Order&Oppose
5
「雄おぉぉぉぉおおおおおお!!!!」
咆哮と共に大砲の如く拳の一撃一撃を巨猿に浴びせかける。
肉は容易くひしゃげ、骨を粉砕する音が聞こえる。
巨猿の必死の抵抗も大砲の前には虚しく、無意味。空を切り、当たる前に潰される。
それはあまりに一方的。残虐的。そして非現実的だ。
それでも尚加速を続ける拳に、ついに巨猿は満足な呼吸すら許されないまま地に伏っした。
「くだらん! 次だ!」
咥えていた葉巻を吐き捨て、コンピュータに次の指示を下す。
正確な機械声音がそれに答え、今絶命したはずの巨猿が再びその前に現れた。
だが、新たなそれも今と同様、瞬く間に肉塊となる。
「次ぃ!」
「機嫌は最悪…ってところかしら?」
突然の後からの声に振り返る。
入室を制限されているはずの密室の入口に、すらっとした長身の人影。
ウェーブがかった髪の色はブロンド。端整な顔立ちに瀟洒な眼鏡。
細いというよりは華奢な身体には正規の軍服を着込み、しかし出るところはしっかり出ている。
藤色のルージュが大人の女性の姿を、妖しく、そして智的に演出している。
「そこまで気がまわるなら、失せろ」
新しい葉巻を咥え男は冷たく言葉を放つと、そのまま首を大きく横に傾けた。
直後、風をも裂帛させた質量が顔面の脇を通り抜ける。
巨木でさえ薙ぎ倒してしまいそうな、巨猿の豪腕だ。
難なくかわした相手に追撃を仕掛けるため、巨猿が腕を引き戻す。だが、男はその腕を片手で掴み、己の肩を支点にへし曲げた。
汚い悲鳴。
腕は関節とは逆方向に曲がり、折られた骨が肉を貫通する。
剥き出しになった骨を逆の手で掴むと、そのまま一本背負いの体勢に入る。
重量300 kgはあろう巨猿は軽々と持ち上がり、そして無機質な床に叩きつけられた。
その衝撃はあまりに凄まじく、悲鳴さえも振動に掻き消される。
更に仰向けになった巨猿の手足は、瞬く間踏み潰された。
茶色のブーツが、濁った色へと変色する。
そして、抵抗も出来ぬまま四肢を潰され動けなくなった巨猿の顔面に、開いた拳…五指を突き刺した。
指は顔面の皮膚を突き破り頭蓋にまで達し、そして腕力のみで巨猿の状態を引き起こす。
もう悲鳴は上がらない。上げられないか、意識を失っているのか、それとも既に絶命しているのか。
それらも無意味に、巨猿の顔面はその握力によって炸裂した。
腕を組み扉に背を預けた状態で一部始終を静観していた女性だったが、あまりの信じ難い光景に、焦点の定まりがない。
「シャフト顔負けね。ギブルスを素手で撃破できるのは、船内でもあなたくらいなものかしら」
「勇敢な者達を、あまり舐めないほうがいい」
「それはハンターズのこと?」
憤然と言い放つ男の筋肉が収縮して一回り小さくなる。
その足元で、肉塊となった巨猿はキューブ状になって消えていった。
VRルームに圧倒的に佇む男。
男は迷彩柄のズボンを履き、上はタンクトップ一枚姿。
巨猿とも違わぬ巨体は200 cmを遥かに超えており、その重量も計り知れない。
突き出た腕は、人の腕とは思えないほど太く、電柱等とかわらないのではなかろうか。
口には葉巻。野生を思わせる顔には、眉から頬に渡っての3本の大きな傷で抉られており、しかしそれすらもどこか似合っていた。
人とは掛け離れた身体を持ちながら、そしてもう一点、人との違いを決定的にする箇所。
銃弾を模したピアスで飾った、長く尖った耳。太古の幻想上生物"エルフ"を彷彿される、特徴的な耳を持つ種族。
それこそが、男が"ヒューマン"ではなく"ニューマン"であることを示していた。
男は運動後の一服を満喫するように大きく吸い込み、そして煙を吐きながら女性と正面から向き合った。
女性も既に平静を取り戻している。
「失せろと言ったはずだが」
「そう邪険にしないで。仲間でしょ?」
「冗談でも口にしないことだな。次はその首捻じ切るぞ」
男の反応に微笑する。
「それ程ご不満だったかしら。実験の結果が」
「実験だと? あれを再び作り出すことに意味があったとは思えんな」
「テストも大事でしょう」
「それで、出来上がった粗悪品の始末もせず、地表に放つのか」
「私はなかなかの出来だったと認識しているけれど」
