唄が聞こえる。
 小さな小さな子守唄が。

 女性の歌声。
 美しく、優しく、それでいてどこか淋しげに。

 しかし、聴く者は全てを魅了する。魔力を帯びた歌声。
 旋律はどこまでも流れていく。
 唄はどこまでも付きまとう。
 振り払っても永遠に。

 だが…
 今の自分に、唄を聴く資格はないのだ。
 耳を塞いでもなお、脳裏に響くその唄から…
 逃げる術はないのか。


Order&Oppose




「ボス、お疲れ様です」
 地表から戻るなりハルスは、ミイニの笑顔とタオルで出迎えられた。
「すまんな」
 ハルスはタオルを受け取ると、顔をひと拭いする。
 べったりとこびりついた汗と泥とエネミーの返り血が、白いタオルをいいようのない色に染めた。

 ガル・ダ・バル島。
 昨今その存在が明らかとなった、セントラルドームとは別に建造された研究ラボ。
 世界の権威『オスト博士』が携わっており、その島の東西に門のように構えた塔と、海底に繋がるプラントが存在する中央塔とが構えている。
 <赤輪(レッドリング)>や<豪刀>を沈めた"D"の影響も島全体に及んでおり、今や戦地は、ハンターズの活躍により開拓の進んだセントラルドーム周辺から、ガル・ダ・バル島へと移された。
 それは軍部も例外ではなく、パイオニア2軍部が誇る最大の戦闘大隊である6番隊にも荷は降りかかっていた。

