Ability&Ablution





 陽の映像は消え、空には漆黒と真空が支配した世界が拡がっていた。
 光の少ないその場所は、まさに夜。
 遠くの街路灯が僅かな影を作り出している。
 いかにもそれらしい廃倉庫。
 その前に佇む小さな人影があった。
 おそらく10代中盤の少女であろうか。
 遠目からでも解かる華奢な体。
 尖った耳はそれがニューマンであることを示している。
 暗闇でありながらも、美しいブロンド色の髪がはっきりと見て取れた。
 少女の足は竦んでいた。
 無理もなく、そこはデビルファングと呼ばれる組織のアジト。
 そこで得た、苦痛の数々を思い出す。
 あらゆる拷問から彼等が求めたものは、少女の声。
 不思議なことに、自分のあげた悲鳴は時として電子機器全てを破壊した。
 生まれ備わった不思議な能力…
 こんな能力さえなければ、幸せな人生が送れたのかもしれない。
 もう少し、もう少しだけ笑顔でいれる時間があったのかもしれない。
 そして、メリーと名乗ったあの人と、もう少しだけ仲良くなれたかもしれない。
 優しい笑顔を忘れない。
 あの笑顔に自分は少し救われたような気分になれた。
 不思議と涙が流れた。
 それはきっと、寂しかった心を優しく包み込んでくれたからなのであろう。
 僅かな彼女のとの出逢いが、思い出を塗り替えていく。
 何故だか理由はわからない。
 だが、確かな希望が生まれた。
 生き抜くこと、負けないこと、諦めないこと。
 この広い世界に触れてみたい。
 いや、ただあの温もりに、もう少しだけ触れていたい。
 だからこそ、ここへ戻ってこなければいけなかった。
 ありとあらゆる機械を破壊する力。
 人々に絶望を与える悪魔の呻き声。
 電子化された世界に破滅を呼ぶその能力を…今ここで捨てるため。
 自由の翼を得るために。
「また逢いたいの、お姉さんに」
 少女は倉庫に掛かる重々しいシャッターの隙間を潜り、中へと入っていく。
 倉庫内は満足な光もなく、外よりも更に暗い。
 鼻を刺す異臭は、薬莢、クスリ、そして血液の匂いだろうか…
「リムです。只今戻りました」
 闇に染まった空間に、少女の健気な声が響いた。
 その声に反応して狂気が蠢きだす。
 幾つもの光が、彼女を照らした。
 その眩しさに、少女は小さな手で目の上に蔭を作る。
 やがて徐々に慣れてきた瞳を正面へと向けた。
 視界に入ってきたのは、黒スーツに身を固めた数人の男達。
 怪しく光るその眼光は、少女を真っ直ぐに捉えていた。
「おかえり、リム。今日は随分と遅かったな」
 うちの1人が気味の悪い声で迎えた。
 その声が、少女の恐怖心を煽る。
 口元をにやつかせながら、その男は少女へと近寄った。
 狂った瞳で、少女の体を舐め回すかの様に見詰めていく。
「随分と綺麗な格好をしてるじゃないか?どこかで拾われたか?」
 男の声に少女はそっぽを向く。
 しかし、ブロンドの髪を鷲掴みにすると、無理矢理に顔を引き寄せた。
「ククク…どうせ殺してきたんだろう?お前を拾った人間も… その悪魔の声で、町ごと爆破してきたんじゃないのか?」
「放してください」
 少女は男の腕を必死に払いのけた。
 思いもよらなかった抵抗に、男が驚く。
 その後ろでは、数人の男達が笑い声を上げている。
 男は笑う同僚を睨み付けると、そのまま少女へと向き直った。
「お前、いつからそんなに偉くなった…?」
 そういうと、力任せに少女の頬を叩いた。
 渇いた音と共に、小さな体が宙に舞う。
 赤くなった頬を押さえながら、少女は涙と声をグッと堪える。
 ここで今悲鳴を上げても意味はない。
 苦しい思いから抜け出すために、再度戻ってきたのだから。
 少女は真っ直ぐな眼差しを男へと向けた。
 今までには無かったその反抗的な態度が男は気に入らない。
「キサマ!なんだその眼は?」
 男が未だ倒れる少女の腹部を蹴り飛ばした。
 激しい痛みと嘔吐感が少女を襲う。
 だが、挫けない瞳。
 少女はよろよろと立ち上がり、男を突き飛ばした。
 その行為に、怒り以上に戸惑いが男の動きを縛った。
 少女は正面の集団へと向き直る。
「外の世界で、あたしは初めて人の温かさに触れました。みなさんにはない人の心に触れました…!」
「何を言っている…?」
 少女の言葉に、一同が騒つきだす。
「心地よかった…ここよりもずっと… 苦しいだけのこんなところよりも、あたしは外に出て自由になりたいんです!」
「ふざけたこと言っている。そのような力を持ちながら、外界で平和に暮らせるとでも思っているのか」
「解放してくださいっ!あたしを解放してっ!!」
「バカを言うな。その力を手放すものか。お前は俺達の物だぁ!」
 願いを込めた叫び声と、狂気の声がぶつりかり合う。
 尚も叫び続ける少女。
 その声は徐々に大きくなり、彼女を照らしていた唯一のライト達が次々にその光を落としていく。
 只ならぬ状態に、先程突き飛ばされた男が少女へと飛びついた。
 必死に足掻く少女を抑えつける。
「バケモノが…自分のことを人とでも勘違いしてるんじゃないのかっ?!」
 バタバタと尚も足をバタつかせ抵抗を見せる少女。
 その眼には、堪えていた涙が流れていた。
「どうして人として生きちゃいけないの?あたしは好きでこんな力を持って生まれてきたわけじゃないのに……!」
 自分が悪いんじゃない。
 心の中で何度も呟く。
 自分に意思があってなにが悪いのか…
 自分の意思のまま生きたいと思ってなにが悪いのか…
「人になりたいのっ!!」
 魂そのものを絞り出さんとばかりの心底の叫び。
 その声に、少女を抑えていた男は吹き飛ばされ…
 眼に見えぬ音波は、たちまち倉庫内を破壊していく。
 それは電子機器だけではない。
 人体の脳にも、大きな衝撃を与えていた。
 やがて波紋は倉庫を抜け、一帯全てへと拡がっていく。

