彷徨うのは闇夜



11

 闇の凶鬼。確かタンジェットはそう呼んだ。
 シャフトの装備が、森で出会った怪物にも似ていた。だから嫌味も言った。
 だが森の奥より現れたそれは、以前の夜見たときよりも確実に面妖であると、ミリニアは感じていた。
 シャフトの装備など、本物のおぞましさに比べたら児戯に等しい。
 丸まった背。異様に長い腕と五指。筋肉の発達した足。大きさは人ほどであっても、丸まった背が異様に発達している。
 そして以前には解らなかったが、流れるように長い頭髪の色は金だ。
 人の面を皮膚一枚剥いだ面相。漆黒の皮膚色と、さらに深い瞳の闇。
「まさか! 二体いるとは聞いていないぞ!?」
 その姿に驚き止るタンジェットが叫んだ。
 出現場所から最も近くには、イーギーが倒れている。
 突如現れた凶鬼。
 その怪腕は、失神していたイーギーを、あっさりと貫いていた。
 何度も、何度も刺し貫いていた。
 まさに狂った鬼のように。
「き……貴様ぁっ!」
 タンジェットは我を忘れたかのように突進する。
 シャフトと戦っていたユキが、その姿に声を荒げた。
「ダメだよ!」
 タンジェットは止まらない。ユキがシャフトを無視して追いかけるが、間に合わない。
 投げナイフを放った。避ける気も無く凶鬼の腕に突き刺さる。
 低い姿勢から一気に間合いを詰め、回り込んだタンジェットは叫んだ。
「くたばれぇ!」
 両腕のナイフの一撃。
 だがそれが届くよりも早く、しなるようにひるがえった凶鬼の豪腕が、タンジェットの腹と、胸を切り裂いていた。
 タンジェットは血を噴き、後ろへと倒れこんでいく。
 一拍をおいて、ユキが怪物に肉薄した。左手にある赤い柄の刀を、タンジェットの一撃よりも数段早い鋭さで、横薙ぎに払う。
 だが怪物の腕は、ユキの斬撃を軽々と受け止めた。
(危ない!)
 ミリニアがそう思った瞬間、不可思議なことが起きていた。
 凶鬼の胸元が、ぱっくりと裂けたのだ。
 ユキの右手にはいつの間にか、腰にあったはずの黒い柄の刀があった。
 片手で行われる抜刀術。
 おぞましい悲鳴をあげる怪物を尻目に、ユキはタンジェットを引っ張り離脱する。
「ユキさん!」
 ノイリスが駆け寄って行くが、ミリニアは怪物から眼を離せない。
 凶鬼の傷が瞬時に再生されていく様。
 凶鬼は再び耳に残る声を上げて、森の奥へと逃げるようにして飛び込んでいく。
「シャフトさん、あれが……」
 ノイリスは息を呑むようにして告げる。
 シャフトは仮面をスライドさせ、真剣なまなざしで伝えてきた。
「追うわ。あなたたちは急いでこの場から離脱して」
 頷き、ノイリスはタンジェットの様子を見ている。
 シャフトはミリニアに向かっても、告げてきた。
「シャフトとは、あの怪物の名前よ。私はあの人――いや、あれを仕留めなければならない」
「……いいから、早く行きなさいよ」
 ミリニアは眼を合わせず、言葉だけを向けた。
「縁があれば、また会いましょう。その時はリップと呼んで」
 少しだけはにかみ、シャフトと名乗っていた美女――リップは続ける。
「…それが一番…好きな名前だから」
 そういうと仮面を装着し、闇の凶鬼となった。
「あんたが、生きて帰ってきたら考えてあげてもいいわ」
「アリガトウ……アナタタチモキヲツケテ…」
 そのまま、本物の凶鬼を追って、リップは森の中に消えていった。
 数拍の間その姿を目で追ったが、すぐに現実がミリニアを引き戻す。
「ミリニアさん! 転送の準備とパイオニア2に救急の連絡を。こっちはまだ助かるかもしれません」
 タンジェットが、死にそうになっている。ノイリスは命を狙われたのに、相手を救おうとするのを自然な行動にしているところが、やっぱり変だ。
 ノイリスの指示に、手早くミリニアは操作を開始する。緊急信号を出し、転送の通信を始めた。すぐにでも転送を行えるだろう。
 なにも、邪魔が入らなければ。
 幾度目だろうか、森の中を、風が通り渡っていく。