「同意しかねるな。本来の目的とは掛け離れているように思えるが?」
「疑り深いのね。信用できない?」
「今がどのような状況にあるのか解かっているのか?」
「問題ない…こう言えば満足してくれるかしら」
「ふざけるなよ。ルーンさえあれば、何もかもうまく事が運ぶとでも思っているのか?」
「あなたもそう思って近づいてきたのでしょう? <巨人>…」
「…過ぎた力は秩序を乱す」
「ではあなたの目的は反抗なのかしら?」
女性は悪戯に笑う。
男は何も返さず女性の脇を通り過ぎ、部屋の外へと向かった。
それは完全に女性から興味を失ったかのように。
「今日はあなたに話しがあってきたの」
男の足は止まらない。扉を潜り、部屋の外へと出て行く。
「ゲオジルク=レイトリー」
女性は不意に、ある人物の名前を口にした。
男の足がそれで止まる。
「興味を惹いてもらえたかしら。現在、中央センターに在院中よ」
「何をした」
振り返る男のその声質には、今までとは打って変わって確かな怒りの感情が含まれていた。
「私は何も。クエスト中に事故にあったと」
「貴様…大概にしておけよ」
「勘違いしているようね」
対して女性は抑揚なく続ける。
「諜報、秘密工作を専門とした暗部隊――10番隊の元隊員。前ウィーバー隊長の部下。13年程前に軍部を離れ、現在はハンターズをやっていたみたいね」
女性は壁から背を離すと、短くコンピュータに指示を与え、胸元の短銃へと手を掛けた。
その女性の目の前に、先程幾度となく肉塊とされた巨猿が現れた。
巨猿に向けて一発、弾く。
「悲惨な事故だったらしく、今は植物状態だそうよ」
男は黙って部屋の中へ戻ってくる。
それを横目に捉え薄い笑みを浮かべると、女性は巨猿との戦闘を開始した。
迫り来る怪腕の豪打を、最小限の動きで避けていく。
「気になる?」
「続けろ」
女性の含んだ笑みが更に満ちるのを判っていて、その悪戯な挑発にあえて男は怒気を返した。
「過去に、坑道でシノワレッドと交戦したみたい」
「元々戦闘向きの人物ではない。あれらと単独でやり合えるとは思えんな」
「そのような地に、基本的にフォーマンセル4人1組のハンターズが単独で潜ろうと思って?」
「全滅か…。知れたものだな、ハンターズのレベルも」
会話の最中、巨猿は無遠慮に女性を攻め立てる。
全てかわされているものの、その猛攻は彼女に攻める暇を与えない。
そんな防戦一方の中、女性は尚も余裕を含んだまま、話を続ける。
「シノワ部隊は完膚無きままにやられていたわ」
「どういうことだ?」
「ゲオジルク=レイトリーには、ユキ=レイトリーという養子がいたらしいの」
「…知らんな」
「……ちょっと調べてみると、興味深い結果が返ってきた。その養子の本名はユキ=カシマ…」
「ほぅ。カシマ家の者か? ミヤマの系列を組む、同じく武芸に秀でた一族の…。しかし、大戦時に一派は全滅したと聞いていたが?」
「さすがに博識ね。あの状況下で、生き延びた少女をゲオジルク=レイトリーが引き取ったんでしょう」
「あの激戦地を潜り抜けたか。運のいい娘だな」
男の目の前には、依然として劣勢状態の女性がある。
しかし、それを助けようとはしない。
「運がいい…そう思う?」
女性は攻撃を避けながら、男に含んだ問いを投げた。
それを聞いて、僅かに男の眉が攣り上がる。
「……能力者か…?」
「一応ハンターズに捜索依頼を出しているのだけど、なかなか捕まってくれないみたい、その<野良猫(>は」
男は突然として、巨猿をも沈める怪腕を壁に叩きつけた。
室内は軋み、強固に作られているはずの壁には大きな窪みができる。
女性は一瞬そちらに目をやるも、すぐに目の前の巨猿へと視線を戻し回避を続ける。
「もう一度聞く。貴様、ゲオには本当に何もしていないのだろうな?!」
「私達が、その子を見逃す理由があって?」
「過去と言ったな。ハンターズで捕まらないとなると、今はカーズの手の内か…。ではその<野良猫(>を俺に奪取してこいと…?」
「戦友の養子を助けてあげては? 元暗部の参謀さん。リム=メーディと同じように…」
付け足された言葉に、男の眼光は鋭くなった。