 その日、少女の慟哭により、第4地区は陥落した…


10


 船内の居住区全てを展望できるその部屋で、巨人と呼ばれる大男が、闇に落ちた第4地区を見詰めていた。
「これで、少なからず真実が漏洩するな」
「何れはバレたことだ」
 灰煙と共に吐き出された言葉に答えたのは、中央の卓で無関心に空を眺める男。
 その声には冷たさというより凍てつさが感じられた。
「随分と悠長に構えてられるんだな」
「何の問題もない。違うか?イリア」
 中央の男が巨人とは反対側に腕を組んで佇む人物へと訊ねた。
「肯定よ」
 返ってきた女性の答えに、巨人は苦笑いした。
「扱えもしない雑魚組織にあれを渡したことが失敗だったとは思わんのか?」
「電触(ショック)の能力。あらゆる電機器をフォトン属性の音波により破壊する能力。危険度はB…」
「1区画を沈黙させるほどの能力がBクラスだと?幾ら電子機器にしか作用しない音波といえ、あの規模のものを至近距離で受けた人間も只ではすまんぞ?」
「機械ならば、修理できる。しかし現在、移民船という限定された条件下での危険性を考慮すればAからSでも申し分ないかもしれないわ」
「過大な評価は不祥を齎す。排除しろ」
 2人の視線が中央の男に集中した。
 それでも男は、ただ空を仰ぐばかりだ。
「侮った結果がこれだろう?」
 巨人はため息のように煙を吹かすと、その部屋の出入口である転送装置へと歩き出した。
「あら、行ってくれるのね」
「…勘違いするなよ。俺はお前等の仲間になったつもりはない」
「何か聞き出そうとでも思ってるの?…無駄よ。拷問してみてわかったでしょ?奴等は何も知らない」
「…くだらん。…お前達に、人を否定された者の心中は解かるまい…」
 やがて大きな背中が青いリングの中へと消える。
 それを見送るものはいなかった。


