咲き誇るのは花々
1
『一週間後、総督府主催の祭典を行ないます。
パイオニア2市民の皆様に楽しんでいただきたいと思います』
ギイスの目の前には、派手な配色でそう書かれたチラシがあった。
「これに一緒にいきませんか?」
チラシをギイスの前に掲げる人物が告げてくる。
ギイスは短く刈り込んだ髪を片手で掻き、チラシを奪い取ってバラバラに引き裂いた。
「何をするのです?」
当の人物は奪い取られたままの格好で、口調は柔らかだが非難めいた声を上げる。
ギイスが立つのはパイオニア2の街角。あちらこちらの時計は昼過ぎの時刻を示している。
ここはカジュアルショップやアクセサリー、そしてそれらの店よりも数は少ないが、いくつかの飲食店も建ち並ぶアーケード街だ。辺りは人通りが多く、家族連れやカップルなども多数見受けられた。
腕を組んで歩く、そんな若者たちの姿を脇に見ながら、ギイスは深くため息をつく。おぼろげにではあるが、彼は自分の容姿を思い出してみる。
輪郭のはっきりとした顔立ちに、健康的に焼けた肌。眼力のこもった黒い双眸と、短く刈り込んだ黒の髪の毛は、合わせればシャープな爽やかさがあるはずだ。加えてバランスよく鍛えられた体と、どれをとっても女性ならほおって置く理由は無い。無いはずだ。たぶん無いんじゃないかな。まあ、ちょっと自信は無いが。
それなのに、ギイスの目の前で祭典に行こうと誘う人物は、可憐な少女でも年頃の乙女でも妖艶な婦人でもなく、灰色のボディにブルーのラインが入った、無機質な肌の機械人。
ギイスは頭の中で反芻する。その人物が誰であるのかを。彼こそはつい先日『到達者(ハイ・マスター)』クラスに到達した、トップクラスのアンドロイドハンター。
<灰色の燕(グレイスワロー)>ランディ。
「……呼び出しておいて、前みたく仕事の依頼か何かと思えば、一緒に祭りに行こうだと? 冗談言いたきゃ一人で言ってろ! 俺は忙しいんだ」
ギイスが激する。通りを行く幾人かがこちらを振り向くが、意識的に無視する。
対するランディは、姿勢は変えぬままにギイスに応じた。
「チラシを破いたのは、激務からのストレスだったのですね。ストレス解消には気分転換とゆっくりと休養を取ることが効果的ですよ」
「お前らにストレスとか解かること事態が人類の多大なストレスだっつーの!」
ギイスはふて腐れた調子でランディに切り返す。
「差別的ですね。そういった発言は気をつけないとアンドロイド協会から糾弾されますよ」
「そいつは気をつけないとな。危険だからさっそく身を隠すことにするよ。じゃあな」
そういってギイスは踵を返す。その背中に、ランディはすかさず声をかけた。
「身を隠すといえば、<野良猫>は見つかりましたか?」
ランディの思わぬ問いかけに、ギイスの足が止まる。
振り返るギイスの声音は慎重さが含まれていた。
「……なんだい、お前も探してんのか?」
「はい、つい先日依頼を請けました。他にも何人かのハンターズが請け負っているらしいので、もしかしたらと推測しました」
「そうか……飯でも食いながら少し話そうか」
ギイスは辺りを見回すと近くの定食屋へと入っていく。ランディは先ほどの姿勢のままだ。
「何やってんだ。早く来いよ」
「了解しました」
ランディは少しも急ごうとせず、店に歩を進める。
「早く来いって言ってんだろーが!」
ギイスの怒鳴り声が街角に響く。
通りの人波からくすくすと、笑う声が聞こえた気がした。
幻聴だと、ギイスは思うことにした。
定食屋の中はこぢんまりとしていたが、きちんと掃除の行き届いた気配が感じられた。カウンターには老齢の女性ヒューマンが立っていて、昼飯時は若干過ぎているにもかかわらず、他の客も幾人か座っている。
「ようゼキアばあさん。飯食いにきたぜ」
