高く遠くへ



「鈴木、入るぞ」
 俺がドアを開けると、いつもの狭い部屋の中に、毛布に包まって座る鈴木の姿があった。いつもと変わり無い彼の表情に、俺は少し安堵する。
 昨日会社を欠勤した彼から、家に来てくれと電話があった。俺は鈴木に軽い挨拶を放りながら、部屋に上がりこみ彼の近くに座りこむ。
 見ると部屋の窓は開いていて、まだ肌寒い風が流れ込んでくる。そこから見える空は快晴で、どこまでいっても果てが無いみたいだ。
 俺と鈴木は会社ではうだつが上がらず、いつも二人で励まし支えあう仲だ。今回は俺が話を聞いてやる番なのだろう。何があった、と俺が聞くと、鈴木は無言のまま俺の目を見据えた。
「実はね……」
 なぜか語尾を濁し、鈴木は両手を広げるように毛布を脱ぎ捨てた。
 上半身は裸で、彼の華奢な身体が目の前に現われる。そして、本来彼の腕があるべきところには、大きな翼が生えていた。
「お前……鳥人間コンテストにでも出るのか?」
 だとしたら間違いなく優勝だろう。いや、あれは飛ぶ距離を測る競技だっただろうか。だとしたら危ういかも知れないが。
 どうでもいい考えをめぐらせながらも、俺の目は鈴木の翼を食い入るように見つめていた。鷹のそれを思い出させる力強い造りの翼は、しっかりと彼の肩から生えていて、生命の息遣いが感じられる。そこに冗談は無い。鈴木は俺の言葉に呆れたのか頭を掻こうとして、羽では掻けないことに気がつき、ため息をついて止める。
「昨日の朝起きたら、こうなっていたんだ」なんで背中じゃないんだろうなって思った。そう付け加えて、鈴木が苦笑いを浮かべる。俺も合わせて小さく笑うしかなかった。
「飛べるのか?」
「ちょっとは飛べたけど、僕の仕事はデスクワークだしね。これでついにクビかな」
 確かにこれでは会社どころか、社会へも帰れそうにない。少しの変化も許容しきれない世の中には、翼があっても、飛び越せない何かがある。
「いっそ全部鳥の方が良かったなぁ。だったら僕も諦めがつくし、気が楽だもんね」
 鈴木は知っている。俺たちみたいな冴えない奴は、遺伝子とか、努力とか、そういうのも全部ひっくるめて、決定的に何かが足りないってことを。
 俺たちはどうしたってトンビだ。もしも鷹を生んだところで、それは俺たち自身じゃない。ましてや鷹の翼を持っただけじゃ、何か変わるどころか、悪い方にしかならない。
 けれども、社会は要求してくる。男子たるもの、より高みを目指せと。常に人よりも「何かが出来る」のを求められる。それは目に見えぬ縄で締められる、緩慢な拷問だ。生きている限り続く地獄。俺と鈴木はずっと前から、この檻から抜け出したいと願っていたんだ。
 その願いが、こんな形で叶えられたのか。
「……なあ鈴木、自分がどこまで行けるのか、試してみようぜ。誰よりも高く、誰にも届かないくらいに、飛んでみせてくれよ」
 鈴木は目を閉じ、静かに頷き、俺を見る。
「鳥になれって、ことなのかもね」
 彼ははにかんで窓に向かい、ゆっくりと上体をかがめ、次第に羽ばたきを始める。ちらりと俺の方を振り向いたが、見ててくれよ、と一言だけ俺に放ち、再び強く空を見上げる。
 見つめる先には太陽が、全てをあざ笑うかのように輝いていた。


草書