Fantastic&Fairytale






『一週間後、総督府主催の祭典を行ないます。
パイオニア2市民の皆様に楽しんでいただきたいと思います』


「なんだこれ?」
 文面を前に、固まるサイ。
 それはまるで未知なるものと遭遇したかのように、青い瞳を大きく見開いている。
「つきましては、この件に関して、レッドサインで応援の要請が上がってきてますが」
 対して、対面に立つフィルが感慨なく告げた。
 このような訳もわからない文を前に、どうしてこれほど冷静なのか。
「まてまて。任務はともかく、祭典ってなんですか?」
「え? 1ヶ月くらい前に、総督府が祭典やるって報告書上げたじゃないですか。ちなみにこの広報文は3日前のものです」
 サイは不審な顔を返した。思考を巡らせる。
「知らねぇ…!  聞いてないぞ?  隠蔽したな、フィル!」
「しません! 確かに伝えたじゃないですか〜! 先輩が居眠りしてたんですよ、きっと」
「ガキじゃあるまいし、居眠りなんてするかよ!」
「じゃあどこかから電波でも受信してたんじゃないですか!?」
「う…それは、俺の名を呼ぶLadyの声がだな…」
 何故だが次の言葉を詰まらせた。否定したかったのだろうが、意味合い的には肯定のところで止まっている。
 フィルが、情けないと言わんばかりの大きなため息をつく。

 36番隊執務室。
 最小弱小部隊に与えられたその部屋は、それだけに適った粗末で窮屈な部屋だ。
 それにしては床から積み上げられた電子書類の量は、広さと不釣合いに多い。
 日々押し寄せる依頼の山が、そのまま書類の山となり、室内に蓄積されていった結果である。
 完全に電子化・機械化されたこの時代に、これはないだろうと顔を顰める。
 36番隊――隊長サイを含め、構成員僅か3人という異例の部隊に任される仕事と言えば、他隊の軍務から生じる雑用事ばかりであった。
 確かに、少人数の部隊の仕事となれば、雑用が妥当かもしれない。だが、次から次へと湧き出すその雑務は、既に3人で賄える許容量を遥かに超えており、彼等に休息を与えない。
 加えて、隊長という立場から生じる責の負荷に、サイは毎日頭を抱える日々を過ごしていた。