「何の話だ…? 第4地区が暗黒に包まれたあの日、その娘は死んだ。疑っているのか?」
「それは、失礼。仲間は信用しないといけないわね」
「その言葉、二度として口にするなと言ったはずだ、<策謀(>のイリア…」
男は再び壁を殴りつけ、部屋を後にする。
不適な笑みを浮かべる女性。僅かな光は眼鏡に反射し、その表情までははっきりとしない。
その女性の目の前には、いつの間にか壁際まで追い詰められた巨猿がいた。
防戦で一杯だったはずが、いったい何が起こったのか。
怯むことなく打撃を繰り出す巨猿だが、それが女性に当たることはない。
「全ての事象は果実と同じ。実るまでの過程にどのような事情があろうとも…私達の知ったことではないわ。美味しく生った実さえ刈り取ってしまえばいいのだから」
女性は巨猿の顔面に銃口を突きつけた。
数回の銃声。その後には、何も聞こえなくなった。
6
室内は静寂が包み、大人しそうでかつ知的な雰囲気むんむんの人物達が、資料を手に取りホロキーを叩いている。
男女合わせて10人もいないだろうが、半数以上が眼鏡付きだ。
各々何を調べているのかなどまるでわからないが、真剣であることはありありとわかる。邪魔立ては決して出来ない。するな。そんな殺気のようなものも発せられていた。
ナックスは口を塞ぎ、忍び足で室内をゴキブリのように這い回る。
「何やってるの?」
背後からの大きな声にも微動だにせず、そっと振り返った。
「何ってぇ、忍者じゃないですかい。拙者は忍者」
「それはゴキブリ。馬鹿やってないで、手伝う気がないんだったら、1人で出来るから大丈夫よ」
資料のディスクを両手に抱えたメリーは、半ば呆れ混じりのため息を吐いた。
「いやいや、どうも空気が重いじゃねぇですかぃ。忍者にもなりまさぁ。しかし、視線が突き刺さるってのは本当の話ですな」
声量を気にせず遠慮なく会話する2人に、室内の者達は決まった鋭い視線を突きつけている。
愛想笑いで頭を下げながら、2人は隅の空いている席へと逃げるように腰掛けた。
「泣く子も黙るバルバス隊長さえ黙らせる嬢ちゃんに睨みを効かせるたぁ、強者揃いですなぁ、ここは」
「ジィってふるごけ古鱗って言われるほど前からいるのに、ここには来たことないって感じね」
「そりゃあ資料なんてのは、全部ここに納まってますからねぇ」
そういって自分の頭を指差すナックスだったが、メリーの注意は完全に目の前の端末に注がれていた。
惨めな思いをしながらも、一緒になって端末を覗き込む。
画面に映し出されていたのは、機械の用語ばかりが記された、機械辞典のようなものだった。
「これは、何を調べてるんで?」
「ジィ、ルーンって知ってる?」
いきなりの意図の掴めない質問に、ナックスは首を傾げた。
「白衣の女性…ヴァルキリーが見せてくれた人は、どこかの科学者だった。その人はすごくできる人だったみたい」
「ふむ…それがルーン?ってのとどう関係が」
「それの開発に携わってたようだった。どういったものかとか、完成したのかしてないのかはわかんないけど…」
「ルーン…さて、聞いたことありやせんね。あぁ、ゲームとかならありそうな名前ですかぃねぇ。ちなみに系統は?」
「アンドロイドが隣にいたし、生物学とかじゃないと思うんだけど…」
ナックスが唸る。
科学や技術のことに関して詳しいわけでもないが、人並み以上の知識は持っている。
そう自負しているナックスだったが、メリーの口から出てきた言葉に見当もつかなかった。
「だめ。ヒットなし」
検索結果に悪態をつきながら、再度別条件で絞込みを掛けていく。
それでも、効果は現れない。
もう一度推理を立てる。
「女性の隣にいた赤いアンドロイド…見た目からの判断だけど、今の規格フレームと殆ど同じだった」
「それは比較的最近…って言ってんですかぃ?」
ホロキーを叩きながら無言で頷くメリーの瞳には、画面の映像が反射している。
「たぶんヴァルキリーに関係してると思うんだ…それに…」
メリーの記憶の中に、しこりとなって引っかかる言葉がある。
『どういうこと? この子はそんな目的のために産まれたわけではないはずでしょ』
灰色のアンドロイドを指差してそう言っていた。
開発には、彼女の指向とは違った何かがあったのだろう。
