彷徨うのは闇夜





 白い壁に、高い天井。中央に大きなベッドが鎮座して、少々手狭な一室。
 パイオニア2のメディカルセンター入院棟では典型的な病室に、ノイリスは佇んでいた。窓の外から差し込む朝日が、病室の白さを際立たせている。
(病院だけは、昔から嫌いですね)
 ノイリスは病室に佇みながら、そう感じていた。ただそれはどうしてなのだろうと、考える自分もいる。
 臭いだろうか? それとも、この色気の無い色彩が、自分のセンスに合わないのだろうか?
 おそらく、どれも外れているのだと感じる。
 森にて正体不明の怪物に遭遇し、ハンターズが惨殺された時。ミリニアが茂みから出ようとした途端、突如今まで感じたことがないほどの強い空気の澱みを感じ、咄嗟に彼女を引き止めた。
 どうやらそれが幸いしたらしい。茂みから出ていたら、転送が間に合わなかったかもしれない。
 あの闇の塊がなんだったのかは解からないが、これまでは数瞬後に己に迫る危険までしか感じ取れなかった自分の力が、以前にも増して鋭くなっていることだけは、ノイリス自身も認識していた。
 それ故に、今ははっきりと解かる。
 ここには、常に澱みがある。微弱で、自分に向けられたものではないのに感じてしまう、自分だけの感覚。
 ――死の気配。
 だから、自分はここが嫌いなのだろう。
「あなたはどうなんでしょうね。やっぱり、嫌いですかねぇ」
 ノイリスが中央のベッドに向けて声を放つ。
 ベッドには、一人の男が微動だにせず眠っていた。頬がこけ、無精髭が伸び、以前会ったときよりも明らかにやせ衰えた、赤毛の男。
「……ゲオジルクさん、あなたには聞きそびれてばかりでしたよね」
 男は答えない。そもそも、聞こえていないのかもしれない。
「だから、自分で調べたんですよぉ。機械おんちの私でも、結構やれるものです」
 皮肉げに口を歪ませるノイリスの目は、今は窓の外に向けられていた。
 地平に迫る人工太陽光が、ゆっくりと強さを失っていく。
「あの坑道で会った男……正式な名前はヴァッツアー=バイオといって、ヘズという名でハンターとして登録は行っていますけど、正式なクエストはほとんど行わない。実力的にはハイ・マスタークラスのフォースです」
 その実力の前に、自分は何もできなかった。圧倒的な力に、成す術が無かった。ノイリスは端に思い浮かんだ苦汁を何とか振り払い、言葉を続ける。
「……どうやらある犯罪組織の一員らしいですよ。あなたのいた組織ですよね?」
 視線を戻しても、ゲオジルクは答えない。彼の体から伸びる管は、心電図や様々なバイタルチェックの機械に繋がっていて、呼吸器とも繋がっている。腕には小さく点滴の針が、刺してあった。他には花が一瓶活けてあるくらいだ。
「裏社会……ってのもおかしいですけど、そっちでのあだ名は<鋼鉄シュタール>のヴァズ。一種のギャングみたいなものですかねぇ。探れたのはこのくらいです。というか、ほとんど解かってないです」
 坑道でのヴァズの言葉を頼りに探ってはみたが、ノイリス一人ではこれが限界であった。
「あれから、ユキさんとも会っていません。しかも、彼女はハンターズ殺人事件の参考人として手配されています」
 ノイリスはゲオジルクを見ている。その顔から笑みは消え、今や動かぬ男に向かって、頭を垂れるかのように。
「あなたとユキさんの人生を狂わせたあの男に、仇を討ちたいと言ったら、自分勝手な私をあなたは怒りますか……? どうなんですか、ゲオジルクさん……」
 しばらくの沈黙の後、ノイリスはため息を一つつき、皮肉げな笑みを戻す。
 こんな独白はただ、己の仕返しに最もらしい理由を付けようとしているだけではないのか。
「見舞いに来たのに、何を愚痴っているんでしょうかね私も」
 嘲るのは自分。答えず眼を瞑るゲオジルクは、日を浴びて一層その衰えが浮かび上がっていた。

 ノイリスが考えを切り替え、ゲオジルクの身の回りを簡単に片づけているうちに、ミリニアがやって来た。
