渦巻くのは焔
4
ミリニア=ウィーバーは不服だった。
後ろで括った赤い髪。ブラウンの目。
動きやすそうな濃いブルーのパンツに、ゆったりとした白いシャツを着て、活動的な格好だ。だが今は、狭い個室のイスに座って、動かず資料を眺めている。
読んでいるのは過去の記事。父が歴史の表舞台に立った、最初で最後の事件。
資料に目を通す形をとりながら、しかしミリニア自身は煙に燻されているような心持ちがしている。
消えない火種がくすぶり続けているような苛々とした感情が、ここ数日彼女の内にあった。
火種の元は解っている。
闇の凶鬼とリップの行方。カーズと呼ばれる犯罪組織。父親の生存を知る男。
そして、相棒――ノイリスの態度。
どうにも出来ないもどかしさが、さらに油を注いでいく。
つい先日の森での出来事。その後から、相棒はラグオル地表に行ったきりで連絡が取れない。
『ちょっと、鍛えなおして来ますね』
いつもの皮肉げな笑顔に、いつもよりも暗い瞳。後衛基本のフォースには通常考えられない前衛戦闘用武装の姿を思い出す。
(巻き込みたくないのは、解るけどね……)
バカバカしい、とすら思う。
(じゃあ私は何のために組んでるのかって話よ。前と何も変わってないじゃない)
彼の目的は解った。何を隠したがっていたのかすらも。
<鋼鉄(>のヴァズと、<野良猫>のユキ。眠ったままのゲオジルク。
今まで知らなかったミリニアにとっては瑣末な、勝手なこだわりにしか思えないこと。けれどノイリスにとっては己の生き方を揺さぶられるほどで、ミリニアが解らないと思ってしまうことが、そのままノイリスと自分の距離を示しているのかもしれない。
このままでは、ノイリスもまた消えてしまうのではないか。まるで、何も言わず旅立った父のように。
(男ってのは、すぐ意地を張りたがる……きっと根が馬鹿なのよ)
ため息をついて、結論を急ぐ自分が惨めに感じる。
他人に期待することが、どれだけ浅はかな行為かは知っているつもりだった。けれどもそれは、他人を信頼できなくなることとは違うのではないか。
第一、初めにノイリスを頼ったのは自分ではなかったか。
相棒と呼ぶのは――無論始めは違ったが――今は伊達でも酔狂でもない。ミリニアにとってノイリスは、すでに特別な存在だ。
もし居なくなってしまっても、今まで通りの生活が続くのだろう。けれど、生まれるであろう心の空白に、耐えられるとは思えない。
自分は、独りで生きているのではない。そう知るだけでも、ずいぶんと"強く"なれたというのに。
ノイリスには届かない。
『私の言葉では、届けられないわね……』
銀髪の美女、リップの台詞が、今では頭の奥で波打っている。今の自分と同じ想いを持つ彼女ははたして、何を失ってしまったのだろうか。
(……ちょっとだけ、言い過ぎたかな)
悔いだけが残っている。リップの言った通り、自分は醜く歪んだ、ひどい顔をしているのかもしれない。
独りでは解らないことばかりで、どうしていつも勘違いしてしまうのだろうか。
きっと答えは単純なはずなのに。
自分は、そして恐らくはノイリスも父も、その簡単な答えを、認めることができないのだろう。
完璧な人間などこの世には無くて、世の中には相応不相応があって。そう考えれば、不相応な事は知らない方が良いことだってある。
だけど人は一人では、存在を保てない生き物だ。他者と関われば、何も知らないで生きていくことは出来ない。
そして、どうしてもすれ違う。どうしたって、間違えてしまう。
生きているとは、そういうことなのだという、簡単な答えがミリニアの中で浮かび上がる。
そして湧き出す疑問。
もし――完璧な人間が居たとすれば。
その人は、他の人間が許せないに違いない。己が完璧な故に、愚かな行いしか出来ない周りの人々を見て、木偶にしか見えないのだろうから。
ノイリスは不出来な自分が許せなかった。そしておそらく、父もそうだったのではないか。
完璧を求めるが故の、苦悩。
父の行いを、まだ納得は出来ないけれども、少しだけ理解し始めた気がする。
(けど、いまさら……よね)
苦笑いを浮かべて、ミリニアは不服を押さえ込む。
今しなければならないことは解っている。
父の足跡を知る<鋼鉄(>を再び探し出す事。手ががりとなるのは、逃げた<野良猫>。