「負傷者の収容急げ。その他各人は休養を取れ。武器の手入れは怠るなよ。全ては自己責任だ。6番隊にいる限り、戦禍に怯えることは許さん!」
 怒鳴り声にも近いガラ声を隊員に浴びせ、ハルスはアーマーを脱ぎ捨てるや否や、葉巻に灯をつけ足早に歩き始める。
「副長から状況は伺っております。また大規模な戦闘になったそうで」
「エネミーが新種だからな、まだ馴れないやつらがいるだけだ。エネミー自体は戦力にも値せん」
 毅然と言い放ち、のそりと歩を進めるハルスの後ろをミイニも追った。
 ミイニが駆け足なのは、巨大な体躯を持つハルスの歩幅が異常に広いからだ。
「ある程度の分析は終えました。しかし島に生息するエネミーの戦闘レベルは侮れたものではありません」
「侮りはない。だからこそ雑魚に変わらん」
 相変わらずの返答を返す。
 反論が止まってしまったのは、きっとミイニが呆れたような笑みを洩らしているのだろうと想像できた。
 ミイニはそんなハルスの横に並び、手持ちのエネミー資料を差し出した。
 ハルスは見向きもせずそれを受け取り、礼の言葉を添える。
 ついでに胸ポケットから新しい葉巻とライターを取り出し、咥えて灯をつけた。
「ボス、禁煙のはずですが?」
「この一服はやめられんものでな」
「ボスは隊の代表なのですから、人目のつく所ではせめてもう少し、相応の態度というものを心がけてください」
「だからこその権限だ」
「喫煙の権限はありません」
「手厳しいな…」
 参ったと煙混じりのため息をつくハルスだったが、それでも葉巻は消さない。
 ハルスを真似するように、ミイニも半ば諦めのため息をつく。
「ボス――」
「そういえば、事件の方はどうなっている?」
 誤魔化すように口に出した事件とは、昨日起こった高官襲撃事件のことだ。
 数名の政府高官が何者かに襲われ、センター収容後、またとして殺害された。
 事態収拾に躍起する軍治安部ではあったが、犯人の手掛かりは已然として掴めず、解決には困難を極めている。
 難解の故、軍部でも有数の電子能力を持つミイニを、当事件調査に当たる治安隊総括部11番隊の応援にあたっていた。
「いえ、未だ調査中です。シュンカ隊長殿も相当に参っている様子で…」
「納まるまでには、まだ時間を要するか。一刻も早く解決してもらいたいものだが…」
 基地内でも、最近の治安部の動きは実に慌しい。
 戦闘部と治安部とでは接点がないが、それは、駆け回る治安隊の者の様子から伺えた。
「すみません、ボス。まさか、件がここまで長引くとは…。早急に解決させ、隊に完全な形で合流できるよう善処します」
 ミイニが非礼とばかり小さく頭を下げる。
「…そうだな。何事もなく終わればいいがな…」
 葉巻を少しだけ噛み、眉間に皺を寄せる。
 それは慎重に考えをまとめるためだ。
 船内テロや、停電と、昨今至って内乱が多い。今件では殺害事件だ。市民達の不安も相当なものだろう。
 そして英雄達の死。市民と問わず開拓側の志気も大きく削がれる結果となっている。
 度重なる奇禍。
 いや、ハルスは知っている。これら全てが、奇禍と呼べるようなものではないことを。
「ボス? どうされました?」
 思考を中断させたのはミイニの言葉だった。
 険しい表情を不審に思ったのだろう。
「なんでもない」
 否定を返すハルスだったが、ミイニはどこか不安そうに見詰めてくる。
「サイ少佐には会いにいったのか?」
 ハルスは逸らすように話題を切り替えた。
「え? あ、はい、2日程前に。あれだけの傷を負いながらも、お見舞いにいった時はいつもの気さくな隊長でした。再生手術も無事に終え、今はリハビリ中かと思います。やはりボスも少佐の安否が気に掛かりますか?」
 船内の犯人、及び地表のエネミーと交戦により、36番隊サイは入院中だ。
 元々サイという人物は、掴みどころのない人物として軍部内でも認知されているようだが、今回の過剰な程に無謀で不可解な行動は、協議会や討議会での糾弾必至の事項だろう。その理由が事件の中核に迫っての行動だとすれば尚のことだ。
 その事実と事態を把握する数少ない人物として、また独立隊としての行動力、個人的な借り等と何クセつけ、マハジャやバルバスが揉み消しにしているのが現状だ。
 真偽に疑いの目が掛けられているのは別の話として、世間的には重傷を抱えたまま、再び船内の犯人の捜索に繰り出したとされている。
「そうだな。部内では賛否分かれているが、俺は頼りにしている」
 ハルスのサイを認める発言に、ミイニの表情も少しだけ和らいだ。
「珍しいですね、そうもハッキリ。私もサイ少佐には好感が持てます。一時はどうなるかと思いましたが、無事でなによりです」
 何気ない発言だったのだろう。
 だが逃さなかった。「一時はどうなるかと思いました」という言葉を。
 サイとの接触を含むその意味に、ハルスは目を細めた。
 それを隠すように煙を吐き出し続ける。
「しかし、らしくもないものだ。あいつが事を大きくするとはな。上層は叩き口が見つかって御満悦だろう」
「サイ少佐は上層からそのように見られているのですか?」
「あのような性格だ。堅物が気に入らんのも無理もない」
 前例ないスピード昇格。新部隊の発足。名だけに才に富んでいるとでも言うべきか。
 戦闘力、行動力、推理力、洞察力、感受力、全てにおいて秀でた部分がある。
 だからこそのトラブルメーカー。
 一番の問題はその行動力にある。
「無事ならばそれでいい。お前もあいつを見習うようなことだけはするなよ」
「はい? 確かに、サイ少佐から学ぶべきことは多いですが…」
「だからだ。足を掬うぞ」
 不思議な顔をするミイニに、ハルスは11番隊の帰隊を命ずる。
 敬礼を返すミイニだったが、やはり腑に落ちないといった表情は変わらなかった。
「ああいったお調子者は、痛い目に遭わないとわからんだろうからな」
 歩を止め背中越しに見詰めてくるミイニに、ハルスはそれ以上振り返らなかった。
 ミイニはおそらく、事件の真相を知っているのだろう。
「決して侮れん連中に咬み付かれつつあるこの状況を、把握しているのか…」
 肺から押し出されるように苦しく吐かれた言葉は、煙と共に宙に消えた。
 ハルスが振り返らなかったその訳は、顔を見せたくなったためだろう。




 様々な意味不明な機器が取り揃えられたメンテナンスルームの扉が元気良く開き、メリーともう一人、室内に飛び込んでくる。
「隊長、調子はどうですか!?」
 声の主、メリーはさも元気な娘といった印象を受ける。
 隊長だけではないでしょうと、付人は静粛を促した。
 隣の人物はナックス=バーサルン大尉。20番隊参謀。
 白髪が半分以上を占める黒髪は、布のヘッドバンドで無理矢理抑えつけており、どこか笑みを含んだ表情からは軽薄さが感じられる。そんなあごには無精髭をはやしており、中年のオーラそのものを漂う。いや、寧ろ通り越して老いている。しかも、言うこと為すことも時代錯誤なことばかり。死語も当たり前のように使ってくる。しかし実年齢は32歳と、これで30代前半というなんとも詐欺臭い人物だ。
 なれども、軍の古株たちからは随分と有名人で、これで戦場では多大な戦果を上げてきたらしい。そのわりに、現在の軍位も腑に落ちないし、やっぱり胡散臭い人物だった。
 メリーよりも階級は上だが、当人はこの立場で落ち着いているようでもある。