「…それで、今件の任務は鉱物採掘任務となります」
「あ?」
 サイは目を瞑り冷静にフィルの言葉の意味を深く思考する。
 それはすぐに纏まった。
「却下」
「え、ええっ?」
「鉱物ってなんだ? なんで俺たちが石拾いなんてしなきゃならねぇんだ。んなもんハンターズにクエスト依頼すりゃいいでしょうが…! だいたい、祭典とどう関係があるんだよ? つうか祭典ってなんだ…?」
「鉱物については私も存じません。でも先輩、この依頼、アウリス特尉官から先輩ご指名で届いてるようすが…」
「アウリス特尉?」
 アウリスと呼ばれた普段聞き慣れない人名に反応したサイは、その表情を見る見るうちに強張らせていった。
 天井を仰ぎ、記憶を探る。出てくる過去の回想にロクな思い出はない。
「尚更却下だ! お前とイオスだけでいってこい!」
「イオス君は休暇中ですし、私も明日からお休みです。それに指名ですよ〜。先輩モテモテじゃないですか」
「じゃかあしぃ! 休暇ってなんだ? 取り消し! 俺は認めた覚えはねぇ! 俺独りになっちゃうじゃないの! あ〜寂しい…」
「大人気ない! 何今更そんなこと言ってるんですか! ここにちゃんと先輩のサイン貰ってるんですから!」
 どこからか休暇届の書類を持ち出し、それをサイに突きつけて見せる。
 サイは覗き込む振りして取り上げると、それを口の中に放り込んだ。
 口をモゴモゴと動かしながら、勝ち誇ったような笑みをフィルに向ける。
 フィルのため息は更に深くなった。
 このように大人気ない…寧ろ幼稚と言える隊長がどこの隊にいようか。
 他隊の者には絶対に見せられない。只でさえ弱小と呼ばれる36番の隊長は、まさか頭も弱小だとは。これだけはなんとしても防がねばならない。
「なにやってんの…?」
 そして新しい声。
 フィルの築いた決心も何もかも、そこで秒殺された。
 気付けば入口に小柄な女性の姿。
 若葉色の髪を左右ふたつの三つ編みにし、前髪が目に掛からぬよう、バンダナをしている。大きな瞳が可愛らしい
「アトレイト副長殿、ご苦労様です…」
 なんともいえない哀傷の帯びた顔で、新しい声――メリーに何かを訴えかけるように敬礼する。
 メリーは戸惑った敬礼を返す。
「あ、の…。なんだか私、来ちゃまずかった? 出直しましょうか…?」
「問題にゃい。どうひた中尉? 何か用か?」
「問題大有りです! その口の中のものを出して!」
 フィルが未だ口をモゴモゴと動かすサイの制止に入る。
 自分はこうまで悩んでいるのに、当の本人は全くそれを解かっていないようだ。
「それだけはでひねぇ!」
 しかし、頑なに撥ねるサイ。
 ちょっとした組み合いになるかとも思ったが、フィルは冷静にも深呼吸をすると、最終兵器を取り出した。
「それ、コピーです。こっちが本物」
「おぅえっ…」
 サイは口から紙屑を吐き出すと、そのまま白くなり動かなくなった。
 フィルは事を成し遂げ、メリーへと非礼する。
「すみません、副長殿。どうか今の出来事は何もなかったものとお流しください…」
 頭を下げつつも、必死に訴えかける眼差し。
 思わず苦笑。
「う、うん、了解…。苦労してるのね、フィルちゃん…」
「大丈夫です。きっと…」
 フィルは言い残し、部屋の奥へと消えた。
 何だろう…悲痛か、哀愁か。
 物悲しい空気が室内を漂う。というか、非常に切ない気分に苛まれているのはメリーだけか。
 大した用事ではなかったが、タイミングが悪かったのだろう。
 とりあえず、目の前にいるヤギ隊長のことは伏せておこう。
 フィルちゃんがすごく可哀想だから。
 ひとしきり思考を巡らせ、ひとり納得すると、メリーはサイに笑顔を振りまいた。
「出直します」
 少しでも爽やかに。
「ちょいまち」
 動き出すメリーを、これまた何時しか動き出したサイが制止する。
「はい?」
 振り返ったメリーの瞳に飛び込んできたサイの表情は、如何にも何かを企んでいるような嫌らしいものだった。
 嫌な予感。
「メリー中尉。一緒に行こうか…?」
「へ?」
 なんだろう。どこへ連れていこうというのか。警戒を強める。
「ど、どうしたの、急に? どこに行くの?」
「急にも何も、近く祭典があるらしいじゃないの」
 意外や意外。予感したものとは掛け離れた言葉に、思わず疑った。
「祭典…? 嘘! まさか…誘ってくれるの?」
「やっぱりより楽しいものにしたいじゃあないの」
「え? それって…」
 驚嘆と羞恥か。頬を紅潮させる。
 何事にも面倒くさそうに頭を掻く、デリカシーに欠けた相手を祭典に誘いにきておいて、その相手から逆に誘われる形になるとは。
 喜びに浮き立つ。
「協力してもらえるか?」
「うん、了解。行く行く」
 ここでどうして気付かなかったのだろう、サイの「協力」という言葉に…
 後悔は知るのは次の日だ。




「これはどういうこと…?」
「うちの連中はみんな我侭なもんでね。中尉の協力感謝してるよ」
「何よこれ! 私、こんなことだなんて聞いてない!」
「バルバスの許可は貰ってる。ぼやくな。不謹慎だぞ」
 サイと並歩するメリーは、納得いかないと言わんばかりに声を上げた。

