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カランと扉に取り付けている鐘が鳴った。店をオープンするには、まだ数時間ある。 店内は薄暗く、イスはテーブルに乗ったままになっている。 それでもこの店の店主は驚いた顔ひとつせず、入って来た長身の男を迎え入れた。 「よお、零一」 「ああ」 店に入って来たのは、店主の古くからの幼馴染の氷室だった。 氷室はカウンター席のひとつに腰掛ける。 持っていた鞄を空いている椅子に置き、"いつものヤツ"とだけ店主にオーダーする。 「今日は随分早いんだな?」 今し方まで磨いていたグラスのひとつを手に取りながら氷室に問い掛けたが、 曖昧な返事が返って来たきり口を開こうとしない。 代りに大きな溜息が氷室の口からもれて、店主は目を丸くした。 「おいおい、零一が溜息なんてらしくないな?」 店主が『いつもの』を差し出しながら言うと、氷室はむっとした表情を浮かべる。 グラスの中には琥珀色のアルコール。 それを一気に飲み干して、氷室は大きく息を吐き出した。 そんな氷室の様子を見ていた店主は"やれやれ"とばかりに肩を竦め、 中断していたグラス磨きを再開した。 こう言う時の氷室にいくら話しかけたところで、まともな返事が期待出来ないのは 幼馴染である店主自身がいちばん良く分かっていた。 お互い無言のまま、暫く時間が過ぎる。 そして、先に口を開いたのは氷室の方だった。 「―――聞かないのか?」 他人が聞けば何の事だか分からないような問い掛けも、幼馴染はさらりと答える。 「聞かないんじゃなくて、聞いて欲しいんだろ?」 グラスを磨く手を休める事無くきっぱり言うと、一瞬氷室が"うっ"と詰まった。 「恋愛相談だったらさっさと言えよ。俺だって暇じゃないんだ」 「なっ、何故そうなる!!」 「…………お前、それで俺をごまかしてるつもりか?」 「―――っ」 昔から、氷室は口で人に負ける事はなかった。 ありとあらゆる知識と単語を使って、どんな状況でも相手を言い負かしてきた。 ただひとり、この幼馴染を抜かしては。 つまり、この店主の前では薄っぺらなごまかしなど全く通用しないのだ。 「……今日、ドライブの帰りに公園通りを通った」 ようやく話す気になった氷室を見て、店主はグラスを磨く手を止める。 「それで?」 「……そこで、だな、その…俺のクラスの生徒を見かけたんだが」 「ちゃんだろ?そう言うまわりくどい言い方やめろよな」 「誰がちゃんだっ!!お前、図々しいにも程があるぞ!!!」 「それじゃ、零一も""って呼べばいいだろ?」 「馬鹿な事を言うな!自分のクラスの生徒だぞ?呼べる訳がないだろう!!」 「そんな法律あんのかよ?」 「そう言うヘリクツをこねるなっ!!」 「はいはい」 今度は店主が溜息をついて、氷室に話しを進めるように促す。 「で?生徒さんを見かけてどうしたって?」 興奮気味だった氷室が、その問い掛けにはっと我に返る。 そして、その時の経緯をボソボソと話し始めた。 先週をドライブに誘ったが、初めて断られてしまった。 ここのところ頻繁に"社会見学"と称してを連れまわしてしまっていたが、 さすがに断られたのには少々ショックを隠せなかった。 だが休日はの時間であって、氷室が強制できる物ではない。 ―――日曜日 本来ならばと出掛けていたはずだったドライブは、助手席を空にしたまま実行された。 そして、その帰り。 公園通りに差し掛かった、とある店の前。 そこで氷室は見慣れた姿を発見して、思わず車を止めた。 ―――? 窓を開き、声をかけようとした氷室の鼓動が一瞬止まりそうになった。 店から出て来た知った顔の男が、に話しかけている。 