11


 第4地区の回復には意外に時間が掛かっていた。
 停電だと認識している住民達には、配電復旧の遅れの理由はわからない。
 流れる電気、フォトン自体に問題はない。
 光を燈す、その機器自体に問題があるのだから。
 暗闇は尚も続く。
 その中を、当ても無く彷徨い駆ける少女の姿があった。
 否、当てがあったとしても、この暗闇で正確に進行するのは困難であろう。
 だが、その少女を正確に追跡するものがあった。
 アンドロイド……
 機械仕掛けの彼等には、明暗は障害とならない。
 別地区に待機していたデビルファングの増援は、既に目標の少女を捉えていた。
 しかし、彼等が一定距離以上の接近をすることはない。
 少女の能力は電子機器を破壊してしまうこと…
 それは、アンドロイドとて例外ではないからだ。
 人間の増援がくるまで、少女を逃さないこと…
 それがアンドロイド達の役目であった。
 その異形のものたちに畏怖する少女。
 だが、足を止めることはない。
 彼等から逃げ切らなければ意味がない。
 望んだ明日はやってこない。
 いったいどれだけの距離を駆けたのかは解からない。
 進んでも進んでも、その先は常に闇。
 恐怖おかしくなりそうな精神を無理矢理にも振り払いながら、少女は戦っていた。
 一心にあるのは、自由を掴み取ること。
 そんな時、不幸は突然訪れた。
「行き止まり…?!」
 少女の目の前に迫立つ大きな壁。
 急いで引き返そうにも、そこには既にアンドロイド達が道を塞いでいた。
 壁にへと追いやられた少女は、その場に尻餅をついた。
 ここまできておいて、結局捕まってしまうのか。
 また苦痛の日々へと戻るのか。
 もう二度と、お姉さんには会えなくなってしまうのか…
 それだけは認めたくはない。
 一生で一度のチャンスなのかもしれない。
 今ここで、出来ること全て出し尽くそう。
 後悔はしなくていいように。
 そんな少女の決心とは無関心に、アンドロイドは何かを腰から引き抜いた。
 手に収められたそれからは、緑色に光る何か。
 少女はそれがハンドガンの銃身に輝くフォトンであると理解した。
 銃口が狙うは、少女の足。
 移動の手段を封じられては、もはや逃げることは叶わない。
 少女は真っ直ぐに銃へと眼を凝らした。
 ここで撃たれるわけにはいかない。
 心の中で、自分にそう言い聞かせる。
 強く強く。
 少女は銃に向かって念を込める。
 挫けない瞳と、意思を持って。
 そして、渇いた音が、闇の中で微かに響いた。


12


 長く尖った耳は、微かに聞こえた音を逃すことはなかった。
 光の落ちた第4地区を、音だけを頼りに家々を飛翔する。
「無事でいてよ…」
 清んだ声で呟くと、メリーは音の聞こえた方へと急ぐ。

