秋が深まったある晩のこと、ピドナにある武器工房の親方は、酔って機嫌が良かっ
たせいか、職人たちの前で"婿候補"の話を仄めかした。ところがその話題は、本気で
工房の誰かを婿に考えていたのかどうか不明なままに立ち消えた。工房のシンボルで
あり誇りでもあった聖王の槍が盗まれ、これを取り戻しに工房を飛び出した親方は、
翌朝、死体がピドナの船着場で浮いているところを発見されたのである。
一人娘のノーラは、父の死を知ってもそれほど取り乱すことはなかった。槍の大切
さは聞いていたし、父には無鉄砲なところがあった。こんな突然の死も、覚悟までは
しなかったが、ありうると心のどこかで思っていたのだろう。
数日後、ノーラは毅然として自分が工房を継ぐと言い渡し、職人たちもこれを納得
した。だが、世界一を自認する工房のことである。一流の腕を持つとはいえ、若い女
性のノーラがいきなり親方となると、年上の職人たちはこれまでと違う空気にどうし
ても居心地が悪くなる。
ノーラは彼らの信頼を得ようと必死で働いたが、それでも工房に何かが欠けている
ことを感じていた。親方が命を落としてまでも取り戻そうとした、あの槍の存在がそ
んなにも重かったのだろうか?
彼女は、ガランとした夜の工房で独り、泣きたくなるのをこらえながら、空になっ
た壁際の槍立てをじっと見詰めた。
やがて工房にかつてのリズミカルな熱気はなくなり、親方の不審な死に関わること
を嫌ってか、客足も昔より減った。そして数ヶ月が経ったとき、ノーラの下で働く職
人は、彼女より2つ年下で、背も低く、全く目立たない平凡な見習いケーンひとりに
なっていたのだ…。
「一服するよ」
ノーラは、ゴーグルをあげて伸びをし、斜めになった日差しが天窓から入るだけの
、薄暗いロアーヌ地下武器庫の片隅に座りこんで煙草を取り出した。ケーンは、はい
、どうぞ、と気さくに返事して、自分は次の目録と現物を照らし合わせている。
「ケーン、そんなに急がなくても。もうあたしたち2人しかいないから、ここへ来
るとき工房は閉めてあるんだし…」
ケーンはそばかすの残る少年顔を彼女に向けて、にっこりした。
「いつもは、1日で終了していたんで、癖です」
「その頃は親方と4人がかりだったはずよ」
ノーラはそれと分からぬように軽く眉を寄せた。彼女は、ケーンの実直さをありが
たく思うだけでなく、本心では少し厄介に感じる。昔からの得意先ということで、は
るばるロアーヌ宮の武器庫まで出向いて納入作業をしているが、ノーラは親方の不在
と槍の探索を理由に、今回で断りたいと思っていた。昔と変わらずやる気十分なのは
ケーンだけ、実際は遠くロアーヌまで来て作業ができる状況ではない。
結局のところ、名前の通りすぎた工房の主という立場は、彼女にとってやはり重荷
でしかなかった。ただ、槍の探索を口実にそれを手放すことは「逃げ」だと自分で知
っているから、誰にも言えないでいたのだが。
ケーンは休憩もせず、黙々と作業を続ける。持参した新品の武器類を納めたあとは
、使われたばかりの武器防具の修理。滅多に人の出入りを許さない武器庫は通気が悪
く、立ち昇る煙草の煙が部屋中をゆらりと巡って余計に疲れを感じる。けれど、ここ
数日というもの徹夜が続いたのは2人とも同じだ。ケーンばかりを働かせてもいられ
ず、ノーラは煙草を早々と消して立ちあがった。
と、低い階段の上のドアが開き、中年の下級騎士らしき男が入ってきた。赤ら顔で
、服装がだらしなく、まだ昼過ぎだというのに酒の臭いをさせている。手続きしたと
き衛兵に聞かされたところによれば、この男が武器庫管理官で、ロアーヌ郷士のオウ
エンだったはず。
「ピドナの工房の者だな?作業はもう終わりそうか?」
甲高い、耳障りな声で、そこには労う調子が少しも感じられない。
