Ability&Ablution





のうりょく【能力】
  物事をなしとげる力や働き。

のうりょくしゃ【能力者】
 1)
  物事をなしとげる力を持つ者。
  またそれを使用する者。
 2)
  異常フォトンによって、人に有らざる力を身につけた者。
  あってはならない力を所持する者。



「常識を脱した能力は危険だろう。たった1人の存在が、世界の均衡を崩壊させ、生命を破滅させる結果になるかもしれんのだからな」
 闇に咲くホロモニタの明滅に、怪しく照らされるその者。
 一切として見えぬ表情。
 口元には微かに揺らめく葉巻の灯火。
「だからこそ、使いようがあるだと…? それこそ弱者の酔狂だ…」
 フンッと鼻息交じりの笑い声。
 しかしそれが、嘲笑なのか冷笑なのか、本人以外誰にも解からない。





 香ばしい良い匂いが鼻を撫でる。
 それに導かれるまま、少女の足はパン屋の前で立ち止まった。
 大きく息を吸い込むと、美味しそうな香りが口一杯に広がる。
 無意識に出て来る唾を飲み込み、少女は瞳を爛々と輝かせた。
「サイーーーー!!」
 後ろを振り返り、嬉しそうな声で叫ぶ。
 その少女の声の先で、呼ばれた男が疲れきった返事をした。
 両手には大量の買い物袋。
 背中にも巨大なバッグを背負い、頭にはサルのようなぬいぐるみが抱きついている。
 男はフラフラと彼女のもとに辿り着くと、荷物を地面に任せ、その場に座り込んだ。
「あ、コラ!地面に座るなんてやめてよね!」
「じゃあ今すぐベンチを用意してくれ…」
 少女が遠慮なしに男の尻を蹴り上げる。
 蹴りに押され仕方なく立ち上がった男は、数メートル先にあるベンチを見つけ、荷物を抱えて歩いていく。
「あ、待ってよ。サイはどれにするのーーー?」
「うまそうなやつ頼むよ」
「なによそれ?だったら全部じゃない?!」
「2、3個に選抜してくれ…」
 彼女は少しムッとした顔をすると、ショーウィンドへと向き直りパンを選び始めた。
 その彼女に対し、普通に四角いパン、ねじれたパン、小鳥の形をしたパン等、様々な形のパンがアピールを開始した。
 思わぬ攻撃を受け、どれもこれも食べたくて仕方がない。
 暫く葛藤する彼女であったが…
「すみませ〜ん、一通り全部くださ〜い」
 やっちゃった…等と、可愛らしく自分の額を叩いて見せる。
 しかし、その顔に後悔の色は全くなかった。
 大袋を受け取り、代金を払うと、嬉しそうに男のもとに駆けて行く。
「サイーー、買ってきたよ〜」
 荷物から開放され、ベンチに横たわっていた男が顔を上げる。
 大袋で姿の隠れた彼女を見て、思わずベンチからずり落ちた。
「2、3個って言ったでしょうが…」
「ごめんごめん、あんまり美味しそうだったからつい。それにサイはたくさん食べるでしょ?」
「いや、限度つうもんがだな…」
 そういって彼女の額にデコピンした。
 ぺちっと間抜けた音。
 だが、彼女は大袋を放り出し、額を押さえて大袈裟に痛がった。
「いった〜い… ちょっと、酷いじゃない!」
 男が大きなため息をつく。
「痛いわけないでしょ。今のじゃ虫っこ1匹も殺せねぇよ」
「そういう問題じゃないでしょ。私の顔に傷でも残っちゃったらどうするつもり!?」
「はいはい…そん時ゃ俺が引き取ってやるから…」
「え?それはそれでいいかも…」
「ん?」
 彼女の顔が紅くなる。
 と思った途端、男は強烈な平手打ちを顔面に喰らい、吹き飛ばされた。
「…って、何言わせるのよ!そんな訳ないでしょう!?失礼ねっ!!」
「俺が何したっての…」
 頬を染めたまま肩で息をする彼女の前で、男はガクリと力を落として倒れた。
 落ち着かない心拍を抑えるため、胸に手を当て何度も深呼吸をする。
 そんな2人の姿を、人々は足を止めて微笑んでいた。

 彼女の名は、メリー=アトレイト。
 大きな瞳とグリーンの三つ編みがトレードマークの、軍部20番隊の副隊長を務める中尉である。
 数々の功績を残し、その知名度は副隊長の地位だけからではない。