「葉月…桂……か」 店の前で、何やらふたりは話し込んでいる様子だった。 が何か言うと、葉月がふっと笑みを浮かべる。 今度は葉月がに何か言う。 すると遠目にも分かる程顔を赤くしたが、葉月に満面の笑みを零していた。 良く見れば、の手には小さな箱が握られている。 リボンがかけられていると言う事は――― 「プレゼント、だな」 そう呟いて、急に我に返った。 自分はこんな所で何をしているのかと言い聞かせ、再び車を走らせる。 氷室の車がゆっくりとふたりに近付く。 もしかしたら、が自分の存在に気が付いてくれるのではないだろうかと言う 淡い期待もあったが、結局が氷室の車に気付く事はなかった。 そのまま車はふたりを横切り、再び家路を走り始めた。 しかし、氷室の心中は穏やかではなかった。 怒りとも不安とも言えない感情で、胸が押し潰されそうだった。 このまま家に帰る気にもなれなくて、氷室はいつもの店に行き先を変更した。 「で、現在に至る…と?」 「まぁ、そう言う事だ」 「へぇ?零一が、ねぇ?」 経緯を話し終えた氷室の顔を、店主がまじまじと見つめながら言う。 「お前にもそんな感情があったのか?てっきり欠落してるんだと思ってたぜ」 "はぁ〜"やら"へぇ〜"を連発している店主の言いたい事が分からず、 氷室は眉間にシワを寄せる。 「言いたい事はハッキリ言え!」 「そうか。なら言ってやる」 カウンター越しにいた店主が、ずいっと身をのり出してニヤリと笑う。 「お前、その男に嫉妬したんだ」 「しっ―――」 "嫉妬"と言う言葉に、氷室の思考回路がパニックを起こす。 「いよいよ本気モードだな、零一?」 うんうんと頷きながら、なぜか嬉しそうな店主に向って氷室が何か言おうとするが 上手く言葉が出てこない。 ―――嫉妬?この俺が? カウンターに肘を付いて頭を抱えてしまった氷室を見て、店主が笑う。 「たまには悩めよ、それが本物の恋愛ってもんだ」 「うるさいっ!今分析中だっ!!!」 売り言葉に買い言葉の最中にまたドアの鐘が鳴って、ふたりの会話が止まる。 店に入って来た人物に、氷室が目を見開いた。 「あの、今晩は」 そこには、つい今まで話題になっていたの姿があった。 「お!いらっしゃい!」 「なっ、?どうしてこんな所に来た?」 ほぼ同時に言われて、がきょとんとしている。 「ほら、そんなとこにいないで入っておいで」 「はい」 店主に促されて、がおずおずと店に入って来る。 そして氷室の隣に腰を下ろして、にっこりと笑った。 「先生、さっき車で公園通り通りませんでした?」 「!」 氷室は驚いた表情をしたまま、完全に固まってしまっていた。 「良く似た車だなって思ったんですけど、先生が運転してるかどうかまでは分からなくて」 「だ、だからと言って、こんな所に来る理由は何だ?」 「いえ、車が走って行った方向にマスターさんのお店があるな〜と思って、 もしかしたら先生いるんじゃないかなって」 えへへと笑いながら、が言う。 混乱してなかなか言葉が出ない氷室に笑いを噛み締めつつ、店主がに声をかける。 「そっか、じゃあ零一を追っかけて来た訳だ?」 「追っかけて、って言うか……」 ふとは氷室に視線を向ける。氷室の鼓動が更に早くなった。 「もし先生だったら、渡したい物があったんです」 「渡したい物?」 やっと口を開いた氷室に、が恥ずかしそうに言った。 「えっと……」 がそこまで言いかけた時、突然店主が声をあげる。 「あー、大変だー。足りない酒があったんだー」 「?」 「ちょっと酒屋まで行って来るわー。留守番頼むぜー」 「おっ、おいっ!!」 氷室の静止も聞き入れず、棒読みのおかしなセリフを残して店主は店を出て行った。 あまりにも不自然な態度に、氷室は頭を抱える。 「…………あの、氷室先生?」 