渦巻くのは焔



10

 メディカルセンター入り口にたどり着いたミリニアは、駆けることをやめず進入する。
 外壁ではマハジャが、奇怪な紋様の描かれた符を幾重にも飛ばし、外壁の消火にあたっていた。遠くからは何層にも重なったサイレンが鳴り響いている。
 マハジャと、外で戦うギイスが気がかりだったが、今は己のすべきことをしなければならない。
(ユキちゃんはきっと、ゲオジルクさんの病室へ行ったはず――)
 行く先を思い描きながら施設へと飛び込む。
 メディカルセンターの中は、混乱の一言であった。
 悲壮な顔で患者の乗ったベッドを運ぶナースとドクター。外側から迫る炎に向かって、決死で消火活動をする清掃係と思しきアンドロイド。悲鳴と怒号、警報と嗚咽が混ざり合い、聴覚から神経をかき乱す。
 意識して視覚を強め、ミリニアはゲオジルクの病室を目指す。
 避難を手伝えとギイスは言ったが、惨状から出来ることなどないと判断した。
 以前訪れたことのある病室は三階。
 階段を駆け上がり廊下を走り、再び駆け上がる途中でも、何度も行き交う人々にぶつかりそうになる。
(なんだってここは、こんなに複雑なの!)
 入り組んだ構造に不満を覚えながら、上へ上へ突き進んだ。
 一分もたたぬうちに、三階にたどり着く。
 だが目の前に広がるはずの進むべき廊下は、防火シャッターで塞がれていた。
「――なんで!?」
 ミリニアは階段を上りきったところで、途方にくれてしまう。
 全ての避難が済んでしまったのだろうか。それとも、誤作動だろうか。解らないまま、時間だけが過ぎる。
 一階に戻ってゲオジルクを探すか、それとも手動で開けて逃げ遅れがいないか探すべきだろうか。
 思い悩んでいると、後ろから声がかかった。
「退いて!」
 声質に若さを宿す、聞き覚えのある声音。振り向きながらも脇に退くと、そこには予想通りの姿があった。
 黒髪を後ろでに結んだ少女ユキ。相当走ったのか、眉のあたりで揃えられた前髪は、汗で額に張り付いている。
 そして幼さを示す眼差しは、深い深い緑色だ。
(あれ――ユキちゃんの目って、青じゃなかったっけ?)
 そこでミリニアは、もう一つの変化に気付く。
 先ほどセンターの入り口に向かう時、ユキが持っていなかったはずのもの。ユキの腰の左右には、非フォトン式の刀剣、カタナが鞘ごと添えられていた。
「はっ!」
 次の瞬間、裂ぱくの気合がユキより溢れ出した。
 右腰のカタナが抜き打たれる。
 遠い。ミリニアはそう思った。ユキからシャッターまでは大人の歩幅でも十歩はある。
 だが次の瞬間、ミリニアは驚愕した。
 ユキの斬撃をなぞるように、シャッターに大きな斬り込み跡が入ったからである。
「えいっ!」
 掛け声と共に、ユキの二撃目が放たれた。不可視の力に引き裂かれるように、一撃目と同様シャッターは裂け、×印の裂け目から向こうが見渡せる。
「やぁぁっ!!」
 一際強い掛け声と共に、正面より打ち込まれた一撃で、シャッターが大きく震える。
 裂け目は大きくへこんで、人一人が通れる穴となった。
 ユキの動作は踏み込みのみで、その体はほとんど位置を変えていない。
 信じられないものを観た面持ちで、ミリニアはユキの姿を見ていた。
 ユキは刀を仕舞うと、すぐさま駆け出し器用に一挙動で穴を抜けていく。
「え……ちょ、ちょっと待って!」
 呆気に取られていたミリニアだったが、慌てて後を追った。ゲオジルクの病室はもうすぐそこのはずだ。
(触ってもいないのに防火壁を斬り開けるなんて……ユキちゃん、かなりのおてんばね)
 感心を胸に角を曲がり、ユキの後を追う。
 もしかすると、ユキは武器を取りに行っていたのかもしれない。だが、この先にまだゲオジルクがいるという確証は無いはずだ。となると、一回下に戻って探してからまた来たのか……
 想像をめぐらせながら、ミリニアは病室前へとたどり着いた。
(誰か……倒れてる?)
 何故か廊下には、見知らぬ男が倒れていた。
 口から血を吐いて、身動き一つ無い。刀などの傷は無く、血もすでに固まっている様子で、酷く現実味の無い。
 だが――男は死んでいる。
 何か予想も出来ないことが動いているような、そんな違和感。
 ミリニアの鼓動が、大きく高鳴る。
 目の前の病室、ゲオジルクと書かれた札のある個室のドアーを開けるべく、パネルを操作する手が震えている。
 ユキが来たのなら、何故扉は開いていないのか。この死んでいる男は誰なのか。
 浮かびだす疑問と、奇怪な状況に神経を削ぎ取られながらも、何とか指を動かしていくと、パネルランプが赤から緑へと変わり、開門を示した。
 扉が開いたその先には、刀を構えて空の空間を見つめる少女と、ベッドに横たわる男。
 そして炎があった。