「お待たせ〜。花を選ぶのに時間かかっちゃって」
 言いながら、入り鮮やかにまとめられた花束を抱えて病室に入ってくる。
 昨晩はとりあえず担いでミリニアを彼女の家まで運んだ後、再び朝になってミリニアの家を訪れ、夜に現われた女性の話をした。
 酔いが少し残るミリニアは、途中から記憶がすっぱり無いと言う。女性のことも知らない人だとぞんざいに首を振った。
 結局、高官襲撃事件調査を進めようと、高官の護衛にあたっていたハンターズの話しを聞くため、ノイリスの意見でゲオジルクの見舞いも兼ねてメディカルセンターにやって来ることにしたのである。
「この人が、お父さんの同僚だった人なんだね」
 花を丁寧に活けながら、ミリニアは呟いた。
「そういえば、ミリニアさんは会うの初めてでしたねぇ」
「ノイリスが話を聞きに行ったのって、四ヶ月くらい前だっけ?」
「そうなりますかねぇ」
「ゲオジルクさん、目を覚ます可能性はあるの?」
 ノイリスは眠るゲオジルクを眺めながら、抑揚なく答える。
「……ほとんど無いそうです」
「そうなんだ……」
「娘のユキさんも行方不明ですから、時々私がこうやって見舞いにきているんですよ」
「じゃあ、この花もノイリスが?」
 言いながら、ミリニアがすでに活けてあった花を指差した。
「……いいえ、私は知りませんね」
「誰が活けてるんだろうね?」
「……誰なんでしょう?」
 そのまま、会話に間が空いた。
 なんとなく次を切り出せずに、ノイリスは窓の外に目を向ける。
 外には、入所棟の裏庭があった。二階に位置するこの場所からでも、生い茂る花や木々が見える。
「ねえ、ノイリス」
 花を活け終えたミリニアが、いつもの声音で問い掛けてくる。こちらを見ているのか、視線を感じる。
 ノイリスは振り向かえることなく応じる。
「何でしょう?」
「昨日……私何か変なこと言ってなかった?」
 ノイリスは苦笑して、おどけた調子で言い返す。
「変といえば、全部変でしたよぉ。なんせ、ろれつが回ってませんでしたからねぇ」
「それは言わないで……反省はしてるから――」
「それと、あなたが心配してくれていることには、感謝してますよぉ」
「……聞いてんじゃないの……だったら、少しは私を頼ってくれてもいいんじゃない?」
 ノイリスはミリニアへと目をやる。
 ミリニアは少しだけ恥ずかしそうだった。
「一人でどうにも出来なくなったら、その時はお願いしますよ。出来る限りのことはやってみたいんです」
 嘘だ、とノイリスは感じる。
 嘘をつくのは、彼女にはきっとこの気持ちが解からないだろうから。
 いや、解かってもらいたくないからだ。この気持ちを、自分のものにしたいだけだ。倒すのは自分だと、決めているのだから。
 自分の手で、ヴァズを打ち倒さなければ意味が無いのだ。
 ノイリスの思考には気がつかないのか、ミリニアは一人迷ったようであったが、やがて強く頷くと僅かだが笑顔に戻る。
「解かった。ノイリスがそこまで言うんだったら、その気持ちを尊重する事にするね」
「ありがとうございます」
 ノイリスも、皮肉を込めない微笑みで返す。
「えっと……それでね……」
 ミリニアはなおも話があるようであった。
「他に私……なにも言ってなかった?」
 どこか戸惑うような仕種に、ノイリスは首を傾げ答える。
「いえ、あとはもう本当に判別不可能でしたから、さっぱりでした」
「そ……そうだったの……」
 彼女は自分の酔い具合に少々ショックを受けたようであった。
「……まさか、戻したりとかは……」
「それは大丈夫ですよぉ。もちろん、いかがわしい事もしてませんから安心して下さい」
「あ、それは心配してないから」
 あっさり否定される。
「だってノイリスにそんな度胸あるわけないじゃん。ってか、女の子に興味なさそう。んー、自分好き?」
「そこまで言いますか……」
 顔を落として落胆を示すノイリスに、ミリニアは笑って答えた。