ギイスがカウンターにいる女性に声をかける。割烹着を着込んだ老女はくしゃりと顔に笑みを浮かべて、そのまま調理の作業を進めていく。
ランディとギイスはテーブルに腰掛け、向かい合って座る。
「お前なんか食ってきたか?」
ギイスがランディに問うと、ランディは否定の返答を発する。
「そうかい。なら一度食ってみな。ここの飯は結構美味いぜ。意外とハンターズには知れてない店だから、なんか話をしながらにも都合がいいしな」
すでにランディはメニュー表に目を通している。しばしの黙考の後、ランディは口を開いた。
「……私はこの日替わり定食というのを一つ」
「ゼキアばあさん。日替わりとから揚げ一つずつ」
二人が注文を済ませると、しばしの沈黙の後、ギイスが口を開いた。
「んで、この際守秘義務とか無視しちまうけど、お前誰から依頼受けた?」
ギイスは真っ直ぐに質問をする。対するランディは再び沈黙。依頼主の事を明かすことを禁ずる、ハンターズの守秘義務規定違反と内部葛藤しているのだろう。
やがてランディが答えを告げる。
「やはり、焼き魚定食にしておいた方がよかったかもしれませんね……」
「さりげなく真顔で無視すんなコラ!」
「……ギイス、私の顔には感情表現機能はついていませんよ?」
ランディは不思議そうに首を傾げる仕種を加える。
「鉄面皮のまま馬鹿にされると非常に腹が立つぞ」
「私の外装は鉄ではありません」
「だから慣用句に疑問をもつなっつーの!」
ギイスはため息を吐き出しながら頬杖をつく。呆れた表情を隠そうともせず、ランディを見やった。
(情報をあっさり切り出したかと思ったら、急にはぐらかしやがる。そんな真似がアンドロイドにできるのか?)
もはやランディはあてにせず、ギイスは一人で考えることにした。
目を閉じ、黙考する。
少なくとも、<野良猫>探しに関してギイスの依頼主とランディの依頼主は違うだろう。ギイスが請け負ったのは総督府筋のまっとうな行方不明者捜索願で、『黒色の髪をした青眼のヒューマン女性。身長145センチ。実年齢は18歳』という情報しかなく、報酬も平均的だ。そもそも、請け負う前は単なる人探しの一種としかギイスは見なしていなかった。掛け持ちしているいくつもの仕事の一つでしかなかったのだ。
それが変化したのは、つい四日前。先ほどの祭典のチラシが張り出され始めた頃である。
総督府筋の依頼内容とまったく同じ内容のものがギルドに登録されたのだ。表面上は『逃げた野良猫を探して欲しい』という内容であったが、少し深く踏み込んでみると、その内実は『黒色の毛をした青眼の猫を探してほしい。身長14.5センチ。雌。ヒューマンの年齢に換算して18歳。ユキという名前だ』だというらしい。総督府の依頼よりも名前の情報が増えているが、依頼主はギイスが調べてみたところ一般の住人であった。ギイスは胡散臭さを感じ、とりあえず捜索依頼は無視して他の依頼に集中することにしていた。
そうしてギイスが他の仕事にかまけていた間に、やがてその依頼も請負人がつき、先を越されるかと覚悟したのであったが、事態は違った。
請け負ったハンターズが死亡したのである。それもパイオニア2内部で。
たまたま請負人の名前を覚えていたギイスが、小さく報じられたニュースで知ったのだ。
ハンターズは事故死ということであった。そして、ギルドの依頼も消滅していた。
これがつい先日の事だ。
(きな臭いのはいいとして、どうもまだなんかありそうなんだよな……)
そして矢先のランディの台詞である。
ちょうど他の依頼を片付けたギイスとしては、このままこの依頼を続けるか、手を引くか考えていた所であった。しかしこの依頼は総督府筋ということもあってキャンセルにはキャンセル料がつく。続けるか。しかし――
「ギイス、冷めますよ」
ランディの声にギイスは意識を表層へと持ち上げられる。
