Order&Oppose





 唄が聞こえる。優しい唄が。
 指一本も動かせない状況でありながら、その唄は不思議と包み込んで。
 炙れた身体を揺すりながらも、その唄に身を委ねる。
 それは母の子守唄。
 激地に身を投じてきた自分が、はじめて味わう感触。
 信じる者は存在しない。頼れる者は存在しない。
 それでありながら、唄は安堵を与えてくれた。

 ハルスは目をあける。
 あの時の感触は忘れていない。
 唄の響き。
 獣であった自分は、その唄をも怖れて彼女に噛み付いた。
 巨腕で細い首を握った時の感触。
 そして頬をつたって手に落ちた、涙の暖かさを。

「ハルスさん…?」
 心配そうに覗き込んでくる少女に、ハルスは意識を戻された。
 そこは何もない空間。
 窓はひとつ。白と、生活に最低限必要な物だけが取り揃えられた質素な部屋だ。
「あぁ、すまん…」
 ハルスは首を二、三度振って、ポケットから葉巻を取り出した。
 そこでふと少女に尋ねる。
「禁煙だったか?」
「大丈夫です」
 微笑して答える少女に、ハルスは少しだけ考えて、そして葉巻をポケットにしまった。
 不思議そうに見詰めてくる少女から、ハルスは逃げるように、室内ただひとつの窓へと足を進め、外を覗く。
 視界に入ってくるものはなにもない。
 映し出された、偽物の空と陽だけだ。
 縋るものさえもない、本当に空虚な部屋だ…
「すまんな。寂しい思いをしていることだろう…」
 ハルスは外を眺めたまま、少女に小さく問いた。
 少女は首を振って、そしてキッチンの方へと歩き出す。
「そんなことはないです。ハルスさんが、時々会いにきてくれますから」
 声は以外に弾んでいた。
 それにハルスは失笑する。
「痛々しい言葉だな…」
 ハルスは佇むように、空を見詰めていた。
 何も無いから故に、それから感慨を受けることはない。
 無とはそれほどに寂しいものだ。
 静寂を抜け、少女はキッチンから持ってきた小さなカップをハルスに差し出した。
 小さいというのは、ハルスの身体から見ればの話だ。
 それは、湯気を立てた暖かいミルクだった。
「すみません、これしかなくて」
「気遣いは無用だったがな。すまん」
 ハルスはそれを受け取り、口をつける。
 ミルクを飲むのは何時ぶりだろう? そんなことを考えながら。
「ありがとうございます」
 不意に、少女が洩らした。
 ハルスはゆっくりと視線を送る。
「なにがだ?」
「私を助けてくれて」
「助ける? 俺がか?」
 意外な言葉にハルスが驚いて聞き返した。
 助けるとはどういう意味か。
 だがその問いに、少女は微笑みだけを返した。
「…馬鹿を言うな。監禁している状態だぞ。それを助けたなどと…」
「今は、昔よりずっと幸せです」
「外にはこれ以上の幸せが溢れている」
「場所は、関係ないんです。お姉さんに、メリーさんに会えたから…そしてハルスさんにも」
 少女は少し頬を紅くして俯いた。
 ハルスは堪らず視線を窓の外に戻し、ミルクを啜る。
 この子に何をしてやったわけではない。だがどうして笑う?
