揺らめくのは色彩






「ユキ、逃げなさい……」
 そう言ったきり、父さんは動かなくなった。
 目の前に倒れる父さんと母さん、同じように転がっているその他の大人たちを取り囲むように、赤の色が揺らめいている。
 わたしはぼんやりとその様子を眺めていた。
 二人とももう起き上がらない。
 そういう色をしているからだ。
 幾度となく見た、「死んだ」人の色。「死」とは色が無くなることだ。溶けてなくなる。風景と同じ色になる。
 私の手には、二つの刀がある。
 父さんと母さんが残した刀。
 ……外に出なきゃ。
 撫でるように迫ってくる朱色を避けながら、わたしは家の出入り口へと向かう。




 誰もが死とともに暮らし、驚き、怒り、泣き、笑う。人間だろうと、ニューマンだろうと、程度の差はあれおよそ全ての生命には死は等しく、差別も区別も例外も尊重もなく訪れる。
 パイオニア計画によって人が宇宙を行く時代。どれだけ医学が進歩しようと、未だ死からの復活は達成されず、人類全てを繋ぐ唯一の、そう只唯一の平等理念は保たれたままだ。
 ゲオジルク=レイトリーと3人のパーティは、人類の普遍知識たる死の平等性を知らないわけではなかった。ただ忘れていただけだ。だが死神の満ちた戦場では、その忘却が生む小さな心の隙間からも、彼の者たちはこっそりと心の臓に入りこむ。
 だからゲオジルクたちにとって、その出来事は唐突だった。

 四方を鉄の壁で囲われた、ほのかに明るい空間。
 その空間に突如として闇が訪れる。
 闇の中には四つの人影があった。
「な、なんだぁ? トラップか?」
 人影の中の一人が声を上げる。声は若さを含む男性のものだ。
「落ち着けヒル。ライチ、何か見えるか?」
 別の人影が、声を上げた一人をなだめ、近くにいた影に声をかける。その声は先ほどの男の声よりもやや年輪を重ねた渋みがあった。
「音方索敵、熱源探査、ともに反応はありません」
 ライチと呼ばれた影が、女性型アンドロイド特有の平坦な音声で質問に答える。
「おいゲオ、とりあえず危険は無いみたいだから先に進もうぜ。俺暗いところダメなんだよぉ」
 ヒルと呼ばれた若い男が、レーダーを見ながら不安そうな声を出す。
「情けない声を出すなよ……。解かった。先に進もう」
 三人の影がゆっくりと進みだす。だが影が一人分、立ち止まったままだ。
 集団の中でひときわ小さなその人影が、数歩前を行く三人に声をかける。
「待って」
 声の持ち主は若い女性であるようだ。声を聞いた男、ゲオが立ち止まった。他の二人は構わず先に進んでいる。
「ユキ、どうした?」
 ゲオが小さな影に近寄って聞く。ユキと呼ばれた影は、先を行く二人が歩く方を指差しながら答える。
「何かいるよ」
 ゲオはユキが指し示す方を振り向いた。闇に目が慣れたのかうっすらとだが先が見える。だが、ゲオの眼には何も見当たるものはない。レーダーにも反応はない。ゲオは周辺をざっと見回す。ここは惑星ラグオル地下層に存在する「坑道」と呼ばれる巨大施設。周囲は鉄製の壁に囲まれて、所々に小さな光点が点滅している。それらは空間の天井にもある。ゲオは目線を上へ。
 その天井には、赤い人影がぶら下がっていた。
「――――!!」
 ゲオは衝撃に動けぬままだ。
 油断が焦りを生み、焦りが失敗を生み、失敗は決定的な隙を生む。
 暗闇の中でもはっきりと解かる赤さをもつその人影は、逆さでぶら下がる天井から滑らかな動作で落下。
 空中で反転しながら音も無く着地した場所は、先を行く二人とゲオたちの間であった。
 赤の二本の腕にはそれぞれ、輝きを放つフォトンのブレードが展開されている。
 ゲオはようやく声を張り上げる。
「ライチ、ヒル! 避けろ!」
 二人が何事かと振り返る。
 そのときにはもう、赤の人影はライチに飛び掛っていた。
 ライチは自分へと迫る赤を認識。右へのサイドステップで緊急回避を開始する。
 しかし煌めく刃は逃れるライチの胸部を捕え、深く切り裂きながらそのまま肩下から右腕を斬り飛ばした。