目を開けて見れば、机の上には山と盛られた鳥のから揚げと、その等量の野菜。そして白飯と吸い物がのっていた。
あわててギイスはから揚げを征服にかかる。今日は朝からろくに食べていない。健康維持にもこの侵略は成さねばなるまい。考えるのは後回しだ。
一挙動でから揚げを口に頬張り、噛み締める。
硬すぎない外皮を突き破ると、旨みの染みた肉汁が口の中に広がる。
続く至福を味わう為に、ギイスは咀嚼を繰り返そうとし、
「ギイス、野良猫探しの依頼の話ですが、辞めておいたほうが無難のようですよ」
突如ランディが話を戻した。
ギイスはゆっくりと箸を置き、水を一口飲むと怒りの眼差しでランディを見やる。
「……てめえ、人が食事を楽しんでいるタイミングを計ってやがったな」
ランディはすでに食事を終えており、片手に湯飲みなど持ちながら整った姿勢でギイスを見ている。
「それは誤解です」
「ほう、じゃあなんで今ごろになってその話を蒸し返した?」
ランディは湯飲みを口部につけ、茶をすすっていた。一拍置いて返答する
「味の採点をしていました。それが終ったので、話を進めようかと」
「お前の計算システムはそろばんで出来てんのか!」
「ギイス、そろばんの有段者は電卓など物ともしないのですよ?」
「そういうこと言ってんじゃねえや」
ギイスはめんどくさそうに言い放つと、再び食事にとりかかった。ランディは茶をすすると、話を再開する。
「お話しするか迷っていたのですが」
食事する手は止めないままに、ギイスは怪訝そうな表情を浮かべる。
「迷う? お前にしちゃ珍しい。そりゃまた何でだ?」
「あなたの捜索している女性。その捜索に関わった者が幾人か死んでいるらしいからです」
幾人。確かにランディはそう言った。ギイスの届かぬ範囲で何かが動いていたということである。
「……信用していい情報なんだろうな?」
「この情報は100%真実です」
ランディがそう言うと、ギイスの情報端末にメールが届く。差出人はランディ。載っているのは五人の名前と種族、性別。そして場所と日時であった。日時はすべてここ三日以内を示している。
「これがそうだってのか?」
ギイスが訝しげに問う。確かにこれだけでは何とも言い難い。
「彼らは全てハンターズでした。そして全員が、ある依頼を請け負っていました」
「<野良猫>探しか」
ギイスのうめきに、ランディは頷く。
「死因はそれぞれ違いますが、全て事故死で片付けられています。記録では全て依頼主も違うのですが、内容は全て同じです。つまり――」
「『黒色の毛をした青眼の猫を探してほしい。身長14.5センチ。雌。ヒューマンの年齢に換算して18歳。ユキという名前』ってことか」
ギイスが繋げて答える。
「なるほど……俺の受けてるクエストは総督府の行方不明者探索だから、実害が及ぶ可能性は低いかもしれんが……踏み込んで調べるのはやめた方が賢明か」
ランディが頷き、告げる。
「そうです。ですから、その依頼は破棄して私と一緒に祭典に行きましょう」
ギイスの箸が、手からこぼれて地面に落ちる。
乾いた音が響いた。
「どこをひねったらそんな結論が出るんだよ!」
机を力強く叩き、ギイスがランディに怒鳴る。
しかしカウンターのゼキアばあさんが露骨に顔をしかめるのを視界の端に捕え、ギイスはなんとか激昂を収める。
ランディは茶をすすり、湯飲みを机に置くとギイスに向かって言い放つ。
「ギイス、騒がしいですよ」
ランディの一言は、ギイスの怒りのダムを決壊させるには充分であった。
2
長距離惑星間移民船「パイオニア2」内部の居住区には、季節感というものは存在しない。
日々春や秋のごとき柔らかな陽射しが続き、雨も決まった時に決まった量しか降らない。これら雨は観葉植物への配慮であり、自然現象ではない。確かにパイオニア2の気象システムなど、一年間の船旅で地表に降りて解体されその役目を終えるのだから、重要視されていなかったとしてもそれは設計者たちの怠慢だとは言えまい。