 対する男は、サイ。
 同じく軍部36番隊隊長を務める凄腕の少佐である。
 女好きのという性格からか、評判は良いとは言い難い。
 しかし、歴代最速で隊長就任や鬼斬りという厳つい異名等、才に優れた人物であるらしい。
 そんな2人は、偶然重なった非番の日を使って、街へと買い物に来ていた。
 雲ひとつない青空が心地よい。
 もっともそれは映像であるのだが…
「いや、俺は無理矢理付き合わされてんだけどね…」
 サイは腫れた頬を擦りながら立ち上がると、深呼吸を繰り返すメリーを見やった。
「なんだ?もしかして照れちゃったの?」
「バカらしい!ほら、パン食べよ!」
 判っていながら聞いた自分を、ちょっと嫌なやつかな等と思いつつ、笑みを浮かべたままベンチに腰掛ける。
 横目に見たメリーは、既にパンの物色を開始していた。
 サイは思わず嘆息する。
「お前、元気だな」
 口いっぱいに頬張ったまま、メリーはコクコクと頷いた。
 そして、手にしたパンを千切ってサイに手渡す。
「なんてパンだ?これ」
「知らない。美味しいパン?」
 一口に口に含む。
 薄い塩味と、香ばしい香りが食管を擽った。
 普段食べ慣れないパンの味など知ったことではない。
 しかし、これはほんとに美味しいなと感心していたところ…
「ふぅ…ごちそうさま」
 隣のメリーが合掌する。
 袋に目をやると、一口ずつ齧ったパンの山があった。
「………」
「ん?何?」
 サイの視線に気付いたメリーは、口の周りを拭きながら、すまし顔でそれに応える。
「お前…これ…」
 袋を指差すサイに、片目を瞑って舌を出した。
「ごめんね。私もうお腹一杯になっちゃた。あと食べて」
「いや…なんだこの量…」
 顔の前で掌をたてて見せるメリー。
 サイは声にならない悲鳴を上げ、これまでにないほど大きなため息をついた。
 渋々と片っ端からパンを摘まんでいくサイに少し申し訳なさを感じ、袋に手を伸ばすと、容量一杯になった腹に少しずつパンを押し込んでいく。
「ちょっとくらい手伝うわ」
 そんなメリーを横目に、サイは微笑んでいた。
 そのサイに気付き、メリーは頬を膨らませそっぽを向く。

 逸らした視線の先に入ってきた、見慣れたもの。
「あれ?軍部のカート」
「あん?」
 サイもそちらに眼を凝らす。
 そこには、軍が移動の際に使用する飛行車両数台が定着していた。
「こんな市街地に…どこの部隊だ?」
「治安部じゃないの?何かあったのかしら?」
 言うより早く、メリーは車両へと歩き出す。
「おいおい、俺達今日はお休みでしょ?巻き込まれてもしらねぇぞ?」
 反応しないメリーに肩を竦め、サイも渋々後に続く。
 15人の乗りの車両が3台。
 中には蛻の空だった。
 窓から覗く内部には、多少なり武器の姿がある。
「軍が出動するほどの事件があってんのかね?」
「我等は要請受けて出向いたのみよ」
 サイの疑問に答えた声。
 2人が振り返った先に、着物のような軍服を着た女性が立っていた。
 背中まで伸びる漆黒の髪。独特の化粧を施したその表情は、どこか妖艶に映る。
 ただ立っているだけにも関わらず漂う優雅な気品が、彼女の存在を強く強調していた。
 襟元に光る勲章が、彼女が只者でないことを肯定する。
「シュンカ中佐殿?!」
 マハジャ=シュンカ。
 階級中佐と精鋭11番隊隊長の肩書を持つ、軍部のエリートである。
 驚きの声と共に、メリーが敬礼する。
 マハジャもそれに軽く敬礼を返すと、2人の顔をまじまじと見詰めた。
「なるほど…逢引か」
「違います」
「違う」
 息の合った懸命の否定にマハジャは微笑する。
 そんな彼女にサイが苦笑を返した。
「なんか事件でも起きてるのか?」
「ここより先にて、小組織が姿現したと通報有ってな。鎮圧、及び幹部捕獲任務よ」
「おっかないねぇ」
 サイが両手を上げてみせる。
「それで、その者達は?」
 メリーの問いに、マハジャは首を横に振って答えた。
「以前より名の上がっている組織であるのだが…やはり容易に捕まってはくれぬようじゃ」