 そんな思考から逃げるように遠くを見詰めて。
 しかし、右目の古傷が痛むのは何故だろうか。
 また唄が聞こえてくる。脳裏を流れていく。
 それに合わせるように、少女は唄を歌い始めた。
 メロディーは違えど、ハルスにとっては同じ旋律を奏でた…
 暫くそれに聞き入る。
「美しい声だ。潰れた喉は完治したか…」
 少女は音色だけで答えた。
 何時しか室内に反響する歌声。
 ハルスは耳を傾けて、そして目を閉じた。

 声は堅牢な門を叩いて、冷たい心を温もりで覆った。
 あの日までは、全てが敵だった。
 あの唄を聴くまでは。
 あの女性(ひと)と出逢うまでは。

「俺もお前と似たような経験をしてきた。この身体…あらゆる者を抜きん出たこの身体に、愚者は寄って集ったものだ」
 少女は唄を続ける。
「自制心は失っていた。俺の居場所は戦場だと。血に飢えた獣の如く、殺戮を繰り返したものだ。…だが、俺はひとつの唄に救われた…」
 ハルスはカップを置き、葉巻を咥えた。それには火をつけずに。
「お前と同じように美しい声で歌っていたのは、赤い髪が印象的な女性だった。唄は俺を包んで…殺戮という形で表現してきた怯えを、全て打ち払ってくれた…」
 ハルスはそこまで言って、沈黙した。
 穏やかな時間と空間が、寂しい部屋を綻ばす。
 緩急が聴く者を唄に引き込み。その音色が酔わせて。
 ハルスも気付かぬうち、その口元に笑みを浮かべていた。
 やがて小さなコンサートを終えた少女に、ハルスは手を叩く。
 少女は丁寧にお辞儀して見せた。
「いい唄だ。その唄を人々の前で披露することができる日を、俺が必ず作ってやる」
 ハルスは飲み終えたカップを返し、歩き出した。
 少女はそれを呼び止める。
「その女性は今どこに?」
「…十字架の下だ」
「あ…すみません」
 少女は申し訳なさそうに頭を下げる。
 ハルスは肩越しに首を振った。
「女性は強いな。俺を救ってくれたのも、お前を救ったのも女性他ならん」
「男性の方々より、素直なのかもしれません…」
「それでは永遠と追いつけんな。男という生き物は、馬鹿で意地っ張りだ」
「…すみません…」
 度々謝る少女に、ハルスはフンッと鼻で笑う。
 それは少女に対してではなく、自分自身を嘲笑するように。
「素直にあれば、救えたものもあったのかもしれんな……」
 ハルスは再び歩き出した。
「…今度はどこに?」
「探しものがある」
「それは?」
「還魂の唄だ…」
 首を傾げる少女に、ハルスは自分の胸を叩いて見せた。
「彼女の十字架は俺が背負っているからな」
 それだけを言い残して、部屋を出る。
 咥えた葉巻に火をつけて。少女の唄の余韻に浸りながら。
 巨大な身体が、軽くなったような気がしていた。




「俺たちにも、もっと強力な武器があれば――!」
「もうそれはいいってば」
 今日も誰に伝える訳でもない怒りを叫ぶ警備兵に、メリーは容赦のない突っ込みを入れた。
 ハンターズ専用エリア。
 便利屋。時には英雄として名を馳せる、者達の居住地でもある。
 専用エリアといっても、けっして広いわけでもなければ、特別な造りになっているわけではない。
 軒並ぶ商店もあれば、道行く人々、カップルの姿なども見受けられる。
 繁華街ほど栄えているわけではないが、それでも小さな買い物程度には十分に揃っているだろう。
 若干の高層ビルなども立ち並び、専用エリアといっても、他の区画との違いは人目にはわからない。強いて言えば、視界に映るハンターズの数が多いことくらいか。
 エリアの中央となる場所には、巨大な転送装置が設けられている。この装置こそが唯一、一般市民とハンターズとを隔てる壁だった。
 この転送の先には、ハンターズロビーという場所が存在している。
 ハンターズの基地といっていいだろう、そこには、政府公認の仕事の仲介を行うギルド、そして地表に降下するための転送装置。中央センターとダイレクトにリンクを取る、専用のメディカルセンター。更には、武器防具を扱う店。そして、パイオニア2において最高権力を握るコリン=タイレルの坐す総督府が存在している。

「アトレイト中尉殿!? これはご苦労様です!!」
 思いもよらない人物の登場に、兵士は慌てて敬礼した。
 それに返すメリー。その後から、更に髭面が姿を現す。
「はい、ご苦労さんです」
 言うだけいってそそくさと脇を通り過ぎていくナックスを、兵士は呆然と見つめていた。
 メリーが少しだけ笑いながら、兵士に耳打ちする。
「20番隊バーサルン大尉です。それとこれが2人分の許可証明」
 メリーは許可証を突き出して見せると、確認の有無に関わらずズカズカと乗り込んでいく。