メリーはもう一度記憶を一から洗い直した。
何か他に手掛かりとなるようなものはなかったろうか。
「あのですねぃ、嬢ちゃん…」
ほとんど無意識に近い返事が返る。
ナックスは露骨にため息をついた。
「手伝いますからさぁ、以前に嬢ちゃんが見えたことを詳しく教えてやくれませんかぃ?」
「クラフト…」
「は?」
「そういう言葉が出てきたの」
ナックスの発言も完全に無視。いや、最初から耳を通り抜けていたのだろう。
メリーは記憶にあった言葉のひとつを端末に打ち込んだ。
「そういう名前の赤いアンドロイドがいた。…あと、それに灰色の――」
「あらあら、アトレイト中尉ではありませんか?」
メリー達の会話に、横から落ち着いた声が割り込んだ。
声のした方を向くと、そこにはふっくらと笑みを投げる女性の姿。
その髪、その瞳と、同じように全身青を基調とした服装で整え、その上から白衣を羽織り、やはり場に相応しい眼鏡。
そしてそれら全ては、彼女の美しさを引き立たせる装飾に他ならない。
「アウリス博士!? ご苦労様です!」
飛び上がって敬礼する相手は、リーフ=アウリス博士。軍部2ラボの室長兼30番隊長を務める真善美を備えた女性だ。
見惚れていたナックスもヒールで足を踏まれる痛みに飛び上がり、そして博士に対しすぐさま敬礼してみせた。
「いいえ。ここは資料室。静粛を心がけないといけませんから」
博士はそれを手で制止し着席を促すと、自分もメリーの対面の席へと腰をつけた。
緊張を露わにする2人に、いつもながらの笑みを送る。
「奇遇ですわ、アトレイト中尉。このようなところでお会いできるとは」
「調べ事があったもので」
「あら、それも奇遇です。私も丁度調べたいものがありまして」
資料室に来て、調べもの以外に何をすることがあるのか。
相変わらずのよくわからない天然ボケに、激しく突っ込みたい衝動を抑えつつ、メリーは苦笑を返した。
考えてみれば、これで博士なのだから救われない。
加えて隣で鼻の下を伸ばしたままのナックスに、情けないため息をつき、爪先を再度踏みつけた。こちらも救われない。
再び博士に視線を戻せば、さも何かを話し出しそうな感じだ。
この人に付き合っていたのではこちらの作業が進まないだろうと、場所替えのためメリーは席を立った。
「あらあら、もうアトレイト中尉の用件は終わりまして?」
「はい。粗方片付いたので、隊に戻ろうと思います。申し訳ありませんが、失礼致します」
「それは残念です。折角久しぶりにお会いできましたのに」
メリーは一礼すると、やはり笑顔で手を振る博士と顔を合わせることなく、ナックスを引き摺って歩いていく。
「嬢ちゃん、嬢ちゃん! 上官に失礼なんじゃないですかい?」
「大丈夫、博士とは色んな意味で親しいのよ」
「はぁ? そいつは初耳で…」
驚きと疑いの二面のナックスをも無視。
あの人は苦手だ。それ以上にメリーの最大の敵でもある。
仲良くするつもりはない。
サイの話でも出てきたら、それこそ困るから。
などと考えながらも、いつの間にか既にサイに対する思考は働いていた。
「って、サイって今入院中じゃない! 博士まさか…サイを襲ったりしてないでしょうね!」
「何の話なんですかぃ!?」
突飛な思考にメリーは突然踵を返し、博士へと突進する。
戻ってきたメリーに、博士の笑顔は更に輝いた。
「お帰りなさい」
「博士! サ、サ、サィ……」
それまで剣幕だったメリーだが、いざ口に出そうとしたところで、噛み噛みになる。
ナックスは半ば呆れた息を吐き、メリーの口を抑え代わりに口を開いた。
「博士殿。失礼ですがぃ、ルーンという言葉を聞いたことありませんかぃ?」
口を抑えられたままのメリーが、何を言ってるの?とナックスに視線を浴びせる。
まぁまぁと、同じく視線で宥めるナックス。
一瞬の思考の後に、意図したことを理解したメリーは、サイのことはとりあえず頭から外し、ナックスの手を払いのけた。
「博士は様々な技術に精通してますよね? ルーンと呼ばれる機器や技術に聞き覚えはありませんか?」
「ルーン…ですか?」
年齢不詳なれども、その外見からは若いのは確実。まだまだ30には届いてないであろう。