「――宵の小町に天狗鼻――酔って河原に落とし穴――」

 風に乗って聞こえるのは、歌だ。
 ミリニアの知らぬ声。
 ノイリスの知った声。
 調子の外れた男の歌が、風に乗って届いてくる。
 一拍遅れて、ざわめきが森を支配し始めていた。
「はぐれ者の成れの果て――鬼が湧き出て――いのちー果てぇ――」
 風の音が止んでも、木々の奥から歌が続く。
 風が歌を呼んだのか、歌が風を呼んだのか。
 その歌の主が、木々の間に立っていた。
「――油断大敵だって、俺はいつも言ったよなぁ。タンジェットよぉ」
 横たわるタンジェットは、血みどろのままにもかかわらず、声のしたほうに向き直る。
「ヴァ……ズさ……ん」
 <鋼鉄シュタール>のヴァズ――ヴァッツアー=バイオは浪々と姿を現していた。


12

 あっけにとられたミリニアが見れば、ノイリスは、すでに最大限の緊張をもって身構えている。
 ヴァズと呼ばれた男の全身を包むのは、オリエンタルな色彩のゆったりとしたローブだ。顔も目以外の大部分が帽子やマスクで覆われており、ただ帽子からはみ出る緑色のドレッドと、獣を思わせる濃いブラウンの眼光は、男の雰囲気を一層近寄りがたいものにしている。
「まったく暇を見つけて来てみれば、グレン隊は俺の戦術に従ってねえし、シャフトは取り逃がすし、おまけに……なんだってんだこの状況」
 ヴァズが楽しそうな声音を放つ。だがその目はノイリスの方には向けられていない。
 ユキの方向へと向けられていた。
「ユキちゃん、早くこっちに来な」
 どこか、有無を言わさない迫力があった。ユキも言われた通り、男の方へと歩を進める。
「ユキさん、どうしてそんな男の言うことを聞くんです!?」
「残念だがノイリス、お前さんと再会を懐かしんでいるほど暇じゃ無いんでなぁ」
 ヴァズが横目でノイリスを見ながら告げてきた。次はノイリスの隣りに横たわるタンジェットへと、冷淡に指令を出す。
「癒しはねえから、俺に殺されるか、自分で死ぬか、選べ」
 ヴァズが言うなり、突如としてタンジェットが血を吐いた。
(――そんなっ!?)
 ミリニアが駆け寄る。
 彼は舌を……自ら噛み切っていた。
 手持ちのメイトでは、切断した部位まではつなぎ合わせることはできない。癒しのテクニックを発動するべく、ミリニアは集中を始める。
「風塵」
 ヴァズの声が響く。
 タンジェットに張り付いた細長い紙が、膨れ上がったように光ったかと思うと――タンジェットの全身が、切り裂かれていた。
 手の施しようが無かった。
「なんってことを!? ノイリス! 何がどうなってるの?」
 ミリニアは混乱している。
 事態があまりにも、進みすぎている。
「……ミリニアさん、ゲオジルクさんを覚えてますか?」
 ノイリスは口を皮肉げに吊り上げながらも、真剣な眼差しでミリニアに問うた。
「覚えてるけど……まさか、あの子がそうなの?」
 当のユキはタンジェットの方をじっと見ている。先ほどまで動いていた、細切れになった男を。
 ミリニアは油断なくランチャーを構えながら、ノイリスのやや後方に位置する。
「そうです。そしてあのローブの男が、ゲオジルクさんをあんな状態にした張本人……私の目的の相手ですよ」
 ノイリスの顔に浮かぶのは、苦々しい笑み。
「目的って……」
 ミリニアが問うのは、ノイリスの深淵。
「……復讐です」
 ノイリスの言葉を聞いて、ヴァズが高らかに笑い出した。
「復讐だって……? くくくっ、まったく面白い! 来て良かったぜ」
「何が可笑しいのよ!」
 ミリニアはヴァズを睨む。
 だがまるで意に介さず、ヴァズは漂々と両手を呆れるように掲げる。
「久しぶりで悪いがよ、さっきも言った通りあんまり暇が無いんだ。だけど、親切な俺様は一つだけ聞いてやるぜ。ゲオジルクのおっさんは組織を裏切り、その慣れの果ては自業自得。ユキちゃんは哀れな養父を守るため、自分の意思で俺らに加担してんだ」
 そう言って、近くにいたユキの頭を撫でながら、ヴァズはなおも続けた。
「さてさて、お前の復讐は何のためだぁ?」