 マハジャは2人に背を向けて歩き出した。
「閉鎖は解けたが、未だ何処に潜んでおるやむしれぬ。折角の休暇を愉しみたいのであれば、場所の変更を勧める」
 そう言い残すと、彼女の姿は路地の奥へと消えていった。
 それを見送ったメリーは、一瞬何かを思考して、サイへと向き直った。
「シュンカ中佐はああ言われてるし…今日は帰ろっか?」
「妥当かな」
「ほんとは夕食奢ってもらう予定だったんだけどなぁ」
「あん?なんで俺が奢らなきゃいけねぇんだ?あんだけ荷物持ちさせたんだから、感謝の意を込めて、奢ってくれるの普通だろ?」
「うん、ありがとね」
「軽いな、おい…」
 メリーは腕時計型の携帯端末を起動させると、周辺の地図情報を呼び出した。
 ホログラフィで映し出された地図とルートを頭に入れていく。
「おっけ。行こう」
「へいへい…」
 2人はチェックボックスと呼ばれる施設へ向かった。
 そこは、荷物等一定重量物までの物を保管してくれる、通称倉庫と呼ばれる場所である。
 随所に設置された施設より、転送によってセンター倉庫に預け物を保管。
 センターからは全ての施設へ転送が可能なため、当人は都合の良い場所で預けた物を引き取ることが出来る。
 一種の中継転送装置を用いた搬送施設だ。
 その利便性から、軍部は勿論、ハンターズギルドにおいても、所有品や武器等の保管をチェックボックスに一任している。
 メリーはパンの袋だけを残し買い込んだ荷物をそこに預けると、近くのドリンク販売機適当な飲料を2つ買い、うち1つをベンチで休むサイへと投げつけた。
「サイーーー」
 空を眺めていたサイはメリーの声に反応し、眼前まで迫っていたドリンクをなんなく片手でキャッチした。
 メリーがパタパタとサイに駆け寄り、隣に腰掛ける。
 そして、パンの袋を突き出した。
「今日のお礼のパンとドリンク。受け取って」
「ドリンクはまだ許せるが、そのパンはさっきの食べ残しじゃねぇか」
「いいのいいの、美味しいから。いっぱい食べてね」
「いや、そこはお前が判断するところじゃねぇでしょうが…」
 とはいいつつも、彼女の笑顔に負けたのか、それを受け取る。
 メリーの顔は一層輝いた。
「ありがとね。ほんとはもうちょっと付き合ってもらいたかったんだけど」
「あ?まだ買うもんあんのかよ…?」
「う〜ん…まぁ、そうかな」
 メリーはドリンクを一気に飲み干すと、勢いよく立ち上がり、両手を広げて深呼吸した。
 いつの間にか空は夕焼けに染まり始めている。
「この陽が本物だったら、もっと気持ちいいんだろうね」
 映像で作られた夕日を前に、そんなことを呟く。
 大きく一度伸びをして、サイの方へと向き直ると、笑顔で手を振った。
「今日はありがと。じゃあ私帰るね」
「送ろうか?」
「いい。大丈夫よ、すぐそこだから。スケベ!」
「なんでスケベなんだよ…」
 苦笑するサイに笑顔を返すと、彼女は家路へとついた。
 ベンチに座るサイへ何度も何度も振り返っては手を振り、姿が見えなくなったところで駆け出した。

「うん、楽しかった〜!」
 基地内で、彼の姿を見掛けることはあっても、雑談するようなことはあまりない。
 こうした休日に会話ができること。
 そしてなにより、彼と一緒の時を過ごせることが彼女にとって一番の幸せだった。
 上機嫌で慣れた道を駆け抜ける。
 そして、細い路地を曲がった時、彼女は何かに躓きバランスを崩した。
 壁に手をつき、転倒を何とか免れる。
「…セーフ」
 一呼吸つき、躓いた先を振り返る。
 そこにあったものは、彼女の予想できる範疇を超えたものであった。
「ニューマン?!」
 おそらく15、6歳の少女だろうか。
 彼女の躓いた場所には、ボロボロの衣服を着た耳の尖った人物が倒れていた。
 背中まで伸びたブロンドの髪も、黒ずんでおり見る影もない。
 震える肩は、何かに怯えているのだろうか。
 人工生命体であるニューマンは尖った耳が特徴だ。
 その彼等は人間の手で作り出された者であるにも関わらず、忌み嫌われる存在であった。
