蟲毒な人々



 昨夜、実家の自分の部屋でビール片手にゆったりとテレビを見ていると、どうやら知らぬ間に世間では、虫の真似事をするのが流行っているらしかった。 蝶の格好をした男が「周りに気を使わずやりたいようにやれて、癒されますよ」なんて喋るのが画面に映し出されていて、俺は馬鹿馬鹿しく思いながらもテレビを観つづけていた。
 朝の出勤途中にその番組のことを思い出し、気になって周りを観察してみると、 そういった奴が意外に多いということに気がついた。しかし、蟻なんかはいくらか譲って良しとするとして、 尺取虫やゴキブリに成るのは人としてどうだろうか。ヘコヘコ動くオヤジなど見ていて俺は頭を抱えたくなった。
 そして今、俺の気分は最高に悪い。日の暮れた会社からの帰り道で、電信柱にぶら下がり葉っぱのついた寝袋のような物に入る、 みの虫気取りの男を見つけたからだ。何が最悪って、そのみの虫野郎は同期の友人の斎藤なのだ。 会社を休んでみの虫三昧か。声をかける気にもならず俺は家路を急ぐ事にした。なんだか無性に頭が痛い。
 頭の重みは取れぬままに俺が家へと帰り着くと、居間では両親が何かを話し合っていた。信じられない事に、 お互いに何の虫をやろうか決めているらしい。とりあえず母はカマキリをやるなどと目を輝かして言っている。 母の台詞に頭痛が決定的になるのを感じた俺は、妖しく盛り上がる両親を無視して自分の部屋へ戻る。
 自室で俺は酒をあおり、する事もなくテレビをつける。「虫の生活で日頃のイライラがすっきり!」などとテレビが煽る。 テレビを消し、また酒をあおる。心の疲れからか普段よりも酔いが早く、 俺はやがてベットの上に仰向けに転がりこんだ。両親の寝室がなんだか五月蝿いが、すぐに理性が外れ意識が闇に落ちる。
 闇の中、みの虫の斎藤が蛾に成ろうと奮闘していた。 俺は孤独という致死毒が身体に染み込むのを感じて、さらに闇を深く潜る。

 朝になり、俺が仕度をして居間に行くと、母が朝飯を作り終えて待っていた。 食卓にいつも居るはずの父の姿が見えず、どうしたのかと母に聞くと、なにやら我らが家長は蝉の真似をすることにしたらしい。 しばらくは母子家庭よ、なんて笑えない冗談を満面の笑みで言う母親に嫌気が差して、朝飯を半分以上食べ残したまま俺は家を出る。
 蟻のように勤労な人々の行列に交じって会社へ向う道すがら、虫になっている奴ばかり見かける。斎藤のいた電信柱には、抜け殻だけが揺れていた。 斎藤の末路をあれこれ妄想しながら、蟻の行進の中で俺は考える。別に真似事なんてしなくても、 元々みんなちっぽけで、欲望のままに生きている虫けらじゃないか。考えるのも馬鹿馬鹿しい。俺は考えるのをやめることにした。

 七年後、父はいつまで経っても庭から出てこず、母は浮いた葬儀代の使い道に悩んでいるようだ。 俺は未だに実家に住み着いている。



草書