Rouse&Rumble






「エバーゼ、サイ隊長を」
 ミイニの声に反応し、右後方に浮遊していたマグが輝いた。
 エバーゼと呼ばれた水晶型のマグが、サイが落下した場所へと飛んでいき、そのまま水中へ潜っていく。
「世話が焼けるな」
 飛んでいったマグを見遣り、ハルスが呟く。
 火の消えた葉巻を吐き捨てると、新しいものを咥え、異形を睨みつけた。
 腰に装備してあった、折り畳み式の18mm8門ガトリングガンを器用にも片手で組み立て、異形の頭部へと狙いを定める。

「業火を吐き出せ、ジュラ」
 ハルスの呼びかけとともに、今度は彼の肉食恐竜型の2対のマグ"ジュラ"が輝く。2匹は大きく口を開くと、そのままハルスの持つパンツァーファーストとガトリングガンへそれぞれ噛み付いた。ジュラが発した光が武器を包み込み、やがてマグは武器の中へと溶け込んでいく。
 光の中で姿を変えた2つの兵器が現れる。
 銃口に、肉食恐竜の頭部を思わせるそれが、大口を開け構えていた。
「耳塞いでろ」
 ハルスは後方の2人に警告を促すと、腰を落とし異形へ向かって引金を引いた。轟音とともに、ロケット弾と鉛玉が異形の頭部へと殺到する。
 爆音と反響が空気を震わせ、周囲に存在する音という音を全て飲み込む。
 ガトリングガンからは休むことなく薬莢が吐き出され、濁水へと沈んでゆく。本来単発式であるはずのパンツァーファーストからも、ロケット弾が発射され続けている。

 非弾装射撃――彼のマグである"ジュラ"の能力がそれを可能にしていた。
 物質と融合することで、予め記憶していた座標位置より、一定質量までの物質を瞬時にその場所へ転送することができる。ハルスはジュラを兵器と融合させ、弾薬庫へとリンクさせることで、半永久的にノーリロードで弾薬を打ち続けることを可能としていた。戦車砲級の重火器を軽々と片手で扱ってのけるハルスにとって、ジュラの能力はまさに鬼に金棒だ。

 数十秒にも亘る銃撃が終焉を迎えた。
 銃撃音の余韻が、水道に響いている。
 ハルスはゆっくりと銃を下ろすと、視界を覆い尽くす黒煙の先を凝視した。言われた通り耳を塞ぎ、蹲っていた背後の2人も顔を上げる。
 暫くして、黒煙の奥に大きな影が映る。
 声もなく沈んでゆく影からは、頭のあったその場所が完全に消滅していた。