 緑の軽装甲具に身を包み、左肩先には画に書いた太陽のようなマグの姿。
 右手に弧を描いた棒のような物を持ち、そして左手には、彼女の細腕には不釣合いな大きな籠手を装備している。
 自慢の若葉色の髪はいつもの三つ編み。
 赤いバンダナで前髪が眼に掛からないようにしていた。
 仕事を抜け出し、ニューマンの少女…リムを探していた彼女は、第4地区に足を踏み入れた途端原因不明の停電と遭遇した。
 リムとの出逢いが無ければ、メリーも市民達と同じく、何の変哲もない停電だと思ったのであろう。
 だが、彼女はリムの能力を知っている。
 偶然ではない、確かな力。
 あらゆる電気機器を声により破壊する力。
 この地区の停電が、少女のその力が原因であると、メリーは確信を抱いた。
(どこかに居る!)
 その確信を真実のものとするかのように、何かの爆発音。
 いや、もしかしたら発砲音だったのだろうか。
 暗闇の中、自分の位置を把握できるものはない。
 空に輝く星々と、惑星ラグオルの光だけが、その黒の世界を僅かに照らしている。
 それからできる薄い影と、彼女の持ち前のバランス感覚を研ぎ澄ませ、家々やビルの屋根を跳躍する彼女は、傍から見れば猫のように映るかもしれない。
 暗視ゴーグルを持ってくるべきだったと舌打ちしながらも、彼女は確実に音の方へと近づいていく。
「この辺りのはず…」
 彼女は音の聞こえた場所で足を止める。
 屋根の上になるそこは、民家というより倉庫なのだろうか?
 根拠もないが、そのような印象を受けた。
 メリーは眼を細め、周囲を見渡す。
 相変わらずの暗黒。
 そのまま視線を足元へと落とした。
「あの光は…フォトン?」
 屋根の下3、4メートル。
 視界に入ってきたものは、フォトンの青白い光。
 小さな路地なのだろう。
 そこには幾つものフォトンの光が、一点に向けられている。
「…ハンドガン?!」
 見慣れたそれを光だけでそれを認識したメリーは、その銃口が向けられん場所を見やる。
 暗闇に、確かに蠢く小さな何か…
 状況の把握というよりは、反射的にメリーは飛び出した。
 両脇の建物の壁を蹴りながら、落下の勢いを殺し、路地へと無事に着地する。
 そのまま無駄のない動作で、籠手から透明の細長いフォトンを発生させると、右手の棒へとそれを構えた。
 弧を描く棒の両端から、糸のようなフォトンが発生しそれぞれを繋ぐ。
 彼女のそれは、古来の武器弓矢へと形を成した。
「軍部20機動隊副長のメリー=アトレイト中尉です。ここで何をしているんです?!」
 凛とした声が、辺りに響いた。
 眼を凝らし、銃を構える者達を見詰める…
 そこに居たものは、予想通りのアンドロイド達。
 そして、構えを解かぬまま、肩越しに背中へと視線を送る。
「無事かな、リムちゃん…?」
 彼女の問いに、数秒の間を置いて答えたのは、少女の泣き声。
「お、お姉さん…?」
「そうよ。遅くなってゴメンネ。助けにきたわ」
 にっこりと、笑みを作ってみせる。
 この暗闇では、見えないだろう。
 それでも、少女にその笑顔は届いていた。
「お姉さん、あたし…あたし、お姉さんに会いたかったの」
 涙に震える声。
 きっと寂しく辛い思いをしていたんだろう。
 自分にも思い当たる節がある。
 だから、少女の気持ちも解かるような気がする…
 メリーは再び視線を正面に向けた。
 ならばこそ、今この状況を打開しなくてはならない。
 未だに銃口をこちらに向けるアンドロイド達。
 敵の数は4。
 相手はハンドガン4機、こちらはフォトンアローが1機。
 本来マグとの連携により、矢にテクニックを封じ込めることでその威力を発揮するフォトンアローだが、船内でのテクニックは制限がかけられており、使用することはできない。
 単発でのそれの威力は、ハンドガンより僅かに上回る程度だろう。
 おまけに、背中には少女と壁…
 暗闇により、視界さえ満足ではない。
 この圧倒的不利な状況をどう打破しようかものか…
 無言の機械兵達を前に、メリーの額に冷たい汗が流れる。
「この子は私が保護します。道を開けなさい」
 通じる相手でないことくらい解かっている。
 敵は反政府組織『デビルファング』
 フォトン製の武器を所持している時点で、既に只の武装集団ではない。
 返ってくる沈黙が、更なる重圧となって押し寄せる。
 死線は何度か越えてきた。
 それでも、死を前にした時の吐気のするようなこの感覚に慣れるものでもない。
 恐怖が徐々にメリーの身体を侵食していく…
 だが、その彼女の緊張を解いたものは、少女だった。
「あたしがやります」
 背後からの予期せぬ声。
 メリーには言葉の意味さえ解からない。
 それを尻目に、何かを祈るように瞳を閉じた少女が大きく空気を吸い込んだ。
 そして…
「そこを通してくださいっ!」
 少女の裂帛の声。
 その声に反応し、たちまち目の前のアンドロイド達が膝を折り、その場で倒れていく。
「ど、どうなってるの?」
 メリーは驚かずにはいられなかった。
 その彼女に向かって、少女はぎこちない笑みを向ける。
「操れるようになったんです。機械を壊す声を」
 メリーは更に驚いた。
 以前までは、自由に使うことができなかったのか…
 メリーは知らないことだが…
 今の少女は、自分の思うがままに壊音波を使いこなす。
 冷静に考えれば、危険極まりない能力だ。
 軍事的背景が絡んでもおかしい話ではない。
 少女の危険性を改めて認識する。
「リムちゃん、ありがとう。でもその力は使っちゃダメ。絶対…」
 少女の存在を公に知られては不味い。
 パイオニア計画どころではなくなるだろう。
 力強く促すと、少女はそれに黙って頷いた。
 メリーが笑顔で少女の頭を撫でる。
 逃がさなければ、なんとしても。
 メリーは強く決心を固めると、少女の手を引いて駆け出した。
 今は逃げ切ることが最も重要だ。
 右腕に装着した携帯端末を起動させると、現在の座標を割り出す。
 とりあえずは、光のある他地区へと移動するのが最善であろう。
 端末の示す地図を辿り、走る彼女達。
 しかし、メリーが足を止めた。
「飛行車両…!」
 彼女達の数十メートル先に、30名程収容できる大型の飛行車両が空中に停滞していた。
 その車両から次々に降下する者達は、電子制御の成されていない古式実弾ライフルを肩に掛け、装甲具を着ている。
 もしもあの人数に囲まれれば、逃げることは100%不可能になる。
 メリーは直ちに来た道を逆に走り出した。
 だが…
 その2人を、飛行車両の照明が照らす。
「見つかった?!」
 メリーは少女を抱きかかえると、すぐ脇の路地へと飛び込んだ。
「お姉さん…」
 心配そうにメリーの見詰める少女を強く抱きしめる。
「うん、大丈夫。私が絶対助けるから」
 その言葉を、まるで自分に言い聞かせるかのように呟いた。
 ここまできて、少女を守りきることができないのであろうか?
 過去の自分と同じ涙を流す少女を、救ってやることはできないのであろうか?