 ヴァズの声音は明らかな"快"の感情を含んでいる。
 ノイリスは構えを解かず、一拍の沈黙を置いてヴァズの問いに答える。
「ユキさんの行動は本意じゃありません。だから、私があなたたちの脅威を取り払うんですよ。なにせ私は正義の味方ですからねぇ」
「つまんねえ冗談じゃ笑えねえな」
 ヴァズがノイリスの言葉を遮る。
「もっともっと面白く行こうぜ。頭フル回転させて、理由をもっと搾り出せ。愉快爽快痛快で、それまた加えて奇怪によぉ。テメエはまったく本音が足りねえよ」
 ヴァズは変わらず大手を広げ、あざ笑うかのような、しかし隙の無い目をノイリスに向けていた。
 ノイリスは静かな目線をヴァズに向けている。
 ミリニアの見たことの無い、冷酷な眼差し。
「……私は、お前を超えなければならないんですよ。ユキさんと、ゲオジルクさんと、なにより私自身のためです。だから……手加減はしません」
「少しは本音が出てきたなぁ。だぁけどぉ、ユキの保護者は俺様だ。ロリーな変態は近づくんじゃねえよ」
 わざとらしくユキの前に立ち、腕を組んでみせる。ヴァズは明らかに楽しんでいた。
「少しは強くなったか? それとも曲芸を磨いただけかぁ? 逢引したきゃ俺を倒せよ。俺の屍を越えていけってかぁ?」
 ヴァズはおどけた口調で言うと、そのまま高らかに笑い始める。
「――ふざけるな!」
 ノイリスの怒号。
 その言葉に、さらに馬鹿笑いを上げるヴァズ。
(こいつ、ノイリスをなぶって楽しんでいるだけだ!)
 そう思うと、ミリニアは怒りが込み上げてきた。
 感情の抑制が効かず、慣れた動作でヴァズへと砲撃を放つ。
 森をつんざく轟音がヴァズへと迫る。
 ヴァズは笑ったまま避けようともしない。
 直撃だ。
 ミリニアがそう思った瞬間、ゆったりとしたローブがひるがえると、フォトン弾を絡め取り、そのまま打ち消した。
(――そんな!?)
「軽いねぇ」
 そう言うと、ヴァズはじろりとミリニアを睨んだ。
「止めろ!」
 ノイリスが駆け、そのまま一気に接近する。
 踏み込み音が響く。
 ノイリスの放った眼球を狙う一撃は、しかしヴァズにあっさりと受け止められていた。
「甘い」
 ヴァズの返す一撃をまともに受け、ノイリスは数歩分吹き飛ばされた。
 ノイリスはうずくまり、痛撃にその場から動けないでいる。
 見れば彼のフレームは、大きく裂けていた。
「……なんだい、せっかく無理して来たのに、その程度かよ」
 ヴァズは心底つまらなそうに唾を吐く。
「俺を殺す気なら、さっさとテクニックでもしかけりゃ良かったんだ。そんなんじゃいつまでたっても、つまんねえ道化だ」
「ノイリスに何すんのよ!」
 ミリニアが、愛銃<フェンリル>を抜いてヴァズへと向ける。
「おいおいお嬢ちゃん、誰だか知らんが、下手に関わると死ぬぜ?」
「そんなこと知らないわよ! あんたこそ、この銃を舐めたらエライ目にあうんだからね!」
「ああん? なんだ、非フォトン式の拳銃か……ジオルグの野郎を思い出させるぜ……早く仕舞いな。ホント、抑えきかねえぞ?」
 ヴァズの眼が鋭く細められる。
 圧倒的な圧力を含んだ、明らかな脅し。
「お姉ちゃん、ヘズちんとケンカはダメなんだよ」
 ユキの困ったような声。
 だが、ミリニアの意識は別のところにあった。
 ヴァズが言った名前だ。
 ジオルグ。
 ジオルグ=ウィーバー。
 ミリニアの捜し求める、いや、捜し求めていた人物。
 死んだはずの、父。
「……あなた……ジオルグを知ってるの?」
 ミリニアは問う。
「……へえ? お嬢ちゃん何者だ?」
 一拍の間を置いて、ヴァズの眼が緩められた。
 ヴァズはジオルグを知っている。そうミリニアは確信する。
 ノイリスの仇。病院で横たわるゲオジルクを思い出す。ユキが少し困ったように佇む。
「私は彼の……娘よ」
「ってことはお嬢ちゃん、<烈火ヴァーミリオン>のミリニアだって言うのか」
 ヴァズは愉快そうに眼を緩め、ミリニアに向かって言葉を放った。
「なんだいなんだい、水くせえ。そうなら早く言ってくれよ――

