折れぬのは大剣
5
歩が進むにつれ、流れる水の色は赤から青、風景の色彩は茶から緑へ。そして、空気の質は湿から涼へと変化していく。
ランディたちがシャークに襲われた高温多湿の温水地帯の先には、地熱の原因たる溶岩の川があり、さらにその奥へ進むと、次第に空気は温度を下げ清涼とした水の流れる鍾乳洞が広がっている。火山地帯を抜け、カルスト地形の地下へと洞窟は進むが、地表ではどれくらいの距離を進んでいるのであろうか。その広さはまるで、深淵に潜む何かに決して寄せ付けまいとする思惑が働いているがごときである。
あの後幾度もの怪物の襲撃も退け、ランディとギイスは洞窟の第二層と言われる地帯へと到着していた。
転送された地帯とは一転してシダ系の草木が生い茂り、雨水が地下水となって所々に溜まっている。岩石に含まれる成分のせいか、洞内は明かりで満ちていた。
「さすがに疲れたから、この辺で少し休んでいくか」
たった今悲鳴もあげさせずシャークを三枚におろしたばかりのギイスが、黄色のフォトンを収納しながらランディに提案する。
問われたランディは一瞬前にナノノドラゴと呼ばれるドラゴンの変種を雷鳴がごとき一撃をもって縦に両断したため、<生残者>についた血を大振りに払っていた。
「そうですか。その方が効率的ですね」
了承を得るまでもなく、ギイスは近場の岩に腰掛けていた。
彼は荷物袋から小さな固形物を取り出し、背中のマグに与える。
取り入れ口から吸収したマグが小刻みに震える。その様はまるでペットが餌を貰って喜んでいるかのようであった。
自分の携帯食料も一口だけ食しながら、ギイスがぼんやりと口に出す。
「こいつらにも、味覚ってものはあるのかねぇ」
ランディは直立のまま、その呟きに反応する。
「与えるもので進化が違うということですから、成分を判定できていると思われます」
「違う。食事を楽しむって意味での味覚だよ」
「そういった機能は、私もありませんが」
「ああん? 味覚機能があるみたいなことを前に言ってなかったか?」
怪訝そうに顔をつくり、ギイスが尋ねる。
「あくまでも、どのような味で、どういった成分が含まれているか判断が出来るというだけです。何を摂取してもエネルギー源になるのですから、楽しいといった感情は湧きません」
ランディは鉄面皮のまま、事務的な口調で答える。
「へぇー、こいつらは餌をやると喜ぶんだがなぁ」
ギイスが背中に漂うマグを見やりながら、不思議そうに言った。そんな様子を見ながらランディは、多少調子をかえた声音で問う。
「ギイスはマグを大事にしていますね」
「まあ、こいつ役にたつしな。こいつがいなけりゃ、俺もそんなにテクは使えねーし」
ギイスの言うところのテク、すなわちテクニックは精神を物理エネルギーに変換し、物理世界に干渉して一定の現象をおこす技術である。ギイスのマグは、この物理エネルギー変換の際の演算をその機能として請け負っているのであった。
「他に趣味がないからだと思っていました」
「ご名答。洞察力がついてきたな」
「おや、ありがとうございます」
「そういうのを嫌味って言うんだよ」
「そうですか、勉強になります」
「まだ勉強が足りねえよ。顔洗ってそのまま錆びてろ」
ギイスは吐き捨てるように言うと立ち上がり、装備を点検して準備を整え始める。
ランディは不動。
しばらくはせせらぎの音だけが、二人の間を流れていく。
やがてギイスが再び口を開いた。
「しかしお前、なんだってこんな依頼を受けたんだ? 依頼料は並なくせに面倒だし危険もあるし、合理的とは言えない気がするぞ。まあ、今さらなんだがよ」
問われたランディは即応せず、しばし論理を組み立てているようであった。
「私たちアンドロイドは、人に尽くすために作られました」
ランディが直立のまま、ぽつりと音を紡ぐ。