「そう言うんだったら、女の一人でも連れて来てみなさいよ」
「だったら今度、是非お目にかけましょうかねぇ。ええ、是が非でも」
 ノイリスはいつもの軽口で返しておく。
「出来るものならやってみなさい」
 相手の言葉を待ちつつ、再びノイリスはミリニアを見る。だが、いつもならもっと言い返してくるはずのミリニアがどこか、悲しそうな目をしていた。
「……まあ、その頃には、相棒なんてやってないかもしれないけどね」
「……それはどういう意味で?」
 今度はミリニアが、窓の外に目を向けている。
 ノイリスはただその横顔を眺めるしかない。
「私ね……ハンターズを辞めようって、そう思ってるの」
「…………」
 ノイリスは言葉が返せなかった。そんなことは寝耳に水だ。
「父さん探してハンターズになったけど、もう全然進展してないし……ちょっと疲れちゃったんだ」
 そういってみせる笑顔には、楽しさは微塵も感じられない。
 その表情を見ても、ノイリスは何も言えない。
「実は結構前から諦めてたの。父さんはもう、ラグオルで死んだんだって。それに本星に帰っても、母さんはもう居ない。移民する時に遺産は処分しちゃったし……もう、私に帰るところはないの」
 ノイリスは言葉を返せない。何も言うことが出来ない。
「父さんの過去を追うのに夢中になったのは、たぶんそのことを考えたくなかったから。自分が一人になっちゃったのを認めたくなかったからなんだって、それに気がついたら、頑張ってる自分が急に虚しくなっちゃったの。情報を集めても、何をやってたのか全然解からないし。ゲオジルクさんから聞き出せればよかったんだけど、それも叶わない」
 ノイリスは何も言うことが出来ない。かける言葉が見当たらない。
 それは何も、言葉を持っていないから。
「私もともと、戦闘も得意じゃないし……ハンターズに向いてないみたいだしね。だから、すっぱり辞めることにしたんだ。どうにかこうにかマスタークラスまでは来れたけど、ハンターズって将来性ないっぽいし……無理して父さんの過去を追うのは、もうお終い。やっぱ、後ろ向きなのは私らしくないでしょ。あっ、でもノイリスの手伝いが終わったらだよ? あなたが目標を持つなんて珍しいことだもん。今は相棒なんだし、応援しないとね」
 ノイリスは、辛うじて搾り出せた問いを放つ。
「……ハンターズを辞めて、どうするんですか?」
 でもそれは誰にでも聞ける問い。
 問いにミリニアは一瞬、視線を漂わせる。
(何も、決めてないんですね……)
 そう判断して間違いないのに、ノイリスは何も言えない。
 言うことが出来ない。
 ミリニアは見舞いの花に目を留め、質問に答えを出す。
「花屋とか、いいんじゃないかなって思ってるよ。あとは……ナースなんて似合いそうじゃない? 怪我を見るのにはもう慣れちゃったし、母さんの看病をずっとしてたからね」
「大丈夫なんですか?」
「まあ、いざとなったら父さんの関係で軍部のお偉いさんにも知り合いがいるから……その人にお願いして、何か紹介してもらうかも」
「……そうなんですか」
 ノイリスは窓の外を見る。ミリニアはすでにうつむいていた。
 その表情はノイリスの眼には、まったく見えない角度にある。
 ただ眼を合わせることすらできない。
「ずっと言いたかったんだけど、ノイリスの邪魔しちゃいけなかったかなって、ちょっと遠慮しちゃってたの。……ごめんね」
「謝る必要はありませんよぉ。あなたの、決めた道ですから」
「……ありがと」
 ミリニアの視線を感じる。
 けれどもノイリスは、彼女に目を向けることは出来なかった。
 他に言葉が見当たらなかった。
 何も何も何も何も、なんにも無かった。
 ノイリスの中には、なんにも無かった。




「ろくな話聞けなかったわね」
 ため息まじりにミリニアがぼやく。
 結局、襲撃された高官の警護を請け負っていたハンターズは、軍治安部の捜査が終るまでは発言を制限されているらしく、詳しい話をすることはできなかった。