いかがわしい組織が絡んで、容易な事ではないが、手立てはある。
軍部は今、<野良猫>捜索の詰めに入っているらしい。以前<野良猫>の捜査に関わったハンターズに協力を仰いで、軍部を出し抜く必要がある。
己の気持ちを知ってしまったのなら、もう後戻りはしたくない。
父の過去をもっと知りたいと思う。遺す物としてではなく、理解する為に。
そして、相棒の行いを見守りたいと思う。共に歩む者として。
(口出しぐらい、してもいいじゃないの)
だからミリニアは、資料から顔を上げた。
過去には目を向け終えて、前を向き、動くのだ。
即行動をモットーに、ミリニアは資料室を後にする。
誰も居なくなった資料室の机には、黒髪短髪の人間と、灰色のアンドロイドの写真が載った資料が、無造作に置かれていた。
5
眼下に広がるのは、360度の展望風景。
いつもはそびえる超高層ビル群も、遠くの背景としか感じない程の高さに、ギイスは来ていた。
青空は相も変わらず理想的で、心地好い微風がギイスの肌を撫でる。
パイオニア2の中で唯一、展望目的に作られた高台。
建設予定には無かったが、地表移行時に必要な建設資材が余った為、そのまま積んでおくのもあんまりだと言うことで作られたのだ。
高層ビル群の立ち並ぶ都市部からはやや離れた区画にあり、まさにパイオニア2を見渡せる場所として出来上がった。
しかしその人気は無いに等しい。
多くの住人にとって高所からの展望風景など、仕事場からいくらでも見ることが出来るのだから、あえて足を運ぼうと言う気にはならないのだろう。実際ギイスもそうだった。
「しかし……来てみるもんだな」
フィルに連れられて訪れてみれば、意外なほどの開放感に驚かされる。
保養地として、植物が多く植えられていることもあるだろうが、普段パイオニア2ではお目にかかれないような光景が随所に広がっているのだ。
「気に入ってくれた?」
景色に見入っていると、後ろからフィルの声がかかる。
「これだけの風景、なかなかラグオルでも見られねえぞ。面白いところ知ってんな」
ギイスの賞賛に、フィルは少しだけ恥ずかしそうにしていた。
「そんなに褒めてくれるとは思わなかったな」
言いながら、フィルはギイスの横に並ぶ。
「たまたまね、見つけたの」
そういうフィルの横顔は、誇らしさの中に、ほんの少しだけ暗さがあった。
気になって見つめていると、フィルがギイスの方を向いたので、慌ててギイスは前を向きなおす。
「でもよ、どうしたってこんな所に連れてきたんだ?」
高台に着くまでの間、フィルは終始上の空であった。会話には応じるものの、どこか身が入っていないのである。
「綺麗な景色を兄さんにも見せたかったっていうのは、ダメかな?」
フィルは遠くを見ながら質問に応じる。だがそれは、彼女自身すら満足する答えでは無いことをギイスは感じていた。
「ギリギリまではぐらかす……こんな所だけ似るもんなのかね?」
ギイスは苦笑し、壮観な情景に背を向け、展望所の柵に腰掛けた。
「何か、話したいことがあるんだろ?」
ギイスが呟くと、フィルは姿勢を変えぬまま、首を縦に一つ振る。
沈黙のまま、風が二度ギイスの背に吹き付ける。
やがてフィルは、景色を見ながら口を開いた。
「……昨日ね、母さんのこと思い出していたの」
「そりゃまた、どうしてだ?」
「……ちょっとね」
それっきり、フィルは理由を言わなかった。
母はフィルがベルドーク家を脱出した際に、一緒に家を出たと聞いていた。丁度ベルドーク家では権力争いの内乱で、半ば軟禁されていただけの、ギイス達の出奔など誰も気にしなかったのだ。
それでも、肉体的に弱りきっていたはずの母のどこからそんな行動力が出たのか、聞いた当時は驚いたものだった。
だがそれ以降、母とフィルがどのような生活をしていたのか、詳しい話は聞いていない。
フィルは何から話そうか迷っているようではあったが、やがてゆっくりとした口調で語り始めた。
「母さんにね、新しく恋人が出来たことがあったの」
「……親の恋人ってのは……なんとも、複雑な気分だな」
ギイスは苦々しい表情を作る。
不幸に塗れた半生を、塗り替えようとする意思。弱りきって、生と死の狭間に揺れていた母の姿しか知らないギイスにとって、「母親」としての顔以外をつくる母を想像することは難しい。