しかしその設計をあざ笑うかのように、現実ではパイオニア2が出航してからすでに一年半以上になろうとしている。
そして未だにパイオニア2住民のラグオル降下許可は出ていない。
事実、古代遺跡発見後のハンターズの噂、総督府の公式発表、そのどれもが先に発進したパイオニア1の乗員全滅と、全てがラグオルの現状が危険であることを示していた。
発見された古代遺跡最深部にて、今回のラグオル地表爆発事件の重要な手がかりが見つかったという報告があったが、その後のパイオニア2内部での混乱や、治安の悪化によってうやむやになっていった。
爆発事件の真相も――古代文明の財宝を隠すためのトラップ。パイオニア1の大規模な事故。「D」と呼ばれる何者かが事件の鍵を握っている。軍部の陰謀。超自然の力が関係している云々――数多の噂からそういった様々な憶測も流れていたが、遺跡探索に関わったトップハンターズは一様に口を閉ざしている。
総督府から出されていたハンターズへのラグオル地表探索の依頼は、古代遺跡の捜索完了とともに徐々にその傾向をエネミー掃討へと変えつつあるのだが、それに気がついているのは当のハンターズたちだけであり、一般市民は今も先の見えない生活を送っている。
「――ですから、遺跡探査終了を契機に一般住民にもラグオルの危険の根本は除去された事を発表し、開拓気分を再び盛り上げようというのが明後日開催される祭典の目的らしいのです」
手振りなど一切加えずに、ただただ歩を進めながらランディは話を締める。
激昂したギイスとそれを避けるランディの乱闘騒ぎで、ゼキアばあさんによって十日間の出入り禁止処分を下された二人は、うやむやのままいったん別れ、翌日同じ場所で再会していた。乱闘も再開するかと思われたが、ギイスは以外にも穏便に事を進めた。安くて量の多い定食屋に出入りできないのが、彼にとっては痛いことらしく、その元気も出ないらしい。
ランディはギイスと会うや否や、再びギイスの前に先日のチラシ――テープで繋ぎ合わせてあるのだが――を取り出し、件の祭典の概要を話し出した。ギイスは聞く耳持たずにあてもなく歩いていたが、やがて裏通りに入りこんだところでランディの話に幕が下りる。
ランディに続けようとする気配が無いので、ギイスは疑問点を口にした。
「バカバカしいお祭りなんぞ、勝手に行けばいいじゃねえか。なんだってまた俺なんぞ誘う?」
ギイスが呆れた表情で言うと、ランディは歩を緩めずに平然と答えを返す。
「他に誰もいないからです」
「いや、誰もいねえってことはねーだろ。知り合いとか」
ギイスはランディを見みながら言うが、ランディは表情など表さない。
(表情が変わらないのもやっかいなもんだな)
ギイスの考えなど読めるはずも無く、ランディは返答を返す。
「パイオニア2に、今回の祭りに同行してもらえるような知人はあなたしかいません。皆さんの忙しいようで」
ランディの声は相変わらず抑揚が無い。
「それはあれか、俺が暇だって言いたいのか?」
若干の険を含ませながら、ギイスはランディに問い返す。
「請け負っている依頼も無い事ですし、仕事が無いのは暇だと言うべきではないでしょうか」
「まあ言う通りだが……何かカンに触るなぁオイ」
反論できぬまま、ギイスはうめく。
その時、ギイスたちの数歩前にある横道から、何かが飛び出してきた。
飛び出してきたものは、箱や、袋、折れた木材など言うなればゴミの類だ。それらがやかましい音をたてて裏通りに散らばっていく。
「なんだ?」
足を止め、ギイスが呟く。ランディも同様に止まっている。
続いて聞こえる怒声。
ギイスには、その声質から男のものだと知れた。