「……始めから現場を調べた方がよかったかもしれませんねぇ」
 ノイリスも同じく、声に少々張りがない。
 二人はメディカルセンターでの調査を終えて、すでに行政区画へと来ている。日はやや高くなり、街を行き交う人々も数を増していた。高層ビルが並び立ち、それぞれに人が出入りするその姿は、昨夜とはまるで違う活動力を感じさせる。
「でも、絶対立ち入り禁止だと思うけど……」
 ミリニアが現場となったビルを見ながら、ノイリスの案に答える。
「監視カメラのログなんかがあればいいんですけれどねぇ」
「さすがに入手は難しいんじゃないかなぁ……電子的なプロテクトは凄そうだし」
 ミリニアは困ったように見上げる。ビルの隙間にある空からは、見慣れた快晴がこちらを覗いていた。
「ぼやいてても仕方ないし、とりあえず知り合いにあたってみるわね」
「じゃあ、私は先に現場の方に行っておきます。周辺に何かあるかもしれないですからねぇ」
「ついでにネットの情報も検索してくるから、少し遅くなると思うわ」
「それは私には無理ですからねぇ。お願いします」
 ノイリスはそう言って、いつもより薄い笑みを見せる。
「じゃあ、終ったら連絡するね。はい、これ道具入れ。気をつけて使ってね」
 そう言うと、ポシェットをノイリスに渡し、ミリニアはハンターズ区画の方へと歩いていった。
 赤い後ろ髪が見えなくなってから、ノイリスは動きはじめた。
 高官襲撃の起こった高層ビルは、案の定出入り口で検問がなされていた。とりあえずは現場の見えるところに行こうと、ノイリスは少し離れた高層ビルを目指す。
 適当に当たりをつけ、堂々と入り口から入り込んだ。
 近くでは最も階層が高いビルである。様々な企業や団体かが借りているのだろう。入り口にはずらりとそれらの名札が並んでいる。
 入り口をくぐると、ノイリスの特異な格好に、制服姿の勤め人たちは訝しげな目を注いでくる。ただ、彼らは特別何を言ってくるわけでもない。
 視線は無視して進むと、やがて奥のエレベーターにたどり着いた。
 目指すのは最上階だ。
 動き始めたエレベーターにゆられて、ノイリスは一息をつく。
 明滅する数字を見上げながら、ふっと、ミリニアの言葉が頭をかすめる。
『私ね……ハンターズを辞めようって、そう思ってるの』
 彼女はこのクエストを最後にする気なのかもしれない。
 将来を考えれば、それもいい。開拓が成功してラグオルが開ければ、ハンターズの職が今よりも少なくなるのは明白だ。時に死というリスクが付きまとう割に、堅実なリターンが少ないのがハンターズの仕事である。それに、ミリニアの経済状況を圧迫しているのは、間違いなく手持ちの銃の弾丸であり、戦うことがなくなれば、それも使うことはなくなる。
 合理的に考えれば、彼女はハンターズなど辞めるべきなのだと答えが出る。
 思えばあまりにも短絡に。あまりにも率直に。そしてあまりにも、単純に。ノイリスの中で彼女の現在は否定される。
 その決定に、自分には反対する権利はないだろう。彼女の幸せは彼女自身がつかむもので、それに元々は彼女に雇われた身だったのだ。そして自分自身、いつまでも他人の父親の残滓を追うような真似は、しても意味がないのではないか――
 思考しているうちに、エレベーターが最上階へと到着する。
 頭の靄を押し払うと、ノイリスはビル内を進んでいく。当然エレベーターは屋上には繋がっていないので、残りは階段を使って上がっていかなければならない。少し歩くだけで何の問題もなくノイリスは屋上に続くドアー前にたどり着いた。
(まっ、どうせ開いてないんでしょうけどねぇ)
 そう思いながらも、一応ノイリスは開閉用のタッチパネルを操作した。
 予想に反しあっけなく扉が開く。
「……無用心ですねぇ?」
 侵入者らしからぬ呟きを発しながら、ノイリスは屋上へと出た。
 出た途端、渦巻くビル風がノイリスの体を強く撫でる。
