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10

 居住区を見渡せるその部屋に、2つの人影があった。
 中央の椅子に腰掛ける男は、黒を基調とした厳つい軍服を纏い、天井…ガラス越しの映像の空を見上げている。
 もう一方は、紫を基調とした軍服。ボディラインは女性を描き、淑やかに、それでいてどこか艶美に。
 そして壁に寄り掛かった状態で、右手の端末を操作していた。
「たった今、吉報が入ったわ」
 女は蟲惑的な笑みで、中央の男に言葉を投げた。
 だが男は何も答えない。
 気にした様子もなく、女は続ける。
「アトレイト中尉がAX−Rを発見してくれたそう」
 興味を引いたのか、男は視線を空から女へと移した。
「確かか?」
「どうかしら。でも、ルーン技術のことも知っていたそうよ。そこから導き出されたものがAX−Rなら、偶然にしては出来すぎね」
 男は席を立つと、窓際まで移動して居住区を見下ろした。
 その眼下で、第1区画――行政区などが密集する地区のセンター付近で、煙が立ち上がっているのが確認できる。
「…連絡を」
 男は抑揚のない声で、女に指示を下す。
 女は微笑しながら、男に返した。
「何と?」
「熟した…と」
「了解」
 部屋に設置されたトランスポーターに女が消える。
 1人残った男は、再び空を仰いだ。
 ガラス張りの天井に不気味に反射する眼光。
 片方は黒く、もう片方は紅く。
 そして左腕に浮かび上がるのは、おぞましい漆黒の光。
 それはフォトンなのだろうか。


