聖なる夜に決意を込めて




 ノイリスはまどろみの中で、硬く跳ねる音を聞いた。
 眼を開けないまま、意識だけが表層へと上がっていく。彼はベッドで寝返りをうちながら、自分がいるのは安アパートの二階にある、狭い我が家だと自覚する。
 跳ねる音はおそらく、外を歩く人の足音だ。
 ……寝なおそう。どうせ今日は予定も無い。そう考えたノイリスは結局、始終眼は開けないままに布団に包まりなおる。
 そうしているうちに、足音が止まった。
 一拍の間を置いて、ノイリスの部屋の玄関が軽く叩かれる。ノイリスは膨大な選択肢――叫ぶ、キレる、寝起きハイテンションなどだが――の中からただちに居留守を選択。一挙動とて動く意思は無かった。
 だが相手はさらに激しく扉を叩く。ノイリスは耳を塞ぎながら、布団に潜り込んだ。
 そうやって三十秒ほど過ぎただろうか。
 ようやくドアー越しの相手は諦めたのか、唐突に静寂が訪れる。ノイリスは吐息をはき出し、眼を閉じたまま枕元にある時計を確認しようとした。
 突如として静寂を握りつぶすような、鈍い音が室内に響く。手探りの拍子にベッドの下へ何かを落としてしまったらしい。
 瞬間、地獄の亡者も跳ね起きる苛烈なノックが再開された。
「ノイリス! 居るんでしょ! っていうか絶対居るわよね」
 ドアーの向うから聞き知った声が聞こえてきた。その間にも、扉が破壊されるほどの圧力が打ちつけられ続けている。このままでは家を破壊されてしまう。扉の無い家など、ただの箱でしかないからだ。それだけは避けなければ。
「今行きますから、ノックを止めてください!」
 ノイリスはいつも半裸で寝るため、取り急ぎ上着を着込み、鍵を外した。待ちかねていたかのように、勢いよく扉が引き開けられる。
「やっと見つけた! さあ、行きましょ!」
 扉の外側に居たのは彼の予想通り、相棒のミリニアであった。
 赤いストレートの髪を背中まで伸ばし、服装はややタイトな感じの黒のレザーコートに身を包んでいる。女性にしては少し高めの身長にコートの丈は膝ほどで、足元は茶色のブーツだ。スカートを穿いているのか、ブーツとコートの間からは素肌が覗いていた。
 出会った頃よりも少し大人びただろうか、顔立ちにそえられた彼女のブラウンの双眸には、若干の怒りとそして安堵が浮かんでいる。
 一瞬でそこまで観察して、ようやくノイリスは彼女の言葉の意味を反芻した。
「えっと……どこへ?」
 ノイリスが気の抜けた返答をすると、ミリニアはさらに苛立ちを隠そうともせず続ける。
「決まってるじゃないの! 繁華街でしょ。ほら、早く着替えて!」
 そう言うと、扉を強く閉められた。
 ノイリスは仕方なく、着替えるために奥へと戻った。顔を洗いながら簡単に近日の記憶を思い出してみるが、ミリニアと約束した記憶は無い。緑のズボンに足を通しながらも考えてみる。クエスト用の買出しだろうか? それならハンターズ区画で事は足りる。食料や衣服の買出しだろうか? そんなこと今まで一度も無かった。相棒とはいえ、生活までいっしょにしているわけではない。
 考えながら黄色のインナーに上から赤いローブを着込む。扉が開いたとき少し肌寒かったので、少し厚手のものを選んでおいた。染め上げた紫の髪を整え、赤いとんがり帽子を選んで被る。

「ミリニアさん、お待たせしました」
 扉を開けると、やはり冷気が吹き込んできた。厚手にして正解だったとノイリスは満足する。
「遅い! ああ、もう夕方じゃないの……早く行かないと!」
 なにやら悲壮な面持ちでミリニアが呟いている。強引にノイリスの腕を掴み、引っぱって歩きだすミリニアにとりあえず歩を合わせ、ノイリスは横合いから聞いてみた。
「えーっと、ミリニアさん今日は休暇じゃなかったですかね?」
 ミリニアはノイリスの方を振り向こうともせず、歩を進めていく。
「そうね」
 強く簡潔な答えが返された。
 訳が解からずノイリスは空を見上げる。
 続く空の向うに見える高層ビル。それらが建ち並ぶ政治区画や商業区画が集まった、通称「繁華街」までは、パイオニア2居住区の中でも端っこの方に位置するハンターズ区画からでも、リニアウェイなど公共交通機関をつかえばさほど時間はかからない。
 できればそれまでには、連れて行かれている理由を知りたいと思う。
 なにか、何かキーになることは無かっただろうか。ノイリスは必死に寝起きの頭を絞り上げる。
「えーっと……そうだ! 確かミリニアさん、今日は友人と休暇を楽しむと言っていませんでしたっけ。約束はいいんですか?」
 ノイリスは渾身のひらめきでミリニアの予定を思い出した。だが、並んで歩くミリニアの横顔に怒気が含まれるのを見て、自分は地雷を踏んだのだと確信する。
「あんな奴ら友達じゃないわ! コスモスも十六夜も、急用が出来たからって断ったのよ! 前々から遊ぼうって約束してたのに。サリサなんて、昨日彼氏が出来たとか言って、そっちと遊ぶから行けなくなったとか言うのよ! 信じられる?」
 ノイリスには出てきた名前に心当たりが無かったが、ミリニアの友人の名前なのだろうとなんとなく知れた。