 ――あいつのことはよく知ってるんだ。

 余興ついでに来ただけなのに、こいつはとんだ拾い物だぜ」
 ヴァズが楽しそうに腕を組み、ミリニアに一歩近づく。
 呆然としたままミリニアは、ヴァズに眼を向け問いを続ける。
「父が……生きてるの?」
「ミリニアさん、ヴァズと話しては……ダメです……」
 ノイリスのうめき声。
 ミリニアはそれらを置き去り、さらに問う。
「生きてるぜぇ。ジオルグのおっさんには色々と借りがある。ミリニアちゃんには色々と礼をしなきゃなんねぇよなぁ――」
 ヴァズの眼は、その笑みとは対照的に、どこまでも冷ややかにミリニアを見ていた。
「ミリニアさん、そこから逃げて下さい!」
 ノイリスの叫び。
 続くヴァズの呟きはなぜか、その叫びの中でもミリニアの耳に届いた。
「――だから、死んでもらうぜ」
 どこまでも愉快そうな、残酷な言葉が。
 ヴァズは一枚の符を放つ。
 符は鋭く空を切り裂き、ミリニアに向かって飛んでいく。
「来、朱雀陣!」
 ヴァズの掛け声と共に、符から巨大な火の鳥が生み出された。
 猛烈な火力に、触れる木々は瞬時に炭化していく。
 虚を突かれたミリニアは、避けることすらままならない。
(私、死ぬの……?)
 惚けたまま、ミリニアはそんなことを考えていた。
 突如聞こえる、「琴」という耳鳴り。
 続く銃声。
 ミリニアの後ろから飛来した"何か"が、火の鳥を貫き、ぽっかりと穴をあける。
「なんだぁ!?」
 ヴァズの抗議をよそに、媒体となる符を見事に打ち砕かれた火鳥はそのまま消失した。
 続けて新たに飛来した"何か"は、猛烈な勢いでヴァズに突き進む。
 瞬応したヴァズが、護符を放つ。
 だが展開された防壁を貫き、"何か"はヴァズに到達した。
「――くそったれ!」
ヴァズのローブが、ひるがえる。
…………
 一拍の間を置いて、ゴトリと地に落ちたそれは、握りこぶし大の……弾丸であった。
 ヴァズが片膝をつく。
弾丸はひるがえしたローブを押し込んで、直撃した後は大きく窪んでいる。ヴァズは堪えきれなかったのか大きく咳き込んでいた。
「ヘズちんを殺さないで! ゲオが死んじゃう!」
 ユキがヴァズの前に立ちはだかり、何も居ない空間に向かって叫んだ。
「……俺の心配は無しかい」
 そう言うとヴァズは立ち上がり、血反吐を吐き捨てる。
「どういうつもりだ……あの野郎。証拠はねえが、部隊をかく乱してるのもおそらくそうだ。この行動は高くつく」
 ミリニアもノイリスも、突然の出来事に驚きを隠せない。
 逆鱗に触れたのか、ヴァズの体から強烈な気配が膨れ上がる。
「テメエらもだ、姿見えないのなら全部焼き尽くすまで――」
 言いかけたその時、電子音が鳴り響いた。
 ヴァズの手元からだ。
 ちらりと確認した瞬間、ヴァズの怒気が少しずつ収まっていく。
「……ったく、興醒めだぜ」
 ぼやくように、ヴァズが呟いた。
「"本命"が動くとはな。命拾いしたなテメエら」
 そう言って、ヴァズは転送用の光陣を展開する。通常ではありえない黒い光が、森の中に出現した。
「待て!」
 我に返ったノイリスが、ヴァズに向かって叫ぶ。だがダメージが大きかったのか、体動かすことは叶わないようだ。
 その様子に、ヴァズが嘲りを見せる。
「おいおい、今度は一矢も報いられないのかよ。それじゃ成長どころか退化だぜ。道化の道は退く道、ってかぁ? 苦労すんね」
 ヴァズは、踵を返す。
「構って欲しいなら考えるんだな、その足りねえ頭でよぉ」
 ぎゃははは、と笑い声を残し、ヴァズは光陣の中へと消えた。
「ノイノイ、ごめんねぇ」
「……どうしてあなたが謝るんですか……」
 ノイリスはうめく。
 だが答えずに、その一言だけ残してユキは転送される。
 後には沈黙と風のざわめき、そして二つの死体が森に残された。
「……父さんが……生きてる?」
 ミリニアが呟く。
 森の木々から覗く空は、いつの間にか灰色に澱んでいた。