「私は、素直に嬉しかった」
フィルは涙ぐんでいた。
「たった半年だったけど、母さんはいっぱい笑顔だったよ。私も、その人のお陰で仕事を見つけられたし」
けれども、泣くことはせずに、涙を振り払った。
「母さんは、幸せだったと思う」
「そうか……」
「母さんね、いつも兄さんの心配していたよ……私のために毎日頑張って働いて、いつもくたくただったけど。それでも私と兄さんの心配ばっかりしてた」
ギイスは二の句の告げぬままフィルを見つづける。フィルの中には、揺らめく意思が見て取れた。
軍で何かあったのだろうか。突然母のことを言い出したのは、大切な人を失う思い出に到ったからかもしれない。
「ねえ、兄さん――」
一拍の沈黙を置いて、ギイスに顔を向け、しっかりとした声音で言葉を紡ぐ。
「――復讐なんて、もう止めにして欲しい」
フィルのブラウンの双眸が、揺らめきながらもギイスを見ていた。
「母さんは望んでなかったし、兄さんの幸せばかり考えてた」
涙は見せない。けれど大きな悲しみが、底には広がっている。
「……大切な人が不幸になるのはもう、嫌なの」
だから兄さんだけは、居なくならないで。口から続かないまでも、零れそうなフィルの言葉。
その言葉に、ギイスは即答できなかった。
フィルは家を出て、新しい生き方を探しつづけてきた。母は幸せを掴み、フィルもまた、仕事と仲間に恵まれている。
ギイスだけが、家に囚われ、家から逃げ切れていない。
本来ならばギイスは今も、本星で戦争の傭兵として、戦いつづけているはずだったのだ。強さを求めて、生き残る術を身につけるために。
それがラグオルに来たのも、妹が行くことになったからに他ならない。
祭典の時から、何も変わっていない自分と、同じ時間を過ごしても、変わりつづける周りの人々。
「……馬鹿な生き方だとは思うさ。でも、それ以外に知らないんだよ」
自嘲を混ぜながら、ギイスは吐き出した。母が幸せであったと聞かされても、胸にたまる闇は消えない。
「そんなの……自己満足じゃない」
責めるような口調で、フィルはギイスを批難する。
「承知の上さ」
数泊の沈黙が生まれた。フィルは何かを堪えるようにして、俯く。
「……いつもそう。皆自分勝手に話を進めて――」
フィルがうつむき呟いた。次第に声が小さくなって、後半部分は聞き取れない。
「……皆って?」
ギイスが声を掛けると、フィルは弾かれたように面を上げた。どうやら、自分の世界に埋没していたらしい。
「やだ、私何か言ってた?」
「ああ、言ってたぜ。皆自分勝手でどうのこうの――」
「……兄さんの癖が伝染したのかしら」
どうやらギイスの黙考癖のことを言っているらしい。
「伝染源扱いするんじゃねえよ」
「そんなに怒らないでよ、伝染るかもしれないじゃない」
「何だとコラ……」
叱りつけようとすると、フィルは笑顔で逃げ始めた。
冗談で追いまわしながら、ギイスはフィルの笑顔に無理を感じていく。
家にいた頃、常にフィルを覆っていた陰の表情。
フィルの中には、何かがわだかまっているのだ。
その一端が自分のことであるとの推測に、ギイスは哀しくなる。
「まてっ、逃げんなっ!」
やっとでフィルの手を掴む。さして抵抗もなく捕まるフィルの顔は、いつの間にか暗いものへと戻っていた。
「……フィル、本当は何があった?」
本気で話を進める事も出来ず、さりとて誤魔化しきれない想いが、二人の間には横たわっている。縛鎖を溶く為のギイスの問い掛けにフィルは俯き、一歩、ギイスから離れた。
「気にしないで、兄さんには関係の無いことだから」
「なんだそりゃ……」
頑ななフィルに、ギイスが怒りの声を上げようとした時――
――静かに雰囲気が変わった。
何か言いようのない圧力が、自分を包んでいる。
そのことに気がついたギイスは、勘を頼りに圧力の降りそそぐ方へ振り返る。
振り向けばそこには、やや離れた所に立つ者がいた。
紫と黒を基調にした長身のアンドロイドだ。
その姿を目の当たりにすると、圧力がさらに強まった。先ほど軍治安部長マハジャから受けたプレッシャーよりも、さらに高密度な威圧感。
(今日は一体、どんな日だ?)