 ただ唖然と見送る兵士だったが、我を取り戻し、メリーを引き止めた。
「今日は何かあったのでしょうか?」
「任務に適った調査です。特別な騒ぎが起こったり起こしたりするわけではないから安心して」
「先ほどもマグライヤ大佐殿がここに訪れましたが、それと関連が…?」
「大佐が?」
 意外過ぎる人物の名前に、メリーは顔を接近させて聞き返す。
 対して兵士は、部内でも噂の女性に迫られて思わず頬を紅くした。
「大佐がここに?」
「え、えぇ、数十分ほど前だったと思いますが…」
 緊張と嬉しさに心拍を上げる兵士とは他所に、メリーはハルスのことを考えていた。
 勿論見当つく筈も無く、寧ろ他隊の事情よりも自分達の用のほうが大事だと切り替える。
「情報に感謝します」
 曖昧な敬礼をして、メリーは駆け出した。
 もはや兵士の心中のことなど、全く持って頭にない。
 ナックスに追いつくなり、メリーは許可証を渡して<灰色の燕(グレイスワロー)>に関しての情報を尋ねる。
 髭面は神妙な面持ちで、携帯の端末を叩いていた。
「優秀なハンターズですな。<灰色の燕(グレイスワロー)>のランディ――到達者(ハイ・マスター)のヒューキャスト。経歴に特別目立った汚点はなし。アンドロイド道路交通法違反くらいですかいねぇ。性格は穏和。思考能力には若干の落ち度があるようですがぃ、差し引いても余る…」
「所属は?」
「フリーで。民事的なクェストを好む傾向にあるようで」
到達者(ハイ・マスター)でフリーって珍しいね。しかも民事的って…よく到達できたって感じ…」
「別名は<生残者>。どのようなクェストからも必ず生還するため、そう呼ばれることもあるみたいですぜ」
「三つ名か…」
 と、ここでナックスが手を止め、いつになく真剣な眼差しでメリーと目を合わせた。
「嬢ちゃん。彼を探す目的は…?」
「胸騒ぎがするの。いや、その程度のものじゃないかもしれない…」
「よくわかりませんなぁ…」
 真顔も一瞬で崩れ。本気でわからないといった表情で端末に目を戻した。
「今日は地表には降りてない。間違いないのよね?」
「確認しましたさぁ。届けは出てないそうで」
「とにかく、探そう!」
 メリーはナックスとエリアを分担し、集合時間だけの打ち合わせの後、弾けるように捜索へと飛び出した。
 急ぐ必要はないのだろうが、メリーは走っていた。
 せわしに首を動かし、灰色のアンドロイドを探す。
 その回数は、傍からみれば挙動不審者に見られるかもしれない。
 平日ということもあるのか、幸いに人通りは思いの他少なかった。
 何事もなく終わればいいな…と、ランディのとの出会いの真意を思いながら、通りを駆ける。
 聞き込みはなし。それは絶対の条件だ。
 ハンターズと軍部は仲が悪い。
 もしも自分達軍部が彼を捜索しているということが他のハンターズに広まれば、自分たちだけでなく、ランディ自身にも根拠のない悪い噂が立ってしまうかもしれない。
 それは、メリーなりの配慮だった。
 メリーはスピードを上げる。ステップは恐ろしく軽やか。
 階級位とは別に、文武を求められる副隊長という部隊位は、彼女の並外れた聴覚と軽業にあった。
 通常、人の聞くことの出来る音の帯域は20Hzから20000Hzとされているが、彼女はそれから更に、下は2倍、上は1.45倍までの音を認識できる。
 音源からの正確な距離を把握する能力に長け、そして非常に柔軟な筋肉は、猫のように身軽な身体を作りあげ、3階建てのビルから地上に飛び降りるといった芸当も可能にしていた。
 だが、今彼女が跳ねるように翔けるのは、訳がある。
 ルーン――闇に眠った、物質のフォトン化という次元離れした技術。
 その事実は、メリーを怯えあがらせるには十分だった。
 ヴァルキリーに見せられた記憶が渦を巻く。
 冷厳冷徹な男は、背中のまま言った。『ルーンとAX−Rを完成に務めればよい』と…
 その声は感情すら感じられない、深淵から呼び出された冷たいものだった。
 そしてエリーゼの叫び。『とんでもないものを作り出してしまった』と。
 これがどういう意味を持っているのか。
 それは云わずして、容易く思い描くことができる。
 『失われたルーンの開発』
 思考は一点の闇を呼び出した。葬られたはずのそれは、メリーの脳裏に闇となって壇上した。
 光の中で見たエリーゼとランディ。エリーゼの涙の理由を。今彼女は、安らかに眠りについているものか。
 メリーは思考と現実を乖離させるために、その身が許す限り翔ける。
 ランディをAX−Rを見つければ、何かが解かるはずだ。