の声で氷室が顔を上げると、心配そうに顔を覗き込んでいる彼女と目が合った。 「……渡したい物、とはどう言う事だ?」 なるべく動揺を悟られないように、必要最低限の言葉でに質問する。 「特別な日でもないのにプレゼントなんて、きっと先生は迷惑かもしれませんけど……」 そう言いながら、は自分のバッグから小さな包みを取り出した。 ―――! 氷室には見覚えのある物だった。 さっき葉月とが一緒に何やら話し込んでいた時に、彼女が大事そうに持っていた物だ。 「日頃の感謝の気持ちと、それから―――」 そこまで言うと、は顔を真っ赤にして俯いてしまった。 「それから………また、ドライブに連れて行って下さいね」 あまりに突然の展開に、状況を分析するにも氷室の思考回路が追い付かない。 ただひとつ分かっているのは、が自分にプレゼントを差し出している、 と言う事だけだった。 暫くの沈黙の後。 氷室はの手に握られていた箱に手を伸ばした。 「受け取ってくれるんですか?」 嬉しそうにそう言って、が顔を上げる。 「―――質問したい。これは…」 それ以上、言葉が詰まって出てこなかった。 「実は前に読んだ雑誌で、先生好みの素敵なシルバーのお店を見付けたんです。 だけど肝心のお店の場所が分からなくて」 氷室の短い質問に、がポツポツと話し始める。 「そしたら葉月君がそのお店に詳しいって聞いて、今日案内してもらったんです。 本当は先生とドライブに行きたかったんですけど、どうしても今日しか都合がつかないって 葉月君が言うんで、先生のお誘いを断ったんです」 "すみませんでした"と言って、がぺこりと頭を下げた。 そのの頭上で、氷室の声がした。 「これは、葉月が君にプレゼントした物ではなかったのか?」 「え?」 氷室の言葉にが顔を上げ、目を丸くする。 「君は…あんなに嬉しそうに笑っていたじゃないか」 「せっ、先生、見てたんですかっ!?」 「……どう、なんだ?」 氷室の頭の中で、あの笑顔が浮かぶ。 自分以外に向けられた、笑顔の行方が知りたかった。 「あ、あれは……葉月君に、その……言われたからです」 「何をだ?」 「そのプレゼント、贈った相手に喜んでもらえるといいなって。そしたら―――」 に真っ直ぐ見つめられて、氷室の胸は締め付けられるようだった。 「先生に喜んでもらえたらいいなって思ったら、何だか嬉しくなっちゃったんです」 そう言ったの顔が、みるみる赤くなる。 ―――あれは、あの笑顔は 「生徒からの贈答品は、基本的に受け取り兼ねる」 「え?」 一瞬、の表情が曇る。 「………だが、今回は特別に受け取る事にする」 氷室は桜色に染まったの頬に手を伸ばした。 「氷室…先生……」 瞳を潤ませたが、氷室には愛しくてたまらなかった。 そのままの体を抱き寄せて、耳元で囁いた。 「―――ありがとう」 いつだってそうだった。 彼女の最高の笑顔は、自分に向けられていた。 願わくば、この先も彼女の笑顔を独占し続けたい。 自分の腕の中で硬直しているに笑みをもらしつつ、 氷室は彼女を抱き締める腕に力を込めた。 「全く、素直じゃねぇんだからなぁ」 店の外で、店主が煙草をもみ消す。 "後で零一にも開店の準備を手伝わせてやる"と呟いて、 店主は何本目かの煙草に火を付けた。 もう暫くは、店に戻れそうにないようだ。 「笑顔の行方」 −完−
私の大好きな、マスターさんと先生のお話なんです♪ 二人のお互いを信頼しきっている関係に憧れてしまいますデスよ〜。 何気に葉月くんが、めちゃめちゃいい人なのも感動しました。 それに主人公ちゃんの可愛らしさったら〜vv この素敵さは反則技です! しょうもない感想をつけさせて頂いてスミマセン……(滝汗) 海月さま、どうもありがとうございます!! ラブvv |