 一拍の間を置いて切り口から放電がおきる。ライチは肩膝を地につきながら、うめき声一つ上げず左腕への動力供給を遮断。体勢を立て直し、右腕にフォトン製のダガーを展開する。
「燃えろ!」
 ヒルが気合とともにテクニックを解放した。
 無より火球が生まれ、赤い影に直進する。それと同時、ゲオからフォトンの弾丸が三つ放たれる。
 全弾直撃。
 しかし炎に撒かれながらも、赤い影は一切怯まなかった。
「くそっ、硬え」
 そう言うとヒルは次なるテクニックを行使するための集中に入る。
 赤色は4人から離れる方向に大きくバックステップ。そのまま暗闇に溶けこむように消える。
 ライチがふらつきながらも追撃に入ろうと低い姿勢で駆け始める。
 瞬間、ユキからひときわ大きな声が放たれる。
「二人とも避けて!」
 反射的にライチは突進を停止。ヒルは集中を切り替えられず、その場に棒立ちになる。
 闇が、揺らめいた。
 骨の折れる鈍い音が響く。
 ヒルの体が大きく前方から「く」の字に折れ曲がり、悲鳴を上げることすら許されず、その姿勢のまま後方に弾き飛ばされる。
 鉄製の壁面に激突し、ヒルはその場に崩れ落ちた。
「くそっ! 何なんだ!?」
 何に襲われているのかも解からず、ゲオはヒルの元へ駆け出す。
「ユキ、ライチをサポートしろ!」
 ユキは言われるままライチの側へ。ヒルが先ほどまで居た空間では闇がさらに揺らめき、彼を弾き飛ばしたものが実体化する。
 それは赤い影と同じ形をした、青まじりの影であった。影はそのまま後方に飛び退き、再び闇に溶ける。
 ゲオが薄闇の中、かろうじて意識を保っていたヒルに肩を貸しながら叫んだ。
「強制帰還するぞ!」
 ゲオ、ユキ、ライチの三人は移民船パイオニア2への緊急帰還用転送回線を開こうとシステムを展開。だが座標特定の段階で移民船との交信にノイズが走る。
 転送は開始されない。
「……どうやら一帯に妨害電波が張り巡らされています。装置が機能しません。」
 状況を分析したライチが告げる。
 その瞬間闇の彼方で、赤い影を中心に赤と青のフォトン光が輝いた。一瞬晴れた黒の幕。その隙間から垣間見えたのは、赤い影の周りに同じ形の青みを帯びた色をした影三つ。合計四つの影を点滅するフォトン幕が包み込み、赤、青と交互に明滅を始める。
 その光景にゲオはもはや驚きで声も出ない。あれは確かに人類の使う、テクニックの強化フォトンだ。だが発動を精神力に依存するテクニックは、現在開発されている機械のもつ人工知能では使用できないはずだ。この坑道に現われるエネミーは今まで機械群しかいなかったのに。あの影たちは生物だとでも言うのか。
 ヒルを一撃で戦闘不能にした青い影が三体。もはや勝ち目など無い。
「――ゲートに走れ!」
 勝てない。勝てないのなら、逃げるしかない。そして逃げ道は一つしかない。
 大きく叫ぶとゲオはヒルの手を引き、もと来たゲートへ走り出す。後方ではフォトンをまといながら青い影が進軍を開始していた。無様な敗残兵を狩りたてるために、両の腕にフォトンブレードを展開しながら、強化フォトンによって増速した猛烈なスピードで歩み寄ってくる。
 ゲオはユキにヒルを任せるといち早くゲートを越え、ロックするキーに手を置く。ゲートの向こう側は光で溢れていた。ライチはユキたちの後ろに位置し、殿を勤める。
 三人が扉を抜けるまでおよそあと六メートル。
 後方で青の影が一つ、ぐっと屈みこむのをゲオは見た。
 金属を打ち鳴らす音が響いたかと思うと、影は一気にユキに迫る。
 跳躍だ。
「ユキ!」
 ゲオが叫ぶ。
 だがユキは予測していたかのように手持ちの武器をひるがえす。フォトン光を放たないその武器は、ゆるやかな曲を描く金属製のものであった。
 あと五メートル。
 軌跡を残して煌めく光刃が迫る。ヒルを支えるユキは回避不可能と判断。斬撃を武器で受け止める。
 だが絶対的な運動量の差に耐え切れず、ユキは後方に押し飛ばされた。そのまま後ろに転がるように扉を越える。
 ゲオは片手でハンドガンを構え、迫る影の一つに牽制射撃。その足を止める。