11

 炎の中から現れたのは、占い師のように目元以外をローブで覆った男だった。
 男だと判別するのは、体格と声色からで、本当のところまではわからない。
 唯一肌を見せたその目元から確認できるのは、褐色肌と、メリーの髪の色よりも黒寄りの緑のドレッドヘア。そして茶色の瞳と、憎らしい笑みくらいか。
 快を含んだ男は、その手に持った紙札を危険に光らせていた。
「まさかユキちゃん相手に<巨人(ヘカトンケイル)>のおっさんが出てくるとはなぁ」
「メフィストの側近だったか…? 舐められたものだな」
「<鋼鉄(シュタール)>のヴァズだ。覚えとけば、残り少ない人生にも潤いがでるぜ」
「…下らん冗談だ」
「軍の最強力って聞いてたがな。のこのこと出てくるって事は、テメエらやっぱ余裕がねえのか?」
「貴様等の強欲に構ってやれるほど、暇ではないのでな」
「ふん、ルーンとなれば黙ってるわけにもいかねえよ。この世の全てはカーズの手に堕ちるんだ」
「くだらんな。この先少しでも長生きしたいのであれば、今すぐ消えろ」
「かー、自信満々だなぁオイ。あんたとは一人でやるなって念押されてるが、そうまで言われて引き下がるのは俺の美学に反する」
 笑い出すヴァズを無視して、ハルスは身構えるランディへ向かって突進をはじめた。
 巨体からは想像も絶した速度で間合いに入ると、その豪腕を繰り出す。
 激突。硬いものを弾く音と共に、人間大の影が宙を飛ぶ。だがランディではない。
 それは四肢で地面を抉りながら着地し、そして含んだ声で呟いた。
「怨」
 声を合図に、ハルスの右腕が爆発する。
 煙と炎と爆音に包まれるハルスを、ランディ、そしてメリーもただ呆然と見詰めていた。
「おい、そこのアンドロイド。とっとと帰れ。スクラップになられちゃこっちも都合が悪りいんだ」
「スクラップは素材のリサイクルには便利なのですよ?」
 ハルスの拳を受けながらも、何事もなかったかのように申し寄ってくるヴァズに、ランディはのうのうとした様子でその場に立ち尽くしている。
 しかし、現状把握をしているわけではないのだろう。
 それはそうだ。おそらくこの状況を理解できているのはハルスとヴァズだけだろう。
「頼むからどっか行っとけ! 邪魔なんだからよ」
「逃がすものか。お前程度では、俺は止められん」
 確かな自信と怒りを帯びた声。
 何かが砕ける音。地響き。そして振動。局地的な地震に、僅かながらバランスを崩したヴァズの腹を狙って、煙の中から左の豪腕が繰り出される。
 ヴァズは防御姿勢のまま、なんとかステップ。しかし豪腕は振り抜かれることなく、途中で勢いを止めた。
「フェイントぉ!? こりゃやべぇ……」
 ステップの着地と同時に、今爆発した右の豪腕が打ち下ろされ、拳は顔面に炸裂した。
 ゴギャと奇妙な音を立て、ヴァズの身体は天と地が反転した状態で十数メートル程引き摺られるように地面を擦りながら、やがて止まった。
 薄れた煙の中からハルスが姿を出し、そして動かなくなったヴァズを睨みつける。
「先といい今といい、たいした強度だ。頭を吹き飛ばすつもりで殴ったが…」
 ハルスの右腕は先の爆発で、皮膚と肉を焼かれていた。しかし、それ程大きな外傷は見当たらない。逆に、その傷も見る見るうちに修復されていっている。
 メリーの頭に浮かんだのはムーンアトマイザー――蘇生薬。
 おそらく爆発瞬時に使用し、腕の損傷を最小限に留めたのだろう。
 しかしそれでも即治するわけもなく、その傷ついた腕での拳打。
 だが威力は、誰から見ても明白なものだ。
 地を砕く踏み込みと、それから打ち出される大砲如く拳。
 頭を吹き飛ばすと言うのは、微塵の冗談も含まれていないのだろう。
 メリーは自分の認識を改める。
 ハルスは重火器扱いのスペシャリスト…ハンターズでいうレンジャーの位置にあたるものだと思っていた。
 違う。この人にとって重火器は、手段でしかない。素手の攻撃力でさえ、兵器に匹敵している。
 先のスタンガンの襲撃者も、きっと殴られただけだろう。それだけでボールのように容易く吹き飛ばされた。
 ではあの拳打を喰らって、未だ原形を保っているヴァズと名乗った者は何者だろうか。
 メリーの思考とは余所に、ハルスは憤然とランディへと歩み寄った。
「お前がAX−R…間違いないか?」
「私はランディです。そのような奇怪な記号ではありません」
「では問おう。"剣"は持っているか?」
「剣? <生残者>のことでしょうか?」
「コードR<生残者(ラグナレク)>…心辺りはあるようだな。本来ならば、そちらのほうが重要だが…」
「<生残者>に用ですか? 触るだけなら構いませんが、譲渡は出来ませんよ?」
「いや、お前にもだ、ランディ。怨みはないが、ここで終わりにさせてもらおう。永劫に記憶を思い出すこともないようにな」