 100mを11秒で駆け抜ける俊足は、そのスピードも緩まることもなく、広くないエリア内を縦横無尽に疾走する。
「違う…違う…」
 高速で移り変わる景色の中、メリーは瞳を閉じていた。
 だが、道行く人に傷害物に、ぶつかることはない。
 視覚に取って代わるのは自慢の聴覚。
 足音、声、物と物がぶつかる音。それらの全てを漏らすことなく聞き分ける。
「違う…。こっちも違う…」
 様々な音の中から拾い上げるのは、機械の足音のみ。
 音を頼りに走り、そしてその時だけ目をあける。
 繰り返すこと、気付けば捜索は開始から2時間近くが経過していた。
 メリーは足を止める。
 船内ということもあり制服姿と、ちょっとした重量のハンドガンのみの装備だが、休憩をはさみながら、それでもかなりの疲れが溜まっている。
 膝の上に両手をついた状態で、肩で呼吸を整え、そして疲れた顔で空を仰いだ。
 と、視界の半分を埋めた、空ではない何かの影。
 それは幾つもの四角からなりたつ高層な建物だった。
「中央センター?」
 赤い十字マークを掲げ、白を基調とした建物は、中央メディカルセンター。
 ハンターズがお世話になる病院だ。
 自分がいるのは、丁度入所棟の裏側辺りになるのだろうか。広く公園のような空間。地面には緑が植えられていた。
 患者の療養のためなのだろうか。そんなことを考えながら、植物達を見詰めることで、自分の心も少しだけ癒えたような気になる。
 メリーは壁にもたれて、休憩らしい休憩をすることにした。
 どこからともなく、気持ちのいい風が吹いてくる。
 目を閉じれば、少しだけの眠気。いけないなぁ…とは思いつつも、意識の片割れは、既に夢の世界に足を浸けつつある。
 そんなメリーの耳に、容赦ない機械音。
 はっと我に返ってみれば、それは通信機からのお呼びだった。
 通信主を確認するまでもなく、回線を開く。
「見つかった?」
『いきなりですなぁ。そんなとこは大将そっくりだ』
「なんだ、ジィのほうもダメか…」
『何も言ってないじゃないですかぃ』
 ホロモニタに写ったナックスが大きくため息をついた。
 メリーはお構いなしだ。
「もうちょっと頑張りましょ!」
『へいへい……っと、嬢ちゃんは休憩中ですかぃ? 今は何処に?』
「え〜と…中央センター入所棟裏口、になるのかな?」
『おや、通信するのも馬鹿らしいくらいすぐそこじゃないですかぃ。いきまさぁ』
 ナックスはそう言って通信を切る。
 声は聞こえなくなり、辺りが静かになる。
 メリーはもう一度空を仰いだ。狭苦しいが、それでも色付きかけた空と雲の映像が、メリーを見詰め返してくれる。
 あの空に、ひとつの国が浮いていたのだろうか。映像ではなく、現実として。
「空か…」
 天上の風は、どんなだろうか。
 冷たいのか、優しいのか、厳しいのか、美しいのか。
 その空の上で起こった惨事。翼を失った剣は、大地に刺さらずして砕け散った。
 そしてエリーゼの運命も、そこから狂ってしまったのだろう。
 エリーゼにはルーンという技術が付きまとい、そして悲劇は輪廻した。
 ルーンが全ての引鉄。機械国家がフォトンに手を出した故の裁きなのか。
 悲劇は続いていくだろう。ルーンの存在がある限り。
 メリーはそこで休憩をやめた。
 ランディに会えれば解けるはずだ。
 ヴァルキリーと、そしてあわよくばバルバスのことが…。
 壁から背を離し、爪先を踏み鳴らす。
 十分に休めた。また走れるだろう。しかしできれば、暗くなるまでには見つけたいところだ。
 合流するといったナックスのこともすっかり忘れ、メリーは駆け足に入所棟の角を曲がろうとした。
 瞬間――雑踏が耳に届いた。
 近い。しかも速い。これ程接近するまで足音に気付かなかったということは、それだけ集中して考え事をしていたのだろう。
 足音からその者との距離と位置と方向を正確に掴むと、メリーは咄嗟に1歩横に身体をずらした。
 だが、角を飛び出してきた人物と正面衝突。
 小さな悲鳴を上げながら、メリーは尻餅をつく。
「いった〜〜い……って、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
 ぶつからないように軸をずらしたつもりだったが。失敗したかな…と考えながらも、すぐに立ち上がって同じく尻餅をついた相手に駆け寄る。
 相手は小柄な少女だ。揃った黒髪と淡い青の眼。サイに良く似た色をしてるな、などと思いつつも、メリーは不思議とその眼に何かしらの不審を抱いた。
 少女もメリーを見詰めている…ように見える。
(あぁ、わかった。焦点が合ってない。盲目なのかな?)