11

 ギイスに向けて、右からの上段蹴りが放たれる。
 受ければ頭一つ失うほどの、苛烈な威力を備えた蹴りだ。
 見えていたので剣で受けることはせず、ギイスは半身を退いた。そこへ横合いから、鬼面のマグが襲い掛かる。
「くそっ!」
 ギイスは緑色の光刃を返して、右より迫るマグを弾いた。
 衝撃に腕がしびれるが、構っている暇など無い。
 視界の狭まった左から、グレンのフックが伸びる。
 青色の防壁に触れた途端、速度を鈍らせるが、グレンは構わず拳を押してくる。
 ギイスは辛うじて後ろに倒れこみながら、返す刀でグレンの腕に剣を振る。
 光剣はグレンの左腕を浅からず薙ぐが、大きな傷は与えられない。
 グレンも構わず、一歩踏み込んでくる。
「カカカ!」
 右の拳が、倒れこんだギイスに打ち抜かれる。
 倒れこんだギイスは、手と腰で伸び上がるように体を捻りながら右拳を交わし、飛び起きるように両蹴りを放った。
 マハジャの防壁が作用し、グレンを大きく押し返す。
 カウンターを取った形だが、装甲を持つグレンには大したダメージはないようだ。
 マグはグレンの側へと戻り、再び肩の上に浮いている。
「つまらんな、おい」
 グレンの言葉どおり、先ほどから防戦一方であった。
 間合いで勝るギイスが取った戦術は、自らは攻めず、死角から来る鬼面のマグの突進を弾くに徹することだった。だが、防壁に護られているはずのギイスの服は所々擦り切れ、細かな傷は数え切れない。
 一度大きく右肩をマグに撃たれ、そこの傷からは出血している。
 対するグレンは、最初に与えた胸の傷と、たった今喰らわせた一撃の傷のみだ。
 荒くなってきた息を整えるように、ギイスは胸に手を当てる。
 グレンの大剣は、僅かにギイスの近くにあるものの、グレンともそう距離はない。
 どれくらいの時間が経ったのだろうか。一秒が永遠とも思える感覚の中では、正確な時間はすでに解らなくなっていた。
 初めから、マハジャになど期待してはいない。
 不確定要素を排するところから、戦術は組み立てられる。
 ギイスはそう信じているし、今までもそうやって来た。己のもてる全ての技術、信頼のおける手札を、あらゆる局面、あらゆる状況で過不足なく使用できてこその戦術家なのだ。
(こいつ程度に勝てなきゃ、俺は誰にも勝てはしない)
 胸に当てた手を離し、再び剣を握る。
 同時、地面から水が噴出し始める。
 雨を兼ねる消火用のスプリンクラーがようやく作動し始めたのだ。
 当たりの炎が、次第に勢いを失っていく。
「ククク…鈍間な機器だ」
「機械が機械を笑ってんじゃねーよ」
「機械とはずいぶんだな、おい。キサマはその機械に成す統べなく殺されるわけだが」
「鉄屑のテメエに言われたかねえぜ」
 軽口を叩きながらも、深紅のアンドロイド、<灼熱>のグレンを打ち倒す方法が頭の中で浮かびつづける。
 組み立てては消え、組み立てる前に消え、やがては一つに収束していく。
 遺伝レベルで書き込まれた演算能力と身体機能、絶対的な五感。ギイスにとって最も不快な力。ベルドーク家の技術を駆使した、忌むべき機能。
 呪われた力であっても、自分を生かすことに躊躇はない。己が全てをもって打ち倒すべく、ギイスは右足を一歩、踏み出した。