 支えを失ったヒルはふらつきながら扉を目指す。
 あと四メートル。
 後方で残った影が屈みこむ。
 ライチはフリーズトラップを飛んできた影に投げつけた。瞬時に影は凍りつき、そのまま動かなくなる。
 あと三メートル。
 屈んだ影が跳躍する。
 軽症だったのか、ゲオの後ろでユキが起き上がろうとしている。
「二人とも飛び込め!」
 ゲオが叫ぶと同時に射撃を止め、ゲートロックの動作を開始。
 あと二メートル。
 左右から扉が閉まり始める。殿のライチの背後に跳躍した影が追いすがる。ほぼ同時にライチが扉へと飛び込む。
 ゲオの射撃から逃れた影が跳躍の動作に入った。
 弾き飛ぶ勢いでライチが扉を抜け、そのまま後方で倒れこむ。
 負傷の重いヒルは飛び込めない。閉まりかける扉の間からゲオが手を伸ばす。
「つかまれ!」
 あと、一メートル。
 閉まりかける扉には、ゲオたちよりも二回りほど大きな影たちが入りこむ隙間は無い。間から覗く暗闇は次第に細く濃くなっていく。もはや死を招く青い追手は見えない。
 ゲオの手を掴み、ヒルが安堵の表情を見せた。ぎりぎりで隙間を通せる。ゲオは思いっきりヒルを引き寄せる。
 同瞬、細い闇に光が生まれた。
 ヒルの足がこちら側に届く。
 閃き。
 轟音とともに扉が閉まる。同時に向こう側で何かが激しく扉にぶつかる音がする。
 間一髪ですり抜けたヒルが、ゲオに抱きとめられる。
 その身体には首が無かった。




 燃える我が家から出てみると、外ではさらに盛大な朱色に染まっていた。
 あちらこちらでまだ残る様々な色したものも、次第に染められてゆく。
 朱は炎。それも無数の、大きな大きな炎だ。
 わたしは考えるのを止めて駆け続ける。昨日まで街の人たちが笑いあっていた家は、今は全部燃えてる。優しかったサムラさんの家も、意地悪だったナカシマ君の家も。
 遠くで、誰のものだか解からないけど、嫌な叫び声と、破裂するような音、金属を打ち鳴らす音が聞こえる。
 でもわたしには関係ない。
 父さんも母さんも、友達も、優しかった大人たちも、みんな呑まれてしまった。
 もうわたしを守ってくれるものはいないから、わたしが自分で守るしかない。他の人には構っていられないから、他の人には興味が無い。
 避けて、振り払い、間を抜けて、わたしは街の端の小さな広場へとたどり着く。
 炎は広間の中までは迫っていなかった。
 見ると、広場の中央には一人の大人が立っている。
 その大人は攻撃的な色の輪郭をした長細いものを持っている。たぶん長銃だろう。
 銃口の向く先は、わたしの額だった。




 夜。
 空に星の輝きはなく、代わって地上には色とりどりの電飾が煌めき瞬いている。
 街の電灯が空の星たちを駆逐し、夜の輝きを地上が支配する時代。宇宙開拓時代幕開け以前より何世紀にも渡るそんな一方的な占領も、所詮は人の作った箱ものの中だけで、人が数代生きようとも星々にとってそれは一瞬である。
 統制された昼夜。計算された空模様に、調整された湿気と気温。そして、一切の変化もない四季。惑星間航行移民船「パイオニア2」はまさに人類の箱庭であろう。完璧さを追い求めたが故の退屈がここにはあるからだ。
 ハンターズギルド内の管理地区、ロビーと呼ばれるハンターズの談話室で、ノイリスは一人空を眺めていた。
 四人掛けの少しごてごてしたテーブルに、彼は今一人で座っている。辺りは人が多く、彼の耳にも幾種もの感情が込められた話し声が届く。
 背もたれを軋ませながら星のない夜空を見たところで、彼には何の感慨も沸いてこない。一つあるとするならば、それは退屈さだけだ。
「……遅いですねぇ」
 独り言を呟きながら、被っている帽子を脱いでテーブルの上に起き、しばらくいじった後、また被る。これできっかり二十度目だと、ノイリスは自分に言い聞かせる。つまりは、こんな仕種を数えるほどに彼は暇だということであった。
「ミリニアさんの方は上手くやってるんですかねぇ……」