 メリーは瞳を閉じる。
 孤児というだけで、人としての生き方が許されなかった。
 誹謗、虐待、暴力…
 しかし、幼い少女は泣くことさえできない。
 苦痛などという言葉では表せない。
 地獄…
 自分の生い立ちを怨み、そして憎んだ。
 何度この尖った耳を切り落とそうかと思ったことだろう。
 だが、そんな絶望の闇の中現れた大きな掌…
 あの日、大きな掌に救われた。
 太陽のようなそれは、闇を裂き絶望から解放してくれた。
 忘れもしない。
 忘れられるはずもない。
 はじめて人として認められた。
 自分を認めてくれる人物と出逢った。
 あの日から新たな人生がはじまったのだ。
 メリーは瞳を開く。
 地獄を…そして、希望を…
 知っているからこそ、少女を救ってやりたい。
 解放してやりたい。
 救う立場として、自分のこの手で。
 決意を秘め、一層強く少女を抱きしめる。
 少女はその腕の中で、小さな体を震わせた。
「お姉さん…あたし、お姉さんにお礼が言いたい」
 予期せぬ言葉に、メリーは腕を解いた。
 少女が笑顔で続ける。
「あたし、お姉さんに拾われて…お姉さんの温かい心を貰いました。それは、生きてきてはじめての経験で…すごく、すごく温かかった…」
 少女は胸の前で手を握り締めた。
「優しさっていうんですよね?きっと… あたし、それがこんなものだって知らなかった。あんな短い時間でのお姉さんの何気ない言葉や仕草が、あたしの中ですごく心地よくて気持ちのいいものになっていった」
「………」
「可愛いだなんてはじめて言われました。嬉しくて恥ずかしくて… でも何より、そんなお姉さんの言葉が、あたしに希望と勇気を与えてくれたんです!…変な話かもしれないけど、それでも…あたしはもう一度お姉さんに会いたいと思ったんです!」
「リムちゃん…」
「外の世界は、あたしが想像できないくらい広いんだと思います。あたしは、その世界で生きてみたいと思いました。お姉さんのような人達に、もっともっと出会いたい。お話してみたい。…こんな能力があるからって、諦めたりすることないんだ…きっと生きていける……そうですよね?」
 メリーの瞳に熱いものが込み上げる。
 健気で儚い少女の夢を…いや、希望を…
 心深くに響くそれを、少女と共に抱きしめた。
「うん…」
 うまい言葉は出てこなかった。
 それに代わるように、あの日以来の涙が零れる。
 同じだ…
 だからこそ、叶えてやりたい。
 絶体絶命の窮地なのかもしれない。
 だが、少女の言うように、こんなところで諦めるわけにはいかない。
 自分が少女に教えたこと、与えたことを、こんなところで覆すわけにはいかない。
 メリーは右手の携帯端末を取り外すと、それを少女へと差し出した。
「座標と地図。見方はわかるよね?これを頼りに逃げて。」
「え?」
「私が囮になって引き付けるから、その間に他地区まで走るの。できるよね?」
 無茶かもしれない。
 だが、このまま2人で逃げ続けても、奴等に見つかるもの時間の問題だろう。
 逃げ切る可能性があるとすればこの方法が以外にない。
「さぁ、行って」
「でも、それだとお姉さんは?」
「あたしは大丈夫よ。これでも強いんだからね」
 小さなガッツポーズを作ってみせる。
 しかし、あの数を相手にどうしようというのか。
 根拠もなく、無謀なことであることは少女にも解かっていた。
 悲しい眼でメリーを見詰める。
「あたしは、お姉さんにもう一度会いたかった。でも、それは叶ったからもう何もいらない…」
 メリーは少女の口を指で塞ぐと、笑顔を作ってみせた。
「私はこれからもリムちゃんに会いたいの。だから、諦めるのはよそう。私は大丈夫だから。リムちゃんは逃げて。そして落ち着いたらまた家に遊びにおいで。美味しいもの作って待ってるから」
 彼女の言葉に、少女は大粒の涙を流す。
 人として認められることのなかった少女にとって、これ以上にない最高の言葉…
 必要としてくれる人が現れた。
 もう、1人ぼっちじゃない。
「逃げて、お願い」
「…うん…解かりました。お姉さんにまた会いにいきますね…」
「うんん」
 メリーは首を横に振った。
「私はメリーよ」
「…すみません…また、遊びにいきます、メリーさん。絶対に、絶対に…」
 笑顔でそれを返す。
 泣きじゃくる少女を優しく包み…
 そしてメリーは少女の額に唇で触れた。
 別れの挨拶。
 メリーと少女はお互いに頷くと、別々の道へと駆け出した。
 少しでも時間を稼ぐ。
 少しでも遠くに走る。
 メリーはフォトンアローを三つにたたみ、それを抱きかかえた。
 後ろからみれば、小さな子供を抱えているように見えないこともない。