 自分の不信感に合点したメリーは、少女に手を差し出す。
 だが少女は手を取ることなく、すっと立ち上がった。
「あれぇ? 避けたのになぁ」
「うん?」
「これじゃ追いつかれちゃうな〜……」
 意味のわからない言葉の後に、すぐ聞こえてきたのは別の足音だった。
 二つ。こちらに駆けてきているのがわかる。
 メリーは即座に状況を理解した。
 有無も言わさず少女の手を引き、近くの茂みへと潜らせる。
 すぐに角から現れたのは、無駄なく鍛えられた肉体を持つ2人組の男だ。加えて、見るからに柄が悪い。
 男達は周囲を見回し、そして目当てのものが見つからなかったのか、メリーに声を掛けた。
「おい、こっちにガキが走ってきただろう?」
「えぇ、きたわよ」
「そいつはどこ行った?」
「さぁ…」
「あん? 舐めてやがんのか、女」
「その子を捕まえてどうするつもり? 答えてもらえるかな、これがなんだか判るなら」
 メリーはそういって自分の左胸を指す。そこには軍章が刺繍されていた。
 男達の顔が引きつる。
「治安隊アトレイト中尉です。やましいことがなければ、すぐに解放を約束します。さ、どうして追っかけてたの?」
 機転を利かせ治安隊と名乗ってみれば、男達は口ごもりながら意味のわからない捨て台詞とともに逃げるように道を引き返していく。
 メリーはフンッと息をつきながらそれを見送ると、茂みの中の少女を呼んだ。
「出ておいで」
 茂みからひょっこり顔を出す少女に、メリーは明るい笑みを作って見せる。
 その時だ。
「嬢ちゃんっ!!」
 メリーは反射的に身を屈めた。
 頭上を質量が通り抜けていくのを感じながら、地面すれすれ水面蹴りを背後に向かって放つ。
 手応えはなし。距離人の背丈分程上空に風を切る音が聞こえる。
 即座に横転。今メリーの頭があった場所に、銀色の何かが煌いた。
 すぐさま体勢を立て直し、襲撃者を目視。だが、そんな暇さえ与えてはもらえなかった。
 さらに上空で空気を裂く音。2人目だ。
 メリーは悪態つきながらも、背中のハンドガンを引き抜き頭上へと構える。
 セーフティを解除しながら、しかし既に相手はすぐそこだ。間に合うだろうか。
 と、その上空の襲撃者を、スコーンッという間抜けな音が打ち落とした。
 バランスを失い派手に地面に落ちる襲撃者から距離を取り、メリーは肩越しに背後を見やる。
 そこに自分のヘッドバンドを手にしたナックスが、隣まで駆けてきた。
 地面に転がった缶ジュース。今の襲撃者は、ナックスの即席スリングショットにより撃ち落されたのだろう。
「ありがと。助かった」
「いやぁ、参りましたな。自分でも避けれなかった嬢ちゃんの蹴りを、最近の暴漢は難無く避けますかぃ」
 ここでやっと襲撃者を確認した。
 引き返していった2人組だ。メリーに話掛けてきた方の男の両手には、いびつな黒塗りのナイフ。そして、ナックスに落とされた男の手には、スタンガンのような紫電の奔る小型の武器が握られていた。
「お姉ちゃん達、鬼やるの?」
 状況にありながら、相応しくない言葉を口にする少女。
 十分に物は判る歳だろうが、幼いというよりは幼稚なイメージを受ける。
 年齢退行症状だろうか。もしかするとセンターの患者かもしれない。
 そこで何故かリーフ博士の顔が浮かび、人は年齢では判断できないんだということを思い出す。
 メリーがそんなことを考えているなど知るよしもなく、ナックスは襲撃者と、そして少女に注意を向ける。
「さて、この状況…噂のハンターズ殺害事件と見て間違いなさそうですな」
「何それ?」
「少女の捜索クェストにて死者が幾人も出てるってのは、シスコンかロリコンか…まぁ言わば変態野郎の犯行だったと。なんともわかりやすいですなぁ」
「ジィと同類ね?」
「勘違いされちゃあ困りますなぁ、嬢ちゃん。自分はメリコンなだけでさぁ。甲斐性持ちの連中とは一緒にされたくないですな」
「メリコンってメリーコンプレックスの略? それセクハラよ。…なんだか吐き気をもよおすからやめて」
「あいつらに吐いてやってくだせぇ。嬢ちゃんのファンが減ってこちとらも助かる」
 ナックスの挑発なのかそれとも漫才なのか。
 こちらも相応しくないやり取りを繰り広げる2人だったが、対して襲撃者達は冷静に構えたままだった。