 それ故、孤児が多く、無法地帯(スラム)に生きる者達が大半を占めている。
 メリーの目の前で倒れる少女は明らかにそれに見受けられる。
 しかし、ここは無法地帯どころか、比較的治安の安定した第2地区。
 それ以前に、パイオニア2に乗船する、母星より選び抜かれた3万人の中に、孤児がいるのだろうか…
「そんなこと考えてる場合じゃなかったわね」
 メリーは浮かんだ疑問を払うと、倒れる少女のもとに駆け寄った。
 だが…
「こないでぇ!!」
 まるでガラスを引っ掻いたかのような叫び。
 悲痛以外の何でもない悲鳴が、メリーの接近を制止した。
 少女の瞳には、恐怖の色が滲んでいる。
 それ以上に、哀しく、暗い。
「何に怯えているの…?」
 メリーは平静を崩すことなく、一歩を踏み出す。
 しかし、
「こないでぇぇ!!!!」
 今以上の悲鳴。
 それと同時に、メリーの左腕にあった携帯端末が、火を噴いて煙を上げた。
 左耳に強烈な痛みが走る。
 常時装着している小型通信機もショートし、皮膚を焼いていた。
 何が起こったのか理解できず、一瞬戸惑うメリーだったが、それを表情に出すことはなかった。
 笑みを浮かべ安心させるように、少女に一歩ずつ近づいていく。
「大丈夫、大丈夫だよ」
 震える少女をメリーが抱き上げる。
 途端、少女瞳から涙が溢れ出した。
「怖くない、大丈夫、怖くないから」
 小さな子供のように泣きじゃくる少女を、メリーは優しく優しく抱擁した。





「Good evening !! 中佐殿」
 夕方。
 基地内廊下を歩いていたサイは、前からくる女性に挨拶する。
「御苦労、サイ少佐」
「か〜!なんだよ、つれない挨拶ですこと。元気よく挨拶返すのが基本でしょうが」
「主の声を聞くと、元気になる」
「なんかうまいこと言って流されたような感じだな」
 サイの声にも足を止めずに去ろうとする女性――マハジャの横に、慌てて並ぶ。
「忙しそうねぇ」
「主、目的地は逆では?」
「気にすんな。聞いたぜ、昨日言ってた例の組織の幹部を1人捕らえたんだって?」
 マハジャから返答はない。
 気にすることもなく、サイは続けた。
「組織名『デビルファング』…結構悪さしてるらしいな。その連中が船に乗り込んできてるとは、なんとも危なっかしいことこの上ないね」
「至って簡単。幹部の内に政府関係者やそれに近い者の存在が有るということ」
「気に喰わねぇが、どこの組織もそんなもんだろう。必ず権力者が背後にある…」
 サイは悔しそうに唇を噛んだ。
 マハジャの表情も決していいものではなかった。
「重役が絡んでおれば、こちらから迂闊に手もだせぬ。つくづく厄介よ…」
「何か情報聞きだせたのか?」
 サイの問いかけに、不意にマハジャが足を止めた。
「主、先は何処へ赴くつもりだったのだ?」
「あん?いやなに、総隊長代行殿のとこに、ちょっとした報告をね」
 珍しくマハジャが腕を組んで何かを思案する。
 それを不思議そうに伺っていた。
 考えが纏まったのか、マハジャがサイへと顔を上げる。
「急く必要無いのであれば、一緒に来るか?」
「なんだ?中佐からのお誘いとはこれまた珍しい。どこに連れてって貰えるのかね?」
 返事を待たずして再び歩き出したマハジャに、サイはのんびりとした態度で続いていった。





 マハジャに連れられてやってきたところは収監所であった。
 決して広くない廊下を中心に、その両脇に強化ガラスで仕切られた牢獄が幾つも並ぶ。
 そこはひっそりと音もなく、灰塗りの壁からは圧迫感を感じられた。
 監番の兵士に敬礼をすると、2人はつかつかと中へと入っていった。
 無機質な床に、2人の足音が響く。
「なかなか、不快な処だな」
「罪人を愉快にさせては問題あろう」
「ごもっとも」
 サイはここに初めて来る。
 幾つかの牢の中を覗けば、そこには人物の姿があった。
 賞金を掛けられていた人物までそこにいる。
 サイは少々関心を抱きながら、彼女の背に続いていた。