 再びノイリスは呟く。誰が聞いているわけでもない独り言など、無駄の極致だと頭の片隅で考えるが、他に手も無く、自分には独り言くらいしか残されていない。
 再び二十一度目の帽子の取り外しを開始したとき、ノイリスは自分に注意が注がれている気配を感じ取る。一応警戒しながら気がつかないフリをしていると、背後から声をかける者がいた。
「ノイリスくん、だな?」
 若干の年齢を重ね、渋みが出だした男の声で、自分の名を呼んでいる。
 ノイリスが周囲への警戒を解かぬまま振り返ると、そこには声通りの雰囲気をもつ壮年の男が立っていた。
「ゲオジルク=レイトリーさんですね。はじめまして。」
 ノイリスは椅子から立ち上がり右手を差し出すが、ゲオジルクという男はそれを左手で制し、ノイリスの対面に腰掛ける。
 ノイリスは肩をすくめると、再び掛けなおした。
 先ほどから自分に注がれる監視の気配は収まらないままだ。とりあえずそちらは置いておくことにして、ノイリスは目の前にいる壮年の男に注意を向ける。
 少し長めの赤毛の髪と、それに似てより濃い色をしたあご髭がまず印象に残る。黒色の双眸は警戒心で険しくなってはいるが、深淵に優しさと悲哀が潜んでいるのがなんとなく解かる。
(人が良さそうですねぇ)
 ノイリスはゲオジルクの第一印象をそう決定づけていた。
「……それで、俺に用との事だが?」
 急かすようにゲオジルクが切り出した。
 ノイリスは少し面食らったが、顔には出さず、小さく笑みを浮かべたまま応じる。
「まあまあ、来たばっかりですし、何か飲み物でも頼みませんか。私待ちくたびれて喉がカラカラです」
 ゲオジルクはノイリスの気の抜けた様子に、少し呆れたようだ。険が弛むのが解かる。
「……遅れてきたことは謝ろう。だが、こちらも少々たてこんでいてな。本来なら君と会っている余裕も無いくらいなのだ」
「それはわざわざ、すいませんねぇ。あ、おごりますよ。オレンジジュースでよかったですか?」
 そう言いながら、ノイリスは机の上にある数字のついたボタンを多少もたつきながら操作。
「……いや、コーヒーを頼む」
「はぁい」
 ノイリスがメセタを投入口に入れ、待つこと数秒。カップに入った飲み物が二つ、机の側面にある取り出し口に現われる。テーブルは転送装置を応用した、自動販売機を備えているのであった。
「はい、どうぞ」
「すまない」
 言いながらゲオジルクは、呆れた様子のままノイリスを見ていた。紫色の髪は染めているのだろう、そこから横に張り出した長い耳は彼がニューマンである証だ。着ている服は黄色と赤色のまだら模様という奇抜な色で、ゆったりとしたふくらみがある。机の上に置いたとんがり帽子も黄色に青の水玉で先には紫のボンボンがついていて、まるで道化だなとゲオジルクは感じた。
 当のノイリスは飲み物を一気に飲みほすと、小さな笑みは崩さぬまま、ゲオジルクに目線をあわせる。
「それで、どこまで話しましたっけ?」
「……何も話してないだろう」
「そうでしたっけ? たしかあなたが忙しいって所までは話しましたよね」
「……馬鹿にしているのか?」
「いえいえ、確認しただけですよぉ。今日お越しいただいたのはあなたに聞きたいことがあったからでしてね」
 ゲオジルクは険しい表情に戻っている。その様子は聞かれることをはっきりと拒む雰囲気があった。
「答えられることは少ないぞ」
 一言だけそう言うと、ゲオジルクは腕を組み背もたれに寄りかかった。
「もちろん、タダでとは言いませんよぉ。こちらの必要な情報が手に入ったら、きちんとお礼をさせてもらいますから」
「何が目的だ。俺ごときの持っている情報など、そこら辺のハンターズでも知っているだろう。ましてや君は熟練者(マスター)レベルだ。まさかそのライセンスは伊達ではあるまい?」
「いえ、あなたしか知りえないことです。聞きたいのは、あなたの軍属時代の事ですから」
 ゲオジルクの表情に、驚きと緊張が走るのがはっきりと解かった。ノイリスはそれを確認して少し間をとり、再び喋りだす。