 セントラルドーム地下に広がる洞窟地帯。
 赤茶けた温水の湧き立つ熱地帯を抜け、反して穏やかな湿地帯を歩く軍服姿の集団。
 ラグオル到着当初は危険なアルタードビーストたちの姿で溢れかえっていたこの場所も、ハンターズの活躍あって、今ではその数も幾分少なくなっている。
 とはいえ、安全という水準にはまだ程遠く、軍部の彼等も厳重な装備をしているのは、もしもに備えてのことだ。
 サイは軍服の上から赤いジャケットのような装甲具を着込み、左腰に刀。背腰にはセイバーを3本まで収納できるホルスターを下げている。肩には侍の肩甲冑の姿に模したマグ。
 メリーも同じく軍服の上から胸当てのような軽装甲具を着用し、腰にハンドガンを1丁。背中に折り畳んだ弓を担いでいる。左腕には大袈裟に大きな籠手。肩には子供が画に描いた太陽のような姿のマグを従えていた。
 互いに装備を確認し、そして視線を前へと向ける。
 数歩先を歩く女性の姿。
 規格外の青色のブラウスに、ロングスカート。
 その上に白衣を羽織っている。防具といった類ではなく、単純に服なのだろう。
 軽やかにかつ穏やかに歩を進める仕草からは、淑やかな印象を受ける。
 海を思わせる青色の髪は肩まで伸びており、それをまとめることなく自然に靡かせていた。
 女性に視線を向けたまま、メリーが小声で呟く。
「無防備っぽく見えるのは気のせい?」
「無防備じゃねぇよ。あのお方は知識っていう最強の武器を持ってるんだ」
 コソコソと話す2人に気付いたのか、先頭の女性は身体を180度回転させ、彼女等へと向き直った。
 背中美人ではない。美しく秀麗に整ったその顔からは、清涼感と言うべきか、清々しさが感じられる。
 眼鏡を越しに覗く瞳は、淡い青。
 服装、髪色、瞳。女性を取り巻く色は青で統一されているようだ。
 それだけに似合っており、更に印象を濃く植え付ける効力を持っているのかもしれない。

 女性の名はリーフ=アウリス。パイオニア2軍部第2ラボの室長にして、軍部自然環境保護部第30分隊――通称30番隊隊長の肩書を持つ才に富んだ人物である。
 特尉――軍尉官としては最高位の勲位。本来ならばサイ等の佐官よりも階級は格下であるが、また博士の称号も持っているために、彼等でさえも頭の上がらないところがある。