「曲がり角の向こうに熱源反応が三つ。喧嘩でしょうか」
ランディはいち早く走査したらしく、短い感想をのべる。
「まったく……俺は面倒事なんざごめんだぜ」
言いながらギイスは歩を進めようとする。通り過ぎて見てみぬフリをする気であった。
ギイスたちが曲がり角に近づいた時、再び何かが飛び出してくる。
瞬間、ギイスはその動きに猫の俊敏さを見た気がした。
だが、現われたのは人間だ。
素早い動きでステップを踏むと、避ける動作も無しにギイスたちの脇を一直線に通り抜ける。その動きはまるで、曲がり角の向こうからこちらが居る場所を知っているかのようであった。
ギイスが視界の端で捕える事が出来たのは、短く後ろで纏められた黒色の髪と、低めの身長だけだ。
慌てて振り返ると、すでにその人物は別の角に消えようとする瞬間であった。得られた情報は、骨格などの輪郭からかろうじて女性と判断できる程度である。
「待ちやがれ!」
見送ると同時、もとの曲がり角から二人の男が大声を上げながら飛び出してくる。体格のいい、だが特徴の無い男たちだ。
「なんだテメエら!? 死にてえのか! どきやがれ!」
ギイスはもたもたと脇を通り過ぎようとする二人の足を、とりあえず自らの足で払った。
不意のことに為す術も無く足払いを受けた男二人は、盛大な音を上げて路上を転がる。ランディはすでに駆け出していた。
「お、おい。待てよ!」
慌ててギイスもその後を追う。
後ろから男二人の怒声が聞こえるがギイスは無視。目の前にいたはずのランディはすでに加速している。
ギイスは大声でランディに問いかける。
「何で追う? 手を引けって言ったのはお前じゃねえか!」
「話は後です。舌を噛みますよ」
「……解かった。お前は前に出ろ! 挟み撃ちだ」
「了解しました」
裏通りをかける女性はランディの十数歩前。しかもその速度はギイスにも劣らない速さだ。
ギイスの目の前でランディは跳躍。轟音と共に、地面にヒビが入る。
ランディはそのまま三階建ての建物の屋上に着地し、連続して跳躍、バッタのごとく建物を飛び移っていく。
ギイスはさらに加速した。かなり後方から先ほどこけさせた男たちが追ってきているが、その速度は遅い。相変わらずの怒声は次第に遠ざかっていく。
裏通りゆえにほとんど人通りが無い事にギイスは感謝しながら、少しも差の縮まらない女性の背中を眺める。
(黒色の髪、身長145センチ程度……追われているとくれば、こりゃ当たりかな)
おそらく前の女は<野良猫>だろう。とっさの判断で追ってはいるが、違っても適当に誤魔化してしまえばいい。面倒な事には違いないが、小柄な女性を大の男二人が追うというのもおかしな状況である。まあ、自分たちを含めれば四人なのだが。
ギイスが物思いにふけっている端で、女性が曲がり角を曲った。ギイスも一秒遅れて曲る。数歩先に女性の背中が見えた。
その瞬間、女性の上方から灰色の物体が飛来する。
ランディだ。
石の軋む音をたてながら女性の数歩前に着地し、両手を広げて立ち上がった。
「停止して下さい」
女性は突如目の前に現われたアンドロイドに驚いたのだろう、動きが弛む。
「ナイスだランディ」
ギイスは言うなり最加速。一気に差を縮めようとする。
「そこまでよ!」
一際大きな、凛とした声が通りを支配する。その声に、場にいたすべての者が動きを止めた。
声は女のものであったが、追いかけていた女性が上げたものではない。目の前の女性は振り返り、ギイスの方を見ている。
まず印象に残ったのはその瞳であった。淡い色の青で、視線はどこか定まっていない。そして、揃えられた前髪。年の頃なら十五か六か。女性と言うよりは、まだ幼さの残る少女がふさわしいか。
だがギイスの意識はすぐにギイスの後ろに向けられる。声は彼の後方から聞こえていたからだ。
