰り返しているのだろう。パターン化されたリズムをスイッチ一つで再生して、エンディングが来たらリセットしてリプレイ。人類が誕生する遙か昔から此の世にはそんなプログラムか組み込まれている。

 そう、決して今の世界の根源は無能で腹の色のくすんだ政府なんかに依るモノではない。一体、此の国の何処に、全国民の遺伝子情報を管理操作できる体制があるだろうか。そんなモノは虚構に過ぎない。凡ては幻想である。すでに現実では崩壊は始まっていて、秩序は悉く壊れている。

 此の世界はボロボロと崩れてくる垢や塵芥が降り積もり、其の上を踏み固めては足場を悪くして、人は、自分が地に立っていると錯覚し、幻で腹を満たし肥えている。

 

 ――掃除が必要だ。

 

 洗浄して、下剤を飲むべきだ。いや、既についてしまった脂肪は取れない。

 醜く肥えた人間諸共 ――リセットするには――  

 

 破壊が必要

 ――そう、世界をゼロにする為の。

 

 

 

 

 

 

―― 六 ストイシズム閲覧 ――

 

 

 

羽野にある仕事の話が来た其の日のことだ。

 ヒッチコックのSF映画のような、有機物の侵入を受け付けない要塞のような白い部屋。

 巨大な学園都市太白学園を総括する鎌屋彬の設計である。

 この学園内で最も空に近い処にある此処――学長室に羽野は呼び出された。

 

「久し振りですね。羽野教授。相変わらず白い顔だ。ちゅあんと食べないと倒れて此処の大学病院行きですよ?それは嫌でしょう?」

 壁一面の窓のようなスクリーンモニターの前に設えてある悪趣味な安楽椅子から反吐が出る嫌らしい声がした。

 

「お気遣い有り難う御座います。でも、もし私が倒れたとして此処の病院で研究材料になってもそれは本望ですよ」

 

羽野は白衣のポケットに手を突っ込み中にあるナイフの感触を確かめた。

 

「ふふ。君は心にもないことを平然と云える。僕が君を好きな理由の一つですよ」

 安楽椅子の男は座ったまま振り返り目を細めて相手を見やった。

 

「羽野君。もっと近くに来てくれませんか?そんなに遠くては話が滞る。僕は相手の顔をよく見て話す主義なんです」

 羽野と男の間の間合いが僅かに狭まる。

 

「もっとですよ。そんなところにいたんじゃ握手も出来ない。早く此方に来なさい」

 男は俄に眉を顰め顎に手を置いた。

 

「お言葉ですが、仕事を請け負うのに握手は不要です。声は充分聞こえますからどうぞお話になって下さい。私は立ったままで結構ですので。それとも何か渡すモノでも在りますか?」

 

羽野は頸を横に向け遠くを見るように白い壁を見つめた。

安楽椅子の男が粘着質な声で答える。

 

「ええ。在りますよ。今日は僕が直々に書類を預かっているのでね。だから、僕の横まであるいてきて下さい」

 羽野は小さく息を吐くと床から目を離さずに硬質な音を立てて男の目の前まで近づいた。羽野が歩いてくる間、男はずっとその粘着質な目線を送っていた。

 

羽野が安楽椅子の横に付けると男はするりと彼の腕を掴み彼の眼鏡を外した。

 

「ふふふ。やっぱり君は綺麗な顔をしていますね。頬が痩けては勿体ない。体も、痩せすぎですね。抱き心地が悪くなる」

 そう云いながら男は白衣の裾を割ってその細腰に手を回した。

 

「蓮見学長代理。私は仕事だと呼ばれたのでわざわざやって来たんです。貴方の私的な用事は遠慮願いたいのですが」

「羽野君。これも仕事だとそろそろ解ってくれませんか。君は僕に逆らえる立場ではないのですよ?この学園のモノは遍く僕のモノなのですからね」

少しずつ引き寄せられるのを、僅か抵抗して羽野は云った。

 

「“まだ”貴方のモノではないでしょう?それよりどうしても聞き入れてもらえないのなら、人を呼びますが」

「いくら叫んだところで誰も来ませんよ。秘書室には此処の音声は届かない」

「いいえ。来ますよ。真神を連れてきて居るんです。今秘書室の前に待たせています」

 