 メリーは一瞬だけ反省するような仕草を見せたが、すぐさま視野にはないバルバスの姿を探し、室内の徘徊をはじめた。
 ナックスは肩を竦めながらも、その後に続く。
 室内には人が丸々納まるサイズのカプセルが幾つか。その中には、軍部のアンドロイド達がその眼光を落とし、眠りについていた。
 中には見知った顔もある。

 アンドロイド専用メンテナンスルーム。
 20番隊主要。アトレイト副長、バーサルン参謀とアンドロイドでもない2人がここを訪ねたのは、隊長バルバスが、今ここにいるからだ。
 高官襲撃事件と同時期に起こった地表ハンターズ怪死体事件。
 その調査にあたったバルバスは、元凶である新エネミーとの交戦により重傷を負わされていた。
 修繕・換装は即座に行えるものの、特殊な機構を持つバルバスの現場復帰までには、まだ時間がかかる。

「アンドロイドも眠るんですかい。夢はみるんですかねぇ」
 あらゆる点で人の限界を超えたアンドロイド。
 その原動力と繋がるものがメンテナンスなのだろう。
 人で言う食事と睡眠だろうか。
 この時世にありながら、機械のことはさっぱりのナックスだが、メンテナンスの重要性を自己解釈したりしてみる。
「便利なのか、難儀なのか…」
 小さく苦笑しながらも、当の目的も忘れ、普段来ることのないルーム内を、物珍しそうにくまなく巡回する。
「ジィ、隊長いた?」
「んや? 隊長がどこにいるか知ってんじゃないんですかい?」
 目の前に飛び出してきたメリーに、ナックスは首を傾げた。
「それがいないのよ」
「大将もう動けるんでしょう?」
「でもリハビリ段階よ」
「トレーニングとかに行ったりしてんじゃないでしょうなぁ…」
 ナックスは周囲をくまなく見渡した。
 機器でごった返しの中、あるものが目に留まる。
「ありゃあヴァルキリーじゃねぇですかい?」
 機器の隙間から見える、直と曲を持つ巨大な剣。
 蒼いフォトンを自在に操りその時々によって形状を変形させる、バルバスの唯一にして最強の武器だ。
「トレーニングじゃないみたいね」
 メリーはそれに歩みよると、もう一度周囲に視線を巡らせた。
「珍しいな。隊長がヴァルキリーを置きっぱなしにするなんて」
「トイレにでもいったんですかねぇ」
 しょうもないボケを完全に無視し、機器に無造作に立て掛けられたヴァルキリーを眺めた。
 並んでみるとその剣は、メリーどころかナックスの身長よりも遥かに高い。
 バルバスと出合ってから彼此10年になるだろうか。しかし、こうしてヴァルキリーを観察するのは始めてのような気がする。
 メリー自身がバルバスに拾われた時から、この剣は彼の背中に担がれていた。
 いったいいつから使っているものなのかはわからない。
 少なくとも10年以上前から幾千幾万もの敵を切り裂いているはずだ。
 だが、ヴァルキリーには刃毀れのひとつも見当たらなかった。
「不思議な剣よね…」
 不思議――そんな言葉が自然と出てくる。
 最強の名も、一騎当千の称号も、全てこの剣と共にあるのだろう。
 バルバスの全てを知る剣。それは、主人と同じく威風を放っているように思える。
「これだけ厳つくて、デリケートな剣はないもんでしょうなぁ。大将以外の呼びかけには応えないんですからねぇ」
「そうなの?」
 今更当然だが、ヴァルキリーをバルバス以外の者が振るうところは見たことがない。
 呼応によって形状を変え、正しく千変万化を持って的確に得物を仕留めていくその姿は、あの黒紫のアンドロイド以外に考えられない。
 しかし、改めて言われてみれば、色々と疑問も湧いてくる。
 見た目に機能に特殊なヴァルキリーをどうしてバルバスは扱えるのか。
 以前に、ヴァルキリーとはどこで開発された武器なのだろう。
 いや、それはバルバス自身にも言えることだ。
 バルバスとヴァルキリーは現存しない未知の機構を備えている。