 グレンはギイスの行動を見て、今までと同じように動いた。
 グレンは油断などしない。灼熱の剣は、今までも遠慮なく敵を灰にし続けた。絶対の自信を持って、今までどおりの攻めを続ける。
 見ればギイスは左足を一歩、踏み出していた。
 グレンは体を合わせるように右足を踏み出しながら、両の手に抜き手を作る。
 互いの距離僅かに五歩。
 敵は光剣を正眼に構え、右足を前に出しながら体を右に半分ずらした。
 グレンは左足を大きく踏み出して一気に間合いを詰める。
 手数、攻撃力、全てが勝る。目の前の男にとって勝つ手段は手にした光剣のみであり、こちらは両手両足、オーガどれであっても決定打となるのだ。
 もはやお互いの距離は三歩も無い。
 ギイスは剣を左水平に倒し、左足を動かし始めていた。
 それを見ていたグレンは繰り出す予定であった右の蹴りを中止し、右足を踏み出した。
 そのまま、体の乗った右の抜き手を相手の胸に向けて打ち込む。
 牽制の攻撃にギイスは、左の踏み込みに合わせて左半身に体を反らし、グレンの抜き手を回避する。
 互いの距離一歩で、ギイスとグレンは肉薄した。
 グレンは即座に行動を割り出す。愚かな行動だ。この距離では、振りぬくことの出来ない光剣は威力の半分も出せない。
 導き出された判断は、迎撃用にオーガを使わず、後退する所を追撃として押し込む。
 オーガは肩に浮かせたまま、グレンは体格を生かした体当たりでギイスを弾き飛ばすことにした。
 グレンはさらに左を踏み出し、肩からギイス突撃を掛ける。
 しかし――ギイスはまるでその動きを知っていたかのように、一瞬早く大きく右斜め前に踏み込んでいた。
 グレンの至近距離での体当たりがギイスの体を掠める。
 青の防壁を押し退けながらも、少なからぬ衝撃がギイスを襲ったはずだ。だが、ギイスはよろめくことすらない。
 グレンはギイスの動きをカメラアイで追いながら、オーガに指示を出す。
 ギイスが動作を大きく取れないところで、ギイスの頭を打ち砕くように。
 ギイスは、前に出つづけていた。今まで通りなら、距離を取って仕切りなおしをする。そこを背後からオーガで終わりだ。
 そう結論付けた瞬間、グレンの胸に違和感が走った。
 見れば振りぬかれる、ギイスの光剣。左水平に倒したままの光剣を、グレンの体になぞらせている。
 初めにつけた傷の上から。
 緑のフォトンが弾け、そのまま振りぬくようにしてグレンの胴を薙いだ。
「なにっ!?」
 グレンの驚愕を聞流すかのように、ギイスは振りぬいたままの姿勢から大きく屈む。
 瞬間、ギイスの頭があったところをオーガが打ち抜いていった。
 まるで、全てを見透かされているかのような行動に、グレンは不覚ながら心が泡立つのを感じる。
 体当たりを避わされ、再度傷つけられたグレンの目の前には、彼の大剣が落ちていた。別のカメラは、屈んだギイスを捕らえている。
 迷い――アンドロイドらしからぬ感情が彼を支配する。だが瞬時に、己を傷つけられた憤慨が勝った。
 体を崩したギイスを追撃し、全力で叩き伏せようと。
 振り返ったその先に、ギイスはいなかった。