 鋭い眼光に、メリーは息を呑む。
「…ジィ、私逃げるわね。よろしく」
「年寄りを置いていく気ですかぃ?」
 ナックスの言葉より早く、メリーは少女の手を引いて走り出していた。
 襲撃者も動く。
 ナイフの男は小股走りで瞬時にナックスの懐まで潜り込み、左手から一閃。
 ナックスは深く腰を落とし、相手の左からの斬撃を右腕でとめ、空いた手で顎を狙う。
 襲撃者は僅かなスウェーでそれを回避。それと同時に伸びきった腕を斬りつける。
 回避は間に合わないと踏んだナックスは、相手の戻りきっていない左腕を掴み、引き寄せた。同時に軸足も払う。
 バランスを崩しお粗末になった攻撃を今度は余裕を持って防御し、更にもたれかかるように脱力した状態で肩を相手の胸に密着させた。
 ズンッっと鈍い音がなったかと思えば、男の身体は後方へと弾かれた。
 密着状態から見事に溝を打ち抜いたのは、踏み込み大の肘鉄だ。
 しかしその手応えの軽さに、ナックスは内心舌打する。そんな隙も見せていられない。
 弾き飛ぶ男の背中から突如現れた影は、スタンガンの男だ。
 即座身構えるナックスを余所に、スタンガンの男はナイフの男の肩を踏み台に、大きく跳躍した。
 しまった、と叫んだ時は既に遅く、男はナックスの遥か頭上を越え、後方へ着地。
 行かせまいと駆け出すナックスの前に、ナイフの男が邪魔に入る。
「若造が…可愛くないもんですなぁ!」
 そこでメリーの方を見れば、僅か数10m先で、こちらに背中を向けたまま立ち止まっている。
 その背後から今にも襲いかかろうとするスタンガンの男。
「何ボケッとしてんですかぃ! 嬢ちゃん!!」
 そんな叫びも無駄に、メリーの頭上に陰が覆い被さった。




 スタンガンの男は、まるでボールのように弾んで芝の上に落ちた。
 メリーはわけがわからず、飛んでいった襲撃者を見詰めていた。
 隣の少女もまた同じだ。

 センターにいくんだと、駄々をこね踏みとどまる少女に足を止められ、自分頭上に陰が見えた。そして耳障りな電撃音が耳に届いた。
 そこで痛手は覚悟した。いや、死んでいたかもしれない。
 だが、その時は訪れなかった。
 襲撃者はあらぬ場所に落ち、そして今尚身体を覆い隠す陰がある。
 紫煙とそれに伴う臭い。そして、恐怖にも似た緊張感と威圧感。
 メリーが恐る恐る横を見れば、その全ての正体がそこにあった。
「大佐…?」
 咥えた葉巻、粗野な顔面傷、尖った耳に飾られた銃弾を模したピアス、そして人とは思えない巨躯。
 茶の迷彩色の軍服を肌蹴て着込み、覗くアンダーウェアの上からでもその有り得ない肉の付き加減がはっきりと見て取れる。
 そこに佇むのは、軍部の巨人。その存在感は、魔人とも、はたまた魔王とも言い換えるべきか。
「怪我はなかったか? 中尉」
 野太い声が、遥か上空から放たれる。
 柄の悪い声だが、メリー達軍属にとっては、慣れた声だ。
 それほどの有名人でもある。
「はい、大丈夫です」
「そうか。任務ご苦労だ」
 メリーを襲った襲撃者は、ナックス達の更に向こうに倒れている。襲撃者がどのように撃退されたのかまるで見当もつかないが、この人ならば、何をやっても不思議でない。
 過去に一度だけ、巨人――ハルスの戦闘能力を目の当たりにし、愕然と驚いたことは今でも確かに記憶している。
「大佐、ありがとうございます」
 敬礼するメリーにハルスは煙で応え、そして野獣の眼光を隣の少女へと向けた。
 どこかしらの違和感に、メリーが首を傾げる。
「ユキ=レイトリーだな?」
 少女の名前だろうか。そう思ったのも束の間、ハルスは巨木のように太い腕をユキと呼ばれた少女に伸ばした。
 爆風がメリーの頬を抜け、少女のあった場所を掴む。
 それはあっさりと空を切る。少女はハルスの腕の届かない位置に逃げていた。
「おじちゃんでっかいねっ! 鬼ごっこするの?」
「ハルス=マグライヤ大佐だ。お前に名乗ってもわからんのだろうがな」
 ハルスは巨大な手でメリーを押しのけ、少女との距離を詰める。
 歩数にして僅か2歩。ただそれだけの動きで、メリーは息を呑んだ。
 空気が重い。どこか息苦しい。それは目の前のハルスのせいなのか。
「大佐?」