「あなたは11年前まで軍部に所属していた。これは調べればすぐに解かることですからお答えいただかなくても結構ですが……、どういった部隊に所属していたかが、なぜか手に入る情報元によってまちまちなんですよねぇ。ある特殊な部隊に所属していたことは確かなのですが、その部隊の全貌がまったく解からない。あの『WORKS』よりも秘匿性は高いですねぇ」
「……軍部時代のことは一切答えられんな。機密に触れるし、なにより俺自身好む内容ではない」
「そんなに構えないで下さいよぉ。私が聞きたいのはたった一つ、ジオルグ=ウィーバー少佐に関してのことですから」
 名前を聞いた途端、ゲオジルクの表情はますます険しくなり、頑ななまでに防壁をはっている。こりゃ難関だと、ノイリスは心中でため息をついた。




 わたしに銃口を向ける大人は、はっきりと解かる鮮やかなオレンジ――驚きの色だ――を帯びている。
 その隙に、父さんから習った通りこっそりと射線から体を外しておいた。
「……生き残りがいたのか」
 大人の放った声は男の人のもので、わたしは少し身構えたけれど、刀に手をかけるのは止めておく。
 その人の持つ色が、驚きから包みこむような淡い黄色、優しさの色へと変わったからだ。
 父さんと母さんの持っていた色。
「お嬢ちゃん、大丈夫か?」
 男の人は長銃を下ろし、こちらに向かって歩いてきてくれる。
 あの色を持って、わたしの側に来てくれたとき、父さんと母さんはいつもわたしを温かい気持ちにさせてくれていた。
 わたしはようやく両親が死んだことを想い、体の奥から知る。
 体の表面に、悲しさが溢れる。
 もう元に戻らないんだ。そんな気持ちが止まらなくて、泣きつきたい、そんな衝動が湧きあがる。でも、もう誰もいない。
「お、おいおい。怪我でもしてるのか?」
 わたしは知らずに泣き出していたのかもしれない。男の人がこちらに駆け出そうとしている。
 瞬間の閃き。
 渦になった朱色が、淡い黄色を呑みこむ光景。
「来ちゃダメ!」
 わたしはとっさに叫んでしまっていた。男の人の駆けよる動きがぴたりと止まる。
 その時、広場をもの凄い突風が吹き荒れた。
 とても薄い青色の風とともに、朱が渦巻くように目の前の空間をなぎ倒していく。どこから飛ばされてきたのか、地面に叩きつけられた木材から、大量の赤い粒……火の粉が舞い上がった。
 見ればまた驚きの色を宿して、男の人は立ち尽くしている。
 ……良かった。無事だ。
 わたしは朱色を避けて駆け寄り、彼にしっかり抱きついた。
 やっぱりその体は、あたたかかった。




 ハンターズの同業者組合たるギルド。そのロビーにあるテーブル席の一つに訪れる、本日幾度目かの閉じた沈黙の後、ノイリスはゆっくりと目線をゲオジルクに向けた。
 口元には微笑が浮かんでいたが、その表情はどこか疲れを見せている。
「強情な方ですねぇ……」
 愚痴ともため息ともつかぬ言葉に、対するゲオジルクは答えない。
「娘さんの頼みでもダメですか? ジオルグ少佐本人のことだけで良いのに……」
 ノイリスの言葉にゲオジルクはわずかに顔をしかめ、その思いを言葉に紡ぐ。
「例え家族であっても駄目なものは駄目だ。俺が軍属時代に特殊な部隊に居たことは認めよう。だが退役したとは言っても、特殊部隊員の構成を教えるなど言語道断だ」
 それに君は娘さん本人ではないしな。とゲオジルクは付け加える。
 ノイリスは笑みをなんとか崩さず、粘り強く交渉を続ける。
「あなたの部隊はジオルグ少佐が隊長を勤めていた。それは確信があります。問題は、どういったことをしていて、どうして今回の事件に巻き込まれたかってことなんですよねぇ。娘のミリニアさんは自分の知らない父の足跡を辿りたがっている。健気な少女のために一肌脱いで下さいよ」
「……くどいぞ」
「父親の死の真相くらい、娘が知って良いと思いませんか?」
「知らない方が良いこともあるんだ」
「つれないですねぇ……」
「だいたい、なぜ赤の他人な君がそんな調査を請け負っている? クエストか? 身辺調査などマスタークラスには割に合わん仕事だろう」