戦闘アンドロイドだとしても、存在感がある者は少なく、ましてや圧力を感じさせるものなどギイスは出会ったことが無い。
「バルバス中佐殿!?」
疑問に感じている暇もなく、フィルが驚きの声を上げた。どうやら、軍部関係の者らしい。
敬礼を崩さないフィルを見て、バルバスと呼ばれたアンドロイドはゆっくりと近づいてくる。
「必要ない」
声が飛んできた。
はっきりと解る機械音声(はアンドロイド特有のものである。
近づいてみると170cmを超えるギイスよりも、さらに頭一つ分は高い。さらには、
(こいつ、俺の素手の間合いギリギリで止まりやがった……)
偶然などとは思えぬ仕種に、只者ではない雰囲気を感じる。
相当の実力者であることは間違いなかった。
「申し訳ない。雰囲気を害してしまったようだ」
ギイスに首を向け、謝罪なのか責めているのか解らぬ言葉を出す。
「ちゅ、中佐殿、どうしてここに……?」
フィルが搾り出すような声音で問い掛けた。完全に威圧されているのだろう。
「養休だ」
それ以上も、以下も無いという具合で、言葉を続けなかった。
だが、アンドロイドが休暇で保養地を訪れるなど、ギイスは聞いたことが無い。アンドロイドの思考パターンは基本的に合理が全てであり、風景を楽しむ審美眼などは、人間の感情反射を模倣することでしか行うことが出来ないからだ。
「准尉、ここで何をしている?」
「……え?」
ギイスの疑問を他所に、いきなり放たれた質問に、フィルは面食らっていた。
「不穏な時期であることは承知していることだろう」
強く諭すような言葉だが、ギイスには意味がわからなかった。だがフィルには伝わったのか、はっと表情を変える。
「……中佐殿、そのことでお話があります!」
ギイスと会話していた時とはうって変わって、しっかりとした口調になったフィルにギイスは驚きを感じていた。
その口調から恐らくは、これこそがフィルの抱えていることなのだと気付く。
「先輩を――サイ隊長を救う方法を教えてください!」
フィルの必死さに、事態は解らずとも事の重大さだけは伝わってきた。切羽詰った問題なのだろう。
だがバルバスはフィルを一瞥して、予想外の叱責を放った。
「浅はか過ぎる」
さらに強まる圧力に、息苦しささえ感じる。
「処分に従わないか」
「……でも、私だけ何もしないのは嫌です!」
「隊長が隊長ならば、部下も部下ということだな」
事態を知らないギイスにとって、バルバスの強い怒りはどこから来るものなのかは知らない。
そして冷静に聞いていたギイスには、バルバスの怒りがフィルの行いに対してのものだけではないと感じることが出来る。
だが、黙ってみていられるものでもない。
「おい」
ギイスは口を挟む。
「人の妹にひでえ口聞きやがる」
ギイスが一歩、バルバスに詰め寄る。
バルバスはギイスに対して正面に向き直った。それだけで、緊張がギイスの全身に伝わっていく。
(ちっ……すげえ圧力だ)
漠然とした実力差が、雰囲気からも伝わってくる。
「どちらかは存知ないが、今はこちらの話だ」
「ああ? 身内が罵られて黙ってられるかよっ」
「……身内だからと、それが理由か? そこに真実と正義を説くことができるか」
「はっ、正義に頼ってねえと何も出来ねえのか。飼われ犬が」
軽口を叩きつけながらフィルの前に立ち、バルバスを見据える。対するバルバスも、微動だにしない。
「そちらの想いは理解できる。だが、こちらの問題だ」
異質の者に共感されているような、奇妙な不快感。
(むかつくほどの感情の豊かさ……ランディの奴を思い出させるぜ)
灰色のアンドロイドとはまるで違うが、思考の形態が似ているような感覚。それがギイスの心をさらに泡立たせる。
「その喋り、なんかイラつくんだよ。お前らに何が解るってんだ」
つい出たギイスの煽りに、なぜかバルバスは黙る。
「兄さん! やめてよ!」
後ろからフィルの制止が聞こえるが、ギイスは構わず畳み掛けた。
「やりてえことやって何が悪い。正義とか真実じゃだれも救われねえんだよ!」