 ハルスの咥えた葉巻の先に、魔方陣が展開し、それからうまれた小さな炎が火をつける。
 そして一服。
「雑魚が手間を掛けさせてくれたもんだ」
 凛と佇む巨人は魔人の如く、とてつもない存在感、威圧感を帯びていた。その姿に、メリーは息を呑む。
 メリーの所属する20番隊の隊長バルバスは、最強の称号を持つ屈強な戦士である。
 だが目の前の巨人は、その彼とは全く違ったプレッシャーを放っている。
 軍一の攻撃力を誇る6番隊……その隊長個人で、一個師団にも匹敵する火力を持っていることを知り、身震いした。
 だが、直後に起こった振動が、彼女の緊張を解く。
「な、なに?」
「残りの1匹か!?」
 大波に船体が大きく揺れる。
 ハルスが再び銃口を上げた。
 それに続き、メリー、ミイニも短銃を構える。
 緊迫を取り戻した空間で、3人は神経を研ぎ澄ます。
「……どこにいる?」
 ハルスが煙と共に洩らした瞬間、船底が急激に競り上がった。
「い、いかん! ミイニ!!」
 ハルスの声より早くミイニは動いていた。
 操縦席へと走りこむと、操舵桿を握り、思いっ切りにアクセルを踏み込む。
 エンジンが悲鳴を上げ、急発進した。
 甲板の2人は船体に掴まり、バランスを取る。
 追い迫る大波をなんとか振り切り、船は再び動きを止めた。
 三人は今のこの瞬間まで船の定着していた場所へと視線を送る。
 そこからは、残る1匹の異形が顔を出していた。
「あいつ、難破させる気か」
 いうなり、ハルスが引金を引いた。
 圧倒的な質量が、異形へと集中する。
 しかし、弾幕は異形を捕らえることなく、水道内の闇へと消えていく。ハルスは銃を下ろし、舌打する。
「ボス、対象は?」
「潜りやがった」
 甲板へ戻ってきたミイニに言葉を返し、ハルスはより深く腰を落とした。
 メリーは目を閉じ、敵の気配に全神経を集中する。その長く尖った耳を動かし、水道内に亘る音を1つ残らず聞き分けていく。
 彼女の耳が、水の切る音を捉えた。
「大佐、正面です!」
 突如水面より現れた、4本の触手が船を襲った。
 太く尖った触手は、想像以上に迅く鋭い。
 ハルスは一歩前に踏み出すと、飛来する4本の触手を的確に砲門で叩き落とした。
 勢いを失った触手は、また水中へと戻っていく。
 それを逃さず、メリーは魔方陣を展開させた。
「ギゾンデ!」
 ゲートを破壊した時と同じ電撃が迸る。
 1本を捉えた電撃は、そこから一気に拡散し、残る3本の触手に次々に襲った。水気を帯びた触手は電撃により感電し、急激な熱に焼かれる。
 一瞬にして黒コゲになった触手は、異形の本体まで戻ることなく、そこで力なく着水した。
 水中から異形の悲鳴が聞こえる。
 おそらく、電流は本体にまで伝わったのだろう。
 悲鳴から距離を推測したハルスは、濁水面へと銃を構える。
「水中じゃ威力激減だがな……」
 ぼやきながらも、引金を引こうとした、その瞬間だった。
 突然に異形が水面下へと顔を現し、大口を開いた。
 口内に紫色のフォトンが収縮していく。
「な……、こいつ!?」
 咄嗟に事態を悟ったハルスの顔が驚愕に歪む。
 再び口内へと銃を構えるよりも早く、ミイニが短銃から光弾を放つ。
 空を裂き、的確に異形の口内へ光弾が注がれる。
 だがそれは、紫のフォトンの渦へと吸い込まれた。
「フォトンはきかんか……」
 光弾の行方を確認したハルスが、ロケット弾を発射する。
 しかし、ロケット弾が着弾するよりも早く、今度は異形のフォトンが光る。
「クソ! 間に合わん!!」
 収束された紫のフォトンが、光柱となって船を襲う。
 ロケット弾は光に飲み込まれ、中空で爆発した。
 尚も勢いのやまない光柱が、一直線に迫る。
 ハルスは光の正面に立つと、両手に持つ重兵器を身体の前で交差させる。
「無茶です!」
 無謀にも正面からビームを受け止めようとするハルスに、ミイニが叫び声を上げた。
「俺を誰だと思っている?」
 ハルスは鼻で笑うと、眼前に迫った光へと向き合った。絶体絶命の窮地にあるはずでありながら、どこか余裕の笑みを浮かべている。
 光柱が巨人へ接触する瞬間、巨人の目の前に大きな魔方陣が現れた。
「む?」
「私の存在を忘れないでくださいね」
 メリーが魔方陣を展開しながら囁く。
「デバンド」
 呪文に反応し、魔方陣が青く輝いた。
 壁のような形で展開された青い光の幕が、光柱を接触面から霧散させていく。
「……たいしたものだ」
 関心の声を洩らすハルスに、メリーはピースして見せた。
 片目でそれを捉えつつ、もう一方で異形を見据えたハルスがバリア越しに狙いを定めた。
 目の前で、異形の放つ光が徐々に弱くなっていく。
 煙を吹かしながら、光柱の消失の時を待つ。
 バリアがフォトンを弾く音。それのやむ瞬間を尖った耳は聞き逃さない。
「メリー中尉!」
 裂帛の叫びとともに引金に指を掛け、一気に押し込んだ。
 声に反応したバリアは消え、大質量が、異形の口内へと注がれる。
 再び、水道内を轟音が支配した。
 だが、またも僅か数秒で銃撃が止まる。
「ボス?」
「手応えがない。また潜ったか……」
 黒煙の先に、異形の影はなかった。
「賢いわね……」
 銃撃音の反響も止み、一時の静寂が訪れる。
 またしても、緊迫感が一帯を占める。
 その時、水面下より、青く輝く発光体が現れた。
 3人は一斉にそちらに銃を構える。
 しかし、上がってきた物体を見るなり安堵の息をついた。
「エバーゼ!?」
 先程、落下したサイの救出へ向かわせたマグが、主人の元へ戻る。
「エバーゼ、隊長はどこに?」
 マグはミイニの肩先で、どこか嬉しそうに揺れていた。
 そこへ再び、水面下より何かが飛び出した。
 黒く、異形を放つその物体は、弧を描きながら飛来する。
 打ち落とそうと、ハルスが砲門で謎の物体を殴りつける。しかしそれは、空中で身を捻ってかわすと、船の甲板へと着地した。
 不快な悪臭が全員の鼻を刺す。
 不気味に蠢くそれは、人型へと変形していった。
 それを見て、ミイニの顔がぱぁっと明るくなる。
「隊長!!」
「人生最悪の休日だよ……」
 ドロの中から、見慣れた顔が現れる。
 しかし、全身ヘドロや藻に絡まれたサイは見る影もない。
 身体を軽く揺すり、絡みついた異物を飛ばすと、ハルスを睨みつけた。警戒を崩さずに、ハルスが声をかける。
「よぉ、サイ。生きてたか。心配してた」
「テメェ、ハルス。今俺ってわかって殴ろうとしたろ?」
 棒読み口調で言うハルスに、とても心配していたようには感じられない。
 サイは悪態をつくと、ミイニの肩先に浮かぶマグに片目を瞑ってみせた。
「助かったよ、ミイニちゃん。エバーゼちゃん」
 ミイニは笑顔でそれに応えると、マグを優しく撫でた。