 ゲオジルクの疑問にノイリスは一瞬考え込む。表情を微笑から苦笑へと変化させながら、手繰るように言葉を紡ぐ。
「……何で、でしょうねぇ。あんまり真剣に考えたこと無かったなぁ。……始めはクエストだったんですけど、なりゆきで行き着くところまで行ってみようかなって気になっちゃったんですよねぇ」
 そう言いながらノイリスは自分の両耳を、それぞれ片手で摘む。
「ほら、私この通りニューマンですから、なんとなく羨ましかったのかもしれません」
「……何がだ?」
「親子の愛情とか、そういうのですかねぇ。よく解からないです」
 苦笑に照れ隠しを混ぜながら、ノイリスは帽子を深く被りなおす。
 ゲオジルクはしばらく考え込んでいるようであったが、やがて何かを決心したようにその眼差しが強まった。彼が腕に装着した携帯端末に告げる。
「ユキ、もういいぞ」
 先ほどから自分を注視していた緊張感が、一瞬弛んだのをノイリスは感じる。
 近くの人ごみからテーブルに向かって歩みだしたのは、小柄な若い女性であった。
 年の頃は二十代前後だろう。
 黒の髪は前髪がそろい、肩まで伸びた後ろは無造作に括ってある。服装は動きやすそうなハーフパンツにTシャツと、かなりラフな格好だ。だが衣装とは裏腹に、まとう雰囲気はどこか気だるそうなものであった。
 最もノイリスの目を引いたのは、彼女の持つ、透ける色合いの青い目だ。
 彼女がゲオジルクの側までやってきて解かったことだが、その目は若干焦点が合っていない。気だるそうな雰囲気の原因も、その目線の揺らぎによるものであるようだ。視力がかなり低いのかもしれない。
 ユキと呼ばれた娘は、ぼんやりとノイリスを指差しながら告げる。
「ゲオ、この人嘘はついてないよ」
「ユキ、初対面で人を指差すのは止めなさいと言っただろう」
 ゲオジルクは呆れた表情を作り、ユキに着座を促す。
 ユキは席に着くなり、ゲオジルクの目の前にあったコーヒーのカップを軽い動作で奪い取り、一気に飲み干す。
 そして飲み干したまま固まった。
「にがーーい!」
 突如喚き始める。
 先ほどまでテーブルを支配していた険悪な雰囲気は完全に霧散していた。
 ノイリスは呆気にとられて事態を飲み込めない。
「騒がしてすまない。娘のユキだ」
「娘さん、ですかぁ……」
「まあ、義理の親子なのだがな。俺は育ての親といったところだ」
「先ほどから私を監視していたのは、ユキさんだったんですねぇ」
「気がついていたのか」
「マスターの称号は伊達じゃないですよぉ。とか言って、実はもう一人隠れてるなんて事はありませんよねぇ?」
「……ああ、もう居ないよ」
 その言葉に含まれている何かを感じ、ノイリスは追求を止める。
 すると、突如ユキが喚くのを止め、ゲオジルクの頭を撫で始める。
「泣いちゃダメだよぉ」
「こ、こらっ! 止めなさい!」
 ゲオジルクは焦ったままユキの手をゆっくりどけて、気まずそうにノイリスを見やる。
「…………」
「……仲が、いいんですねぇ」
 口元を緩めながらノイリスは茶化した。ゲオジルクはわざとらしく咳払いをしながら、流れを断つかのように切り出す。
「あー……。ノイリスくん、取引に応じよう」
「おやおや、どういう風の吹き回しでしょう」
 ゲオジルクはユキを見る。当のユキはコーヒーカップを断罪しているところであった。罪状は味覚傷害罪。判決は死刑。方法はメッタ裂きだ。
「俺が忙しいといったのを覚えているか?」
「もちろん覚えていますよぉ」
「実はな、俺たちは明日にでもラグオル坑道に向かわなければならない。だが三日前の坑道探索で未知のエネミーに襲われ、組んでいたパーティは壊滅状態。空いた穴埋めに優秀なハンターとフォースを探していた所なんだ」
 ノイリスは考えるような仕種をとり、少しゲオジルクから距離をとりながら答える。
「つまりは、私に体で払えってことですか……。多趣味なんですねぇ」
「……ハンターの方は目処をつけてきたんだが、フォースが捕まらなくてな。戦力としてマスタークラスのフォースとなると、フリーの奴は滅多に居ないからな」