 ギイスは空を見ていた。
 グレンを背にし、大きく伸び上がるように、宙を跳んでいた。
 落下する途中で回転し、着地の態勢を作る。
 グレンの、すぐ後ろに。
 気がついたグレンが、凄まじい速度でこちらを捕捉してくるが、すでに遅い。
 狙うは振り向き気味のグレンの胸元。二度斬りつけた傷跡に、全質量を押し込めるが如く光剣を払いぬく。
 三度切りつけられた傷は、ついに火花を放った。
 そのまま着地と同時、ギイスは大きく飛び退く。
 傷を物ともせずに追撃の蹴りを放つグレン。だがすでに飛び退いていたギイスは、腕を掠める程度で蹴りを避けきる。
 三度の攻撃でついに浅からぬ傷を得たグレンだったが、愉快さをもってギイスに答えた。
「カカカカカ! ――見事だ! ヒューマン風情が、オレに傷を負わせるか!」
「……俺の傷に比べりゃ、そんな大事じゃねえだろうが」
 グレンの狂声に、ギイスは漂々と答える。
「テメエが俺の思い通りに動いたんだ。悪いのはテメエだろ」
 盤上の理論を、そのまま行動に反映させる。全ての行動を予測し、自分の動きによって選択を狭め、ついには決められた行動のみを行わせる。
 戦術に基づいた戦闘。ギイスが行ったのは、詰めの理論。
「頭の中と違って、全部上手く行くって訳じゃねえのが欠点なんだけどな……」
 ため息をつくギイスの前で、グレンは己の足元にある大剣を取っていた。先ほどの攻防で、位置が入れ替わってしまったのだ。
(肝心な部分で詰めが甘い……これじゃ、結局同じじゃねえか)
 ギイスは苦々しい思いで、自分の力無さを呪う。
「なかなかの余興だった。礼はとっておけ!」
 吐き捨てるように言葉を放つグレンの身体から、突如炎が巻き上がった。
 炎の化身を打ち倒すべく、ギイスは再度戦術を組み立てようと頭を巡らせる。
 瞬間、ギイスの後方から高速の物体が飛来した。
「凄、雷!」
 響き渡る声に飛来した符が輝き、膨れ上がるように雷の陣がグレンに向けて放たれる。
「小賢しい」
 グレンが吠えながら、大剣より打ち出した特大の火炎が、雷と拮抗しはじけて消えた。
「――待たせた」
 マハジャの落ち着いた声音が、ギイスの背より届く。
「別に、待っちゃいねえよ」
「無事であったようじゃの」
 そう言って、ギイスの横に並ぶ。
 対するグレンは、笑っていた。
「ククク…二人なら倒せるとでも思ったか」
 言うと、大剣を地面に突き刺した。湧き出すようにグレンの身を包み始めた炎が、更に膨れ上がり燃え盛る。
 己の身を焼く突然の行動に、ギイスは相手の意図が読めない。
 炎に撒かれたまま、しかし全く影響が無い様子で、グレンはその身に火焔を纏う。燃え盛る一つの生き物のように、悠然と立つグレン。身の焔に呼応した大剣が、絶えること無く炎を生み出し始める。
 スプリンクラーの水を物ともせず、熱波がギイスの肌にも伝わってくる。
「……それが、本来の姿って訳か……変身怪獣だったのかテメエは」
「足掻いてみるがいい! 羽虫のようにな!!」
 ギイスの挑発も受け流し、グレンは大剣を構える。先ほどよりも、隙の無い動作だった。
(あの炎……近づけねえなんて、もう戦術も糞もねえだろこれは)
 諦めそうになりながらも、ギイスは何とか自分を保つ。肩口の出血が、すでに無視できないものになっているはずだが、回復を行う隙などなさそうだ。
 ギイスが絶望的にそう思った瞬間、グレンの構えが解かれた。
「……ほぉ、鋼鉄が崩れかけているのか」
 ギイス達ではない、別の誰かに唾棄するようにグレンが呟いて、大きく後ろに跳躍した。
 隙を逃さずマハジャが符を放つが、発動する前に素早く撃ち出された炎にかき消される。
「興醒めだ」
 再び、グレンが大ぶりに剣を振るう。
 生み出された炎をギイスは避け、マハジャは打ち消す。
 ギイスは光剣を構え直すが、すでに陽炎が如く、グレンの姿は消えていた。


