郷愁



 いつも日本海からの冷たい風が吹く、雪に覆われた光景ばかりを思い出させる故郷。飛び出してからもう何年が過ぎただろう。心休まる場所を探す漂浪の旅。その途中でたどり着いたのは、僕のいた日本よりはるかに小さい南洋の孤島だった。
 エリス諸島の一つであるこの小さな島は、その小ささゆえに普通の地図には載っていない。気温は高く、どこまでも見渡せる空からは突き刺す日差しが注がれている。島の周りは海に囲まれていて、辺りには見たこともない草木が生い茂り、全体を彩っている。
 ここではほとんど島の外との接触がないらしく、僕のような旅人や商船の乗組員がたまに訪れる程度だという。島の言葉はまったく解からなかったが、植民地支配の影響か英語が多少通じる人がいたため、たどたどしくではあるが話を聞くことができた。
 島の生活は穏やかで、気候も年中変化が無いらしい。僕には同じものにしか見えない草木に十以上の名前があり、海の様子を表す言葉は五百をこえるのだという。生きていくための周りへの関心が、こうした幾つもの言葉を産むのだろうか。
 英語のわかる島の男性に、この地図に無い島の名前を聞いてみる事にした。丁寧に現地の言葉で教えてくれる「マシキユニョネ」といった感じの名前。意味は「故郷に降る雪」なのだという。
 彼に雪というものを見たことはあるかと尋ねると、彼は褐色の首を横に振る。僕は島のいたるところで住民に同じことを繰り返し聞いてみるが、誰もが青年と同じ答えを返す。確かに年中高温の気候であるこの島に、雪が降るはずはない。
 島を歩き回りながら、のしかかるような暑さに包まれて、僕の故郷のことを思い出す。東北の小さな町。見上げればいつも空は薄黒く、雪が降り積もれば外は漂白される。その地で暮らすものには邪魔なだけのはずの雪も、この暑さの中では懐かしく思える。いつも狭苦しく、息苦しく、誰かといて心休まることは無く、誰からも気にとめられることも無かった。苦々しい表情しか思い出せない母。いつも背中だけの父。見下した目の弟。僕は生きている意味が欲しくて、あの町を飛び出した。外の世界はさらに過酷だったけれど、生きることに必死になれた。帰りたくない場所がある。それだけでも十分だった。
 日差しが再びのしかかり、現実を肌で知らされる。故郷は今年も白く染まっているのだろうと、南洋の色彩の中で思う。島の名の意味は解からないけれど、僕の中で故郷に降る雪は、次第に全ての辛い想いを無にしていった。
 しばらくこの島にいて、島の名のルーツを探るのもいい。明日にはここを出るのもいい。どうせ僕には、帰る場所などない。


草書