 不審を思うメリーの言葉に、ハルスは目だけを動かしメリーを見た。
「中尉の任務は、この娘の捕縛だろうか?」
「え、いえ、否定です…」
 否定を返し、メリーは僅かな黙考。先にナックスの言ったハンターズ殺害事件を思い返す。
 それにしてもこの空気は何なのか。気味が悪くてしょうがない。
「別件任務中でありましたが、この少女との出会いは偶然です。しかし状況から、この少女、昨今のハンターズ殺害事件との関わりがあると――」
「ご苦労だ。あとは俺が引き受ける。中尉は任務に戻れ」
 メリーの言葉を制止し、ハルスは再び手を伸ばした。
 少女はそれの下を潜って距離を取る。
「大佐?!」
「さがれ中尉。この娘は危険だ」
「危険とはどういう意味ですか?」
 ハルスが大きな1歩足を踏み出した。
 硬いものが砕ける音と共に、踏み込んだ地面に亀裂が入る。
 それだけで、その場の空気を全て制圧した。
 ハルスの放つ圧し掛かる圧力に、メリーは動けなくなる。少女の足も止まってしまった。
 後で未だ交戦を続けている2人も、おそらく同じだろう。
 ハルスの踏み込みは、それだけの威力を持っていた。
竜征(ドラゴンマスター)――気流から物の動きを読み取る能力。突き詰めれば行動の予測も可能とする。…危険度はAか」
 ハルスは1人納得したような面持ちで、三度と手を伸ばした。
 威圧されていた少女だったが、なんとかそれもかわす。
「おじちゃん、怒ってるの?」
「俺はお前の父親の戦友だ。ゲオジルクは元気にしているか?」
「え、ゲオの友達?」
 ゲオジルク――メリーには覚えのない名前だったが、その名を聞いた少女の動きが少しだけ止まった。
 その隙を逃さず、大きな手は少女の首を掴まえた。そして高々と持ち上げる。
「放してよっ! 痛い痛い!」
 腕を殴る蹴るで必死に抵抗する少女だったが、ハルスにはまるで通じていない。
「警戒するまでもなかったか。これが捕まえられんとは…やはり知れたものだな、ハンターズのレベルも」
 吹かしながら、ハルスは腕に力を入れた。
 ぐっと濁った悲鳴を上げ、少女の顔色が見る見るうちに青くなっていく。
 抵抗の手も、弱々しくなる。
「大佐! 何をされるんですか!?」
 只ならぬ状況に焦ったメリーが、ハルスの腕を掴んで制止に入る。
 当たり前のように、メリーの腕力でハルスの巨腕をどうこうできるはずもない。
 メリーが叫ぶ。
「大佐! どういうことですか? 捕縛の任務ではないのですか?! どうしてそこまでする必要が!」
「落ち着け中尉。殺すわけではない。だが、危険だと言ったはずだ」
「普通の少女ですよ? おそらく、視力も不自由な」
「中尉はエネミーの能力を外見で判断するのか?」
 それは…と押し黙る。たしかにそうだが、しかし今回の相手は子供なのだ。
「しかし――」
「人ほど猫を被る生物は存在せんな。この<野良猫(ストレインジキャット)>も無論のことだ」
「子供ですよ?!」
「冷静になれ中尉。では、リム=メーディと同じだと言えば解かるか?」
「え?」
 メリーは言葉を失った。
 リム=メーディ――リム……。声音で電子機器を破壊する能力を持ったその名の少女を、
メリーはある組織から匿った。
 そして、再会を約束して別れた。
 彼女のことは誰にも話していない。サイにも隊長バルバスにも…。
 では、どうしてハルスが知っているのか。
「大佐、いったいどうしてそれを…?」
 混乱するメリーを余所に、ハルスは少女の首を握力だけで締め上げる。
 焦点の定まらない青い瞳孔が、次第に瞼の上方へと隠れていく。

 ビュン――
 そこに何かが飛来し、ハルスの腕にぶつかって砕けた。
 痛みで微かに握力が弱まる。その一瞬をついて、少女はなんとかハルスの腕がから逃げ出した。
 できるだけ遠くまで走り、そこで膝をついて咳き込む。
 ハルスは得物を逃がした自分の腕を見詰めて、地面に散らばった飛来物を見た。
 白濁色のそれは、コンクリート製のブロックだろう。それを認識し、さすがに適わないといった表情を作る。通常ならば、砕けるのはブロックでなく骨のほうなのだが…
 2、3拳を握り締め、握力に異常がないことを確認すると、ハルスはブロックの飛んできた方を見やった。
 20歩程離れた位置に、灰色のアンドロイドがそのイェローのカメラアイでハルスを射抜いていた。