「私は軍治安部です。そこの二人、女性から離れなさい! 両手を上げて、ゆっくりとこちらを向くこと!」
こちらの動きを制するためだろう。女性の声は懸命に凄みを含ませてあった。
見ればランディは、すでに従うつもりなのか活動を止めている。
「アンドロイド道路交通法違反の現行犯、及び未成年者略取の疑いで逮捕します!」
自分は未成年者略取犯らしい。とりあえず疑いは晴らさなければなるまい。ギイスはため息をつき、両手を上げてゆっくりと振り返る。
そこには、彼の見知った顔があった。ギイスは思わず呟く。
「……フィル?」
ギイスの思考は停止していた。
振り返った先にいたのは軍治安部の制服ではなく、ダブルボトムにジャケットを合わせ、よそ行きの格好をした、二十歳頃の若さをもつ女性であった。ブラウンの色に、軽いパーマのかかった髪。丸さの目立つ眼は黒色をしており、視点はしっかりとギイスに向けられている。その手にはフォトン式のハンドガンが備わっており、それは軍正式採用のものだ。
だが圧倒的優位に立つはずの女性の表情もまた、驚きに固まっていた。
一瞬の沈黙。
次の瞬間、軽く弾むような音が全ての雑音を再生させる。
ギイスが反応して振り返ると、少女がランディの横をすり抜けて駆け出していた。
先ほどの音は彼女の踏み出し音であったらしい。
「――あっ! 待ちなさい!」
驚き固まっていた女性が批難の声を上げる。その瞬間をギイスは見逃さない。
「おい、俺を掴んで飛べ!」
ギイスは言うが早いがランディの下へ駆け寄った。
「ちょ、ちょっと――」
女性が声を上げようとするが、もう遅い。
鈍い音が響く。
ランディは即座にギイスを抱き上げると、すさまじい勢いで跳躍。隣にあった四階建てのビルの屋上に飛び移っていた。衝撃で路上には大きなヒビが入っている。
ギイスはランディから降り、ビルの下を見る。その表情は逡巡の色だ。
下ではただ一人通りに残された女性が、批難の声を上げるでもなく、じっとギイスの方を見上げている。
その顔に浮かぶのは、喜ぶようで、泣くような。微笑むかのようで、怒るような。安心するかのようで、不安げな。そんな、矛盾した表情だった。
「ギイス、逃げないのですか?」
ランディが問う。
問いには答えず、ギイスは踵を返しその場から走り去るだけであった。
「どうして――」
女性の呟きはわずかにギイスの耳に届いたが、その続きは聞き取られること無く、虚空に溶けて消えた。
3
――暗闇に浮かび上がる光。その中に、一人の少女が立っている。
少女はこちらを見ている。苦しそうな表情を浮かべ、その黒い眼でこちらを批難がましく見つめている。その少女はギイスが数年も前に会ったときの、妹の姿のままであった。
「ギイス兄さん……どうして私を、私たちを見捨てたの」
まるでその眼が喋るかのように、批難めいた声が聞こえてくる。
「帰ってくるって、強くなって大兄さんや父さんを見返してやるんだって言ってじゃない……」
幽鬼がごとくその姿は揺らめき、整った少女の顔は醜く歪んでゆく。
「それなのにいつまでもハンターズなんかでのたくって……この愚か者が! そんなザマで栄えあるベルドーク家を名乗るなど嘆かわしい」
歪んだ表情は覚えのある父の顔へと変化し、父の声で自分を罵っている。
「結局お前はその程度なのだ……父が戯れで妾に産ませた子どもなど、初めから俺に敵うわけが無い。そんなことも解からないのかギイス」
揺らめく表情は渦巻き、冷笑を湛える兄の顔へと変わった。
兄は覚えの悪い子ども諭す口調でこちらに告げてくる。突き放すようにではない。初めから触れないように。
(実際は父もあいつも、俺に眼を向けて喋るなんてことはなかったけどな……)
ギイスは闇の中ひとり心地入る。そうしている間にも幽鬼は変化を続け、今はさめざめと泣く母が無言にこちらを見つめている。