「……己が出来ることに最善を尽くすことが肝要なのだ。叛いた者に得るものはない」
「テメエは戦場で死んだ奴にもそうやって言えんのか!?」
バルバスの、感情の読めぬ顔。だがその怒声には悲哀のこもった訴えがあった。
お互い言葉を止めた、一拍の沈黙。そこへ言葉が編みこまれる。
「……勝手なこと言わないでよ、兄さん」
言葉に詰まった合間を縫って、フィルの批難はバルバスではなく、ギイスに届く。
「なんだって……?」
首だけ振り向き、フィルを見る。
俯いたフィル――今日何度この姿を見ただろう――その手は、ギイスの服をしっかりと掴んでいた。
「自分勝手に口出しして、自分勝手に動いて、威勢と口約束だけは一人前で……先輩と同じよ」
言いながら、フィルの目からは涙が溢れている。
振り払ったはずの涙が、とめどなく零れている。
「フィル……」
うろたえるギイスに再び声がかかる。
「強さだけでは、守れぬものがある……」
バルバスの言葉は、まるで何十年も生きてきた人間のように、重みがあった。
ギイスは言葉を紡げないまま、風に揺られて立ち尽くす。
「――って、何女の子を泣かせたままにしてんのーっ!!」
いきなり、烈火のごとき怒声がギイスを吹っ飛ばした。
6
あまりの大きさに、思わず耳を覆う。
判断し難いが、女性の声だ。
ギイスが声のした方を振り向く間もなく、第二声が飛んでくる。
「さっきから聞いてりゃ寄って集って女の子を虐めて、いい加減にしなさいよ!?」
女性は、声を張り上げながらこちらに近づいてきていた。
赤い髪が何よりも目を引く。風を受け広がる長い髪は、紅玉のごとき輝きを発している。怒りに引き締まった顔立ちも、もともとの愛嬌を隠し切れていない。
腰に手を当て、物怖じすること無く近づいてくる女性の視線は、真っ直ぐ矛先をギイスへと向けていた。
効果音が聞こえてきそうなほどの勢いで、女性はギイスを指差してくる。
「ギイス=ベルドーク! 何だか知らないけどあんたが悪い!」
「……何なんだあんたは?」
それだけ搾り出すのが精一杯だった。
「そんな事はどうでもいいの! ほら、きちんとこの子に謝りなさい!」
女性の髪色と怒りが相まって、燃え盛る炎をイメージさせる。
そのままの勢いでバルバスへと振り向き、詰め寄った。ギイスが感じたプレッシャーなど、一切動じてはいないようだ。
「あなたも! 偉そうにふんぞり返ってないで、なんとか言いなさい!」
身長差が頭一つ分はあるはずなのに、存在感で女性が勝っているように思えた。見ればバルバスも、何となく困っているようではある。
尚も女性はバルバスに、抗議の言葉を吐いていた。
「正論ばっかりじゃ人の心は動かないのっ。解らないかな?」
バルバスは反論もせず、黙したままだ。ギイスは、いったいこの女性はいつから話を聞いていたのだろうと疑問に思う。第一、なぜ自分の名前を知っているのか――
「女の子を泣かせるなんて最低よ。それがどれだけ正論だったとしても、罪よっ。いい? あなたみたいな強そうな人が言ったら、それだけで暴力になるんだから、気をつけなきゃいけないの」
まくし立てる女性に、バルバスは反論せず立ち尽くしたままだ。
「あ……あの……もういいですから……」
混乱の最中、戸惑うようなフィルの声があがる。
「良くない! 二人とも涙の重みを解ってないんだから、きちんと思い知らせないとダメよ!」
女性は少しも振り向く事もなく、フィルの制止を振り切った。しかしフィルは俯きながら、ミリニアに言葉を向ける。
「いいんです。少し、演技入ってましたから……」
「……演技なのかよ」
思わず妹にツッコミを入れてしまった。
「ダメよそんな事言っちゃ」
怒声を少し落ち着かせながら、女性はフィルの側に寄る。
「涙は女の武器なんだから、きちんと効くようにしてないと」
「……同情じゃねえのかよ」
ギイスは己の真剣さが哀しくなった。
「……ともかくだ、あんた一体何なんだ? いきなり過ぎだろいくらなんでも」
ようやく落ち着いた雰囲気に、ギイスは疑問を口に出す。