 アウリスはゆったりと笑顔を送ると、どこか緊張した面持ちを送る2人に声を投げた。
「お疲れになりました?」
 ゆっくりとした口調から、おっとりした性格…いわゆる、マイペースであるだろうと予想がつく。
 メリーはそんな彼女に慌てて返事。
「いえ、なんでもありません。大丈夫です」
「そう、それはよかった。お疲れになりましたら、何時でも言ってくださいね」
「御高配感謝します」
「いいえ。サイ隊長も大丈夫でしょうか?」
「あ、俺? …あぁ、大丈夫です。俺に休憩は必要ないですよ」
 サイの返答にふっくらと微笑するアウリス。
 その笑顔には、同性さえも惹き付ける魔力を帯びていた。
 メリーは何を思ったか高潮した頬を隠すように頭を下げ、再び女性が歩き出すのを確認した後、隣のサイを肘突く。
「ちょっと、改めてみるとすっごく綺麗な方。あれで博士なの? お幾つなのかな?」
「2ラボにはいったことねぇか?」
「2ラボって生物学とか専門でしょ? エネミーなんかを捕獲してサンプルを届けるようなことはあったけど、実際に中を覗いたことはないわ」
「そうかい。ま、不在時が多いがな」
「そうなの?」
「ぼちぼちと2ラボには顔出すことがあるが、少なくとも、俺がラボ内で博士の姿を見たのは数える程しかねぇ」
 そういうとサイは、不振に辺りを見渡した。
 アウリス博士に、その付き人は5人。うちの2人は助手だろう、共に白衣姿だ。
 残りの3人は軍の制式装備に身を包んでいる。目つきや雰囲気から、その他どこにでもいる雑兵といった感じでもない。おそらくは30隊の精鋭だろう。洞窟エネミー代表のシャーク系のエネミー程度ならば、彼等だけで退けてくれそうだ。
 以前に博士自身、隊長の名は伊達でもなかろう。
 現軍部隊において隊長を始め隊の重役に就くものは、その個人階級だけで任命されるようなことはなく、伴った実力を所有する者が殆どだ。
 とも考えれば、戦力的には十分なのであろう。
 その洞窟での任務。ならば、戦力が確保されておりながら、何故36番隊の応援が必要だったのか。
「アウリス博士。今件についての詳細を願えませんかね?」
 サイが彼女の背中に声を掛けた。
 アウリスは歩を止め、再び2人に振り返る。
 その顔はやはり笑顔だ。
「あら、私ったら。失礼しました。まだ、具体的なお話はしていませんでしたね」
「ここ洞窟に鉱物を発掘しにきた、ってことくらいしか…」
 アウリスはサイにゆっくりと頷いた。
「はい、その通りです」
 満面の笑みを返し、彼女は再び歩を進めようと正面を向く。
「ちょっと待ったーー!」
「はい?」
「いや、なんて言うか、今回の任務の趣旨の方を詳しく説明して頂きたいんだが…」
「あらあらすみません。そこまではまだお話してませんでしたね」
 アウリスの笑顔は変わらない。
「数日後に行われる祭典に関係があるらしいが、それと鉱物がどう結びつくのか素人にはさっぱり…」
「そんな任務だったんだ…」
 メリーが隣でぽつりと呟く。
 応援や協力と言っても、同行者に詳件を伝えていないこれはこれで問題である。
 メリーもアウリスに視線を注ぐ。
 アウリスはその視線をやはり笑顔で受け止める。
「サイ隊長は、花火をご存知でしょうか?」
 どこか嘆いている様子のサイに、アウリスがやんわりと質問した。
「花火? それこそ祭典とかの時、空にうち上がるあれですか?」
「あら、そうです。さすがですわ」
(なんだか馬鹿にされてるような気がするのは俺だけか…)
「では、花火の原料は何で作られているか、ご存知でしょうか?」
「フォトンでしょ?」
「その通りです」
 この人は何が言いたいのだろうと、不審に首を捻る。
 他所に、アウリスはどこか酔い浸るように10m程の高さの岩肌天井へと瞳を向けていた。
「しかしサイ隊長、フォトンが汎用される以前は、花火の原料は火薬であったことはご存知でしょうか?」
「んあ?」
「花火というものは、職人と呼ばれる人々が手間と時間を費やしまして製造されていたものなのです。芸術ですわ」
 花火など、興味の対象にさえならなかったサイにとって、それは初耳だった。
 メリーに知ってたか? と聞くも、彼女も首を横に振る。
「それで、その花火が何だっていうんですか?」
「はい、今回の祭典で、火薬花火を使用することになりました」
 へぇ、とメリーが思わず感嘆の声を漏らす。
 それを待ってから、アウリスは次に続ける。
「多種多様の模様と色彩で、観客を楽しませてくれる花火ではありますが、しかし火薬花火の構造は非常に原始的です。紙で包んだ火薬と解釈して頂ければいいと思います。では、どうやって炎に着色を施すのか…ご存知でしょうか?」
「知らないな。それと鉱石に関係が?」
「そうですね。炎を色付けには、特定の物質及び原子を燃焼させることで炎の色が変色する現象――炎色反応という化学現象を使用します」
「なるほどね…。じゃあつまりは、今から探しにいく鉱石に、炎の色を変える素材が含まれてるってことですかね?」
 サイの推考に、アウリスはぱぁっと顔を輝かせた。
「素晴らしい推理ですわ、サイ隊長。まったくのその通りです。鉱石の名前はセレスタイト=\―天青石とも呼ばれる、サイ隊長の瞳のように青く美しい鉱石です」
「へぇ、そりゃいい…」
 サイの隣で関心するように耳を傾けていたメリーだったが、今の会話を聞き、自分でも気付かない程度に頬を強張らせた。
 そんな些細な変化に勿論気付くことはなく、サイとアウリスは会話を続ける。
「テレスマイトか…いい名だ」
「セレスタイトです」
「ゴホン…しかし、鉱物採掘とか科学のことはアウリス博士や30番隊の専門でしょ。どうして俺たち36番隊の加勢が?」
「私は36番隊じゃないんですけどね」
「以前の任務において、サイ隊長には大変お世話になりましたので…」
 メリーの言葉に反応することはなく、アウリスがサイに微笑みかけた。
 もはやメリーの姿は彼女の眼下にはないようだ。
「森での植物採取。忘れもしませんわ。あれ程事が早く片付いたのは初めてでしたもの」
「は、はぁ…」
 更に続け、表情を輝かせるアウリス。
 対し、サイのそれはあからさまに青く沈んでいる。
「それで今回も是非隊長のお力添えをと、お呼びさせて頂きましたの。頼りにしていますわ」
 やっぱりそんなことかと、サイは大袈裟に肩を落とした。
 それにさえも気付かないのか、アウリスは相変わらずだ。
 この人にジェスチャーは通じないらしい。
 仕方なく、弱々しい敬礼を返すサイ。
 採取任務と聞いて嫌な予感はしていた。寧ろこうなることは確信にも近いところまで迫っていた。
「早く片付いた」…そんな事実、サイの脳裏にはどこにも存在していない。
 思い出しても見よう、以前…
 雑務の台風の中、5時間という制限付きの応援要請に了承し、時間を空け30番隊と地表に降下した時のこと。
 任務内容は言わばそれ程でもなく、全て順調に事が運び何事もなく遂行されたが、実際に基地へ戻れたのは、地表に降りてから13時間後となった。
 工数に実際の2倍以上…。どこが早いのか…? 8時間という超過時間は、彼の今後の生活を追い込むには十分過ぎる時間だった。
 任務自体に落ち度はまるでなかった。そう、任務自体には。
 問題はただひとつ。原因はただひとつ。
 心底項垂れるサイの脇腹を、メリーが肘で突く。
「…ねぇ、ちょっと、なんだか読めないんだけど…」
 サイの様子に心配しているのか。
 しかし、声音からは少々の苛立っているような感じも受ける。
「俺は博士だけは苦手だ」
「そぉ? なんとか言いながら、けっこう親しげよね」
 皮肉染みた言葉が飛んでくるが、どうしてメリーの機嫌が悪いのか、サイには理解できなかった。
 というか、今はどうでもよかった。
 一刻も早く任務を終わらせること。でないと、今回も何時船に戻れるか解からない…
「博士の才能は、その頭脳と天然ボケだけじゃねぇ…」
「どういうことよ?」
 サイは左腕に装着した携帯の端末から、現座標を確認する。
 現在地を示す赤い光点が決まったペースで点滅している。
「メリー…早く基地に戻りたいなら、端末から目ぇ離さないことだ…」
「はぁ?」
「悪いようにはしない。セレフハイト発掘、協力してくれ」
「セレスタイトでしょ」
 それでもサイの瞳は珍しくも大真面目だ。
 メリーは、首を傾げる他なかった。