しかし、軍部ラボ室長を任される程の天才だ。その知識もまた本物のはず。
何か知っているかもしれない。
「…ルーンと申されますと…まさか、あのルーン?」
「知ってるんですか?!」
期待に叶った反応に、メリーは飛びつくように机に身を乗り出した。
あわわと慌てた様子でナックスが飛び出しすぎるメリーを抑えつける。
そんな様子にすら楽しそうと言いたいような笑みを溢し、そして今度はメリーの顔を見詰めて表情を輝かせた。
「感動しましたわ。アトレイト中尉にも、科学についての深い教養がありましてね」
博士は両手拳を作って身体をくねらせながら喜んでいる。…のだろう。
しかし残念ながら、メリーに科学の教養は無い。仕官学校出というわけでもないので、どちらかと言えば疎い。
だが、願ってもない好機だ。小さなため息をつきながらも、メリーはルーンを問い詰める。
浮かれていた博士であったが、少しだけ落ち着きを取り戻し、そして三度目の瞬きで真剣な面持ちとなった。
今までとは明らかに違う雰囲気に、メリーが、そしてナックスも異様と偉容に息を呑む。
「ルーン――光元素転換技術。その研究の存在さえ公示されなかった、未知の超技術のことですわ」
なんだかありがちな話…などと不謹慎な言葉を洩らすのはメリーだ。
コラコラと促そうとするナックスよりも早く、博士はメリーに指を突き立てた。
「馬鹿にできたものではありませんわ、中尉。科学技術というには余りに超越し、禁忌にすら達した代物でありました」
博士はおっとり瞼を閉じると、浸る様に口話はじめた。
「ルーンは我々研究者へ対する挑戦状でありましたの。地上に住む下賎な我々を、遥か高みから見下すかの如く、それ程に到達した技術でした」
「…どういう意味ですか?」
「フォトンです…。ルーンの研究者達はフォトンの開発に成功したのです」
「フォトンの開発? 解明されてもないフォトンを、ですか?」
これまでのあらゆるエネルギーに代わって普及したフォトン。
今となっては、フォトンの無しの生活など、空気が無いとも等しい程だ。
それ程までに当たり前となったエネルギーだが、しかし未だ完璧な解明はなく、未知のエネルギーとして隠された危険性を示唆される部分も持ち合わせている。
研究者といわず、誰もが追求する万能エネルギーの解明は、人類の未来の発展と繁栄に繋がるだろう。
メリーの問いに、満足気に頷く博士。
「今や失われた技術。真偽の程は定かでありませんけれど、ルーンの存在は、世界の均衡を崩しましたの。それ程までの影響力があったのです」
「未知の超技術とか、見下してたとか、真偽の不定とか、理解に苦しみます…。研究者達が技術を独占していたと?」
「…それはもしや、アインクリークスですかぃ?」
「さすがですわ、バーサルン大尉」
遠まわしの言い分に素直な疑問をあげるメリー。
それに答えたのは、今まで黙っていたナックスだ。
意外と振り向いたメリー視線の先にはいつも軽薄な面はなく、博士と同じ種の表情で上塗りされていた。
メリーの困惑や疑問は更に深くなる。
「アインクリークス?」
過去に聞いたことのあるような気もする。
記憶は薄れ薄れだが、たしか…
「"天空の剣"と呼ばれていた国家…だったでしょうか?」
博士は天井を仰ぐ。
「浮遊機械国家"アインクリークス"。フォトン工学を犠牲に自らの機械技術のみを突き詰めた結果、他国を逸した先進機械科学技術を独得し、重鎮し続けた国家です。また国旗に剣を掲げた武勇の国でもありました」
「いやぁ、嬢ちゃんはまだ幼少の頃だったはずですがぃ、よく知ってますな。それでもあの国の墜落まだ記憶に新しいですがぃ…」
博士、ナックスの表情に少しだけ陰が落ちる。
メリーは白い世界での記憶を思い出していた。
『この国は堕ちた。剣はもう折れた…』
幻想の中で、クラフトと呼ばれるアンドロイドが言っていた。
堕ちた国と、折れた剣と。
メリーも神妙な面持ちとなる。
「浮遊国家に墜落…その国は宇宙圏にあったのですか?」
「小型のコロニーと思って頂いてよろしいですわ」
「国が宙に浮いてたってことですか?!」
「勿論、引力から逃れた位置でもありますけれど…それ程の科学技術を有していたということです」