そうして、ノーラを見てオウエンは言った。
「なんだ、はかどってないと思えば小僧と女か。そういえば親方には一人娘がいる
と言ってたか。しかし、死んじまえばいくら腕がよくても、職人風情には残るものな
んかありゃしないわな」
「父と…面識がおありだったのですか?」
語尾が震えるのを聞いてケーンは手を止めた。
「まあ、ねえ。俺はこの数ヶ月の代理で武器庫の面倒を見てるから、旧い付き合い
はないがねえ」
何が可笑しいのか、オウエンはにやつきながら答える。
「たしかに、父はあっけなく殺されましたが…」
ケーンはそこで彼女を遮った。「ノーラさん、仕事を、早く終えましょう」
ノーラは彼のほうを見ずに押し黙った。
オウエンは、相手の気分を害したことなど考慮せず、のろのろと部屋を一周してか
ら、箱にきちんと並んだ細身の剣を取り出して、眉間に皺を寄せた。
「これは、エストックかね?」
ケーンがすぐに顔を上げて答えた。「はい」
「ふむ。・・しかし、貴族さまが使うには、ごつ過ぎだな、こりゃ」
「はい、当初の見本より軽くはできませんでした。握りを安定させ、攻撃の際に威
力を持たせるには、どうしても柄が長めになり、重量も増してしまいます」
ケーンの説明は正しい。これは剣を構成するバランスの問題だ。
「申し訳ありませんが、軽量化はこれが限界でございます。見映えよりも実戦向け
に、というご注文でしたので、その分、装飾のほうを省かせていただきました」
ノーラもできるだけ丁寧に言った。
そこでオウエンは剣を眺めながら余計に険しい表情になった。理詰めに言い返され
て変に癇癪を起したこの男は、もうなにもかもお気に召さないのである。
「いい訳するんじゃあない。こんなみっともない剣を、ロアーヌ貴族に使っていた
だけると思ってるのか、馬鹿めらが!」
そして箱ごと蹴り倒した。積んであった木箱が倒れ、しゃがんでよけたケーンの頭
上に、ガラガラと剣が落ちてきた。ノーラは驚いて剣を取り除けた。幸い大した怪我
はしていないが、額が少し切れて血が流れていた。急いで、持っていた綿布で傷を覆う。
「大丈夫、大丈夫です、これくらい」
彼は、小声でそう言い、いつもの人懐こい笑顔を向けた。
「ケーン…」
親方の死、工房仲間の離散、そして目の前には、足蹴にされて散らばる、苦心して
作り上げた剣の束。
こんなにも辛いときに、この人は自分を気遣い笑顔まで見せようとする。だが、「
お嬢」のノーラにとってこれまでずっと、彼は鈍重な見習いでしかなかった。そして
仕事を大量に抱え込んでも決してやめると言わない彼のことを、ノーラは鬱陶しいと
感じ、接し方は冷ややかでさえあった。表面は頑張っていても、内心ではきっとこん
な風に、傷ついて血が流れていたに違いないのに―。
しかし、そこで、オウエンはまだ立ち去らなかった。
「おい」
オウエンは2人を見下ろして言った。
「俺様のブーツが傷だらけ、おまけに木屑で埃まみれになっちまったのに、謝罪は
ぁ?」
ケーンをかばうように、今度はノーラが立ちあがって言った。
「申し訳ございません」
ケーンも帽子を取り、隣で頭を下げる。
オウエンは、汚い歯並びを見せて勝ち誇ったように言い渡した。
「もういい、お前等のような役立たずは解雇だ。今回の賃金も払わないからそう覚
悟しとけよ。それと、二度とロアーヌ宮へ立ち入りは許さん」
余りにも理不尽な扱いだった。ノーラは思わず顔を上げ、厚かましい管理官をしげ
しげと眺めた。
「なんだあ、その目は?失せろと言ってるんだ、屑が」
彼がノーラに向かって手を上げた、そのとき。
バシッ!
ケーンがすさまじい勢いでオウエンの懐を掴み、その体を壁に突き飛ばしていた。
ひたすら優しく、何を言われてもじっと耐え、卑屈なまでに謙虚に見えた、あのケ
ーンが!