「軍人の暴力は、弱き者を護るためにあると聞いていましたが、嘘だったのですか?」
 淡々とした口調は、人間味がない。それもアンドロイドとしては当然ではあるが、それ以上に特徴がなかった。
 ハルスは微笑して煙を吐く。
「成程…なかなかの手合いのようだ。中堅クラスのハンターズ程度では、事足りないのも納得がいく。随分と厳重な警備だな」
 悪態付くも、すぐにハルスは動き出す。未だ噎せ返る少女のもとだ。
 ハルスの進行を、灰色のアンドロイドが止めた。
「退け」
「<野良猫>さんに何をするのです?」
「飼い猫にするだけだ」
 興味を示さず脇を抜けようとするハルスの前に、アンドロイドは執拗に立ちはだかった。
 それでもハルスは相手にしない。

 その様子を、メリーはただ見詰めていた。
 混乱する頭を整理できてはいないが、それでも、確かな事実が眼前にある。
 それはリムのことではない。眼の前の灰色のアンドロイドだ。
「ランディ…さん?」
 あさっての方向から届いた声に、灰色のアンドロイドはそちらへ振り向いた。
「あなたが、ルーンの… AX−R…あのランディさんなの?」
 アンドロイドを振り切る絶好のチャンスであるにも関わらず、ハルスも何故かそこで動きを止めメリーへと振り返る。
「どこかで会いましたか? 私のメモリーにはその記録は無いのですが……」
「今何と言った、メリー中尉。ルーンと言ったか? AX−Rと言ったのか?」
 どこか不思議そうにメリーに返す灰色のアンドロイド。それをハルスの重々しい声が遮った。ハルスが睨みつけるようにメリーを見る。
 何か気まずいことでも言っただろうか。
 現状況にも整理がつかないが、先程からのハルスの言動が、何ひとつとして解からない。
 疑問符を頭に浮かべながら視線を返すメリーを、今度は怒鳴りつけるようにハルスが声を荒げた。
「AX−Rと言ったか中尉!! 間違いはないか?!」
「は、はぃ」
 迫力に圧され、情けない返事を返す。
 その瞬間、200kgはあろう灰色のアンドロイドの身体が浮き上がり、後方へ吹き飛ばされた。そして着地。
 今度は何が起きたのか。誰にも理解できていないだろう。
 しかし、確かに解かること。アンドロイドのあった場所へと突き出された拳。そしてハルスが纏う危険なオーラが、間違いなく灰色のアンドロイド――ランディに向けられていることだ。
「<野良猫>さん、今のうちに逃げてください」
「ううん、ゲオのところにいくの……嫌な色がいっぱいなんだもん」
 意味の噛み合いはなかったが、ランディの声に従うように、少女はセンターへと走り出した。
 だが、ハルスは追わない。ランディを見詰めたままだ。
 少女はナックスと襲撃者の脇も抜け、はじめ走ってきた路地へと消えていった。
「ちょっと、何がどうなってるの?!」
 メリーの混乱は爆発し、ついには嘆きの声をあげる。
 わけがわからない。
 少女と出会い、襲撃に遇い、そしてハルスが現れて…ランディと出逢って。
「中尉がどこでその名を知ったのかはしらんが、AX−R…それが本当ならば、まっさきに始末せねばいかん。危険因子を排除するのも、俺達軍人の役目だ!」
「ランディさんも危険因子ってことですか?!」
 メリーの脳裏に木霊するエリーゼの言葉。
『とんでもないものを生み出してしまった』
「大佐は、何を……ルーンをご存知なんですか? いったい何をどこまで知っているの?!」
 メリーが叫ぶ。
 そんな声を軽く呑み込み、一帯は突然の紅に包まれた。
 それは炎…
 広場を覆い囲むように、突如現れた炎は壁となって一帯を隔離する。
「どうなってるの? この火は…!!」
『まったく、こうも事態が急展開するとは計算外だったな。俺様も焼きが回ったもんだ』
 どこからともなく、朗々とした声が響く。
『でもまあ、0点取ったら焼いてしまえばいい。盛大になぁ』
 その後に聞こえてくるのは笑い声。何がおかしいのか。
 メリーは炎の中に一点の陰を見つけた。
 人だ。
「ショータイムだ」
 その声に含まれた快の感情に、メリーは嫌悪を覚えた。




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