 ハルスが拳を握り締める。
 そこを紙札が飛来した。反応できないハルスではない。
 素早く身体を転がして回避。だが紙札はそこで光を上げて弾けた。
 それを中心に、辺り一面に凍える風が吹き付ける。
 大気中の水分をも凍らせる程の冷気。
 生身のメリーは堪らず、炎の近くまで避難する。
 それをも追って、炎の壁まで達した冷気は水蒸気となり、一帯を靄で覆い隠す。
 霧の中、メリーは状況を疑った。
 今の冷気はラバータという氷系テクニックのものだ。しかも、とてつもない威力の。
 テクニック系統を得意とするメリーが、ましてや間違えるはずもない。
 だが、フォトンジェネレータの恩恵を受けられないこの場でのテクニックの使用。
 有り得ない。
 しかしメリーは、船内でテクニックを目にするのは始めてではなかった。
 例外的範例…軍部のマハジャのみが唯一扱うことができる特殊な術。呪符だ。
「今日だけで、一生分の驚きを使い果たしちゃわないよね?」
 メリーはハルスの居た方向へ眼を凝らした。
 あの威力、あの場所、ただで済むものか。
 その不安はすぐに的中した。
 薄っすらと見える大きな影は、完全に氷漬けの化石となっていた。
 その姿を笑う者。ヴァズ以外に誰がいようか。
「効いたぜ、おっさん。地獄で鬼が手薬煉引いてやがった」
 しかし、笑い声には先程の含みも余裕も感じられなかった。
「くわぁ、歯が何本か逝っちまってやがる。色男が台無しだろが……」
 口内に溜まった血と泥を吐き出しながら、ハルスのすぐ目の前のランディの肩を叩く。
 不思議とランディ自身は氷漬けから逃れていた。いや、逃されていたというのが正解だろう。
「さて、ランディとか言ったな? 付き合ってもらうぜぇ」
「申し訳ないですが、私はあなたに恋愛感情を感じていません」
「そんな意味じゃねえ。さっきから頭悪いぞお前」
「待って!」
 制止をかけたのはメリーだ。強い眼差しでヴァズを見詰める。
「こんな騒ぎを起こして、見過ごすわけにはいかないわね」
「まだいたのか軍部。無駄は税金だけにしとけ」
「それに、私もランディさんに用がある」
「自殺志願ってんなら、俺が聞いてやんぜぇ?」
「私は意見を述べられないのでしょうか」
「そうだ」
 困った様子のランディの言葉を肯定したのは、メリーでもヴァズでもない。
 ランディの目の前では、氷の塊がピシピシと音を立ててひび割れていく。
「――こいつ、バケモノか!?」
 ついに氷は砕け散り、再び巨人が放たれた。
 さすがのヴァズからも、快の感情が薄くなったのが解かる。
「くそったれっ! ランディ、最優先はテメエの生存だ。何が何でも逃げ切れ」
「逃走成功の確率を計算しますか?」
「いいから行けこの馬鹿が!」
 ヴァズが投げた呪符は、ハルスの目の前で強烈な光を放った。
 眼も眩む光が、機械の瞳を持つランディただ1人を除いて、全て者の視界を奪う。
 この隙に走り出したランディを、数秒後なんとか焦点を取り戻したハルスが追いかける。
 割り込みに入るのは、やはりヴァズだ。
 ハルスは足を止め、メリーへ視線を向けた。
「中尉の任務はランディの捜索か? 少しでもルーンのことを知っているのならば捕らえろ。これは俺からの命令だ!」
「え? し、しかし…!」
「何を迷う? 追え! 俺はこの反抗者を黙らせてからいく」
「りょ、了解…」
 ランディを目掛けて走り出すメリー。炎の壁に消えていったランディの背中を追って、メリーも躊躇なく飛び込んでいく。
 そちらを一瞬流して、そしてヴァズも叫んだ。
「ゲイド、女を殺れ」
 その声に反応したのは、これらの状況の傍らで、ナックスとの交戦に依然膠着状態を保っていたナイフの襲撃者だ。
 続いていた沈黙の間を突き破るように、瞬時、ゲイドと呼ばれた襲撃者はメリーに向かって駆け出した。
「やっとこの重たい空気から逃げ出せますかいねぇ」
 ナックスも追う。ハルスと過ぎる際、一瞬だけそちらに眼を向けた。
 僅か一重だけ、ハルスと視線を交わらせ、そしてナックスも炎の中へと消えていった。
 ハルスは全てを見送ると、胸ポケットから葉巻を取り出し、ライターを灯す。
 同時、今になって降り出した雨によってライターの灯は消された。
「フン…悠長なものだな、ここの消火装置は」
 地上から噴出す雨――スプリンクラーによって、吸えなくなった葉巻を捨て、霧の晴れていく様を眺めた。
 耳を澄ませば、人々の騒々しい声も聞こえてくる。
「こちらは、悠長には構えてられんのだがな」
「だったら俺に感謝しな。今すぐお待ちかねの安楽コースだ」
「ほぅ? 気が合うな」
 そういってハルスは深々と腰を落とす。
「お前には十字架が見えるか? 唄は聞こえるか?」
 そこでヴァズは絶句した。
 目の前の巨大な影が、更に大きく膨らんでいたからだ。