13

 パイオニア2での夜空に、星は輝かない。
 摩天楼たちがそびえ立つ近隣一帯を、さらに見下ろす超高層の建物。その屋上には、無意味に辺りを照らす明かりと、人影があった。
 前触れも無く風が屋上を通り抜ける。
 気流の乱れがどこかで生まれ、ビル群が気流の乱れを増幅し、やがては強い風を起こす。風は人影を薙ぎ、人影は帽子が飛ばされぬよう手で抑える。
 人影は、ノイリスであった。
 森での出来事から、すでに一日が経っていた。
 屋上はほかに誰も居らず、だがそれでもノイリスは佇みつづける。
 何かを待つように。
 何も映らない空を見上げて。
 一刻が過ぎ。
 いい加減焦れていたところに、風に乗って声が響いた。
「待っていれば来ると思っているのかね?」
 多少の年輪を刻んでいるであろう、男の声。
 声はすれども姿は見えず、だがノイリスは構わずに応答する。
「実際に、あなたは現われたじゃないですか」
「ふむ、見事に釣られてしまったかな」
 ノイリスは姿無き声に、言葉を続けた。
「シャフト――いや、リップさんの協力者なのでしょう? 幾つか聞かせて欲しいことがあったんです」
「答えるなどと、なぜ思う?」
「あなたが答えたくないなら、私は別にいいですよ」
 ノイリスはつまらなさそうに答えた。笑みも浮かべず、真顔で夜を見ている。
「森で私たちが見たあの怪物。どうなったんですか?」
「そんなこと、君が知ってどうする?」
「満足します」
「それでは、おあずけだ」
 男が少し笑うような口調に変わった。
 ノイリスは振り返るが、それは男を捜してではなく、違う方向の景色を見るため。
「……リップさんは?」
 再び数拍の間が空いて、答えが帰ってきた。
「生きている、とだけ教えておこう」
「では……あなたは、どういう原理かは知りませんが、人前からいきなり姿を消せる。……ひょっとして、高官襲撃はあなたの仕業ですか?」
 問いを放った。
 数秒の間を置いて、男の声が返ってくる。
「ふむ、あれは俺の仕業ではないな」
 抑揚の無い男の声からは、何も読み取ることは出来ない。
「こんな押し問答に意味があるのかな? 全ては終わってしまったことだろう?」
 突き放すような声。
 構わずにノイリスは言葉を編み出す。
「次で最後ですよぉ」
 ノイリスは真顔だ。皮肉げな笑みも、嘲りもない。
「一昨日、森でミリニアさんをヴァズから救ったのはあなたでしょう?」
「……何のことかな?」
 男の声音は変わらない。
「とぼけるんですか? ジオルグ=ウィーバーさん」
 ノイリスの声に反応したかのように、男が姿を現す。
 向かって右側、六歩先。
 濃いサングラス、白めの肌に、黒い皮のトレンチコート。男が放つのは、闇に溶けるような存在感の希薄さと、内に秘められた圧倒的な圧力。
「お喋りが過ぎるのではないかな?」
 そして右手には、ノイリスに向かって大口径の非フォトン式長銃が握られていた。
「その銃ですね? ヴァズの防御を超えて、ダメージを与えたのは」
「好奇心は体に毒だと、教えたはずだがね?」
 サングラスの奥は、まったく見えない。
 銃口はピッタリと、ノイリスの頭を狙っている。
「いいんですよ、好奇心が殺すのは猫だけです」
 ノイリスの言葉に男は、それもそうか、と笑った。
 圧力が拡散していくのを、ノイリスは感じ取る。
「……ミリニアさんに、会わないんですか?」
 男は沈黙。だが銃を下ろして、無言のまま踵を返す。
「ミリニアさんはあなたを探して――」
「君の勘違いは、すさまじいな」
 男が告げる。
 突き放したように。
「俺はジオルグなどではないよ」
 そう言って、離れていく。
「……いったいあなたは、何をしているんですか?」
「人は知恵を得て、楽園を追放された」
 意味の繋がらない言葉を、男は背中から向けてくる。歩みは止めずに。
「……誤魔化しているんですか?」
「人の作り上げた世界には、知らなくていいことしかない、ということだよ」
 そう呟くと、突如として男の姿が夜空に溶け込むようにして、消失する。
 それっきり、風の音しか聞こえなくなった。
 ノイリスはため息をつくと、屋上を後にした。