 ミイニのマグであるエバーゼは、一定量まで水を、蓄積及び放出する能力を持つ。マグ本体が、水膜のようなもので球体に形を構築しており、例えを上げるとクラゲに近い。ある程度までの伸縮が自在で、体内に水を溜め込むことができる。また、水中間でも自由に行動することができ、吐き出す水により推進力を得ることも可能である。尚、水のみに作用する能力であり、不純物がエバーゼに取り込まれることはない。このことから、浄水の効果も果たす。

 サイはミイニとマグを見送ると、船内にあるセイバーを拾いに向かう。
 一連を無言で送っていたメリーは、大きなため息をついた。
「勇姿……。焼き付けたわ」
「バカ、今からが本番だよ」
 すれ違い様に臭った悪臭に、メリーは鼻を摘まむ。
 一瞬嗅いだだけであるのにも関わらず、嘔吐感が押し寄せる。
「おぇぇ……。最悪、臭……」
 セイバーを手に甲板へ飛び出してきたサイが、再び悪臭を振り撒いた。
 眩暈が襲い、昏倒しそうになる。
 そんな彼女にサイは気付いた様子もなく、光刃を展開させ、叫んだ。
「出て来いチーズ! Ladyの障害になるやつは、消えてもらうぜ!!」
 前のめりに俯くメリーが何とか顔を上げ、呟く。
「じゃあ、まずあんたが消えて……」
「お前……。それ本気だろ……?」
 メリーに背中を蹴飛ばされ、サイは再び濁水の海へと飛び出した。