 目の前には林立する高層ビル群が、背比べをする草花のように並んでいた。
「絶景絶景、なんて言うべきなんでしょうかね」
 ノイリスは口の端を吊り上げるいつもの笑いを浮かべ、ドアーを閉めると、事件のあったビルの方角に歩を進める。
 端に寄れば、高官襲撃事件の起こったビルの部屋は一目で解かった。ビルの一つに窓ガラスが割られて、簡単に布のようなもので取り繕ってある場所があったからだ。
 ノイリスはミリニアから預かったポシェットを開き、双眼鏡を取り出して部屋を覗きこんだ。だが、そのままでは防風用の布に隠れて中がうまく見えない。
「えーっと、どのボタンでしたっけ……」
 たどたどしく双眼鏡のスイッチを操作すると、ノイリスの視界が赤と緑に切り替わる。
 赤外線モードに切り替わった双眼鏡によって、映像は布を透過していた。ノイリスは中の様子を探る。
 部屋の内部に人はいない。家具が散らかった様子もない。
(綺麗なものですねぇ……)
 もう片づけられてしまったのだろうか? だとしたら、もう奥の手を使わなければならない。
「足がつくから使いたくなかったんですけどねぇ……」
 ちいさくぼやくと、ノイリスは道具入れから小さな塊を取り出した。蜂のような昆虫を思わせるフォルム。その体は機械式で、光沢の無い塗装がなされていた。
 偵察用のミニロボット。
(これで何も出なかったら打つ手なし、なんですけどねぇ)
 どうしたものかと思いながら、ノイリスは偵察用ミニロボットを放とうとした。
「それは止めておいた方がいい」
 それは唐突に――聞こえてきた。
 後からの声に、ノイリスは瞬時に振り返る。
「初めましてこんにちは、だな」
 振り返ると同時、ノイリスに挨拶が放たれた。
 挨拶を放つのは背の高い男だ。
 170cm以上あるノイリスよりも、頭一つ分は高いだろうか。ダークブラウンの短い髪、濃いサングラス、白めの肌に、黒い皮のロングトレンチコート。いかにも怪しい特徴的な格好をしているのにどこか存在感の無い、印象の薄い男であった。年の頃は三十かそこらに見える。それが振り返ったノイリスの数歩先に立っていた。
 いっさい気配を感じさせずに、である。
「君、勝手に入ってはいけないな。ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」
 男が笑うように口を緩ませながら言ってくる。目が見えないので、本当に笑っているのかノイリスにはわからない。
「すいませんねぇ、ここからの眺めがあんまり綺麗だったもので、つい」
 謝るフリをしながら、ノイリスは相手の出方を探る。あきらかにこのビルの関係者には見えない。それどころか、カタギですらないだろう。物腰、余裕、すべてが底知れない様子を持っている。
(それにこの男は――)
 武装している腰つきだ。ノイリスはそう感じていた。
「ふむ、気持ちは解からないでもない。だが早く出て行きなさい。ここは君が居て良い場所ではないのだよ」
 男は笑いを崩さずに告げてきた。今度は少しだけ強固な口ぶりだ。
「先に禁止を侵していたのはあなたでしょう? あなたの方こそお先にどうぞ」
「なぜそう思う? 俺はここの関係者だよ。出る必要は無い」
 男が少しだけ肩をすくめた。ノイリスは油断なく返答する。
「普通は閉まっているはずの屋上の扉が、すでに開いていましたからね。それにあなたはどうしたって関係者なんかには見えませんよぉ。というか、カタギには思えません」
「明らかにカタギじゃない君のような奴に言われたくは無いな」
 男が顎に手を当てながら、少しだけ困ったように言ってくる。
「あなただって、気配を消しながら後ろから近づいて来たくせに、企業関係者とか言わないで下さいね」
 ノイリスが切り返すと、それもそうか、と男が笑った。
「そう思うのは勝手だがね、とにかくここに長居はしない方がいい。忠告だ。それと、そんなちゃちな機械を使うのも止めておいた方がいい。足がつくどころの騒ぎじゃなくて、首が飛ぶからな」