 時に背後を伺いながら、時に耳を澄ましながら、追っ手が自分についていることを確認する。
 しかし、ほんの数分程走ったところで、メリーは再び飛行車両によって照らされた。
 今度は光から逃げる小さな路地はない。
 これ以上の逃走は無駄だと悟り、仕方なく足を止める。
 周囲を見渡せばそこはどこかの広い空間。
 中央広場といったところなのだろうか。
 気付けば、いつの間にか暗視ゴーグルをつけた十数人の組織の兵隊達に取り囲まれていた。
 全員が鉛弾を吐き出さんその銃口を彼女に向けている。
「これは…ほんとにやばいな…」
 逃げ出すことも出来ないどころか、応戦すらままならない。
 第一、場所が悪すぎる。
 銃弾から身を隠す場所すらもない。
 文字通り蜂の巣にされてしまうだろう。
 諦めるわけにはいかない。
 だが、この状況を脱することは120%不可能だろう。
 せめて、彼女さえ逃げ切ってくれれば…
 最後に願うはリムの無事。
 メリーは死を覚悟し、その瞳を閉じた。
 そして、最後を括る言葉。
「ここにあの子はいないわよ。20中隊副長のメリー=アトレイト中尉です。少女の人生を壊したあなた達を、私は絶対に許さないっ!!」
 誇りにも満ちた、その力強い声…
 彼女の言葉に、取り囲む者達が動揺に揺れた。
 囮作戦は成功といってもいいものだろうか。
 あとはせめても、少女に声が届けば未練はないとしよう…
 引金に指を掛ける音が聞こえる。
 常人より聞こえ過ぎる自分の聴覚を少しだけ恨む。
 やがて轟く銃声。
(さよなら…)
 全てを諦めたその瞬間…彼女の耳に何かが聞こえた。
「伏せていろ」
 その何かとは、彼女の聞き慣れた声…
 それを理解するよりも早く、彼女の身体は地面に押し付けられていた。
 間近で金属の弾ける音が聞こえる。
 僅かにして長い時間。
 そして、音が鳴り止み、静かになったところで彼女はゆっくりと瞳を開け、首を上げた。
「……隊長…?」
 闇に溶け込む、ボディと同じ黒紫色の装甲具…
 右手に巨大な何かを盾にするように構え、肩にはうっすらと青白く光る発光体。
 そして、圧倒的な存在感。
 20番隊隊長バルバス…
 彼女にとって、最も頼もしい人物の姿がそこにあった。
「情けない。救う者が諦めてどうする!」
「う、ごめんなさい」
 昂然と佇むバルバスに的を衝かれ、メリーは反省してみせる。
 バルバスはそちらを振り向くことなく、右手の巨大な武器を構えた。
 中央を境に、直と曲で構成されたそれは、全長にして2mはあろう。
「貴様達のその鉛弾…人を殺めるには十分だろうが、機械の身体を撃ち抜くには威力が不足している」
 曲を描く片方が、蒼いフォトンの光を帯びる。
 やがてフォトンは、獣の牙のような形へと変形した。
「ヴァルキリー・ファング…」
 その声と同時に、フォトンと実刃の両方を持つバルバスの武器=ヴァルキリーが、本来の姿を現した。
「20番隊長バルバスだ。悪魔の牙よ…ここで砕く」
 バルバスが地面と平行に跳んだ。
 その動きはゆったりとしていて、迅い。
 矛盾に頭を抱える組織の者達を、豪剣が一蹴した。
 その腕力から繰り出された一撃が、旋風を巻き起こし、数人の身体を宙へと跳ね上げる。
 組織の兵隊達は一瞬の出来事に唖然とするも、すぐさま意識を取り戻し、ライフルをバルバスへと向ける。
 だが、銃口の先に既に黒紫のアンドロイドの姿はなかった。
「遅い…」
 周囲に視線を這わす者達のその頭上から、強烈な質量が襲う。
 地面を容易く叩き割る程の剣撃が衝撃波を生み出し、その者達の意識を一瞬にして奪い去っていく。
 一騎当千の武神にとって、この程度の人数差はまるで問題にもならないようだ。
 隊長の戦闘力はいつも傍で見てきた自分が誰よりも理解しているはずだ。
 だが、今目の前の彼をみて、その圧倒的な強さに身震いしていた。
 そして、また別に新たな閃光。
 空中で待機していた飛行車両が、炎爆発により火に包まれた。
 一見して、ラフォイエというテクニック。
 しかし、船内でテクニックは制限されており、発動することはできない。
 それを唯一使用できる者をメリーは知っている。
「シュンカ中佐…」
「降伏せよ、デビルファング。我等との諍い事もこれまでじゃ」
 いつの間にか、バルバスの死角を埋めるような位置にマハジャ=シュンカの姿があった。
 そして、広場を囲むように現れた軍兵達…
「助かったのね…」
 英雄達の登場。
 メリーは安堵の息をつき、その場でへたり込んだ。
 その彼女を更に安心させるかのように、予備の街路灯達が光り始めた。