 やがて、最奥部にて、彼女が足を止める。
「此処じゃ」
 彼女が示した牢の中に、その男が居た。
 黒いスーツを着込んだ中年の痩せ型…
 しかし、男の身体は既にボロボロであった。
 顔面は大きく腫れ上がり、青と赤の痣で見る影もない。
 両手足はあらぬ方向に曲がり、鮮血が黒を更に濃く色付けている。
 今も苦悶に吐血を繰り返し、内臓器の損傷を予感させた。
 あまりに酷い状態に、サイは表情を歪めた。
「拷問ってのもわからないでもないが…これはちょっとやりすぎだろ?こいつ死ぬぞ」
 だが、返ってきたのは意外な答え。
「どういうことか…?我は何もしておらぬ」
「あん?」
 マハジャは驚愕に絶句する。
「何もしてないって…これやったのはお前達じゃないのか?」
 マハジャが首を縦に振り、肯定を返す。
 噛み合わない事象。
 サイは壁にある緊急用外部連絡回線を開いた。
 抜けた声で、監番がそれに出る。
「サイ少佐だ。今すぐここに救急班を回してくれ」
 用件だけを伝え、兵士の返答を待たずに受話器を壁へと叩きつけた。
 未だ状況の整理出来ていないマハジャに檄を飛ばす。
「しっかりしろよ。だれがやったか見当つかないのか?」
「解からぬ…。 治安部の者とは思えぬが…」
「お前達以外に、こいつに用があるやつがいるのか?」
「尚更解からぬよ」
 本人に聞くのが早いと、マハジャは躊躇無く鍵を外し、牢の中へと入っていった。
「おい、罠って可能性もあるぞ」
 不用意な行動に警告を促すも、それよりも早く、マハジャは男に接近していた。
 倒れるその男を抱き上げる。
 彼女の軍服が赤く汚れる。
 サイはマハジャを見詰めながらため息をつくと、腰のホルスターに納められたセイバーへと手を掛けた。
 もしもの事が起こってからでは遅い。
 マハジャの手の中の男に神経を集中させる。
 男を抱き起こしたマハジャは、必死に呼びかける。
「だれにやられた?」
 男は噎せ返るばかりで、とても喋れるような状態ではない。
 苦い表情を浮かべる彼女に、背後から何かが投げつけられた。
 コーンと間抜けな音をたて、それは男のすぐ脇に転がる。
「メイト…」
「使えよ」
 警戒は解かぬまま、サイが自分のそれを放った。
 マハジャはその携帯用回復薬を手に取ると、男の口に流し込んだ。
 体内で展開したナノマシンが、男の傷をたちどころに治療していく。
 メイトにより、男は僅かに力を取り戻す。
 虚ろの眼差しで、マハジャを見詰め返した。
「ば、ばけものだ…」
「だれじゃ?名はなんと名乗った?」
 男は彼女にしか聞こえない小さな声で、弱々しく呟いた。
「なんじゃと?!」
 マハジャが驚きの声を上げる。
 それは彼女のよく知る人物。
 否、軍に所属するものならばだれしも知っているだろう。
 マハジャは男を静かに寝かすと、牢から飛び出した。
 目指すは男が言った者のもと。
「お、おい、マハジャ」
 返事のないマハジャに、慌ててサイも後を追う。
「いったいなんだってのよ?犯人がわかったのか?」
「うむ…。あやつをやった者は…」
 言いかけた時、彼女の通信機が悲鳴を上げた。
 サイに一礼して、通信を開く。
『隊長、出動です。第2地区に デビルファング が現れました』
「了解した、向かう」
 通信を切るなり、苛立った声。
「このような刻に…なんだというのだ」
 言うなり、出口へと駆け出す。
「サイ、話は後じゃ」
「おいおい、わけわかんねぇよ」
 サイの制止も虚しく、マハジャの姿は出口へと消えていった。
 それと入れ違うかのように、担架を持った救護班が飛び込んでくる。
 救護班はサイを見つけるなり、敬礼する。
「サイ少佐殿、負傷者は?」
「あ、あぁ、一番奥のやつだ。半分死んでるが、あれで重要参考人らしい。頼むよ」
 救護班は最敬礼をすると、奥へと進んでいった。
 それを見送りながら、サイは思考を巡らせていた。
 幹部の必要以上の拷問、そして組織の暴動。
 あれほどに過ぎた拷問が必要だったのであろうか?