 出生は不明。技術も不明。能力、そして可能性も未知数。そして、ごく一部にしか知らされていない機密の事項だ。
 メンテナンスを全て自身で行い、チューニングですら単独で仕上げる。
 これらの結果が、あの強さの秘密なのだろうか。
 では、あの機構はどこで開発されたものなのか。バルバスはいったい何者なのだろう…。
「ねぇ、ジィ。隊長の入隊した時のこと知ってる?」
「大将の? えゃあ、もちろん。泣く子も黙ると怖れられた、<ジャガーノート戦獅子>バルバス。傭兵専門のアンドロイドハンターズの入隊でしたからねぇ。軍部内でも少しばかり騒がれたもんですぜ」
「その異名は、傭兵時代からのものだったんだ」
「ありゃあ…嬢ちゃんならご存知だとも思ってたんですけどなぁ」
 よくよく考えてみれば、拾われる前のバルバスのことを何も知らない。
 メリーにとってバルバスとは部隊長としてではなく、今では親とも近い想いを寄せている存在である。
 それでいて、自分はバルバスの一切を知らないんだ。
 聞いたことはあったが、彼は答えてくれなかった。だが、それはそれで、気にしたこともなかった。普段は無口でもあるし。
 言い換えれば、信用や信頼だったのだろうか。
 だがここで真新しく浮上する、ちょっとした育て親への疑問。
「ヴァルキリーとは入隊前から一緒だったの?」
「大将の迫力のせいで、ヴァルキリーは目立たなかったですがいねぇ」
「そっか」
 今更になって過去を知りたがるのは変だろうか。
 しかし今回の件、自己修復できる範囲の損傷だったからよかったものの、限度を過ぎれば特殊な機構故、誰にも修理出来なくなる。
 つまり、バルバスが"死ぬ"可能性もあったことになる。
 バルバスがやられることはないと思い込んでいた。メリーの描くバルバスは、誰よりも気高く誰よりも強いのだから。
 今まで一度として、バルバスが負けることなど考えたこともなかった。
「…よく考えたら、サイに一度負けてるんだっけ、隊長…」
「んあ? あのわけのわからない大会のことですかぃ? ありゃあ、大将の完全な油断ですなぁ。手加減のことに意識をとらわれすぎてたんですよ。嬢ちゃんの王子様もあれ程できるたぁ予想もできなかったですし」
 油断のせいではない。それはメリーが最も理解していることだ。
 連絡を受けて2人の喧嘩の仲裁に行く時も、いつも決着はついていないのだから。
 不安が溢れてくるのがわかる。
「どうしちゃったんですかい? 嬢ちゃん、元気ありやせんね…」
「隊長、今回、死んじゃうとこだったかもしれないんだね…」
 ナックスの目が一瞬細くなる。だがすぐに今までの軽薄そうな表情へと戻った。
「心配ですかぃ。大将が負けることなんてありゃしませんよ」
「…うん」
「しかし、嬢ちゃんなら知ってるんだと思ってやしたよ、大将のこと。だったら、聞いてみやしょうや、一度」
「そだね…」
 メリーは無理に笑顔を作って見せた。
「でも不在ってことですし、出直しですかなぁこりゃ」
 隣でナックスが仕方ないといった表情で髭を触る。
 しかしメリーの視線はずっとヴァルキリーに注がれたままだ。
「隊長、何か話してくれるかな?」
「あん?」
「私って、隊長にとってはどんな存在なんだろうね。何も聞かされたことないし、聞いても答えてくれなかったし…」
「………」
「…ヴァルキリーは、何か知ってる?」
 メリーはそういってヴァルキリーに触れた…




 目の前には赤いアンドロイドがいて、じっとこちらを見つめている。
『おはよう、クラフト君。私の名前はエリーゼ。状況は認識できているかしら? あなたの教育係を任されたの。これからよろしく』

 小さな男の子が、こちらを見上げている。
『ママー』
『こら、ここにきちゃいけないって言ったでしょ』
『え…で、でも…』
『坊や、いい子だから、お家で待ってなさい』