 第4地区での闘争は、光の回復と共に終幕した。


13


 眼前に聳える大きな門。
 背中には光の戻り始めた街がある。
 その眩い光に背を押され、少女は門を潜る。
 あの人は無事だろうか…
 いや、無事に決まっている。
 そんな問答を繰り返しながら、少女は新しい世界へと飛び出した。
 だが、少女の足は地面に触れることなく止まった。
 気がつけば、首を締め付ける何か…
 とてつもない圧力に、喋ることどころか、咳をすることすらできない。
 脳に送られる、酸素と血液を断たれ、今にも意識が飛びそうになる。
 その少女に語りかける、低く重々しい声。
「すまんな… お前の覚醒した能力を野放しにするのは、この船にとってあまりに危険すぎる」
 背後からの声に、少女はそちらに意識を向けた。
 すぐ後ろに人物の気配。
 だが、それは人と呼べるのであろうか…
 今まで感じたことのない圧迫感と恐怖感。
 組織のボスからも、これほどの威圧を感じたことはない。
 そして、少女が捉えた巨大な影…
 光によって足元に映し出された影は、尖った耳の人型。
 しかし、人にしてはあまりに大きすぎる。
 でも、もしこれが人であるならば、今自分の首を吊るしているものは腕なのであろうか…?
 だが、それ以上の思考は、喉の激痛により掻き消された。
 そして、首を締め付ける何かから解放される。
 少女は地面にそのまま崩れ落ちる。
 噎せ返る咳と血…
 少女の口から溜まったそれが吐き出される。
「手荒なことをしてすまんな。いや、それだけではない」
 先程と同じ、重々しい声の主へと顔を向けた。
 そこにいた人物は影で見た通りの巨大なニューマン。
 ニューマンと判別できるのは、尖った耳のせいだ。
 その表情は逆光によって影に隠れ、色を見せない。
 口元で燃える燈火は、煙草か何かなのだろうか…
「組織に身柄を明け渡したことも詫びねばならんな。苦しかっただろう。そして今の喜びもよくわかる」
 その大きな人物は、少女に向かって手を伸ばした。
「だが、今一度身柄をこちらに預けてはもらえんか?都合のいい話であることは重々承知している。しかし、今お前の存在を、その声を公に出されるわけにはいかん。事が終われば解放は約束する。もう暫し、辛抱してもらうわけにはいかんか?」
 意外に優しい声であった。
 だが、断れば殺されるだろうことを、直感的に読み取っていた。
 せっかくの自由の身を、またここで断たれてしまうというのだろうか。
 結局はここまでなのか…
 今止まったばかりの涙が、再び込み上げてくる。
 そして、少女の頭を過ぎる、彼女との約束。
 再会の約束…
 彼女はきっと、自分の帰りを待っていてくれる。
 ならば…
 生きよう。
 生きていれば必ずチャンスがある。
 その時を待とう。
 彼女が待っていてくれることを信じて。
 願って…
 少女の小さな手が、大きな手と重なった。
 全ては、彼女との約束を果たすために…