12

 ミリニアの目の前に広がるのは、異質な光景だった。
 白い壁を覆わんとする炎の中で、入り口近くにありながら、隙なく構えを取る少女。その先には、ベッドに横たわる赤毛の男――以前よりもさらにやせ衰えたゲオジルクがいた。
 壁にある調度品などに燃え移った火は、今にも部屋全体に行き渡らんとする勢いだ。やがては、ベッドにも火の手が伸びることは明白だった。
「ユキちゃん! 早くゲオジルクさんを助けないと!」
 ミリニアはユキに向かって叫ぶが、ユキは反応を見せない。
 彼女の見つめる先はただ一点。
 ゲオジルクのベッドの側。誰もいないはずの空間だ。
「ゲオに触らないで! あっち行ってよ!」
 ユキの声に含まれるのは、怒りと焦り。
 放たれた言葉に答えるものはなく、しかし光景に動きがあった。
 ゲオジルクの手が、ゆっくりと、動き始める。
「――ゲオ!?」
 植物状態だったはずのゲオジルクが、弱々しくも手を伸ばしている。
 ユキが駆け寄った。虚空に伸ばされたゲオジルクの手を、両手でしっかりと握る。
「ゲオ! ゲオ! ゲオってば!!」
 取り乱した様子で、ユキがゲオジルクに声をかけると、虚ろだったゲオジルクの眼差しに、次第に光が灯り始める。
「――ああ、ユキ。大丈夫か?」
 消え入りそうな男の声。だがしっかりとユキの手を握り返し、その眼差しをユキに向ける。
 ゲオジルク=レイトリーは突如、意識を取り戻していた。
 だがユキは次第に涙声で、ゲオジルクを呼びつづける。
「ゲオ! やだよ! そんなのやだよ!」
 胸元で泣きじゃくるユキの頭を撫でながら、ゲオジルクの眼差しはどこか違う遠くを見ていた。
「ユキ……お前だけでも、逃げるんだ……」
 揺らめく炎に囲まれながら、ゲオジルクの声音は命の息吹を取り戻していく。
 だがそれは――
「ゲオ! 消えないでよぉっ!」
 悲壮なユキの声音に、ゲオジルクは動じる様子も無い。まるで聞こえていないように。
「安心しろユキ、ラグオルに行けば、もっと楽になる――」
 ゲオジルクの言葉は、すでにおかしな文脈を成していた。
「隊長、私は失えないものが出来ました……だから、もう一緒には闘えません」
 見えていない誰かに話し掛けるように、ゲオジルクは虚空を見つめていく。
「と、とりあえず、こんなことしてる場合じゃない!」
 我に返ったミリニアが、気持ちを切り替えようとしたとき――
 側を、
 瞬間、
 何かが通り過ぎた。
 黒い服を着た、長身の、希薄な――
 はっとして振り返る。だが、そこには誰もおらず、部屋の外に転がっていたはずの死体も無い。
(な……今のは何!?)
 ユキが何かを見つめていた。誰かが死体を作り出した。
 呆然とするミリニアの耳に届くのは、あちらこちらの喧騒と警報、生み出される火種と蒸気。
 そしてユキの嗚咽と、ゲオジルクの声。
「失うことに疲れました。もう……いいですか」
『さらばだ戦友よ。ヴァルハラでまた逢おう』
 喧騒に紛れて、男の声が届く。
 ミリニアがどこかで聞いた、遠く懐かしい声だった。