12

 抜群の速力を持つ襲撃者――ゲイドだったが、メリーに、そしてランディにも、追いつくことはできなかった。
 更に、後方についていたナックスが、今は自分の正面に立っている。
 路地の角はまだ遠い。炎の壁は近い。炎を抜けて100mと進んでいない。
 遠距離は極端にスピードが落ちるものの、短距離では俊足を誇る足。
 それ故の自尊心だったが、たった今、この腑抜けた軍人によってズタズタにされていた。
「せっかちですなぁ」
「…キサマ、どんなトリックを使いやがった?」
 ゲイドには未だ信じられなかった。このような軍人が、この短距離で自分に追いつき、追い抜くなどと。
 ナックスは顎髭を撫でながら、何食わぬ顔で答えた。
「そりゃあ、簡単ですぜ。走っただけでさぁ。さすがの老人でも、自分より遅い者くらいは追い越せまさぁ」
 両手にナイフを持ち、ゲイドは飛びかかっていた。
 狙いは首。喉を裂き、首を切り落とし、あの減らず口を封じるために。
 殺し終えたあとに、両足も引き裂いてやろう。
 最早命令内容のことは微塵も残っていない。
 横薙ぎの刃。ナックスは刃にヘアバンドを絡ませて、器用に横へ流す。
 そのまま全く無駄のない動きで相手の腕を背中で締め上げた。
 肩が外れるよりも一瞬早く、ゲイドはナイフを手放し、もう片方の手で後へ苦し紛れの斬撃。そして飛び跳ねるように距離を取った。
「嬢ちゃんは色々とがんばってくれてんでさぁ。狙われちゃかないませんな」
 朗々とぼやきながら、ナックスは取り上げたナイフを手の上で遊ばせていた。
「しかしせっかちなのはいけませんな。本当のことを言えば、もっとあの両名の戦いを眼に焼き付けておきたかったんですがねぇ。旦那のせいで、叶わなくなっちまったぃ」
 ゲイドは口調が気に喰わないといった表情で、ナックスを睨みつける。
 それに気付いたナックスは、ふっと小さく息を吐いた。
「さてさて慌てん坊君。急いでどこに行きたいんですかぃ?」
「…殺す! 殺す!」
「なるほど、逝きたいわけですな。たまにはゆっくり考えたほうがいいですぜぃ。このナイフ、手放しても良かったものか、悪かったものか…なんてのも…」
 そして勝負は一瞬で決した。



13

 裏道を出たところで右に曲がり、そのまま突っ切るとメインストリート。
 メリーは持ち前の足を使ってランディを追いかける。
 それでも追いつけないのは、アンドロイドだからか。それともハイ・マスター様々か。
 センターからは随分離れた。追っ手の気配も音もない。
「ランディさん!」
 ここで数m先をいくランディの名を呼んだ。
 ランディは意外にも声に足を止め、後を振り返る。
 呆気ない制止に、逆にメリーは戸惑った。
「お呼びでしょうか?」
 口調は相変わらず特徴がない。いや、それは普段から情に豊富なバルバスと一緒にいるからそう思うのだろうか。
 ランディはメリーをじっと見詰めてくる。
「私はあなたを知りませんし、先ほどの大柄なニューマンも知りません。どこからお付き合いを始めるべきでしょうか……」
 そういって考える素振りを見せる。
 たしかに、メリーがランディを探していたことは別として、どうして大佐がランディを狙ったのかはわからない。
 それ以上に色々なことが起こりすぎて、整理できていないのはメリーも同じだ。
「私は軍属のメリー=アトレイト中尉です。ちょっとだけあなたに聞きたいことがあります。話だけでも付き合ってもらえませんか?」
 単純で簡単な言葉。しかし、自分で放ったこの言葉の意味にさえ、メリーは困惑していた。
 ハルスの言葉が引っかかる。
『危険因子』
 そして…
『とんでもないもの…』
「私は、あなたを捕まえたりするつもりはありません」
 木霊するそれらを振り払うように頭を振り、そしてメリーは短銃を抜くと銃口が自分の身体に向くように持ち、それをランディに突き出した。
 ランディはそれをどこか不思議そうに見詰め返す。
「教えてほしいことがあるの。あなたの出生のこと。どこで、誰に作られたのか…」
 攻撃意思がないことを伝えるために出した短銃だったが、ランディはまったく気にした様子もないことから、メリーはそれを床に置いた。
「…天空の剣"アインクリークス"に存在した超科学、ルーン。そしてAX−Rのコードを持つ灰色のアンドロイド。心当たりはありませんか?」
「メモリーには記録がありません」
 感情の無い声が返ってくる。それはアンドロイドだから、それともランディ自身の特徴なのか。
 読み取るには至らないが、困惑しているのだろうか。
 メリーは構わずに続ける。
「捜査の目的ではありません。証言が頂きたいだけです。最も、個人的な用件になってしまうのかもしれませんけど…」
 口に出しながらもメリーの頭の中では、見せられた光景が再度鮮明に映し描かれていた。
「何でも構いません。教えて貰えませんか?」
 そういってランディの手を取った、その瞬間だった。
 意識が白く明転したかと思えば、どこからか彼ら3人の声が響いてくる。