 メリーの強烈なキックに押され、甲板から跳躍したサイは、空中で姿勢を整えると、肩先に浮遊する2対の肩鎧型マグを起動させた。
「手ぇ貸せ、ディン!」
 名を呼ばれたマグは、輝きを放ち、水面スレスレの場所で面を天井に向け、足場のように展開する。サイはそれを踏み台に、更に前方へと大きく跳躍した。
 甲板に残る3人の視界から、サイの姿が闇へと消える。
 サイはマグを呼び戻し、高い位置から、水道内を見渡した。
 数メートル先の水中に、大きな影を見つける。
 その影に向かって、力任せにセイバーを投げつけた。
「メリー!!」
 空中で体を反転させ、叫ぶ。
 暗闇の先でフォトンが輝く。
 サイの声で事を悟ったメリーは、背に3つに折りたたんでいた金属製の棒板を組み立てた。やがて、美しく弧を描いた一本の弓形へと変化したそれに、フォトンの弦が展開する。メリーは左手に装着した、特殊な籠手から半透明なフォトンの矢を発生させ、縦に構えた弓へと通す。
 メリーは『弓構え』から『会』の体勢に構えると、フォトンの光が消えた座標へと狙いを定めた。
 彼女の矢を引く左手に、魔方陣が展開する。
「ラフォイエ!」
 詠唱呪文と共に籠手より炎が迸る。
 炎が半透明であった矢を朱色に染め上げた。
 そして、メリーが弦を弾いた。
 朱色の矢が、炎を揺らめかせながら、一直線に飛んでゆく。
 空を裂くそれが、フォトンの消えた辺りで着水すると同時、大規模な炎爆発が起こった。
 赤い炎が暗黒を照らす。
 爆発の光により、3人も水中内の影を視覚に捉えた。
 巨人が咆哮を上げ、影へ向けて容赦なく質量を叩きつける。同時にミイニも短銃を放つ。
 異形が大きな悲鳴を上げた。
 その巨体を仰け反らし、水面へ顔を出す。
 やむことなく、大質量はその顔面へと殺到した。
 銃器と異形の2つの絶叫が重なる。
「おい巨人、ちったぁ気ぃ遣え! 俺じゃなきゃ巻き込まれてるぞ!!」
 同様に、マグを足場に甲板へと戻ってきたサイが、先程と似たような怒声を上げた。
「くるぞ」
 返ってきた別の言葉に肩を竦め苦笑する。
「サイ隊長、これを」
 ミイニが腰に携帯していたセイバーを投げる。
 サイはそれを振り返ることなくキャッチすると、深く腰を落とし、光刃を展開させた。
 水面から顔をだした、焼け焦げた触手が集中する。
 だが、先程までの鋭さは既に失われていた。
 サイがそれを舞のように斬り払っていく。
「無駄だね。後ろにLadyがいる限り、俺の剣戟は突破できねぇよ」
「臭いわよ」
 メリーの一言をどう解釈したのか、サイは片目を瞑って見せた。
 メリーはそれを横目に流し、再び『会』の体勢へ入る。
 静かに目を閉じ、小手先へ集中する。
「グランツ……」
 これまでのものより、一段と神々しい魔方陣が彼女の腕から展開された。
 眩しい光が矢へと吸い込まれ、聖火を燈す。
 真っ直ぐと、静かに矢は放たれた。真白の眩しい光が視界を覆い尽くす。
 音も無く、閃光が闇を、そして空間を裂く。
 外甲は崩れ落ち剥き出しになった顔面を光の矢が貫いた。
 やがて白は、全てを飲み込んだ。
「……やるね」
 手で作った影で瞳を隠しながら、サイが関心とも驚愕とも取れる言葉を洩した。
 轟音は止み、静まり返った水道内で、聖なる光に包まれた異形は、安らかにその身を地に落とした。


10


『こちらリッシュ。ボス、応答願います』
 ノイズに混じり、低く美しい女性の声が聞こえてくる。
「俺だ」
 ハルスがノイズ先の声の主に返事をする。
 彼の声を聞いて、通信主は安堵の息を洩らした。
『心配しておりました。ご無事で?』
「無論だ。心配してくれるとは、なかなか嬉しいな」
『いいえ、ボスではなく、ミイニのほうです』
 予想通りではあったが、少し残念な返事に肩を落とす。
 そんなハルスの姿を見て、サイとメリーはにやついている。