 赤いアンドロイドが、再びこちらを見ていた。
『マスター、少し休憩されてはどうだ?このような生活をされていては、身体に影響を及ぼす可能性があるぞ?』

 アンドロイドから手渡されたのは、一通の青い封筒。
『これは? ……家出の手紙ってこと?』
『ランディ様は嘆いていた』
『大丈夫大丈夫。気が済んだら戻ってくるわ。これももう少しで完成しそうだし、あの子の笑顔を見るのが楽しみね』
『…それまでは私が看る。ランディ様と約束した』

 目の前の黒く大きなモニターに、白衣を着た女性が写っている。その後ろには、やはり赤いアンドロイドがいた。
『クラフト君! いよいよルーンの完成が見えてきたわ! あなたのお陰ね』
『ランディ様もきっと喜ぶ』
『……あの子には寂しい思いをさせたようね……あなたには本当に助けられてばかり。でもお陰で、素晴らしい完成度よ』

 遠くには黒煙。近くには瓦礫と、役に立たぬ廃墟が広がっていた。
『……何が起こったの? 国が燃えてる……研究は……』
『…マスター』
『――クラフト君! 良かった。無事だったのね。……そうだ! あの子は――』
『約束は果たせなかった……』
『そんな!? ランディ! 目を開けてちょうだい!』
『………』
『あぁ…私はなんてことを…』
『この国は堕ちた。剣はもう折れた…。この技術も、ここで忘れるべきなのか…』

 目の前のベッド上には、灰色のアンドロイドがある。
『確かに、依頼人の要求はあれだけど、私はそれ以上の物を産みだしたいの。ただ強いだけ、望まれた性能を引き出せるだけでは、より高性能の新しい物が出たときこの子はバイバイよね。自分の子どもにそんな運命は課せるわけないでしょ』
『戦力としてAX−Rの完成は間に合わなければならない。汝の進退にも関わることだ、教授』
『ランディ。あなたは、あなただけは死なないでちょうだい……私の可愛い坊や……もう二度と、私の前から居なくならないで……』

 厳つい服を着込む男の背。どこか、冷たさと禍々しさがある。
『どういうこと? この子はそんな目的のために産まれたわけではないはずでしょ』
『何か勘違いされているようだ…。貴公はルーンとAX−Rの完成に務めればいい』
『愚かよ。あなたのやろうとしていることは、人類の未来をも――』
『全ての事象は、些細なロジックに過ぎない。我々にとっての意をなす理など存在しえないのだよ、教授。貴公ならば判ろう』

 赤のアンドロイドがいる。どことなく、すまなそうな様子で語りかける。そして――
『私にその力はない。私はランディ様を守りぬけなかった。アンドロイドでありながら、あってはならぬ嘘をついたのだ。私の剣も、あの日に砕け散った』
『一度でも失ったものが、その時の状態のまま、再び手元に戻ってくることはない。何故だマスター! その研究に何がある? あなたはそれで、ランディ様を失ったわけではなかったのか!!』

 炎と煙が迫っている。その中で、立ち尽くしこちらを見下ろすのは、先ほど見た灰色のアンドロイド。
『坊や、人を学びなさい。それを終えるまでは死んではいけません。途中で死んだらお母さんは絶対許しませんよ……』

『私はとんでもないものを生み出してしまった……クラフト君、お願いよクラフト君…! もう君しかいないの。あれを止めて!』
『私に再び剣を握れというのか…?』
『私が君の剣となるわ。私を信じて』