「独立国家にして超技術を独修…故に、世界政府の弾圧対象となったわけですなぁ。では、ルーンという技術の存在もあって、あのように悲惨な事態に…?」
「過言ではありませんわ。いえ、恐らくはルーンが目的だったのかもしれませんね。それ程までに強大な影響力は持っていたはずです」
「じゃあ、世界政府がその国を…?」
「事実的にはそうなりますかぁ…」
政府が一国家を滅ぼした。
そのような大事件がありながら、メリーは一度も耳にしたこともなかった。
「知らないのも当然ですな。アインクリークスの滅亡は、独立が故、政治的にも何の損害にもならなかったですかぃね」
「ルーンの存在…とても公にできる状況ではありませんでした。パイオニア計画の進行中ということもあり、政府はあれだけ惨事の事実をも軽視しました…」
「そんな…大勢の人達が、亡くなったのでは?」
「幾つの人命が失われたのか…私は存じておりませんわ」
メリーは口元を手で覆った。
ルーンと呼ばれる技術の代償に、国家ひとつの人々の命が失われた。
人道を外れた行為である。誰が疑おうか。
それを世界の発展の為、甘んじた人々の独欲の為に、虐殺行為を許したとでもいうのか。
有り得ない。
そしてそれらの上に、今自分の立場があると。
湧き出す感情。
だが、そんなメリーの肩を叩き、ナックスは首を横に振った。
「今は考えちゃあいけませんぜ。情に流されやすいのは嬢ちゃんの悪癖だ」
「待ってよ! どういう意味? それじゃあそんなことが許されるって言うの?!」
「嬢ちゃんが何と言っても、もう過去のことだ」
「そんな言い方ってないでしょ! 大勢死んでるのよ!?」
「だから過去の詮索は綺麗じゃないって警告したじゃないですかぃ!」
室内に響き亘る声。
先程からの討論に迷惑そうに視線を浴びせる利用者達だったが、ナックスの声はそれらをも沈黙させる威力を持っていた。
博士でさえも、目を大きくしてナックスを見詰めている。
「誰にも言いたくない過去を抱えてることだってあるんですよ。他者が踏み込んじゃあいけない過去だってあるんですよ。失われたものを掘り返してもいいことが出てくるとは限らない。大将だって同じでしょうが。アンドロイドだからって、無遠慮に侵害していい権利はないはずでしょう…。勝手に掘り出していって、過去の事実にぶつかって、それでいて同情たぁ勝手じゃないですかぃ!」
罵倒されたメリーは俯いて黙り込んだ。
確かに言う通りだ。ヴァルキリーから見た幻想を辿って、バルバスの過去を掴めると思っていたのも事実なのだから。
口を出すことではないだろう。
自己の勝手な感情で、哀れんで憤って同情して…挙句その感情をぶつけて。
結局自分も勝手我侭な見解と言動。亡者は何を思うだろう。
「でも、そんなのおかしいよ。許せないじゃない。あの人は子供を二度も奪われて…」
それでも、メリーには耐えられない。
ヴァルキリーが見せた幻想は、どのような意味が込められていたのか。
母は最期に言った。
『救ってあげて』
過去の悲しみを、メリーに伝えて。
女性は今でも子供の生きていく様を望んでいるんだろう。
それを、託したかったのかもしれない。
では、今は何に動く。
「ごめん、ジィ。ちょっと乱した」
「乱したって言ってもですなぁ、嬢ちゃ――」
決心新たに顔を上げたメリーを見て、ナックスは途中で言葉を止めた。
いつもの任務を達成、生還しようとする目だ。
メリーとて副隊長。伊達名ではない。それはナックスも重々理解していることだ。
情動的になるところを慎み、目的を見据えた姿勢なのだろう。
小さなため息を吐いて、ナックスは一歩引き下がった。
「…ルーンとは、いったいどういった技術なのですか?」
メリーは核心に迫る思いで、ルーンという存在に手を伸ばす。
ヴァルキリーに見せられた光景で、女性はこれの研究をしていたのは間違いないのだ。
そして、悲劇にあったのも、おそらくルーンという技術が引鉄であろう。
「ルーン…どこまで本当なのか定かではありませんが…」
博士はそこまで言って、一旦息をついた。
肺から吐き出された空気はとてつもなく重い。
それのせいか、次に口を開くまでの時間がとても長く感じられた。