「しかし、人に尽くすというのはどういったことなのでしょうか。マスターを個人で設定しているなら良いのですが、人類の最大多数の幸福のために事を成せと決められている私は、果たして何をするべきなのでしょうか。産みだされたときから私は思い悩んでいます」
ギイスは一切口を挟まない。表情も変えない。
「ミスター・ギャザーは同じアンドロイドにして私とは違い、生存の目的をもって活動しています。彼の活動を手伝えば、その中で先ほどの疑問のヒントが得られる可能性があると判断し、時折こうして彼の依頼を受けているのです」
ギイスは装備を点検しながら、ランディを見ずに応答する。
「テメエの会話には情緒がねえ。進歩もねえ。まあ、新陳代謝もねえから進化しないのも当然かもしれねえけどよ」
口調は軽いが、その雰囲気には何かしらの深さがあった。
「ランディ、一つだけ教えといてやる」
「何でしょう?」
「人の役に立ちたいからって、漫才師とか、喋る仕事は止めとけ。お前の受け答えはシュールすぎる」
「それが私の議案と何の関係があるのですか?」
「……焦るなってことだよ。手っ取り早くしたいなら、今は俺が早く帰れるように手伝いやがれ」
「了解しました」
それを聞くとギイスは会話を切り上げ、まだ進入していない区画へと足を進めだす。
ランディもその後に続いていく。
"生きる目的があるだけで満足しやがれ"という言葉をギイスは喉元で飲み込んでおいた。
ランディの言葉に嫌でも思い出される自分の深奥に心は身震いしながらも、脳は反応してしまう。
深く広い洞窟を歩きながらギイス自身の意思に反し、負の記憶を掘り出していく。
6
夜。
窓の外では雨が降っている。
この部屋は、俺の部屋だ。いや、俺の部屋だった。
「ギイス兄さん……。どうしても出て行くの?」
目の前の小柄な少女の声は、非難の色に溢れていた。
だが罪を問われる自分はその色を持っている。すでに染まってしまうほどに。
だから非情になれる。
「ああ、もうここに居る意味はない」
少女は悲しさに瞳をくすませ、どうして、どうして、と繰り返すばかりだ。
「親父やあいつの道具になるのは、もうご免なんだよ。俺は俺の行き方を見つけてやるんだ」
「……だったら、私も連れて行ってよ!」
「馬鹿を言うな! そんなことしたら母さんの面倒は誰が見るんだ? この無駄に広い屋敷で、たった一人にさせる気か」
少女は押し黙り、眼からは大粒の滴をこぼしている。
俺も溢れそうだった。
「手紙くらいは送る。母さんを頼んだぞ」
母の顔がよぎるが、振り払う。
父や、兄の顔が現われ、無関心と冷笑をみせる。
俺は止まれない。
「じゃあな」
俺は全てを置き去りに部屋を出た。
締めた扉の向こうで妹の泣き声が、雨音に混じっていっそう強く鳴り始めた。
レールの上から飛び下りた俺は、今も一人で走りつづけている。どこへ行くべきなのかは、未だに解からない。
7
ランディが最初に探知したのは、何かが弾ける音であった。
続いて狭い通路を支配したのは怒号と悲鳴。そして、断末魔。
ランディのマグが位置を割り出し、二人は発生源へと急ぐ。
声が途切れて数分ほど。たどり着いた場所は他よりも少し狭めの、明かりの少ない空間であった。
5メートルほどの天井に、遠目には奥の壁が見える。
一見、何の変哲もない。
だがその空間を支配するのは、紛うこと無き死の臭いであった。
ギイスが疑問を浮かべて視界を落とすと、薄闇の中には人間のものと思しき死体が無数に地面に転がっていた。
胴がちぎれ飛んだ下半身。
頭から潰された肉ダルマ。
壁に張り付いた人型の何か。
人の中身で出来たオブジェ。
その数は正確には解からない。
「……なんだこりゃ?」
人の死体など見慣れたギイスも、顔をしかめながら疑問を口にした。
猛烈な血の臭いがする。まだ乾いていない血が床一面に広がっているようである。
ランディが死体の側に屈みこみ、服装と装備を分析する。