 2匹の異形を始末し、ボートを下流へと少し走らせたところで、ハルスの通信機が悲鳴をあげた。通信は衛星を介して行われるため、すなわち回線の回復は、彼らの座標特定にも繋がる。
「この臭ぇ場所から、やっと帰れるな」
「場所の問題じゃないわ。あなた自身が臭いの」
 飽きずに始まる2人のやり取りに、ミイニは微笑む。
 通信を続けるハルスが、ミイニに天井を指差して見せた。
 彼の言いたいことを理解した彼女は、ひとつ頷くと、端末を操作し始める。華奢な指がホロキーを奏でる。
「……座標確認。転送パイプ開きます」
 声と同時に、青いリング状のフォトンが現れた。
「帰るぞ」
 通信を切り、新しい葉巻に火をつけたハルスが、我先へとリングへ歩み寄る。
「あれ、結局チーズだったのかな……?」
 メリーの言葉に、一同が足を止めた。
「さぁね。気になるか?」
「だって、飼い主は結局チーズに会えずじまいだったんでしょ?」
 同情してか、陰を落とす。
 あれに会えても嬉しくないだろうと、サイが苦笑する。
 僅かな沈黙。
 巨人は大きく煙を吐くと、サックからディスクを取り出した。
「せめてもの追善だ」
 ハルスがディスクを後方に投げる。
「ボ、ボス……!?」
 驚きの声を上げるミイニを大きな掌が制止した。

 それはヒラヒラと舞いながら、奔流する濁水の海へと消えていった。
 メリーはディスクの行方を見取り、胸元で十字を切る。
「天国で、仲良くね……」
「……なんだかねぇ」
 普段の彼女とはらしからぬ態度にぼやきつつ、サイもわざとらしく合掌。
 暫くの沈黙の後、メリーが元気よく顔を上げた。
「帰りましょ」
 笑顔を見せ、一足先にリングの中へと入る。
 青いフォトンが彼女を包み込み、何処か違う座標へ体を運んだ。
 彼女を見送り、ハルスがミイニの背を押す。
「戻るぞ」
 ハルスに導かれ、ミイニもリングの中へ姿を消す。
 2人の消えた青いリングを見詰め、ハルスは微笑んでいた。
「なんだ、気持ち悪ぃ……」
「副隊長にもなる軍人が、優しいことだ」
「他人事かよ。お前が葬式をやってやるとも思わなかったがね」
 フンッと鼻から煙を出す。
 ハルスは横目使いにサイを見詰めた。
「お前……。しっかり捕まえてないと、何時か奪われるぞ」
「何の話だ……?」
 サイが苦笑する。
 冗談だと笑い声を上げると、巨人もリングへ足を進めた。
「なぁ、ハルス。お前、なんでさっきのバケモノ共がチーズだと思った?」
 背中からの声に振り返るなり、ハルスは不気味な笑みを浮かべて見せた。
「根拠も証拠もない」
「あん?」
 意図を理解したサイが、呆れ顔でハルスを見返す。
「お、お前……。まさか、どさくさに今日ここであったことの証拠の隠滅を……」
「知らんな」
 そういって白煙を吐き出すと、巨体がリングへと消えた。
 1人残ったサイが、呆然と立ち尽くす。
「軍大佐のすることじゃねぇだろ……。俺の休日返しやがれ!!」
 静かな叫びが、水道内に響いた。