 男が変わらぬ口調で告げてくる。
「何のことです? 私はただの覗きですよぉ。向うのビルに凄く可愛いニューマンの女性が働いていまして。ここから愛でるのが日課なんです」
「君の有様では冗談に聞こえないな。覗きはりっぱな犯罪だ」
 そう言って笑う男の様子にしびれを切らせ、ノイリスはため息をつきつつ、相手に問いを放つ。
「……いったい何なんですかあなた」
 だが男は変わらぬ様子で、笑みを浮かべたままだ。
「ヒューマンだよ。見れば解かるだろう?」
「そんなことを聞いてるのではなくて……何者なんだ? って聞いているんですよ」
「つまらないことを聞く奴だな君は。俺が何者かなんて、そんなことは君には意味の無いことだ」
 違うかな? と男は問う。
「いえ、少なくとも何者か解かれば、少しくらいの安心はできます」
 ノイリスの問いに、男は一瞬真顔に戻って考えた。
「……そうくるか……ならば、恩人ということにしておけ」
「何でそうなるんですか……」
 男のテキトウな様子に、呆れた声でノイリスは反論した。
「俺にとって今の状況は、目の前で飛び下りみたいな真似されから止めたといったところだ。君にとっては恩人だろう? それともあれか、君は死にたがりなのか?」
 だったら俺は邪魔者かもな、と男は続ける。
 キリがない。……ではなく、会話に切り札が無い。
 いつもはのらりくらりと会話をいなす自分が、何もできないとは……
 浮かんだ苦渋をなんとか噛み潰しながら、ノイリスは確信を付く。
「だいたいどうして、首が飛ぶなんて解かるんですか?」
 対して男は少しも変わらぬ様子で、答えを返してきた。
「君が弱いから、かな」
 男の姿が、突然消える。
 ノイリスの目の前から、完全に、消失したかのごとく。
「…………なっ!?」
 同瞬に感じる、強い澱み。
 自分へと向けられる気配の圧力。
 ここは危険だ――
 ノイリスはカンを信じて右へと跳んだ。
「……ほう、避けられるのは意外だったな」
 男の声が響く。
 先ほどまでノイリスが居た場所の、すぐ後ろ。ノイリスが体を立て直して振り向き見れば、そこに男は立っていた。
「予想を裏切られたのは久しぶりだよ」
 男が言う。口元の笑みは消さぬままに。
 強まる圧力は、存在感ではない何か。居心地の悪さは、空気の淀み以外の何か。
 ノイリスの額には自然、脂汗が浮かんでくる。
「気絶でもさせて服を剥いて、ついでに粗品とか全身に書いて外に転がすつもりだったが……今考えるとあんまり面白くはないかな」
「……冗談はやめて下さい」
 ノイリスは身構えたまま、何とか平静を保とうとする。
 どうして一瞬、男が目の前から消えたのかまったく解からない。男は言葉どおり、いつの間にか自分の後ろに移動し、気絶させる気で一撃を放っていたのだろう。瞬間の攻防にも余裕すら感じられる。
(相当の使い手に間違いありませんね……ハイ・マスターか、それ以上の……)
 対峙するのもやっとなノイリスに対し、男は先ほどよりも愉快そうにノイリスを見ている。
「そうだな……左右の足に別々の住所を書いておこう。拾ったら届けて下さいってな。ふむ、発見者の困る顔は楽しそうだ」
 自分の考えに満足したのか、男は笑みを深めると、右手を上げながらノイリスを指差してくる。
「さて、分からず屋の君のためにもう一度忠告をしよう。君がどこの何者かは知らない。そんなことは俺には関係ない。ましてや君の疑問である、俺が誰かなんて事は本当にどうでもいいことだ」
 男はそう言って、今度は右手の親指で己を指し示す。
「だがここは、この場所は今日一日、俺が面倒を見ている。だから、だからこそ此処は、部外者立ち入り厳禁なのだよ」
 ドアーの開けっ放しは失敗だったがね、と笑いながら男は続ける。しかしその体からは、目に見えぬ圧力がノイリスに向けられていた。それは先ほどよりもなお強く、研摩された剣の如く鋭い。もはや立っているのが辛いほどに。