「どうやら軍部の正式採用装備のようです」
「おいおい、んじゃこの死体は軍部の連中ってことか? こんな所で何やってんだ?」
「おそらく、いつもの掃討作戦だったのではないかと」
ギイスは首をひねりながら、疑問を口にする。
「確かギルドで二、三日前に依頼が出ていたな。でもよお、いくら軍部の装備がへなちょこだって言っても、洞窟のエネミーにここまでされるほどじゃねえだろ?」
「こうなってしまった理由は解かりかねます」
そう言われるとギイスはしばし眼をふせ、黙考を始める。
ランディはあたりの様子を調べながら、抑揚のない声で言う。
「おそらく、死体は7人ほどかと思われます。合わさってしまっているのもあるので、断定は出来ませんが」
「……周囲の生体反応をマグで探査してみろ。生き残りか、もしくは当たりがひっかかるかも知れねえぞ」
唐突に黙考を終了したギイスから、ランディへと指示が飛ぶ。
「当たり、とはどういうことですか? くじ引きでも行なわれていたのでしょうか」
素直にマグへ指示を出しながら、ランディが見当外れなことを聞く。ギイスは辺りを見回しながら、
「外れが出たらみんな死ぬ。果てしなく嫌なくじ引きだな。」
とのたまった。そのままギイスは比較的損壊の少ない死体へと近寄る。
「こいつを見てみろ」
ギイスは盛大に体を圧迫され、目玉や内臓が内から飛び出した死体を指差している。
「腹部が陥没していますね。おそらく死因は一抱えほどの鈍器のようなもので、大きな圧力をその部分に加えられたせいかと」
「鈍器のようなものって、お前はニュースキャスターかよ」
「生体反応、東の空間に一つ、同じ空間の離れた場所にもう一つあります」
「ツッコミを無視すんなコラ! って、今は言い争いをしてる場合じゃねえか」
言うなりギイスは腰の二刀を展開した。
「人間をこんな殺し方するエネミーなんて、この洞窟では聞いたこともねえ。だから何かの陰謀とか働いてなけりゃ、未知の生物がこの近くに居るってこった。そいつをバラして持ち帰れば依頼達成だ。ちいっと頭使えば解かることさ」
ギイスの特技はその軽い口調から誤解されやすいが、戦闘そのものよりもこうした分析と戦術眼にある。分析しすぎで時折判断力に欠ける気質と、安全優先のため平凡なクエストの成績が災いして近頃ようやくマスターレベルになったばかりだが、前衛職の中では屈指の戦術家であった。
「反応の大きさに違いは無いか?」
「おそらく軍部がかけたジャミングのせいで、この一帯が反応が微弱なので解かりかねますね」
「掃討作戦でジャミング? そのせいで接近されるまで気がつかなかったのかこいつらは。自分で自分の首締めるとは、とことん無能だな」
ギイスは転がる死体を哀れそうに見やり、少し黙祷して東へと歩を進める。
ランディは大剣を担ぎながら、その後に従う。
すぐに二人は短い通路を抜け、東の空間にたどり着いた。
そこは巨人宅の廊下と言えるほどに広い部屋である。だが先ほどの空間よりも岩石の発光体含有量が乏しいようで、若干薄暗い光量であった。部屋の中ほどまでしかギイスの視界には映りきれない。
しかし、赤外線視界モードに切り替えたランディの眼が何かを捕らえたようだ。
「ギイス、三時の方向に人です」
ランディがそう言うと、薄闇の奥からくぐもった男の声がした。
「だ、誰かいるのか……?」
「お前こそ誰だ? 人に名前を聞く時にはまず自分から名乗るもんだぜ」
言いながらもギイスは声のした方へと向っていく。
やがてぼんやりと視界に浮かび上がったのは、座り込んで壁にもたれかかる一人の男が居た。よく見れば服は軍服で、先ほどの死体と同じような装備をしていた。
(まあ、あちらは原形を留めていなかったから断定は出来ないながな)
そう思いながらも、ギイスは疑問を口にする。
「お前さん、軍部のもんか?」
「ここから早く逃げよう! 奴がまた来る! 来たらもう逃げられないぞ!」