 エリーゼ。クラフト。ランディの声が…
 何を言っているのかわからない。だが、白く平和な空間に思える。
 穏やかだった。
 しかし、それら白の空間の中で、ただひとつ黒を放つ存在があった。
 エリーゼに背を向けて話す者
『全ての事象は、些細なロジックに過ぎない。我々にとっての意をなす理など存在しえないのだよ、教授。貴公ならば判ろう』
 全てが黒かった。その背中。その声。その存在。
 その黒はやがて膨れ上がり、白を塗り潰していく。
 エリーゼを、クラフトを、ランディを。全てが黒へと包まれていく。
(何、これは…?)
 思考の中で、黒くなっていく世界を見詰めメリーは次第に恐怖へと蝕まれていく。
 黒の跡には闇が広がり、全てが失われていく。
 鮮明な記憶が、失われていくような。
 まるで意識を、メリー自身すらも呑み込まれてしまうような錯覚を覚えて。
(どうなってるの? 消えていく…呑み込まれる…?)
 叫びも虚しく、黒は白の世界とメリーを完全に喰らい尽くした。
 虚空の闇の中に、ひとり投げ出された自分の姿がある。
 見渡しても、闇色以外はなにも存在しない。
(何が…何が起こっていってるの?)
 声もでない。何も無い。自分以外は何も無い。いや、自分すらも無いのかもしれない。
 ここで自分を見失ってしまっては、この虚無に呑み込まれてしまい、本当に消えて無くなってしまうのではないだろうか。
(ちょっと、嘘…。こんなのって……嫌だ! 恐いよ!!)
『存在しえないのだよ』
(え?)
 異質な声が聞こえてくる。
 闇の中に響く、闇をも凍りつかせてしまいそうな、凍てついた声が。
『救いなどありはしない。唄を失った我々には…』
 闇の中、更なる闇をまとったモノがある。
 黒い男の背中だ。
 男はゆっくりと肩越しに振り返る。おぞましい気と、禍々しい気を携えて。
 そしてメリーは、生まれてはじめて暗黒を目にした。

「――だめ…逃げて、早く…! あなたはこの人に会っちゃいけない! どこか遠くへ!早く!早く…!!」
 そこまで叫んで、メリーの意識は途切れた。
 幻覚や幻想の類だったのだろうか。
 しかし最後まではっきり覚えているのは、表情さえも見えない暗黒の中で、紅く歪んだ一点の光明。
 それが男の隻眼であったことだけだ。
 そしてメリーは、その人物を知っていた。