「君はつくづく惜しい男だ。まぁいいでしょう。時間を掛けるのも一興ですしね」

蓮見は苦笑を漏らすと羽野の腰から腕を引いた。

 

 

「さて。仕事の話をしましょう」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

羽野は幼少の砌から生物学や生体医学に触れ、都内切っての一流私立高校を首席で入学しトップの成績で卒業した。

大学に入学後もを専攻した羽野は研究所内でも天才の名を欲しいままにし気が付いたら最年少で博士号を取っていたのだ。研究に没頭することだけが羽野の唯一の生き甲斐だった。

頭の固い教授連に愛想を尽かし、大手企業の研究所で働こうとした時期があった。だが、何故かそれは叶わなかったのだ。大学で小さな研究グループの中にいた頃は挙って工業会社や開発団体からの声が掛かっていたというのに、まるで誰かが阻んででもいるように各企業は口を揃えて方針が変わったと曖昧な返答を返してきた。

 

そこを拾われたのが、太白大学だった。

 

この大学――もはや学園都市だ――は一個人の持ち物では日本一の規模として有名である。

 

その一個人――鎌屋彬はヌースグループという世界規模で経営する巨大な事業団体の総統である。

総統とは、会長というのと同義だが、民衆は彼を独裁者としての称号でそう呼ぶのだ。

実際、鎌屋は日本の、否“東”の独裁者だった。

 

21世紀、軍事産業の裁量に失敗したアメリカが市場から後退し、世界が今までにない大恐慌に見舞われた年。

 

それまでの冷戦状態から脱却したと同時に、世界は完全に二分された。

 

欧州を筆頭として諸発展途上国の西と、日本を始めアジア各国の産業国、そしてドイツを含めた東の間には国境よりも遙かに屈強な結界が引かれた。

俗に、“ライン”と呼ばれるそれは不可侵のみを掲げられた、万里の長城を超える要塞壁だ。要塞の中には幾つかのブロックに分かれた東側の軍施設があると云われているが、それは裏の裏に隠された国際情勢に付き物である多くの謎の一つである。

 

ヌースグループはその東の軍事需要の先駆として暗躍しているという噂もある。

 

世界が二分されたと同時に、日本では国家が解体し、天皇制は廃止、徴兵制が施行され恰もアメリカ合衆国のレプリカを模造したような体制に整えられた。

しかし、そこまでに至のには、大変な経過と混乱が生じたのだ。

共産主義の復興、ナチシズムの横行、テロリズム、デモストレーション。

世の混乱に乗じて様々な革命運動が勃発した。

 

何故か其処にもこのヌースグループの影が見え隠れする。

ヌースグループ総統鎌屋彬と、ドイツ――正しくは第三帝国時の思想を受け継ぐ生き残りの建国した軍国家とが、つながりを持っているというのである。

 

第三帝国時。

 

第二次世界大戦時の日本における軍事研究の先駆けとなった多くの研究が、ドイツで行われた。

 

毒ガスの改良や様々な人体実験、そして生物兵器。

 

その情報が鎌屋彬を通じて戦時中の帝国日本軍にもたらされたということがまことしやかに囁かれている。

 

 

 

それを知ったのは羽野が太白学園に向かい入れられて間もなくだった。

 

そしてこんな噂を聞いたのも。

 

 ――総裁はある研究に携わる人材を募集、養成する為のみの理由でこの学園を創立した。

 

 

ある研究?

 

何か途轍もなく強大なモノが世界で蠢いている。

 

羽野は蓮見から受け取ったディスクをパソコンに差し入れながら其の指が震えているのに気が付いた。

 

――自分は、只の駒だ。

 

駒に徹するのか、それとも――

 

 

欲動に突き動かされる瞬間だった。

 

やってやる。

 

 

羽野の脳裡に蓮見の粘着質な視線が蘇った。

 

 

世界を牛耳るエデンの果実を、

 

いや、破壊を手に入れるんだ。

 

 

  

 

 

 

 

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