『私の可愛い坊や……どうかあの子を止めて欲しい……母親らしいことは何一つしてやれなかったから、せめて――』

『せめて――あなたの手で、救ってあげて……』




「――ちゃん! 嬢ちゃん! しっかり!」
 ナックスの声に、メリーは朧に目を開けた。
「嬢ちゃん、気付いたかい」
「あれ…私、いったい…」
 メリーはナックスに抱きかかえられていた。
 見渡せばそこは先程までのメンテナンスルームだ。
 定かでない意識に頭を抱えながら、メリーはナックスの支えなくして起き上がる。
 そして記憶を辿る。
「そうだ! あの女の人は?!」
「女の人ぉ?」
 突飛に声を上げるメリーに、ナックスは不審を返した。
「大丈夫ですかぃ? 嬢ちゃん。その女性は美人だったですかぃ?」
 違う質問をしながらも、気を確かにとナックスが肩を揺する。
 覚醒していない頭を激しく揺さぶられ、メリーを眩暈が襲った。
「ちょっとジィ、タンマ…」
「メンマがなんですかぃ?」
「揺するのやめてって言ってるのよ!!」
 メリーはナックスの腕を振り解いて、勢い良く立ち上がった。
「おぉ、元気になりましたかい、嬢ちゃん。心配してましたぜ」
「お陰さまで、眩暈がするわ」
「貧血ですなぁ。もっと食べるもの食べにゃあ。胸もそれ以上おっきくなりやせんぜ? お尻のほうも、ほらこう、プリプリッと…」
「何の話をしてるのよ! セクハラジジィ!!」
 低めのヒールブーツで容赦なく顔面にキツイ一発をお見舞いすると、ナックスはそこら辺の機器に後頭部をぶつけ動かなくなった。
 気にする様子もなく、メリーは再度周囲を見渡す。
 やはり先程の何の変哲もないメンテナンスルームだ。
 では今のは――
 今見た光景がはっきりと焼きついている。

 白衣の女性と赤いアンドロイド。そして機械の存在した国。
 廃墟で赤いアンドロイドに抱きかかえられる、子供。
 泣き叫ぶ女性。
 大きな悲しみを背負ったまま、研究に没頭する様。
 灰色のアンドロイド。
 厳つい服を着た人物達。
 漆黒を纏った軍人。
 血に染まりながら、息子の名を呼ぶ女性。
 消え逝く時の笑顔…
 …ランディ…

 あの光景は何だったのだろう。
 何を意味しているのか。
 悲劇――なのだろう。
 女性が悲しんでいた。そして女性は息子のことを愛していた。
(今のは、エリーゼって人の記憶…?)
 メリーはヴァルキリーを見詰めた。
 剣はやはり威風堂々と構えたままだ。
「今の光景は…あなたが?」
 メリーはふっと、ヴァルキリーへと問いかけた。
「いいえ、デジャビューです」
「うるさい!」
 見事なまでに放った後蹴りで再びナックスを黙らせると、メリーはもう一度ヴァルキリーの刀身に触れた。
 しかし、返ってきたのは金属の冷たい感触だけ。
 幻だったのだろうか。
 それでも訴えたい何かがあったのか。
 真っ直ぐで、それでいて歪んだ慈母を。
 両親のいないメリーには、その愛の形はわからない。
 悲しいこと…それ以上の感慨はない。
 それはニューマンにとってのある種の宿命なのだろうか。
 だが、女性は愛していたのだ。息子を。
 そして、自ら作り上げたアンドロイドを。
 息子の名を与え、そして愛情を与えた。
 歪み偏った、己の欺瞞に愛情を乗せた。
 それほどの想い…
「ヴァルキリー……?」
 小さく漏れたのは、無意識のうちだった。
「戦乙女…古代神話に登場する神でしたかなぁ…」
「あんまりしつこいと怒るよ?」
「本当ですぜ。ヴァルキリーってのは、そういう意味の言葉ですよ」
 あいたたたと頭を抱えながら起き上がるナックスに、メリーは怪訝な目を向ける。
 視線に肩を竦めながらも、ナックスはメリーの隣まで歩み寄ると、同じようにヴァルキリーの刀身に手を触れた。
「見えませんなぁ、な〜んにも」
 当然ともいうように鼻でため息をつくと、ナックスは浪々と部屋の出入り口に歩き出した。
「帰りましょうや、嬢ちゃん」
「ちょっと待って」
「わかんないこともないですがね。他者の過去の詮索ってのは、綺麗なことじゃないですぜ?」
「違うわ」
 少しだけ感情的な声に、ナックスが振り返る。
 メリーは胸の前で拳を作り、そして何かを決心したような面持ちで立っていた。
「ヴァルキリーは、私にはじめて語りかけてくれた」
「そんな都合のいい解釈をされましてもなぁ…。やめといたほうがいいですぜ、絶対に…」
「きっと違う。ヴァルキリーは、私達に何かを伝えたかったんだと思う…」
 女性の悲しい結末が、メリーの心を穿っている。
 最後の笑みは頭から離れない。
 2度の子供との別れを。
 どれ程の愛情を捧げば、あのような顔ができるのか。
 投げ掛けてくれたヴァルキリーの行く末を、見守らなければいけない。
 勝手な解釈なのはわかっているが、メリーにはそう思えて仕方がなかった。
『救ってあげて…』
 あの言葉は嘘ではないはずだから。



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