口先だけの男
私は達夫の唇が好きだ。
グロスを塗っているみたいに色鮮やかで、いつもしっとりとしている。キスをしたときの暖かさも程よく熱くて、とてもセクシーなのだ。
達夫は本当に口先だけの男で、働きもせずに一日中アパートにいる。
「今に何とかするからさ」
彼の口癖。もちろん、彼がその言葉どおりにしたことなんて一度も無い。私自身、こんなのは駄目なんじゃないかって思ったこともあるけど、そういう時の達夫は優しくて哀しそうで、それが見られるのなら今は別にこのままでも良い気がしている。
自分と彼を食わせていくために私は、昼はスーパーのレジ打ちをして、夜は、スナック勤めをしている。
もちろん生活のことで喧嘩をする時もある。けど、彼は私に手も足も出ない。それでもいつも私が一方的に勝つわけでもなく、勝率は6:4で私が6といった所だろうか。だいたい最後は、キスして仲直りしてしまう。
私は自分の田舎から逃げるように上京した。友達もおらず、まっとうな職にもつけず、全てに疑心暗鬼になっていた私が、この街で最初に心許せたのが達夫だった。公園の片隅で囁くように、深く悲しい声で歌っていた達夫と出会い、以来私は達夫の虜だ。だから、どっちが養っているとかそんなのは関係なく、二人でいることが大切なのだ。
「達夫、朝ご飯できたよ」
「お腹すいちゃったよ、今日は何かな?」
「ご飯とお味噌汁とめざしだよ。はい、アーンってして」
そうやって私は、スプーンを使ってご飯を彼の口に運ぶ。彼は口だけしかないから、食べさせるのも一苦労だけど、彼の唇が食べ物に絡みつくイヤらしさを見ていれば、そんな事は気にならない。
彼がその深い声でぼやく。
「僕も食わせてもらってばかりじゃいけないよな。今に何とかするからさ」
口だけで、何をするというのだろう。達夫は本当に口先だけの男だ。
「焦らないで。きっといい仕事が見つかるわ」
お決まりの台詞と、お決まりの返答。そんな愛おしさの中の、幸せな時間。出勤前のいつものひととき。
彼を一人にする事がたまらなく辛くなるときもある。それは私が孤独になるという事だからだ。それに耐えるのはいつだって一仕事だ。
「じゃあ、行ってくるね」
彼は私のいない間、おそらく一日中一人で歌っている。今すぐ戻って彼を抱え上げ、溢れるほどにキスをしたい。そんな気持ちに耐えながら、今日も私は仕事に向う。
草書