14

「中尉」
 野太い声と灰煙の臭い。人々の足音。背と尻から伝わってくる硬いものの感触。
 臭覚、聴覚、触覚。それらを確認した後に、メリーは瞼を開いた。
 目の前には大きな壁。否、壁とも思えるほど大きな人が立っていた。
「大佐…私は、いったい…?」
「しばし眠っていたようだな」
 周囲を見渡せば、そこは小さな広場。
 今自分が腰掛けているのは、4人掛けのベンチだ。
 若干の若者の姿と、2、3組のカップルがいる。それらを点々と建った外灯が、やんわりと照らしている。さしずめ公園といったところか。
 陽の光は既になく、今やどっぷり夜に染まっていた。
 メリーは軽い眩暈を覚えながらも、状況の理解に努める。
「今は少し休むといい。今日は色々と事がありすぎた」
 ハルスが思考するメリーに労いの声を掛ける。
「そう、ですね」
 メリーは疲れた笑みを浮かべ、それに頷いた。
 ハルスは小さくなった葉巻を吐き捨てると、ベンチを軽く拳で叩いて自分の体重を支えきれるものかを確認し、そしてゆっくりとメリーの隣に腰を下ろした。
 そのまま胸ポケットから新しい葉巻を取り出し、ライターで灯をつける。
 豪快に煙を吸い込み、そして吐き出して。それを3度繰り返して、ハルスは、メリーに話かけた。
「中尉、唄は好きか?」
「唄、ですか?」
「この巨体にこの面だがな。俺は好きだ」
 メリーはハルスの顔を見た。
 どこか穏やかな表情。それも一瞬で消え、メリーの視線に気付いたのか、ハルスは視線を合わせた。
「ふむ。やはり、らしくはないものか」
「あ、いえ、そういうわけでは」
 気にするなと言わんばかりに、にっと笑って見せ、そして再び視線を前へと戻す。
 メリーもそれとつられて、前を見詰めた。
 公園。市民に取って、ここはいつもと同じ光景なのだろう。
 しばしそれらを眺め、そしてハルスは閑話の堰を切った。
「こうした日常を守ることが、我々の責務でもあると思っている」
 意外だな、と思った。
 聞き慣れた台詞。いつもバルバスが常々言っていることを、別の人物が口にしたからかだろうか。それとも、ハルスが言ったからだろうか。
 それも、軍人として当然のことを口にしただけなのかもしれない。
「だがな…中尉。日常とは何かを考えたことがあるか?」
「え?」
「安寧に生きる者がいれば、常々苦難に悩む者もいるだろう。生きる者にとっての日常とは、その者自身の価値観でしかない」
 ハルスがひとつ吹かす。メリーは次の言葉を無言で待った。
「だからだ。俺にも守りたい日常はある。いや、あった。それを取り戻したいと思うことが、傲慢でないと信じたいものだな」
 ハルスはそれだけ言って吹かしはじめる。
 メリーは何も返さずに考えていた。
 認識違いをしていたようだ。本星の戦火の真っ只中を潜り抜け、軍部の3強とまで言われるまでになった人物が、たったひとつの日常と呼べるものを取り返す為に戦っている。
 戦渦に身を置き、そこから求める日常とは… ハルスにとっては先程言った"唄"なのかもしれない。
 日常を改まって考えたこともなかったが、でも、ハルスの言葉はどこか心に響いた。
「そういうことだ」
 一服を終え、ハルスは腰を持ち上げた。
 どこか穏やかな気持ちに浸っていたメリーだったが、立ち上がってハルスの背中を引き留める。
 メリーの制止の意味を理解しているとばかり、ハルスは振り向かず話し始めた。
「センターでの火災の件は、バーサルン大尉と、そして偶然現場に居合わせたシュンカ中佐以下11番隊が対応してくれている。ヴァズと名乗った男には、邪魔が入り逃げられた」
「違います――」
「違わんな、中尉。中尉はどこでルーンを知った? どこでAX−Rを知った?」
「それは…」
「同じだ。今日のことは、俺も答えられん…」
 ハルスはそれだけいって歩き出し、2、3歩進んで足を止めた。
「いや、中尉に頼る日もくるのかもしれんな」
 メリーは返答に深く考えて
「私にも、唄は詠えるでしょうか?」
 ハルスは何故か豪快に笑って、その場を去った。

