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その事件の発端が何であったのかは誰も知らない。 ただ、事件は瞬く間に周知の事実となった。 ある昼下がりのことだ。 全国ネットで放送されていた、お昼の健康番組の画面が、突然、砂の海と化した。同時に、東京近郊をキー局とするテレビ、ラジオの番組が全て雑音と粒子の嵐となり、全ての放送電波が寸断されたのだ。 現象は放送に留まらなかった。 金融、交通、情報……。 東京を中心としていた日本という国家のネットワークは、その一瞬を境に完全に沈黙してしまったのだ。ごく僅かに、一切を東京に依存しない地方の機関の提供するそれだけが、その息を保っていた……。 首都消失。 日本橋を中心とする半径約36キロメートルの地域、東京23区と言われる日本の中枢が、そっくりそのまま高密度のプラズマ・フィールドによって隔離されてしまったのだ。何十年も前にある一人のSF作家によって描かれたのと全く同じ状況が、今、現実となってしまった。 内外は視覚的、電波的、物理的に遮断され、大気や熱の交換が行われているのかどうかすらも判然とはしない。河川や海流は境界近くで激しく蒸気爆発を巻き起こし、少なくとも水流が行き来していないことは確かだった。 プラズマ・フィールドは、現在の観測では地下に至るまで形成されており、その形状は真球ではないかと推測されている。唯一、上部の地球で言えば極に当たる場所に−−これもそのSF作家の作品と同じく−−、若干ながらフィールドの弱まっている部分があり、ここから観測ゾンデを送り込んでの調査が現行の人類技術に可能なたったひとつの観測手段となっている。 首都消失時は、ちょうど国会の開催期であった。 このため、この恐ろしい事件から逃れ得た国家首脳部はごく少数であり、その中にはこの非常事態の国政を指導しうる人材は含まれていなかったのだ。それを受けて、与党は各県民連幹事長クラスで早急に緊急討議機関を設立。大阪に臨時政府を急遽編成し、この国難に対処しようとした。 が、事態は異様に深刻な情勢へと転化して行く。 日本が誇る、米国にもその情報を提供している高度レーダー網が、その統轄を行う部局の消滅により機能を停止。結果として、アメリカ太平洋艦隊、および大韓民国軍はその目と耳を奪われ、身動きを封じられてしまったのだ。その復旧にかかった時間はたったの12時間のことであったが、この僅かな間隙を縫い、アジア事変へのアメリカ介入が不可能と見た中国は、その全兵力の実に30%を投入して台湾(中華民国)を強襲したのである。 アジア事変はそのまま、国家機能の混乱した日本への諸外国の救援活動を困難な物とする結果を呼ぶ。 複数の案件を同時に抱え、成立したばかりの臨時政府は完全な混乱状態へと陥ってしまった。彼らが無能だったわけではない。発生した事態が異常に過ぎたのだ。 しかもこの状況下で、日本臨時政府は米国との歩調を乱してしまう。あまりもの非常事態に現在の国家予算では対処しきれないと判断した彼らは、国外にある日本の対外債権を回収する事を決定したのだ。だが、日本の対外債権はその大半が米国にあり、中でも投資資金として現在進行形で運用されている物がほとんどだったのである。この無知なる国策の発表に、アメリカ・ウォール街は敏感に反応。それは、あのブラック・マンデーの再来と後世に呼ばれる事になる株価暴落と金融大恐慌を巻き起こした。 多大な経済的打撃を受けたアメリカは、この有事に置いてついに日米安保理を破棄。代わって、新たな同盟国をロシア共和国に求め、米ロ安保条約を発足させる−−これには後に同盟国として大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国が参加。日本・中国包囲網を形成する。 一方で、万策尽きた日本政府はその救難の先をよりによって中国に求めてしまう。これは臨時首相として立った川口光陽氏が多くの合弁会社を中国に持つ企業家でもあったからである。田中角栄の時代、父親の代から中国との太いパイプを持っていた彼は、アメリカに代わって中国こそが日本を救ってくれる物と思いこんだのだ。 確かに中国は、日本に対して救援の手を差し延べることになる。日本の主要20企業の本社中国移転と、人民解放軍の日本駐屯を条件に。 撤収した米軍基地はそのまま人民解放軍の駐屯地と変わり、多くの企業が外国資本と更改された。それに伴って多くの工場施設が、日本の工業地帯から中国の内陸部へと移設され、その工業的中枢は完全に日本から奪われることになる。 ……が、これは国際社会的に不利な事態ばかりではなかった。 諸外国は、日本の技術力と中国の人的資源、鉱食物資源とが結びつくことを指摘し、それは実際にそうなったのである−−日本の誇るハイテク技術やその他の基幹工業部門は東京近郊以外の場所にその多くが集中していたためだ。 さらに米ロの軍事同盟はNATOの存在意義を脅かし、EUの極東同盟への接近を招く。また、米ロの軍事接近はロシアの安価な兵器にその軍事力を頼っていた反米中東諸国に危機感を与え、これもその姿勢を従来の物から転向することになる。 いずれにせよ、アジアのアメリカやヨーロッパから遠かった国々は、この二大大国の結びつきによって経済的にも、政治的にも、そして何より軍事的に大きな転換を図られることとなってしまったのだ。 その状況下に置いて、各国は軍事的、医学的に今までの常識を根底から覆すある存在に、さらに大きく目を向けることになる。 核以来の発見。 第二のニガヨモギ。 ヒトを新たなステージへと導く“種”。 レネゲイト・ウィルス、そしてその感染者であるオーヴァードである……。 力ある者も、力無い者も、挙ってこの新世紀の知恵の実を求めた。 幾多の人間が人生を狂わされ、事故で多くの死傷者が発生し、果てにはヒトとはかけ離れた凶暴な怪物となり果てようと、それは止まらなかったのだ。 以前からオーヴァードと言う物の実相を認識し、未感染者とオーヴァードの仲立ちを努めようと考えてきた機関UGNは、その子供が火遊びをするような危険な行為に警告を発し、その愚かな暴走をくい止めようと奔走した。が、人々はまるで何かに操られたかのように、その禁忌をもてあそぶ行為に熱中し続け、その制止の声を聞こうとさえしなかった。 かろうじて、UGNの諸国政府議会への影響力それ自体は保たれた物の、軍事・医療筋への発言力は低下し、その尽力を持ってさえ人々の暴走を止めるには至らなかったのである−−無論、UGNが活動しなければ事態はより深刻であったろうが。 そんな中、裏社会にある噂が流れ始める。 「東京消失は、あるジャーム化したオーヴァードの能力が異常発現した結果であると、米陸軍在日医療本部406医学研究所は米陸軍伝染病研究所に報告している」と。 これを受け、大阪大学微生物研究所と国立感染症研究所大阪分室はそれぞれ独自に調査を開始。そしてその結果は、あろうことかグレー。 調査の結果、東京隔離帯からはオーヴァードが発散する特有のフェロモンが、多量に検出されたのである……。 臨時政府がこれらの調査結果を受け取るのと前後して、その噂を信じた各国の諜報員たちが続々と日本へと来訪。それと同時に、ファルス・ハーツが各地の原発を基本目標にレネゲイト・テロリズムを決行し、元々が脆弱であった日本の国家機構は完全に混乱をきたすこととなる。 人々の生活は全力の努力によって保たれていたが、治安維持、対テロ対策の分野に割ける人手は完全になくなってしまったのだ。 この混沌とした新世紀の日本。 それこそが今回のキャンペーンの舞台である……。 |