「それは、あらゆる物質をフォトンへと変換する技術だったと聞いております」
ルーン――全てのエネルギーであるフォトンを、人工的に作り出す技術。大気中に存在するフォトンを円滑にかつ能率的に制御を可能とする装置"フォトンジェネレータ"の概念を全く無視し、新手法によりフォトンの供給と需用を可能にした未知のテクノロジー。
それは、従来の装置によるフォトンエネルギーの転換ではなく、必要とするだけのエネルギーを生み出すことを可能とした。
フォトンの採取ではなく、云わば、生産と生成。
素粒子の製造を可能にしたのだ。
「解かり易く言えば、新元素です。元素体とも言い替えましょうか…」
だが、摂理ともいえよう、無から有を生み出すことは有り得ない。
博士曰く、起こり得る事象が全て科学で説明できるように、フォトンの生成もまた、トリックでもなにもない。
フォトンを生み出すだけの、エネルギーが、そして代価が伴われる。
「それが音波だとされています」
「音…ですか?」
「音とは物質の振動伝搬ことですわ。振動エネルギーと言っても過言ではありません。その波動は周波数、過渡、振幅によりありとあらゆる物質に多大な影響を与えます。時には今我々がこうして会話しているように、声と言う形で伝達できたり、また時には物質の分離、変形、破壊をも可能とします」
「では、音によるエネルギーでフォトンを生成させたと…?」
「いいえ、半分違いますわ」
博士は首を振る。
博士の話はかなりの科学域に達していた。解かり易く説明してくれているのであろうが、一般的な科学の教養しか身につけていないメリーには、ついていくのがやっとだ。
「音の振動によって、物質を分解。また同じくフォトンを同周波数に合わせ、共鳴させる…物質とフォトンの音による化合…。全く新しいフォトンの生成ですわ」
「融合? そんなことが可能なんですか…?」
「判りませんわ。だからこそ未知なのです。アインクリークスの滅亡した今、技術は闇へと葬られましたの」
博士は心底残念そうに肩を落とす。
メリーは暫く考え込み、湧き出た疑問を投げかけた。
「物質とフォトンとを化合させるってことは、つまりあらゆるものに、フォトンエネルギーを付加させることができるっていうことですか?」
「応用になりましょうけれど可能ですわ、アトレイト中尉。むしろそちらが本来の用途なのかもしれません。ルーンさえあれば、これまで以上のフォトンの汎用性はまず約束されたことでしょう」
「待ってください。現在フォトンは武器兵器にも使用されています。すなわち、武器でないものを武器にできたりと、そんなことも可能になるんじゃないですか?」
「まぁ! 素晴らしい発想ですわ。私、そのような考えは一度も浮かびませんでした」
瞳を輝かせる博士だが、そんな程度のいいの話ではない。現存していれば、とんでもない代物だ。
ルーン…禁忌と呼ぶに相応しいだけの技術かもしれない。
しかし、ルーンは消滅した。今や跡形もない、正しく過去の物。アインクリークスという国が、翼を?がれたその日に、ルーン技術は永劫の幕を閉じたのだから。
『教授は何か勘違いされているようだ…。貴公はルーンとAX−Rの完成に務めればいい』
『一度でも失ったものが、その時の状態のままで再び手元に戻ってくることはない。何故だマスター! その研究に何がある? あなたはそれで、ランディ様を失ったわけではなかったのか…』
『私はとんでもないものを生み出してしまった……クラフト君、お願いよクラフト君…! もう君しかいないの。あれを止めて!』
『私の可愛い坊や……どうかあの子を止めて欲しい……母親らしいことは何一つしてやれなかったから、せめて――』
『救ってあげて…』
「違う!」
メリーは思考を吹き飛ばさんと、肺に溜まった全ての空気と共に大きな声を上げた。
だがその声には、自分が意識しただけの威力はなかった。
枯れたように、掠れたように、小さな子供が夜の闇に怯えるように。
「嬢ちゃん?」
不思議に思ったナックスが、メリーの肩に触れた。
自分の手が震えている。それはすぐに、メリーの肩が震えているのだと気付く。
メリーの異変に、ナックスは器用に右眉を吊りながら覗き込んだ。