 日常の風景の中に残されたメリーは、再びベンチに腰をつける。
 そして日常を眺めて。
 そこでふと視線を落とせば、ハルスの座っていた場所に一枚の紙切れを見つけた。
 写真だ。
 それは何時の物なのか。
 写真という時代錯誤な古物。
 寄り添う膨れっ面の男と赤髪の美女。一目に夫婦だろう。その後には、褐色肌で長い耳の目立つ巨漢と、そしてその肩にちょこんと座る母親と同じ赤髪の幼い少女が写っていた。
 皆、笑顔で。
 外灯のみの暗掛かりで、それでも色褪せることなく、優麗に愉快に。
 日常…。写真はそれを代弁していた。

 そして自分の日常とは何なのか。
 物思いに耽ってみた。



終幕

 薄暗い室内。
 中央には立ち台。机はそれを取り囲むように並べられており、それに腰を下ろすのは、煌びやかな勲章で軍服を飾った者達。
 彼らが集中する先は、中央に佇む者だ。
 頭上からのスポットライトがその人物を照らしだすも、長い頭髪はその者の顔に陰を作り、表情を隠している。

『只今より、サイ少佐に伴う審問議会を開始する』

『ではまず少佐。君はどうしてここに呼ばれたか理解しているかね?』
「傷の治癒まで議会を延ばして頂き、誠に恐縮であります」
『辞令や世辞を言い合う場所ではないよ、少佐。全く、君の言動にはホトホト呆れたものだ』
『我々は別に、君という人物を糾弾するためにここに呼んだわけではない』
『高官殺害事件…。少佐のことだ、迅速な解決を望んでの行動だったということは我等も理解しているつもりだよ』
『君の行動力と、それに伴った活躍には目を張るものがある。誰もが出し抜かれた凶鬼事件をはじめ、小国扮装問題、臨海都市爆破事件、パイオニア2強奪事件…数々の件において、君の働きは純粋な評価に値するものだ』
『だが、規則は規則。服務規程違反、船内武装規定違反、マグ無断使用…他にも幾つか。規律を重んじる我等軍部において少々過ぎるとは思わんかね?』
『少佐位と隊長位…異例の昇進ではあった。これで少しは君も落ち着くだろうと期待していたのだが』
「否定できません」
『そう畏まるな少佐。糾弾の場ではないと言ったはずだ。ただ、今件に関しての報告を、君の口から聞きたいだけだ』
『とはいえ、我々はこれでも君のことはよく理解しているつもりだ。不毛な問答はやめておこう』
『率直に聞く。高官殺害事件…今件について、君から何か言いたいことはあるかね?』
「…ありません」
『……素直な男だな、少佐は。マハジャ=シュンカ中佐、バルバス中佐、リーフ=アウリス特尉、セーヌ=ハーツ大尉、ミイニ=レーク中尉から今件に対する弁明の書類が届いておる』
『皆重役の人物だ。人柄だけでなく、人望も厚いようだな』
『ここで君に罪状を追加し、銃殺刑に処するも容易い。だが、我々は君のことは高く買っているのだ。あまり失望させないでくれたまえよ』
『<鬼斬(ライジン)>の名は伊達であるまい』
『最も、"鬼"とは殺戮の怪物のことを指すらしいな。その"鬼"を斬るものが、何も正義の味方とは限らんが…』
『君のその名が<毒蛇(ヴァイパー)>や<死神(デス)>と同じく、軍部に混乱と悲惨を与えるものではないことを切に祈っているよ』
「恐縮であります」
『君の隊についてだが、少佐復帰までは引き続き休隊措置を命じておく』
『今回までだ。次は無いと思え』
『個室で暫く頭を冷やしたまえ。恥ずべき行為を改めよ。以上だ』

「失礼致します」

 サイは一礼して退室した。
 発せられた一言一言からは、彼の心中を読み取れる程に至らなかった…


                       Order&Oppose……Fin


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