 見上げたスクリーンの空は、徐々に色付き始めていた…


14


 満天の星々と、生命の輝きを見せる惑星ラグオル…

 7:31…
 早朝。

 市街地では眩しい朝日の映像がようやく落ち着いた頃なのであろうか…
 しかしこの場所は、常にこの景色を変えない。
 展望室…
 メリーお気に入りのこの場所に、彼女とは別に2人の姿。
 背丈の大きな黒紫のアンドロイドと、着物のような軍服を纏う神秘的な女性。
 3人は共に、漆黒の空間へと視線を注いでいた。
 沈黙。
 それを破るまでに、いったいどれ程の時間が経ったのであろうか。
「協力に感謝する、バルバス…それにアトレイト中尉」
「あ、いえ」
「礼を言うのはこちらのほうだ。こいつが世話をかけたな」
 そういってバルバスはメリーの頭を無遠慮に掴んだ。
 軽く力を込めているのだろう。
 その痛みから逃げ出そうと、必死にもがく。
 その様子に、マハジャは小さく笑みを零した。
「では、お互い様ということじゃ」
「異議はない」
「ちょっと、それってヒドイじゃないですか!?」
「少しは反省しろ」
 更に力が込められる。
 あまりの痛さに、思わず悲鳴が漏れた。
「痛い痛い…頭へこむへこむ…!」
 一連のやり取りをマハジャは笑顔のまま返し、出口へと歩き出した。
「黒幕は見つかりそうか?」
 バルバスの問に足を止め、肩越しに振り返る。
「わからぬ… 如何せん主格達が亡くなっておるものだからの」
「アジトを襲った者の手掛かりも掴めんか…?」
「調査の結果次第じゃが…目星はついておるよ。…色々と厄介事にはなりそうじゃ」
「そうか…」
「しかし…組織自体は壊滅。気休め程度平和になるやむしれんな」
 そう言い残し、マハジャは展望室を後にした。
 残った2人がそれを見送る。
 そしてバルバスは手の力を緩めると、メリーへと視線を投げた。
「お前の使命は達成されたのか?」
「え?」
 静かに見詰めてくるバルバスと視線を合わし、そして漆黒の海へと向き直った。
「うん、たぶん…」
「たぶん…?」
「きっと、生きてると思う。約束したから…逃げ切ってるはずよ」
「そうか…」
 暫くの沈黙。
 そしてバルバスも出口へと向かって歩き出した。
 メリーも慌てて後を追う。
 それを大きな掌が制止した。
「メリー、今日お前は非番だ」
「え?何言ってるんですか?次の休みは随分先ですよ」
「休暇を取れ。昨晩は徹夜だったことだしな」
「大丈夫、やれます!」
「これは命令だ」
「……りょ、了解」
 厳しい口調での労い。
 メリーは心の中で感謝の言葉を繰り返す。
 バルバスが再び重々しく身体を動かす。
「隊長」
「なんだ?」
「どうして私があの地区にいるとわかったの?」
 1つ気になっていたことを口に出してみた。
 彼からの答えは沈黙…そして
「お前、その耳の火傷はどうした?」
「あっ、これは…」
「それをやったのは、昨晩第4地区の電力を断った者と同じ人物だろう?お前の救いたかった人物とは、その者か…?」
「…なんでもお見通しなんですね…?」
 そのまま何も答えず、バルバスも展望室の扉の外へと消えていった。
 敵わない。だからこそ、頼もしい。
 いや…きっと自分のことを一番に理解してくれているからなのだろう。
 彼の大きな掌は今でも包んでいてくれている。
 自然と溢れ出しそうになる涙を堪え、メリーは機械の背中に深々と頭を下げた。

 その彼女を、母なる大地の光が優しく撫でる。
 この景色を、あの子に見せてやれる日がくるだろうか…?
 そんなことを考えながら、彼女は微笑んでいた。
 そう遠くない、再会の日を夢見て…



第三話 完

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