 だが、ノイリスは退けない。ここで退いては、何も得られない。
(私は……もう負けたくはないんです)
 だからノイリスは前に出た。気持ちだけでも、前へ。
「あなたは……何か知ってるんですね。高官襲撃事件のことを」
 男は笑みのまま、言葉を紡ぐ。
「まったく……好奇心は体に毒だぞ」
 再び、ノイリスは空気の澱みを感じる。
 男がノイリスの視界から消え――
 今度は目の前に現われた。
 驚愕に、ノイリスはほんの一瞬硬直する。同瞬、強く波打つかのような衝撃がノイリスの全身を襲った。内臓全てを強引に揺さぶられ、脳をかき乱される感覚に視界が揺らぎ、自然に体が前へと崩れていく。
 微笑みを浮かべたままの男の顔に、透けるサングラスの奥の眼。
 革靴を履いた足と、屋上の床。
 床には薄く赤い染みが広がっている――血が零れた痕みたいだ――屋上に倒れこみながら、ノイリスが知覚したのはそんな光景だった。その間も急速に体温が冷えていくのを感じる。
 そして聞こえる、男の声。
「亡霊に憑かれたと思って、諦めろ」
 ノイリスの意識は暗転する。




 夕焼けから次第に夜への変化をあらわす、橙から藤のグラデーション。それは一刻とて同じ様相を示さない、宵の口へのイルミネーションだ。
 すでに建ち並ぶビル群には明かりが灯り、立ち並ぶ街灯も道を照らしている。
 ビルの間にある、歩道のみが続く道。その道の真中で、ミリニアは身構えて立っていた。
 彼女の数歩前には、一人の女性。
「身構えなくてもいいわ」
 女性は微笑を浮かべながら、その銀色の髪をかきあげる。声音は優しげで、緊張をほぐそうとする意思が感じられる。
「……あなたが、ノイリスの言っていた謎の美女?」
 言いながら、なんて間抜けな台詞だとミリニアは内心で自嘲していた。謎の美女などというフレーズを、本人に向かって言うなど、バカバカしいにもほどがある。
「あら、光栄ね」
 余裕をもった女性の様子に、攻撃の意思は感じ取れず、とりあえずミリニアは体の緊張は解いておく。身構えたままでは消耗するだけだからだ。
 ノイリスと解散し、軍部の知り合いに情報を聞きに行ったミリニアは、自室で事件について調べ物をしていた。めぼしい情報が手に入らずムキになっていたら、思いのほか時間がかかってしまった。慌ててノイリスと合流するため連絡を取ってみたが反応は無く、ミリニアは急ぎ行政区画へと向かっていたのだ。
 その道の途中で、件の謎の女性に立ちはだかれた。
(偶然かもしれないけど……油断はできないわね)
 ミリニアはさりげなく腰の後ろに愛銃があることを確認し、牽制するために問いを放っておく。
「あなた一体何者なの? 昨日は私のことを知ってるみたいな口ぶりだったらしいけど……私はあなたなんて知らないわ」
「それもそうね…」
 女性は少し残念そうな表情を見せる。その仕種は、同性すらも魅了する魔力があるかのようだ。
「シャフトよ。今は、そう呼んで」
 そう名乗ると、シャフトはほんの僅かだけリラックスしたように姿勢を崩す。
「あなたと話がしてみたかったの」
 シャフトは言葉を続けた。ミリニアの眼を、真っ直ぐ見据えてくる。
「ただそれだけ? 私は忙しいの。これからノイリスと合流しなきゃならないし、後にしてくれない?」
「彼とは、連絡がとれないはずよ」
 シャフトの言葉に、一瞬わけが解からなくなる。
「――彼になにかしたの!?」
 ミリニアの疑問符に、シャフトはなだめるような声音で返してきた。
「大丈夫よ、何もしてないわ。少し話をしただけ」
 何の連絡も無かった。それなのに、この女はノイリスと会って話をしていた。
 疑念と欺瞞が、ミリニアを包んでいく。
「ミリニアさん、能力者と呼ばれる人たちを知ってるかしら?」
 突然のシャフトの問い。ミリニアには、まるで関係の無い話に思えた。
 だからミリニアは答えを返さない。
「あなたも真実を知る権利があるのかもしれない…」
「……真実って、なに?」