「ミリニアよ、ミリニア=ウィーバー。あんた、はやめて」
ミリニアと名乗った女性は、また少し怒った風に口を尖らせていた。
「ギイスさんに話があって探してたの。でも、いきなりこんなもの見せられたら怒るしかないでしょ?」
「……いや、でしょ? とか言われても納得できねえだろ……」
「いいの。それより、妹さんなんでしょ? ちゃんと話をしたら?」
強引なミリニアに促された先には、フィルが赤い目をして立っていた。演技だと言ってはいたが、いくらかは本気だったらしい。
フィルはばつが悪そうに、ギイスを見つめている。
バルバスもミリニアも黙ったまま、この状況を見守ることにしたらしい。
自然、ギイスとフィルのどちらかの言葉が、待たれる状況となる。
ギイスはフィルの苦悩を知らない。
憤りも悲しみも、怒りの訳すらも、事実は何一つとして理由を語らない。
ただ解ることは、過去が彼女を苛んでいることだ。
そしてその過去に、ギイスも含まれているのだ。
「兄さん……なんか変な事になっちゃったね」
口火を切ったフィルの顔にはうっすらと浮かぶ笑み。
果たしてその笑みは、苦笑なのか自嘲なのか。
「お前がいきなり泣くからだろう……一人で何でも溜め込みやがって」
「だって……」
ギイスの言葉に、フィルは俯く。明るさに錯覚していたが、妹は決して強くない。こういったところは過去の思い出のままだとギイスは思い直す。
「何があったかは、聞かねえ事にしとく。俺が入り込める問題でもないようだしな」
「……ごめんね」
すまなそうなフィルの顔。だが表情は晴れない。
ギイスは無性に、フィルの笑顔が見たかった。
悲しい顔や、暗い顔は妹には似合わない。
妹の笑顔こそが、見たかった。
「あんま、無理すんな」
無粋な言葉が、こみ上げてくる。
ハンターズの仲間内と話している時はいつも饒舌で、余裕があるギイスの心持ちも、今や手探りの迷い子だ。
「お前一人で何でも出来るわけじゃねえ。俺たちゃ弱い。群れなきゃどうしょうもねえ生き物だ。そりゃ、俺にも言えることなんだけどよ」
フィルは黙って、ギイスの言葉を聞くつもりのようだ。
高台に吹き付ける風は静かに止まっていて、無音の情景が広がっている。
「さっきから言ってるけどよ、おまえ、大切な奴がいるんだろう? そいつもたぶん、強くはねえのさ」
少しだけ驚きの表情で、ギイスを見返すフィル。
「弱っている奴は、側に誰か居ないと駄目になる……それはお前も解るよな」
フィルは小さく頷いた。
「そいつは今、とっても心細いはずだ。だったら遠くで何かするよりも、側にいてやることが大事なんじゃねえかな」
「だって……それはアトレイト中尉が……」
知らない名前が出てくるが、フィルはその人物こそが側に居るべきだと感じているのだろうとギイスは推測する。
自分が側に居るべきではなく、何をしたらいいか解らなくなって。
そんなフィルの心象に、ギイスは母と向き合えなかった自分を重ねる。
庇護されている自分が情けなくて、何も出来なかった無力さに居心地が悪くて。何かしなければと気持ちが先立っている。
己に重ねることで、相手の気持ちが伝わってくる。
薦められる「役割」から逃げているフィルこそが、己を型にはめてしまっているのだ。
だからギイスは、道を示す必要があった。
「……お前しか出来ねえのさ。皆羨ましがってることを、やりたくても出来ねえ事を、お前だけが出来る。それはつまり――
お前は必要とされてるってことじゃないか。
――それでもまだ、お前は探すのか?」
母親の代わりを、という言葉は飲み込んだ。
フィルの心の傷は、そのままギイスにも刻まれている。守られるだけの存在ではいたくない。
その気持ちに負けて焦ったが故に、大切なものを失ってしまったギイスの古傷を疼かせる。
フィルは表情すらも逡巡させて、立ち尽くしている。
揺らめいている心に、何と言葉をかけるべきか。
ギイスの中で、堂々巡りを始めそうな思考回路を必死に引き戻しても、掛ける言葉が繋ぎ合わさらない。