11


12:25

 白を基調とした廊下に、ブーツの足音が響く。
 寸分の狂いもなく、足音は常に同じリズムを刻んでいた。
 そこに雑多な音が割り込んでくる。
 足音、人の声、キーを叩く音…
 書類を抱えたその少女は、リズムを停止する。
 決して広くはない廊下で、その少女には無関心に人が行き交う。
 人通りの少ないこの廊下も、待ちにも待った昼食時間に、何時もより心なしか騒がしい。
 少女はその様子に微笑むと、再び足を進めた。
 時々、彼女に敬礼する者に軽く会釈を返し、思考を戻す。
(この書類、今日中に整理しなければ……)
 勤勉な彼女に悪態をつくように、お腹が悲鳴を上げた。
 予期もしない攻撃に、頬を紅く染める。
(そういえば昨日の晩から何も口にしてなかったかな)
 食事も取れないほどに忙しいわけでもないのだが、食事よりも仕事のほうが優先順位の高いことに、我ながら情けないため息をついた。
「レーク中尉」
 突然、背後から声がかけられる。
「あ、サイ少佐!? き、聞こえました、今の」
「なんのことだ?」
 相手を確認するなり、先程のお腹の音を聞かれてないことに安堵の息を洩らす。
「休憩時間だってのに、まだお仕事かい?」
「あ、いえ、すぐに終わりそうだったから」
「ま〜たマグライヤ大佐に色々押し付けられちゃってるんだろ?」
「そ、そんなことは」
 手を振って否定を見せる。
 サイはやれやれといった感じで息をつくと、彼女から書類を取り上げた。
「あ、ちょっと、少佐?」
「一緒にランチでもいきますか。中尉のお腹もそう言ってるみたいだしね」
 ミイニが顔から火を噴く。
 サイは悪戯っぽい笑みを浮かべると、彼女の手を引いて来た道を戻り始めた。
「しょ、少佐……?」
「この前の非礼を詫びてもらわなきゃな」
 まだまだ紅い顔の彼女に、意地の悪い返答。
 そこに、新しい声がかかった。
「あら、サイ少佐にレーク中尉」
「んげ! 中尉!?」
 声の主を見るなり、サイが大袈裟な声を上げる。
 グリーン髪を三つ編みにした瞳の大きな女性――メリーは、ミイニの手を引くサイを怪訝に見詰めた。
「基地内で軟派とは、随分堂々としたものですね?」
「違ぇよ、そこで偶然会ったから、一緒にランチに行くとこなんだ」
「偶然? あら、じゃあ私も御一緒させてもらおうかしら」
 サイはがっくりと肩を落とし、メリーに頷く。
 メリーは嬉しそうに横に並ぶと、ミイニの手を握るサイの腕を払った。
「中尉も注意しなきゃ、サイ少佐は女誑しで有名だから」
「ずいぶん評判悪いね……。それになんだ? 今のは洒落か?」
「否定です」
 基地内ということもあり、言葉遣いが多少丁寧になってはいるが、2人の会話の内容は相変わらずだ。
 その様子に、仕事のことも忘れミイニは微笑んだ。
 そんな彼女にも気付かずに、やり取りを続ける2人の後を、どこか嬉しそうに眺める。
「そうだ!少佐、中尉、今夜お食事如何ですか?」
 何かを思いついたのか、メリーがぽんっと手を打った。
 いきなりの発案に、眼を丸くする。
「却下。俺は明日久々の休暇を貰ったところなんだ」
「あら? つい1週間程前に休暇を貰ったばかりじゃありませんでした?」
 メリーのわざとらしい質問に、サイは眼を細めた。
「権利の行使さ」
「権力の行使じゃなくて?」
 容赦のない突っ込み。
 サイが唸り声を上げる。
「ともかく! 今日はさっさと仕事切り上げて、晩から明日に掛けてゆっくりと休ませて貰うつもりなんで」
「でも丁度よかったわ。私も明日非番なんですよー」
 そういって、メリーは可愛らしくウィンクしてみせる。
 サイの胸で何かが音を立てて割れた。
 書類を落とし、膝をついて項垂れる。
「少佐、どうしました?」
「勘弁してくれよ……」
 きっと、サイ少佐の休暇はまだ先になるのだろう。
 床に散らばった書類のことも忘れ、ミイニは声を出して笑っていた。


第一話 完

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