男は泣きそうな声で訴える。
その時、ランディが変わらず無機質に告げた。
「ギイス、十二時の方向に……、当たりです」
言いながらランディは隙の無い構えへと変わる。
「くじ運が良いな。どうせなら豪華景品も用意してくれてりゃいいが」
横目にランディは、壁にもたれる男の顔が悲壮に歪むのを見た。一度は逃れえた絶望を、もう一度味わった時の顔。
「死ぬぞ! 皆死んでしまう!」
男の絶叫。
「来ます」
ランディの告知。
そして闇の中から静かに、より深い闇が現われた。
8
洞窟にすむエネミーはそのほとんどが原生生物の突然変異体であり、一括りにして「アルタードビースト」と呼ばれる。シャーク系も、ナノノドラゴも、元の生物はラグオルの生態系に組み込まれていたのであるが、洞窟の最奥に潜んでいたワーム形の巨大エネミーが持つ、複数の触手の先より体内に打ち込まれた「何か」によって強引に生命活動を狂わされた、哀れな命であった。その気質は総じて凶暴・獰猛であり、主な活動は捕食のためではなく、殺すために殺す、生物とは違う理解不能な怪物である。
這いだした闇が、濃い影となって実体化する。
ランディの二倍はあろうかという巨躯。首というものがまったく見当たらないほどに筋肉に覆われたその体は、毒々しいほどに深い緑色をしていた。左腕は巨木を一撃でなぎ倒しそうなほど太く、拳の部分には骨の発達したものだろか、拳ダコのように丸くこぶがあった。また右腕は存在せず、異様なまでに背筋が盛り上がっている。どこかシャーク系を思わせる頭部には鋭い二本の角があり、人を丸呑みに出来そうな口にはぎらぎらとした犬歯が並んでいた。
口と異形の拳から先ほどの死体のものだろう、血を滴らせているのが見える。
ランディもギイスも未だ一度も見たことの無い、だが洞窟ではそれが当たり前な生態系の常識を逸脱した生物。
新種のアルタードビーストがそこには在った。
「守れ」
ギイスの朗とした声が通り、座り込む男とギイスたち二人を薄青い光が包む。
質量の無いフォトンの防護膜だ。
「これを使ってください」
ランディが男に携帯回復薬であるメイトを投げて渡す。
「傷が治りしだい逃げて下さいね」
男は言われた通りにメイトを食し、残りを傷口に塗る。
「宿れ」
再びギイスがフォトン強化のテクニックを発動。赤い光に包まれる。
突如、今まで大人しかった怪物の巨体が、弾かれたように飛び上がった。
跳躍。
ランディとギイスはその動きに瞬応で散開。
轟音を響かせて怪物が着地したのは先ほどまでランディたちのいた位置であった。
怪物が行動を再開するよりも早く、二条の線がその巨躯に向かって走る。
一の線――ギイスの剣が帯状に軌跡を残し、ひるがえり、斬り反され、黄色の残像が数度煌めく。
だが全て浅い。
ギイスの攻撃が届くとほぼ同じく、二の線――ランディがすさまじい踏み込み音を轟かせながら、低く地を走らせた大剣で神速の切り上げを放つ。
<生残者>が深く食い込む瞬間、巨体が跳躍してその場から掻き消える。
側面の岩壁に飛んだ怪物は、空中で反転すると足を使ってゴム毬のごとく壁から跳ね返り、ランディの方に向かって突進する。
振りかぶられた拳をまともに受ければ、如何なるものも粉砕の末路だ。
だが猛烈な打撃の軌道上に居たランディは切り上げたままの鉄塊を持って、さらに一歩踏みこむ。
瀑布のごとき斬り落としが音速で放たれる。
フォトン強化で加速、保護された<生残者>が、怪物の豪腕とぶつかり合った。
「ゴ」とも「ギャ」ともつかぬ鈍い音。洞窟内が音でゆれた。
次の瞬間、弾丸のごとき勢いでランディが後方に吹き飛ばされる。
行く先には、岩盤剥き出しの壁。
だが、空中で何とか体勢を立て直し衝突を避ける。
受身をとってみても、打撃の威力そのものを殺すことは出来なかったようだ。立ち上がる動作が先ほどよりも明らかに鈍い。