かと思うと、突然博士に向かってその身を乗り出した。
「博士! その技術、もしも…もしも、未だ存在していたら?!」
何を言い出したのか、隣のナックスにはすぐに理解できなかった。
しかし博士は、落ち着いた様子で一瞬考えるような仕草を見せ、そして少しだけ俯きかげんになりながら、今までには見たことのない笑みを作った。
「それは非常に興味深い…。生物学が専攻とはいえ、私も科学者です。アトレイト中尉、ルーンに心当たりでも?」
「あ…い、いえ、凄い技術だから…今の技術力と合わさったら、どれだけのものになるんだろうって」
二の句を窮することになるのは当たり前だった。
自分の大失態に唇を噛みながらも、なんとか適当過ぎるくらいバレバレな言葉でつなぐ。
そんな子供騙しの嘘に、博士は見事に引っかかってくれる。
「やはり、中尉とは良きお友達になりそうですわ。そうですねぇ、私なりに考えてみますと、生物とフォトンの融合を……あぁ、いけませんわ。中尉、よろしければ2ラボまでいらっしゃいませんか? そこでゆっくりと――」
安堵もつかの間、暴走をはじめる博士にあれこれと別の言い訳をしながら、メリーはひとつのことを考えていた。
光の中の光景。見せられたあの光景が全て事実であるのならば、エリーゼという女教授は、アインクリークスの滅亡後にルーンを……
メリーは警鐘に立ち上がる。
「ジィ、いこう」
「あん?」
「探してみよう、AX−R――ランディっていう灰色のアンドロイドを。もしかしたら、船内にいるかもしれない」
何を考えているのか。意図も掴めなかったが、それでも真剣な眼差しにナックスはやれやれといった感じで肩を竦めて見せた。
「AX−Rってのはわかんねぇですが、ランディって言いやしたか? 覚えがありますぜ。地上の事件で、調べてた時でしたかぃ…ハンターズ、<グレイスワロー灰色の燕>のランディ…」
「わかった。行ってみましょ」
メリーは博士に、そして辺りに一礼して出口へと向かう。
ナックスも博士に一礼を添え、軽薄な笑みを浮かべながら後に続いた。
せっかく科学の話を断られて、いつになく沈み気味の博士だったが、遠くなっていくナックスの背中に慌てて声を掛けた。
小さな声ではあったが、ナックスはすぐに振り返った。
「事情はよく解かりませんが、重要な任務を抱えているのでしょう。AX−Rを探しに、ハンターズロビーへ行かれるおつもりで?」
「……嬢ちゃんのことですからねぃ。そう考えてるんでしょうな」
「でしたら、許可申請は私から提出しておきますわ」
「はい?」
「いいえ、私も僅かながらも関わった身…協力させて頂きますわ。戦闘部である貴隊よりも、環境部の30番隊の方が許可は容易に降りましょうから」
にっこりと微笑む博士。
ナックスも笑みのまま静かに返す。
「有り難いことです。今は甘えさせて頂いてよろしいのでしょうかぃ…?」
「ええ、勿論ですわ。そのかわり、中尉には今度是非と」
「了解しやした。御高配、感謝致します。では…」
ナックスは再度礼出口へと目を向ける。
だが歩き出す前に、背中を向けたまま博士に質問を投げた。
「…アウリス博士殿。ひとつ確認なんですが…」
「はい。なんでしょう?」
「さっき言いかけた、生物とフォトンの融合…そんなぁことが本当に可能なんですかぃ?」
「おやまぁ。バーサルン大尉も興味がおありでしたか。でしたら、次回は3人でお話致しましょう」
「いえいえ、自分にゃあチンプンカンプンですや…。ただ、それだけが気になりやしてね」
一拍。そして朗々とした声が返ってきた。
「私の研究を持ってすれば、可能ですわ」
驕奢ではない。あくまで自分の研究の成果があっての自信の表れだろう。
「それまた、世に轟く研究成果となってたことなんでしょうなぁ」
「残念ですわね」
「いや…自分はなくてよかったと思いますさぁ。そりゃ敵わんですがねぃ…」
最後の言葉は、聞き取れないくらいの呟き声だった。
ナックスの眼光は鋭い。それは得物に狙いを定めた<古鱗(>の目だ。
対して博士の表情は、相変わらずの笑顔なのだろう。
「失礼しやした」
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