 市街地。
 騒雑な街並み。通り。
 その様子が何時もより映えて見えるのは、決して気のせいではないだろう。
 人々の笑い声が聞こえてくる。
 歓喜ともなる雰囲気に身を任せ、流れに沿って独り歩くバルバスがいた。

 何故だか理由は判らないが、今日は気分が良い。あくまで動作の調子がいいということではあるが。それだけでもないような気もする。
 清々しくも、そして香りにでも誘われたのか…。
 空いた時間を使っては、トレーニングやデータの解析に励んではいたが、こうした久々の街も悪くはない。
 そんな気分であった。
 人々の笑顔のせいだろうか。
 アンドロイドである彼には、決して存在しない自己の感情。
 しかし、こうした時において沸き起こる衝動。
 不信を感じながらも、そんな時は何時もその衝動に身を預けた。
 少なくとも、それで後悔をしたことはない。
 そもそも、アンドロイドに後悔という感情の回路は存在していないだろう…
 人々との接触。経験。
 それらから、自分に生まれた確かな自我。
 否、それは只の経験からくる演算のプログラムに過ぎないのかもしれない。
 それでも、それはそれで良かった。
 少しでも、人々と同じ気持ちに浸れるのであれば、嬉しいこと。
 こうした思考を感情という。
 哲学に耽る。それも今では昔のこと。
 現在は考えないようにしている。
 考えても意味はない。
 答えはないが、それも必要ない。
 人々がいて、自分の存在が有ればいい。それだけでいい。
 納得のできる答えがある。自分の存在理由はそこにある。

 何時もと違う街並みは、彼に安堵を与えた。
 この輝き、この絢爛。
 それも数日後の祭典のせいか。
 活気と生気に満ちた人々の姿は、機械の瞳に暖かく反射する。
「らしくないな、俺も…」
 言葉の意味とは裏腹に、もしも人間であったならば、きっと微笑んでいるのだろうな等と考えてみる。
 それこそ、らしくないのだが。
 ゆっくりと、それも軽やかに… 彼の足は、何時にもなく優しかった。