「小ボケの完全無視はひどいです。……ところで、色々疑問があるんですけど聞いていいですかねぇ?」
 ノイリスの問いに、ゲオジルクはゆっくり頷く。
「まず、なぜマスターレベルを望むのかですね」
 ゲオジルクは少し悲しそうな顔をし、それでもよどみなく答えを返す。
「やられた俺の仲間がマスター手前のワーカーレベルだったからさ。うちのパーティはみんなワーカーレベルだ。だから、それ以上の戦力が欲しい」
「なるほど。では次。なぜそんなに急ぐのですか。お仲間の回復を待つとか、ハイ・マスターに依頼するとかあるでしょう」
「仲間は二人とも、死んだよ」
 二人の間に一瞬の沈黙が生まれる。
「……ご冥福を」
 ノイリスはそう言うと、短く黙祷を捧げる。
 危険と死が隣り合わせのハンターズたち。それでも、当然のように死は忌避するものである。癒しのテクニックも、メイトも、ムーンアトマイザーと呼ばれる緊急蘇生薬品であっても、死んでしまった者の復活は出来ない。死線を踏み越えたら、決して引き戻せないのだ。
 ゲオジルクはノイリスの様子に軽く会釈すると、回答を続けた。
「問題は仲間の遺体が一部、坑道に置き去りになっているということだ。それを早く埋葬してやりたい」
「腐敗が酷くなる前に、ということですか」
「そうだ。ハイ・マスターたちを待っていたのでは遅すぎる」
 ハンターズの最高レベルである『到達者(ハイ・マスター)』は、そのすさまじいまでの優秀さと数の少なさから、依頼の予約が取れないのがほとんどである。政府高官のお抱えであったり、大企業や貴族の直護衛部隊の指揮官を任されていたりと、非常に良い待遇についている者が多いため、一般の市民はその恩恵にあずかることはほとんど無い。ゆえに一般市民の側に立って少ない報酬で働くハイ・マスターたちの中には、英雄として扱われる者も多い。
「もう一回ゾークに会いたいよう」
 突如ユキが会話に入り込む。
「<豪刀>ゾーク=ミヤマですかぁ。憧れのお相手ですか?」
 口元のにやつきを隠そうともせず、ノイリスはユキとゲオジルクを交互に見ながら話題に乗っかる。
「うん、かっこいいよね! わたしね、見たことあるんだよ。すっごい広くて強いのを幾つも重ねてるの。すっごいよお〜」
 一切意味は理解できなかったが、微笑むユキの顔は無邪気そのものであった。
 ゲオジルクはノイリスには判別できない不思議な表情をしている。彼の中にあるのは、ノイリスの知らない感情。
「でもね、ゲオが一番好き〜」
 ゲオジルクはまとわりついてくるユキをやんわりと押しのけながら、ノイリスを見据える。
「……ノイリスくん、どうだ? もし力を貸してくれるなら、君の知りたいことにはできるだけ答えると約束しよう。隊長の娘さんに会いに行ってもいいしな」
「そうですねぇ。ミリニアさんはどうせしばらく帰ってきませんし、願っても無いことですから、構いませんよ」
 その場で待ち合い場所の簡単なメモをノイリスに書いて渡し、では、と言ってゲオジルクは立ち上がった。そのまま右手を差し出す。
「よろしく頼む」
「こちらこそ。あ、私のことはノイリスと呼び捨ててください」
「解かった。ではノイリス、俺たちはまだ手続きがあるから、先に失礼するぞ」
 握手を終え、ゲオジルクはユキを連れて人ごみへと埋もれていった。

 喧騒の中、テーブルには再びノイリスだけが残された。
 ため息をつきながら椅子に腰掛ける。
「思い当たる節がありすぎですが……」
 そう言いながら、ノイリスは口元の笑みを強めた。
 ユキが現われたときでも、二人が去った後でも、今も。
 今も自分に対する監視は消えていない。
 卓抜した関知能力をもつノイリスにしか気がつけないであろうその気配は、始めから今も同じ鋭さのままだ。
「まあ、誰であっても難儀なことになりそうですねぇ……」
 誰にも聞こえないくらいの囁やきは、人々のざわめきに埋もれて、溶けて消えた。





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