14

 ノイリスが下に戻ると、ミリニアが待っていた。
「野暮用って、やけに遅かったわね?」
 訝しげな表情を向けながら、ノイリスを見る。
「すいませんねぇ、警備システム欺くのに時間がかかってしまいました」
 ノイリスのいつもの言葉に、ミリニアはため息をつき、言い返した。
「いい加減に機械操作も覚えなさいって、なんべん言わせる気?」
「いいじゃないですか、ミリニアさんがやってくれるんですから」
 ノイリスは微笑を浮かべると、ミリニアへ先を促す。
 二人は照らされた歩道を歩き始めた。
「どこへ行くの?」
「さあ? 決めていません」
 ノイリスの言葉に、ミリニアは呆れ顔を作る。
「そんないい加減でいいの?」
「良くないんでしょうねぇ」
「呆れる無計画さね……」
「ミリニアさんには言われたくないです」
「なんでよ?」
「だってハンターズ、続けるんでしょう?」
 ノイリスの問いに、ミリニアは空をあおいだ。
 星空は見えない。輝きの無い夜空は、何も写してはくれない。
「……結局、なんだったのかな?」
「何だったんでしょうね?」
 ノイリスはうつむき加減で、地面を見ているようだ。
「なんだか、必要の無い騒動で場を繋いだ。そんな気がしない?」
「それは言わないでおきましょうよぉ」
 ノイリスのうめきに、ミリニアは苦笑。
「だって、父さんが生きてるかもしれないなんて、振り出しに戻っただけじゃない?」
「知らなければ、素敵な花屋さんになったかもしれませんねぇ」
 ノイリスは皮肉げな笑みを浮かべた。
「それは早く頭から消去しなさい……」
 ミリニアはノイリスの頭を軽く叩く。
「……でも、どっちが幸せだったのかなとか、考えちゃうなぁ」
 ミリニアは再び空を仰ぎ、何度目だろう、ため息をつく。
「もう、言っても仕方ないけどね」
 ノイリスは地面にうつむき、先ほどの男の言葉を思い出していた。
『人の作り上げた世界には、知らなくていいことしかない』
 知らなければ、ハンターズを辞め、つつがない幸せを得たかもしれないミリニア。
 ユキの行動を知らなければ、己の無力を、行動の無意味さを、思い知らずにすんだかもしれないノイリス。
 ノイリスはもはや強くなることも、ユキを探すことも求めず。
 再び生きるために生きている自分がいることを知った。
「結局私も、振り出しに戻ったんですかねぇ……」
 顔を上げてみれば、照らされた歩道の行く先は、暗く見えなくなっている。
「何言ってんのよー」
 ミリニアが、ノイリスの肩を叩いた。
「いいじゃない。私は父さんを見つける。あなたはあのヴァズって言う奴をギャフンと言わせて、ユキちゃんを取り返す」
「簡単に言いますねぇ……」
 しっかりと肩を掴み、ミリニアはノイリスの眼を見た。
「あなたなら出来るわ。ノイリスの冒険……ロリコンクエストの始まりよ!」
 ミリニアがそう言って、肩をバンバン叩いて笑い始める。
「……私は別にユキさんを求めてるわけじゃなのですけどねぇ」
「じつはあんな子が趣味だったなんてねー。そりゃ連れて来れないわ」
 笑いながら叩いてくるミリニアから、ノイリスは五月蝿そうに離れ、ポツリと呟いた。
「あなたこそ、ファザコンクエストでしょうに……」
 ぴたりと、ミリニアの笑い声が止まる。
「なんですってぇ……?」
「……そこで怒るんですか!?」
 言い争いは続く。
 結局ノイリスは、ミリニアに謝ることが出来なかった。
 互いのズレも、わだかまりも残したままだ。
 行く道の先は暗く、宛ての無い二人はそれでも、進んでいく。
 振り返ることを許されず、前へ、前へと、闇を切り拓き。




第五話 完

草書  前へ