「そんな目で見ないでくれ。いや、あなたにならそういう風に見られても仕方ないけど……やっぱ居心地が悪いんだ」
ギイスが告げたせいか、目の前の虚像は再び妹の姿へと変化していく。初めの少女の面影を残しながら、どこか違う雰囲気をまとったその姿は、ブラウンの色をした軽いパーマの髪。丸さの目立つ黒色の眼。路上であった軍治安部を名乗る女性――彼の妹、フィーリング=ベルドークの成長した姿だ。
「どうして――」
彼女の発する呟きは、音は小さいはずなのに、重く脳髄に響いてきた。
「どうしていつも、逃げるの?」
その声と同時、闇が一挙に膨れ上がる。
ギイスは、ゆっくりと眼を開けた。柔らかな明かりが差し込んでくる。
彼がいるのはカウンターしかない小さな飲み屋であった。
ハンターズ専用区画の住宅地。その中にあって、彼らの居住用アパートメントが建ち並ぶ言わば現代の長屋的な地区。その一画にこの店はある。
店はニューマンの女将が一人で切り盛りしていた。メニューはいくつかの飲み物と安酒、そして簡単なつまみしかないが、不思議と休まる雰囲気に客足は途絶えたことが無い。
いつの間にかうたた寝してしまっていたらしい。夜も更けきっていて、珍しく店に客の姿は無かった。
(まったく……最悪の気分だな)
ギイスはグラスを口に傾けようとして、中身が無くなっていることに気がつく。
カウンターの中で後ろを向き、洗い物をしている女将に目を向け言葉を放つ。
「キャロル、もう一杯くれ」
「……ギイス、もう水ばかり頼むのやめてくれない?」
キャロルといわれた女性はため息をつきながら、それでも律儀に水を酌んでやる。
「あんたって、ホント貧乏性ね」
キャロルはそう言いながら洗い物を終え、ギイスと向き合った。落ち着いた雰囲気をもった、ストレートの黒い髪。だがその中で輝く赤い目が印象的な女性だ。
他に客はおらず、キャロルも暇なのかもしれない。着ているワンピースのほつれを気にしたり、グラスを意味も無く並べ替えたりしている。
「そんなことは無い。ただ、こうやって暇を潰してるだけさ」
ギイスは言いながらグラスをあおる。
「ここの水は美味いからな」
「はいはい、そんなことはいいから。何か話したいことがあるんでしょ?」
「……キャロルにはお見通しか」
「お見通しも何も、あんたいつも話したいことがあるときはそうやって水ばっか頼んで、私が暇になるまでいるじゃないのさ」
キャロルが見透かしたような笑みでギイスを見る。
「ちょうど客も引いてるし、いいわよ聞いてあげる」
「おいおい、俺も客だろう?」
ギイスは、嬉しそうでいて、悲しそうという二重の表情を見せると、ポツリと話し出した。
「実はな。今日、妹に会ったんだ」
「あら、会えたのね。元気にしてた?」
「元気そうだったよ。メールどおり、軍部でしっかり仕事してるみたいだ」
「そうなの、良かったじゃない」
キャロルはそう言うと、棚から一瓶取り出した。琥珀色の液体の入った、頑丈そうな瓶だ。
「お祝いにおごりよ。一杯だけね」
そのまま、空になったギイスのグラスに注ぐ。
「ありがとよ」
ギイスはそう言うと、少しだけ口に含んで味を楽しむように飲み始めた。
キャロルにはいろいろ話をしている。ハンターズになった経緯や、自分の生まれた家の事。そして、心を許せる唯一の肉親である妹がいて、たまにこちらから連絡だけは取っていたこと。そして、その妹がこのパイオニア2に乗っていること。
「……たまたまとはいえ、情けない姿見せちまったんだよな」
ギイスは苦笑混じりに呟く。
キャロルは答えない。今はとつとつと料理にいそしんでいる。それが穏やかな沈黙であることは、ギイスにも知れた。
だから、彼は言葉を続ける。
「あいつに全て任せて、ハンターズになったってのに……いまや犯罪者まがいだ。これじゃあ、家から逃げてるだけだって思われても仕方ねえよな」