 組織があの男を助けるためであれば、軍に対してなんらかのコンタクトを取ってくるはずだろう。
 果たして今の暴動はその為であろうか…?
 何か大きなことでも起ころうとしているのだろうか?
「いや…余計な詮索はやめておきますかね」
 足りない情報に、サイはそれ以上の思考を諦めた。
 深呼吸をして、静かに収監所を後にした。





 オレンジ色の光に擽られ少女は目を覚ました。
 そこは見知らぬベッドの上… 
 泥で汚れた服はなく、代わりにピンクのTシャツ着ている。
 身体も綺麗になっており、ブロンドの髪も本来の輝きを取り戻していた。
 ここ、どこ…?
 状況が理解できず、視線を巡らせる。
 決して広いわけではないその部屋には、中央にテーブルとソファ、クローゼットに諸々の雑貨。
 その質素な部屋を、たくさんのぬいぐるみ達がはしゃいでいる。
 ベッドの隣にある窓から外を覗けば、赤く染まった空が見えた。
 美しいその景色を、ぼーっ眺める。
 その少女の耳に、扉の開く音が響いた。
 身を縮こませながら、そちらを見詰める。
「あ、目が覚めた?よかった〜、丸一日寝てたのよ」
 部屋に入ってきたのは、20歳前後の女性。
 にっこりと、優しい笑みを向けている。
 少女にはその笑顔を、どこかで見覚えがあった。
 不思議と警戒を解く。
「身体大丈夫かな?結構傷だらけだったからね」
「…あ……あ、あの…」
「心配しないで。変なことしようってわけじゃないから」
 彼女はそう言うと、少女に緑の液体の入ったコップを手渡した。
「こ、これは?」
「毒なんか入ってないから、飲んでみて」
 笑顔に押され、怪しいそれに恐る恐る口をつけ…そして目を瞑り一気に飲み干した。
 だがその液体は、少女の予想したものとは全く違う味だった。
「…美味しい」
「でしょ〜?数種のフルーツを混ぜて、それにメイトの成分を加えてるの。美味しく飲めて傷も癒せる、私が発明したスペシャルドリンクよ」
 ガッツポーズで力説する彼女を見て、思わず顔が綻んだ。
 そんな少女を見て安心したのか、彼女はソファへと腰を下ろした。
「私はメリー=アトレイト。メリーでいいわ。あなたはなんていうの?」
「あ、あたしはリムと言います」
 慌てた口調で自分の名を名乗る。
 それが可笑しかったのか、微笑むメリーに、つられてリムも微笑んだ。
「びくっりした、可愛いい女の子があんなところに倒れてるんだもん」
「か、可愛いいだなんて!」
 リムは頬を赤く染めた。
 それがばれない様に、少しだけ顔を下に向ける。
「お姉さんが助けてくださったんですか?」
「助けたなんていうと大袈裟に聞こえちゃうけどね」
「…ありがとうございます」
 リムは頭を下げた。
 それにメリーは笑顔で手を振る。
「いいって。でも大事に至らなくてよかったわ」
 そういってメリーは立ち上がると、クローゼットからリムの着ていた衣服を取り出した。
「余計な御節介かもしれないけどね、洗濯しておいた」
 リムはそれを受け取ると、再度頭を下げた。
「どうしてあんな泥だらけの格好で倒れてたのか…よかったら教えてくれない?」
「え?」
「家族はいるの?」
 メリーの問いに、リムは俯いた。
「言いたくないなら、べつにいいのよ。あ、今ご飯作るね。食べるでしょ?」
 彼女は答えを待たずして部屋を後にしようとする。
「家族は…いません」
「え?」
 リムの言葉に彼女は足を止める。
「でも……帰るところは…あります…」
 自分には帰る場所が存在する。
 しかしそこは、少女の帰りを歓迎してくれるところではない。
 少女は道具でしかない。
 思い出したくも無い記憶が蘇る。
 リムの瞳は哀しい色に染まり、蔭を落とした。
 メリーはそれを見逃さなかった。
「辛い思いをしてるんだね… リムちゃんの気があるようだったら、いつでもここに遊びにおいで。私は大歓迎だよ」