「鈍れ」
攻防から一瞬遅くギイスの声が響き、劣化フォトンが怪物の体を包む。
見ればランディの一撃は、怪物の腕に浅からず食い込んでいた。
だがそれは怪物の怒りを増したようで、耳に響く甲高い咆哮をあげている。
近くにいたギイスを睨むと、小物を跳ね飛ばそうと豪腕が振るわれる。
すさまじい速度の打撃。
直撃するかと思われた瞬間、ギイスの姿は掻き消えていた。
怪物の腕をかいくぐり、懐に入りこむ。
密着するほどに接近したギイスが両手にもつフォトンの剣をひるがえし、竜巻を思わせる苛烈さで剣舞を披露する。
幾重にも黄刃が振るわれるが、致命打ではない。そうギイスは手ごたえから感じる。
事実怪物は耳を抑えたくなるほどの甲高い砲声を放ち、蚊を追いかけるようにギイスをひねり潰そうと狙っている。
ラチがあかないと判断したギイスは、二本の剣を腹部に深々とさしこみその場を離れる。
一瞬獲物を見失った怪物が、怒声を上げながら跳躍した。そのまま高さ6、7メートルはあろうかという天井にぶら下がる。
「……野ザルのアルタードか?」
荒れた息を整えながら、ギイスがぼやく。
「ランディ! 俺の武器が見えるか?」
「はい、深く刺さってますね」
答えたランディの声は、多少ノイズが混じっていた。
「俺が今から注意をそらす! テメエはトラップで動きを止めて、そのゴッツイのを食らわしてやれ」
「勝算を算出しますか?」
「確率なんて気にしてたら、1%も0になるぜ」
「勉強になります」
「来るぞ!」
怒号を上げていた怪物は、くるりと器用に空中で反転して、天井を踏みしめる。
急降下。
膨大な質量がギイスめがけて降りそそぐ。
すんでで避けたギイスだが、巻き上げられた石つぶてが体を痛打。
痛みを堪えながらギイスは集中を開始する。
全ての疑問を焼き尽くすように。己が生きる証の為に。
「朽ちろ!」
突如、巨大な爆発が怪物の頭上で炸裂する。
「朽ちろ朽ちろ朽ち果てろ!」
ギイスの声が鳴り響く。
連続爆発。
マグによって演算を肩代わりし、精神力を一般のハンターよりも温存できるギイスならではの切り札であった。テクニック専門のフォースよりも威力は数段落ちるが、それでも連続で使えばすさまじい威力である。
熱波と、たんぱく質の焦げた臭いが広がる。
だが怪物は倒れない。
上半身の皮膚がほとんど焼け爛れているものの、まだその足は大地にしっかりと根をはっていた。
(あれで倒れねえのか!)
驚愕にギイスは眼を見開く。
ランディは打ち合わせ通りすでに駆けていた。
トラップツールを上空に放るが、発動までには若干のタイムラグがある。
ギイスは集中の切れ目で、テクニックは間に合わない。
飛燕の動きにいつものキレがない。
巨躯の化け物は、声にならない咆哮を上げながら、向かってくる弱った燕を払い落とそうと腕を振り上げた。
迫り来る死の腕。
間に合わない。
そうギイスが思った瞬間、一発の銃声が小さく響く。
放たれた赤色の弾丸は空中にあったトラップツールを打ち抜き、強制発動させる。
瞬時にして、怪物の動きが凍りつく。
テクニックを応用した、凍結の呪力が込められた罠だ。
怪物に近づきさらに速度を増したランディは、ギイスの剣、もう一本、怪物の肩を踏み台にして高く高く跳躍した。
踏み台にした勢いで剣が怪物の体を裂く。
空中で振り上げられる<生残者>。
それが全質量と加速力、ランディの握力に支えられ、莫大な破壊力をもって怪物の頭部に打ち下ろされる。
一気に体の半ばまでも切り裂かれた巨躯の化け物は、ゆっくりと自重により左に傾き、裂けて地面へ転がる。
盛大に血と臓器を撒き散らして、異形の怪物は息絶えた。
9
アンドロイドハンターであるランディは、街並みをゆっくりと歩いていた。
町の一角では屋台が建ち並び、多少の賑わいを見せている。
ビルの谷間に生きる人々は、不安ながらも今を必死に生きているようだ。