ギイスは一人、語りつづける。
「強くなるため、って言ったら聞こえはいいかも知れねえが……本当に俺は今のままでいいのかね。こんなのであのくだらない家をどうにかできるのか……いや、どうにかしたいのかさえもわからねぇんだ」
そう一口酒をすすり、彼は再び呟く。
「妹にも顔向けできねえな」
「ギイス」
キャロルは湧き出る泉のように、ギイスに声をかけた。
「あんたはよくやってるわ。もう少しでハイ・マスターレベルなんでしょ。自信を持っていいじゃないの」
キャロルの赤い目が、ギイスをしっかりと見ていた。気がつけば彼の前には、小さく盛られた和え物の小鉢が一つある。
「不安なんだよ」
ギイスは苦笑しながら言うと、また酒をあおった。
「あんたに足りないのは、何かしらね」
「……さあな。何か解かるか?」
「そうね……」
考え込むような仕種を見せると、キャロルはギイスから視線を外し、また片付けを始める。
だが、その声はしっかりとギイスを包んでいた。
「本星のときから色んな奴を見てきたわ。なんか理由があってハンターズやってるってのは珍しくないけど、逃げてるんじゃなくて向き合っているやつは少なかったわ。みんな『強さ』っていう訳の解からないものを求めてるくせに、臆病なんだから不思議よね」
小さく笑い、キャロルは微笑みをギイスに向ける。
「ギイス=ベルドーク」
キャロルは呼びかける。凛とした声音で。
「あんたは家名を捨てなかった。だったら、それでいいじゃないのさ」
ギイスはうつむいたまま、グラスに眼を向けている。キャロルはそこへなみなみと酒を注いだ。
ギイスはそれでも、液体に映った揺れる己の虚像を眺めている。
キャロルは柔らかくため息をついた。
「まったく、こういう時は男っていつもだんまりなんだから」
そう言うと、キャロルはカウンターから出て、出入り口へと向かった。
「……なんだ、店じまいか?」
ギイスが振り向きながら、外へ向かおうとするキャロルの背中を見やる。
「湿っぽくなったから、空気の入れ替えすんの」
言いながら、出入り口を開け放った。外気温は少しひんやりする程度で、室温とほとんど変化は無い。
「そりゃ、すまねえな」
ギイスは苦笑混じりに立ち上がり、払いを済ませようとした。
「何やってんの、終いじゃないわよ」
キャロルは腕を組みながら出入り口に立ちはだかり、笑みを作りながらもギイスをしっかりと見据えている。
「暇なんだから付き合いなさい。あんたしか客が居ないんだから」
ギイスは苦笑いしながら、皮肉げな表情で答える。
「……俺じゃ相手にならねえだろ。だから――」
「意気地なし」
キャロルが鋭く言い放った。
「あんたに足りないのは覚悟よ。逃げてるとか、逃げてないとか、そんな言葉遊びじゃないでしょ」
「……そうかもな」
「揺るがないものが欲しいなら、その前にやることがあるはずよ」
柔らかな雰囲気に変わると、キャロルはカウンターの奥に戻り、自分のグラスに酒を注ぐ。
グラスを傾けながら、優雅な仕種で開け放たれた出入り口を指し示す。
そのまま、ギイスに向かって芝居がかった言葉を紡いだ。
「それではお帰りはそちら、飲むならそちら。ご自由に。選ぶのはそう、お客様自身です」
立ち尽くすギイスを横目に、キャロルは悠然と一礼すると再び飲み始めた。
「……やれやれ、あんたにゃ負けたよ」
ギイスはそう言うと、座りなおしてグラスを掲げる。
「当然でしょ。男は女には勝てないんだから」
キャロルの言葉に、ギイスは盛大に笑った。
「それじゃ、どうしたって乾杯しなきゃな」
小気味良い音の後は、ただ静かに、夜が過ぎていくだけであった。
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