◆◇◆ PROPOSE ◆◇◆
◇りら様からのいただきものです◇
穏やかな初夏の午後である。ロアーヌ侯、いや正しくはロアーヌ王の住む宮殿の庭も、美しい盛りを迎えた。白い城壁に映える薄紫のライラックの芳香を抜け、鮮やかな緑の葉とオレンジの花が咲く睡蓮の池の前を通り、カタリナはバラ園の前にやって来た。ロアーヌに仕え、モニカ姫のボディガードをも務めた彼女だが、その歩く姿はやはりロアーヌ有数の名家の令嬢らしく、しなやかで優雅なものである。丈高い彼女が、背筋を真っ直ぐ伸ばして歩く様は、一番美しく見せる。
指の長い、女性にしては大き目の手で、蕾が開きかけている赤いバラにそっと触れる。その高貴な香りに、彼女は思わず両目を閉じた。が、すぐに人の気配を察し、彼女は振り返る。そこには、主君である初代ロアーヌ王ミカエルがいた。彼女はすぐに深く頭を下げる。
「バラのことはよくわからぬが、ピドナの姫君のバラは、例えようもない美しさだな。香りも格別だ」
「誠に見事でございます。あの方の美しさ同様、他とは比べようもありません」
ミカエルも、その深紅のバラをそっと触れた。花弁の感触まで、他のバラとは違うような気がするのだ。
「ちょうど良い日に咲いた。カタリナ、おまえに話がある」
はい、と彼女は答えた。ミカエルが、いつもと違って緊張しているように見えたので、彼女はまた厄介な内乱の疑いでもあるのかと、表情を強張らせる。二人の間を通りぬけた初夏の爽やかな、甘いバラの香りのする風に揺れる、王の見事な金髪が日の光を反射させ、美しく輝いた。
「左手を、カタリナ」
命じられるまま―彼女にとって、主君の言葉は全て命令だった―彼女は左手を差し出すと、ミカエルはその手を取り、彼女の前にこともあろうに跪いた。動揺し、彼女が主君に何事かを問う間もなく、ミカエルは彼女を見詰め、こう言った。
「ロアーヌの名家ラウランの令嬢カタリナ様、どうか私と結婚してください」
そして彼はその手に口付けをした。
「お戯れを」
そう言って、彼女はその手を引こうとしたが、ミカエルがしっかり握り、そうはさせない。
「戯れではない、カタリナ。私は后にはカタリナ・ラウラン以外考えてはいない。おまえに私を支えてもらいたい」
彼女は呆然と、頬を赤らめ主君を見詰める。しかし、主君を見下ろすという無礼に気付き、急ぎ跪く。
「恐れ多いことでございます。ロアーヌ王には、わたくしなどよりもっと后のご身分に相応しい方がいらっしゃることでしょう」
何年も前、まだ彼がロアーヌ侯の身分に立つ前からずっと敬愛していたカタリナだが、彼女は素直に、はい、とは言えない。それは彼女にとってミカエルは、自ら密かに想いを寄せることすら恐れ多いと思っているから他ならない。それに、身に余る―有り余る幸運に、現実のことと思えないのだ。
「おまえは何年も、私とモニカに仕えてくれた。その勤勉さ、誠実さ、謙虚さ、私は臣下の誰よりも高く評価していた。そして一女性として、聡明で慎み深く、美しく魅力的だと、深い愛情を抱いている。おまえを妻に迎え、生涯変わらぬ愛を誓おう」
彼はそう言って、彼女の切れ長な瞳を見詰める。
「どうか、私の后に」
彼女は目を伏せ、頷いた。
「わたくしは長く、ミカエル様のことを敬愛し続けておりました。身に余る幸福でございます」
その声が、心なしか震えているようにも聞こえた。
「后として苦労をかけるだろう。だが、カタリナならば、その重荷に耐え得るとも信じている。せめて、普通の女が受けるような求婚くらいしたかった。それに…」
彼はさっきのバラを見た。
「これはクラウディウスのご令嬢が、私の結婚の祝いにくださったものだ…そしてこれを、私の后に、と」
淡い、青みがかったピンク色のバラが植えられた鉢を手に取り、彼は彼女に見せた。その上品な色調、淡く、微妙な色彩は目新しく、彼女はそっと花弁に触れた。
「バラの女神自ら手懸け、交配してくれたものだ。見事だろう。カタリナという名だそうだ」
涙が頬のカーブを伝い、ミカエルの手の上に落ちた。彼女がこの宮殿で、人前で涙を流すのは初めてのことだった。こんなことではいけない、頭の中のどこかではそう思うのにどうしようもなく、彼女はやっと口を開いた。
「幸せ過ぎて、何と言えばいいのか…」
ミカエルは鉢を地面に置き、その手で彼女の涙を拭い、両腕で彼女を強く抱き寄せた。胸の中で、彼女の押し殺したような嗚咽が聞こえたが、彼は何も言わず、彼女の柔らかな髪を撫でる。
涙は悲しい時にしか流れるものではないのよ
昔、母がそう言ったことを、彼は思い出した。
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