「お前は……お前だけは、守るべき人を自ら捨てて、求めた道さえ見失うような、そんな奴にはなるんじゃない」
妹に向けての言葉なのか、それとも自分に向けられた言葉なのか、次第に解らなくなりながらも、ギイスは言葉を生み出していく。
「俺みたいには、なるんじゃねえよ」
自分はまだ、引き返せない。ギイスにとって、フィルが同じ道を歩むのは論外だった。失ってから気付くような愚を、起こさせたくは無いのだ。
「だからあんま無理はするな」
再び重き沈黙が、二人の間に横たわった。
ギイスは言葉を待ち、フィルは言葉を見つけられない。互いに止まった状況の中で、陽射しと風だけが、二人を包んでいる。
そこへ言葉が、届けられる。
「かつて――」
黒紫のアンドロイド、バルバスの声だ。
微動だにせず、どこか遠くを見つめているようなその姿からは、先ほどの圧力は感じられない。
「かつて
天空の国の叡智をもって産み出された戦士がいた
国の賢者の護り手として
天剣を捧げられた無二の存在」
詩を吟じるかのような、朗々とした声音。
「賢者の叡智は民に無限の富をもたらし、戦士はあるがままに国を護る
護り手と剣のある限り、富は続く
誰もが楽園はここにあると、信じて疑わない」
アンドロイドの平坦な音質の中になぜか、ある種の感情が満ち溢れている。
「しかし楽園に永遠はなく、強欲なる魔術師の焔は天をも焼き尽くした
戦士は無力に伏して、掲げる剣は光を失って折れた」
悲哀だ。悲しみを込めながら、黒紫の機械人は唄を奏でている。
「天は地に落ち、民は骸となった
叡智は奪われ、護り手は護ることを捨て
賢者だけが、喪われたものを探しつづけた」
機械人は空を見ていた。そこには無い、どこか違う空を。
「けれども賢者は光を見失う
探索の果て咎に堕ちた賢者は息絶え、戦士に一振りの剣を託す
もう二度と、過ちを繰り返さぬよう願いを込めて
護り手は彷徨う
喪われたものを失わない為に
護るべき者を護るために――」
唄が、終った。
ギイスは只々場の雰囲気に飲み込まれていた。豊か過ぎる感情、唄を愛でる情動、それらは全て、現在のアンドロイドでは考えられない事。そんな常識は、目の前の現実には無力だ。
誰もが静まり返り、バルバスの言葉を待っていた。
「……古歌だ」
バルバスはそれだけを言うと、踵を返す。
「中佐殿!」
フィルが呼び止めた。だがアンドロイドは歩を止めず、
「失わない為に何をする、准尉。努々忘れないことだ」
一言だけ残し立ち去った。
フィルはバルバスの背に深々と頭を下げる。
バルバスの言葉は、フィルに届いたらしい。バルバスが去り、やがて顔を上げたフィルの表情は、どこかすっきりとしたものへと変わっていた。
「フィル……どうするんだ?」
ギイスは問いを放つ。答えは解っていたが、それでもあえて聞いた。
フィルは俯くこと無く、景色を眺めながら、落ち着いた声音で答えを返す。
「……私には、私の出来ることがある。必要とされている場所がある。だったら、行ってあげないと駄目よね……」
はにかみながら、振り向いてくる。
その顔には、晴れ晴れとした笑顔。
風渡る情景の中でその笑顔は、何よりも輝いて見えた。
復讐を志した幼き頃、欲しかったのはこの顔だ。今更ながらに気がついて、ギイスは恥ずかしさと嬉しさで俯いてしまう。
「いい大人が、あんなに泣いてんじゃねえよ」
ギイスのぼやきにも、フィルは微笑のままだ。
「兄さん、ありがとう」
改めて礼を言われて、ギイスは俯いたまま顔を上げることが出来なかった。
フィルはミリニアにも頭を下げると、思いたったように顔を上げた。
「私……行くね」
「……ああ、行って来い」
「幸運を」
ギイスとミリニアの言葉にもう一度ありがとう、と言葉を残し、フィルは高台を去っていった。
後には、ギイスとミリニアの二人が残される。
風向きが変わっていた。しかしそのことに気がついたものは、誰一人としていなかった。
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