13

 メディカルセンターと一帯の区画が粗方鎮火されたのは、夕刻を過ぎた頃であった。
 腰をおろすギイスの辺りには、制服姿や駆けつけた緊急車両、見物に来た市民などが入り乱れて、雑然とした様相だ。
 グレンのマグによって受けた肩の傷が思ったよりも深かったらしく、ギイスは現場に駆けつけた治安部隊によって治療を受けていた。
 あちらこちらで立ち昇る煙を見つめながら、ギイスはため息をつく。
(まったく、何だってこんなことになっちまったんだろうなぁ……)
 口に出さない思いが宵の口の空へと消えていく。
 実際の被害がどれほどなのかは解らない。
 その中で、拡大を抑える為、一身になった自分がいたことに、ギイスは小さな驚きを覚えていた。
 巻き込まれた。それは間違いない。だが、己を駆使しなければ乗り越えられない状況であったことも事実だ。
 クエストとしてではなく、己が意思として手を差し延べた自分の行い。
 己の行動を恥ずかしく思いながらも、否定する気にはならなかった。
「傷の具合はどうじゃ?」
 ギイスに向かって届く声に、物思いにふけるのを止める。
 見上げればそこには、険しい顔の女性。
 現場指揮を切り上げたマハジャだった。
「すまぬ。主にも治癒術を施したいものじゃが、負傷者の治療で符も尽きてしまっての…」
「……大丈夫だってーの。俺に話し掛けてる暇があんなら、復旧に励みやがれ官憲」
 ギイスの強がりを気にもとめず、マハジャはギイスの目の前に立つ。
「世話になった。今件は主の活躍に救われたようじゃ。規定違反は目を瞑っておこう」
「なんだそりゃ」
 ギイスの反応に、マハジャは微笑みを返す。
 魅惑的な優しさが、一瞬だけ垣間見える。
 ギイスはその変わり用に面食らったが、全ては一瞬。
 マハジャはすぐさま険しい表情に戻ると、本当にそれだけを言いに来たのか、ギイスに背を向け、再び現場へと足を向ける。
「おい……ユキちゃんはどうなるんだ?」
 ギイスは聞いた。
 センターより保護されたユキは、すぐさま捕縛され連行されていったのだ。養父たるゲオジルクはすぐさま他のセンターに搬送されたが、危篤な状況であった。ミリニアはその付き添いである。
 ギイスに背を向けながら、何かを惜しむようにマハジャは言葉を紡ぐ。
「……こちら側で保護する」
 その言葉に、苦々しい心持ちでギイスは答えた。
「……あんたとなら話が出来るかと思ったんだが」
 ため息一つ。
 ユキが連行される時、烈火の如く軍部に食って掛かったミリニアを思い出す。
『この二人を引き離すなんて、あなた達それでも人間なの!?』
 個々に事情があって、群れの思惑に巻き込まれて。
 いったい誰が何を得たというのだろう。
 そして此処に残るのは、傷を負った無能な男。
 戦士は無力に伏して、掲げる剣は光を失って折れた――
「……くだらねえよ」
 ギイスの言葉に、マハジャは答えること無く、歩を進め。
 数歩のところで、立ち止まる。
 紡がれるのは、短き言葉。
「我を責めたくば、それで構わぬ。じゃが、このような件で引き下がるつもりもない」
 それは決意の言葉だった。
 表情は見えぬとも、確固たる意志が届いて来る。
 そのままギイスの言葉を待たず、マハジャは雑踏の中に消えていった。

 深まる闇に取り残されて、ギイスは一人、空を見る。
 どこに向かっていけば良いのか。
 失わない為に何をするべきなのか。
 星を映さぬ夜の空に、答えが輝くはずもなく。
 手のひらを伸ばしてみても、何も掴めない。
 ただ傷の痛みだけが伝わってくる。
 それでも夜の中で一人、ギイスは進むべき道を探し始めた。
 答えは夜の中に無く、星は見えずともそこにあるのだから。



第六話……完

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