ノーラは自分の目がどうかしたのかと思い、唖然として、ケーンを止めることも忘
れていた。
「いい加減にしろよ、この豚め!」
ケーンは部屋中に響く声で怒鳴った。目をぎらぎらさせ、噛みつかんばかりで迫っ
ていくので、オウエンも怯えて口がきけない。
「俺らをクビにしたければそれも結構だ。だがお嬢を侮辱することは俺が許さん!
もう一度その手を上げてみろ、脳天をかち割って、お前の腐れた脳みそをそこらじゅ
うにぶちまけてやるぞ!」
そうして、再度襟首を掴んで石の床に放り投げた。
オウエンは床に転がり、怒りと悔しさに赤くなったり青くなったりして壁際に後ず
さった。
「そこまでにしたまえ」
階段の上から若々しい声が響いた。
ケーンはそこではっと我にかえり、オウエンから離れた。
「もう、いいから」
ノーラが後ろから優しく言った。ケーンは肯き、2人して声の主を見上げた。
階段を軽やかに降りてきたのは、ケーンと同年と思われる若い貴族だった。フワリ
とした金髪、顔立ちは繊細だが、引き締まって気品があった。仕立ての良いチュニッ
クとロングブーツといういでたちを見ると、どこからか馬でやってきたばかりのようだ。
「オウエン殿、武器庫の代理管理をご苦労でした」
「これはデュ・ラック子爵、良いところへ!この無礼者どもをつまみ出してくださ
いよ」
百万の味方を得たかのように、オウエンはわめいた。しかしデュ・ラック子爵と呼
ばれた若者は、ふっと苦笑すると首を横に振った。
「留守をあなたに任せたのは失敗だった。噂が立っているんですよ、厨房でも下働
きの娘たちが、あなたのせいで次々やめていったとね。他の者の知らない間に難癖を
つけて解雇し、彼らのわずかな賃金を掠め取るつもりでしたか」
そこまで言って、彼はやや声を強めた。
「ロアーヌ郷士として、少しは恥をお知りなさい。この場からつまみ出されるのは
彼らではなく、あなたです」
「なっ・・・」
ビシリと指をさされてオウエンは言葉に詰まった。
デュ・ラック子爵は無言で、だが容赦なくオウエンを見すえる。そしてその湖水の
瞳は、明らかにこう告げていた。"ここから出ていけ"と。
オウエンは腰の剣に触れかけた手を、仕方なく頭にやってボリボリと掻いた。それ
から重そうに階段を上がりながら、「ラウランの生意気な小僧が」と、小声で吐き捨
て、武器庫から出ていった。
戸口の閉まる音を聞き、デュ・ラック子爵は残る2人を向いた。
「親方のことは本当に残念に思います。知らなかったとはいえ、工房が大変な時に
無理な注文をしてしまい申し訳ない。人手が足りないときには王宮から職人と見習い
を寄越しましょう。今後とも頼みます」
彼が実に丁寧な物腰でそう言ったため、ノーラはつい進み出て「はい、ありがとう
ございます」と答えてしまった。すると子爵は、ノーラの後方でニコニコしているケ
ーンを見て、自分も微笑んだ。
「ノーラさん、あなたの工房は少々寂しくはなったが、最高の人材と技量は健在の
ようだ。かつての活気が戻るよう、応援しています」
そして、ケーンの肩を軽く叩いてから、武器庫を出ていった。
ノーラとケーンは、それからしばらく黙って仕事を続けたが、ふと、ケーンが口を
開いた。
「あのう、…もし槍のために旅に出たいなら、工房はどうにかなるので、行って来
ても構いませんよ、ノーラさん」
意外なことを言われて顔を見ると、ケーンは力強く肯いた。本気らしい。
ノーラは、父や職人仲間が賑やかに作業したであろう武器庫内をあらためて見回し
、なんと答えるか考えた。そしてわずかな沈黙のあと、持っていた小型のハンマーを
もてあそびながら彼女は言った。
「旅か。そうね、独りでは無理だしやめとくわ。いつか、凄腕の助っ人でも現れた
ら行きたくなるかもしれないけどさ」
それからケーンに向いて、親しみとプライドを込めて付け加えた。
「だって、あたしは、あんたと同じ鍛冶職人だからね。忙しいのよ」
=The end=
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