(そうだと良いのですが)
先日の洞窟での未確認の怪物との死闘。決め手の銃弾を放ったのは絶望していたはずの軍部の男であった。彼が居なければ自分も彼の仲間たちのように死んでいたに違いない。とランディは判断する。仲間の仇を取りたかったと言った男にギイスは、やったなおっさん、と軽く声をかけていた。
(やはり、人間の心は不思議です)
絶望だと感じても、立ち上がることが出来る。絶対に望みがない状況に、立ち向かおうとする。
何事にも合理的判断が下せる自分では、吹き飛ばされたときにギイスが指示を出さなければ、戦力差を理由に戦闘を止めそのまま死んでいただろう。そうランディは冷静な分析でもって判断する。
迷わないが故の弱さ。迷うが故の強さ。
人の心を知るためには、まだまだハンターズとして人々を助け、生き残らなければならないとランディは思う。
彼に武器を渡した技師曰く、<生残者>はどれだけ打撃を受けても折れない、守りも具えた武器であるという。
主人が再び故郷へと帰れるように、決して朽ちない絶対の意思。
"坊や、人を学びなさい。それを終えるまでは死んではいけません。途中で死んだらお母さんは絶対許しませんよ……"
彼の最初に記憶にある女性。その血にまみれた最後の姿と、そして言葉が思い出される。
彼女は死の際にいながら、微笑んでいたようであった。
突如として繋がった記憶に疑問を覚え、ランディが理由を思案しようとした時、聞いたことのある声が彼を呼んでいることに気がついた。ギイスだ。
「――おいランディ! 一回呼んだだけで気づけっつーの!」
ギイスの呼ぶ声で、ランディは思考を中断させる。大事なことを考えていた気がするが、別にそうでない気もする。
「おやギイス、こんな所で何用です?」
ランディはギイスに呼び出されていたことを思い出す。自分が赴いたのは今回の依頼を受けた、始めの屋台があった場所だ。
「おや、じゃねえよ。報酬を受け取るために集まったんだろうが。アンドロイドが物忘れするなよ」
「アンドロイドは頭脳に負担をかけない為に、意図的に考えないこともあるのですよ?」
「だったら余計に性質が悪いわ!」
ギイスが怒鳴り、ランディは何が悪かったのかを検討し始める。
そのまま数刻後、不毛な会話の応酬を続けていた二人だが、ギイスがいつまでも店主が来ないことに気がつき、連絡を取ろうと通信端末を起動する。
だがディスプレイに映し出されたのは店主ではなく、治安部の制服姿であった。
『君たち、この回線の持ち主の知り合いかね?』
制服の男が事務的に問う。
「ギャザーはどうした? テメエは何もんだ?」
対するギイスはあえて問いで返す。
『失礼、私は治安部の者だ。この回線の持ち主である屋台の店主は、食品衛生法違反の疑いで現在取調べ中だ。異常生体フォトンに汚染された新種の生物を食品として出していたという証言が――――』
制服姿が言い終わるより早く、ギイスが回線を切る。ついでに念入りに電源も落とす。
「どうやら、新作の丼は先送りのようですね」
ランディがさも残念そうな声音で呟いた。
「丼じゃねえだろ!? 俺たちの報酬はどうなるんだよ!」
ギイスが叫び声を上げる。
「おいランディ。テメエが紹介した仕事なんだからな、責任を取りやがれ!」
「そう焦らなくとも、店主が釈放されれば問題はないでしょう」
「待ってられるか! おい、どこ行くんだよ。逃げるなコラ!」
「逃げてはいません、これからメンテナンスがありますので」
「確かにこの場を離れるのが得策だが……、って言い訳かコラ? 待てっつーの!」
二人は言い争いながら、ビルの谷間に消えていく。
パイオニア2の居住区は、今日も人工の太陽が、人畜無害な晴れ模様であった。
第二話 完
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