「ミリニアさん、あなた自分のお父上のことを調べているそうね? パイオニア1に乗っていた軍人、元軍部10番隊の隊長、ジオルグ=ウィーバーのことを」
 ミリニアは意味が解からない。なぜこの女性――シャフトと名乗ったが――は、自分のことを知っているのか……なぜ自分が父のことを調べていたのを知っているのか……ノイリスは何を話したのか……
「……どうしてそんなこと知ってるの?」
 疑問は当然の問いとなって紡がれる。
 シャフトは悠然とミリニアを見ていた。ミリニアはその瞳に吸い込まれそうな錯覚さえ覚える。
 シャフトは、ミリニアの問いとは別の答えを告げてきた。
「私に協力してほしい。かわりに、私はあなたの欲しい情報を提供することができる。あなたのお父上のことだって、ね」
 突然の誘い。シャフトの眼は真面目だと、ミリニアは判断する。
 だが、ミリニアは笑みを無理矢理作った。ノイリスの真似をしてみたつもりだが、うまくいったかは不安だ。
 そのままの表情で言葉を返す。
「……もう父さんのことを調べるのは辞めたの。ハンターズだって、辞めるつもりよ。ノイリスから聞かなかった? 残念ね」
 その言葉にシャフトは何故か、悲しそうな顔を見せた。
「……諦めたの?」
「どうでもいいでしょそんなことは」
「……そうかしら?」
「何が言いたいのよ!?」
 ミリニアはつい激高する。通りは裏通りのため、先ほどから一人の通行者も居ないが、それでもミリニアは気まずい気持ちになった。
 見ればシャフトは困り顔で、相変わらずこちらを見据えていた。その目に宿る真摯な光と、緊を含んだ声音が、ミリニアに向けて放たれる。
「その怒り……本当に私に向けられたものかしら?」
 一瞬の間があったのに、ミリニアは返答に詰まってしまう。
 シャフトはそのまま、言葉を続けてきた。
「今、あなたは鏡をみることができる? 悔いに歪んだその心を…」
 シャフトの言葉に、ミリニアの感情が溢れる。
「あなたに……あなたに何が解かるの!? 私がどれだけの思いでこの一年半を過ごしてきたか……あなたには解からない!」
 先に発進した移民船「パイオニア1」に、肉親や親しい者が乗っていたパイオニア2の乗員は多い。突然の爆発事故、パイオニア1乗員全員の生存絶望。パイオニア2では「よくある話」。だがそれでも、個々の悲しみは決して数値で表されることは無い。
 平均化できない想いを、各々は抱えているのだ。
 シャフトはそんなミリニアの言葉に顔の悲しみを深め、少しうつむく。
「……ごめんなさい……軽率だったわ」
 シャフトはすまなさそうに、ミリニアに眼を向ける。
 だが、続く言葉は明らかに強い意志がこもっていた。
「あなたが手を尽くして諦めたなら、これ以上話すことはないわ。でも、何かやり残したことがあって、後悔をしたくないと思っているのなら――」
 シャフトは歩を進める。ミリニアに向かって、力強く。
「――私の情報は、あなたの力になる」
 強い引力をもつ誘い。
 ミリニアは拳を握りしめ、感情が溢れそうになっているのを必死で堪えている。この女とは冷静に、立ち向かわなければならない。
「私はあなたなんか信用できない。絶対に、信用しない」
 ミリニアは告げる。視線をシャフトに向け、だが視点は眼を見ずに。
「……そう」
 シャフトはどこか残念そうな声音を放つ。
「私の言葉では、届けられないわね……」
「……ノイリスは何を?」
「もう連絡は取れるはずだから。そして……余裕があれば考えてみて」
 言いながら、シャフトはゆっくり後ろへと振り向いた。
「あなたに真実を知る覚悟があれば……また会いましょう」
 そう言うと、彼女は歩き始める。そのままわき道に入り、すぐに姿が見えなくなった。
 すでに暗くなった空の下で、ミリニアはしばらくの間、照らされた道に立ち尽くすだけだった。




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