 リムは顔を上げる。
 そこには涙の粒が流れていた。
 メリーが優しい微笑を返す。
 その時…
 尖った耳がピクッと跳ねたかと思うと、メリーの表情が突然険しくなった。
 リムは不思議な顔をメリーに向ける。
「銃声…?」
「え?」
 リムには届かなかった渇いた鉄金の音が、メリーの耳に確かに響いていた。
 メリーはデクスの端末を起動させ、通信を開く。
 本来使用する小型の通信機は前日壊れている。
 ガイダンスを飛ばし手順よくアクセスすると、管制室へと直接回線を開通させた。
 彼女の目の前にホロモニタが現れ、オペレータの顔が映し出される。
『管制ルームです』
「こちらアトレイト中尉です。第2地区にて発砲音を確認。事態の方、そちらで何か情報ありますか?」
『現在デビルファングなる組織が第2地区に出現。11番隊、24番隊が出動されています。隊の到着次第、シールド展開及び地区の閉鎖が発令されるかと思われます』
「了解。以上」
 メリーは通信を切ると、笑顔でリムに振り向いた。
「軍部から頼もしい鎮圧部隊が出動してるから、きっと大丈夫」
 だがそんな声もリムには届いていなかった。
 今の通信で出てきたある名前。
『デビルファング』
 それを聞いた途端彼女の背筋は凍りついていた。
 湧き上がる恐怖から逃げ出すように、布団を被る。
 身体が震えているのが自分にもわかった。
「リムちゃん?」
 怪訝に覗き込んでくるメリーに、リムは小さく呟いた。
「…いかなきゃ」
 あそこには戻りたくはない。
 しかし、隠れているわけにはいかない。
 自分を助けてくれた優しい女性。
 彼女にとっては何気ないことだったのかもしれない。
 しかし、少女が生まれて初めて受けた、人の温もり。
 些細なことなのであろう。
 しかし少女にこれ以上はなかった。
 だからこそ、巻き込むわけにはいかない。
 組織に見つかれば、彼女はきっと殺されてしまうだろう。
 死なせたくない…
 リムは身体に言い聞かせ、なんとか立ち上がった。
 メリーの介抱のお陰か、傷は殆ど癒えている。
「ありがとうございました」
 驚くメリーに一礼すると、リムは玄関へと歩き出した。
「ちょっと、どこにいくの?」
「お迎えがきたようですから…」
「…まさかリムちゃん…デビルファングが?」
 首を縦に振って肯定を返す。
 メリーの顔が驚愕に染まった。
「どういうこと?」
 走り出したリムの腕を慌てて掴む。
「まって、説明して」
「あたしと一緒だと、お姉さんが殺されちゃう!」
 今にも泣き出しそうな声。
 その声に反応してなのか、室内の電子機器が煙を上げ始めた。
 それに混乱するメリー。
 隙をついて腕を振り払うと、リムは外へと飛び出した。
「あっ、まちなさい!」
 一瞬遅れてリムの背中を追いかける。
 階段を駆け下り、メリーも路上に飛び出そうとした時…
『ウウーーーーーーーーーーーー!!!』
 大きなサイレン。
 その直後、メリーの目の前にフォトン製の巨大な壁が現れた。
 シールド…
 住民を災害やテロリストから守るために備えられた、大型のフォトンシールド。
 地区内に通る通路や建物をフォトンのシ−ルドフェンスで区切り、通行を不可能にすることで、避難経路を一本化し、又テロリスト等を追い込む際にもそれが容易になる。
 メリーはフォトンの壁に行く手を阻まれ、仕方なく足を止めた。
「まって!大丈夫、戻ることない!私は殺されたりしない。私が守ってあげるから!」
 リムは壁越しに頭を下げると、彼女の視界の外へと走った。
 見ず知らずの人との別れが辛かったのだろうか…?
 溢れる涙の理由もわからず街へと飛び出した彼女の背中を、夕日が哀しく見詰めていた。




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