「バルバス…?」
 人混みの中、名前を呼ぶ声。
 振り向けば、そこには良く知った女性がいた。
「主が街に降りてこようとは。いったい何事じゃ?」
 驚いているのがわかる。
 彼女もまた、自分のことを良く知っている。
 だからこそ、事件ではないかと、そう感じ取ったのだろう。
「構えるな。何もない」
 変哲もなく淡々と言葉を返す。
 それを聞いて、女性の表情は更に驚きの色に染まった。
「主が意味なく街を歩く姿など、珍妙で仕方がないよ。どういった風の吹き回しじゃ?」
「赴くままだ…」
 バルバスは女性の姿をカメラに捉えた。
 マハジャ=シュンカ。パイオニア2軍部治安部の事実上総執り。
 女性にしては身長の高い部類に入るだろう。漆黒に長く伸びた髪は、前頭部から後に向かって流し、それを旋毛の辺りで後ろ髪と一緒に束ねていた。
 左目の下には奇妙な紋様をペインティングしており、独特な印象を受ける。
 大きく開いた袖口にロングスカート。上着はブレザーのように前身で上下に交差している。着物と呼ばれる衣装をモチーフにしているらしい。
 艶美とはこのような女性のことを言うのだろう。
 襟章には自分と同じ勲位が輝いていた。
 マハジャは、美しく笑う。
「赴くままか。主からそのような言葉を聞けるとは思わなんだ。趣向かの」
「事実だ。お前は任務か?」
「うむ。巡回警備じゃな。祭典とは、前日からかくも賑やかなものじゃ。折角の機会、市民も心待ちであろうよ」
 周囲へと視線を送る。
 足早に駆ける人々は、彼等を無関心に通り過ぎていく。
 マハジャはその人々にも優しい眼差しを向けていた。
「忙しいな」
「ここの者達には敵わぬよ」
「…市民を気遣うか…。変わったものだ」
「……かもしれぬ。それは主も同じであろう?」
 バルバスは光を落とし、思考する。
 彼女は目を、そんなバルバスへと向ける。
「主は従順に戦闘部隊長へ、我は治安部へと、其々に別路を歩むこととなった。主とは諍い合った仲ではあったが、寂しいと思うこともあったよ」
「…お前は好適だった」
「我は主にとっての訓練対象でしかなかったか…?」
「全てにおいてだ」
 マハジャはふっと微笑むと、再び街へと視線を戻した。
「治安部という立場からなのかの、何時の間かこの光景が心地好く浸透してくる。不思議なものじゃ」
「それが人というものなのだろう」
「そうなのじゃがな…」
 そういって少し俯く。
「どうした?」
 マハジャはひとつ息を吐き、顔を上げる。
「なんということでもない。我自身の事なのじゃが。…実は転属の話があっての」
「転属? 以前からの転属願いが受理されたか」
「昨日、9番隊隊長へ推選の話が届いた…」
「ほぅ…。9番隊…前ラジアルド隊長殿の部隊か…。祈願の上位戦闘部隊への転属、名誉なことだな」
 彼なりの祝福の言葉を捧げる。
 嘗て肩を並べた仲間の昇格ともなれ、自分に取ってもその事実は決して気分の悪くなるようなことではない。
 だが彼女の表情は、バルバスの知っていたどの表情とも違っていた。
 芯の強さを、心の強さをそのままを示していた彼女の瞳に、今は一寸ばかりの澱みがある。
 自分の放った言葉を振り返った。配慮の及ばぬ事を言ってしまっただろうか。
 マハジャが口を開く。
「もう忘れておったよ、転属願いのことなど…。しかし機縁か皮肉か…これで、パイオニア1に搭乗していた者達の死を、事実上認めてしまうことになるの」
 どこか哀しい色をしていた。
「…越えていかねばならない真実もあろう」
「じゃが、酷なことじゃな。7年間の想いを忍び、乗船しておる家族もある」
「覆らない事実に縋るわけにはいかぬだろう。どの様な困難なりとも、それを克服していくのが人間の強さではないのか」
 これまでに人と過ごしてきた経緯から、自分にとっての人の認識にあたり最も核をなす部分。運命を逆らい、絶望から蘇ることのできる力。
 決まった道を歩き、無機質な機械によって全てを数値化された自分には決して存在しない力。
 人は不思議な力を所持している。
 そう認識している。
「主が言うほど、美しい生き物でもないよ」
 だが、マハジャはそう否定して笑った。
 思考回路のどこかにミスがあったのだろうか。
 これまでの認識は、全て間違いだったのか。
 だとすれば…
「理解できないものだ…」
 未熟だ。
 数十年時を過ごしてきた。
 それにも関わらず、自分は人の何も理解できていない。
 穴だらけの情報。決定的に不足しているものがある。
 思考を巡らせるバルバスに、女性は告げる。
「主には解かっていることじゃろう」
「何がだ?」
「主はもう、主の思うその人と何も変わらんよ」
「俺を人と呼ぶのか?」
 アンドロイドの自分を人と同じだと言う。
 何か共通していることがあるだろうか…?
 彼女の言葉のその意味を、バルバスには理解できない。

 彼には答えず、街へと優しい視線を向けるマハジャ。
 とりあえず今は、彼女と同じように街の人々に視線を向けてみようか…
 バルバスはそこで思考をやめることにした。
 今日は気分が良いから…



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