「……つまり、自分だけ取り残されたわけですね」
 言ってからノイリスは猛烈に後悔した。これでは火に油だ。
「ノイリス……」
 地の底から響くように、闇を含んだ声音が向けられる。
「私たちの任務は、あいつらを探すことよ。どこまでも追いかけて、見つけ出すの。もしその時隣に男がいたら――」
「……いたら?」
「あいつらの恥ずかしい話を、洗いざらいぶちまけてやるわ!」
「子どもですかあなたは……」
 ノイリスは言いながら深くため息をついた。すかさずミリニアがノイリスを指差しながら怒鳴る。
「あー、ため息なんかついてるっ! そんなんだから幸せが逃げて、君はいつまでたっても一人身なのよ」
「なんでそこを突付くんですか、それは関係ないでしょうに」
 ノイリスの抗議も虚しく、ミリニアは悲しそうに天を仰ぎ、腕を組みながら祈るように続ける。
「ああ、神様。この不幸な男をお救いください。せっかくのクリスマス・イヴに一人身の、爺臭いノイリスにどうかご慈悲を!」
「……そこまで言いますか」
 勢い無くつっこみは入れておいてから、ノイリスはようやく思い出した。今日はクリスマス・イブ。季節感など無いこのパイオニア2で、コートが必要な気温なのも、総督府の粋な計らいとやらで気象と空調を冬型に調節してあるからだ。街に近づくにつれて明滅するイルミネーションや巨大なツリーなどが、次第に彩りを増していく。
「クリスマス・イヴだったんですねぇ。本当は何の日でしたっけ? サンタの誕生日でしたか?」
 ノイリスは皮肉げに口元を弛ませると、穏やかに問う。見れば大通りは木々に電飾が施され、歩くのはほとんどが腕を組む男女であった。
 ノイリスはそれらの光景を横目に、ミリニアへと言葉を紡ぐ。
「そもそも、キリスト教徒でもないのに恋人同士でばかり盛り上がるのも、私はどうかと思うんですがねぇ」
 そうやって定番のつっこみ、というか揶揄を入れてみるが、対するミリニアの顔は異様であった。歩きながらも、訳が解からないという感じの表情で横にいるノイリスを見ている。
「……ノイリス、何を言っているの? いくら今までクリスマスを一緒に過ごす相手がいなかったからって、そこまで捻くれてどうするの! お願いだから気をしっかり持って!」
「いやいや、普通のやっかみじゃないですか」
「普通!? 今のが普通だって言うの?」
 なぜかものすごい形相で正面から両肩をわしづかみしてくるミリニアにかなりびびりながらも、ノイリスは何とか言い返す。
「ど、どうしたんですか? だってクリスマスはキリスト生誕のお祭りで――」
 教科書通りの返答を返しているつもりのノイリス。だがミリニアがノイリスを見る眼は、しっかりと"可哀想な人を見る眼"であった。
「もういいの! もういいのよ……ごめんねノイリス、気がついてあげられなくて。そんなキリスト教とかいう、訳の解からない宗教に救いを求めるくらい追い込まれていたなんて……」
「……いや、その発言もかなりどうかと思いますけど」
 ノイリスが冷や汗を流しながら答えるが、ミリニアは一向に聞く気配が無かった。両肩にぐんぐん力がこもっていく。
「いい? そうやって自分の幸せのために何かを信じることは悪いことじゃないの。ただ、そうやっているうちに他人とどんどん打ち解けられなくなっていくの。そして、人は一人では生きられないのよ。これがどういうことか解かるでしょう?」
「えっと、ミリニアさん肩が痛いんですけど――」
 瞬間、澱みが、膨れ上がった。
 普段は可愛らしいミリニアの形相が、ノイリスにはもはやエネミーのそれに見える。
「クリスマスというのはね、伝説の巨人クリと女巨人スマが、七つの惑星と三つの恒星を滅ぼすほどの痴話喧嘩の末に愛し合い、やがて幸せな家庭を築いた記念に、滅ぼされた惑星の人々が賠償を求めて立ち上がった記念日じゃない。これは世界の常識なのよ」
 眼がマジだ。ノイリスは両肩の痛みを忘れて恐怖する。
「だ・か・ら、その伝説に従って幸せな家庭を持つ人は出来る限り幸せさを演出し、恋人がいる人は家庭を作ろうと躍起になり、一人身の人はただ搾取されるか、拳を振り上げ立ち上がらなければならないのよ。だから恋人達のお祭りになっているんじゃないの」
「ちょっ、ちょっと待って下さいよ! そんな話初耳ですよ!?」
 ノイリスの抗議も耳に入らないのか、ミリニアは少し悲しそうに瞳を揺らして続ける。
「私が小さい頃には、よく一家で仲良く過ごしていたものよ。……あの頃の母さん、とっても幸せそうだった。サンタクロースは立ち上がった民衆の象徴だって言って、赤い服を着たお父さんがよく物陰から現われてくれたっけ……」
「いや、急にしんみりされても……」
「だって父さん、クリスマスになると武装蜂起した一人身の男たちからよく母さんを守って闘ったものだって言ってたよ? あの赤も血染め――」
「子どもに何話してるんですか!」
 ノイリスは必死に叫ぶ。挫けそうな心を奮い立たせ、最後の抵抗を試みる。世界のシステムに、運命という名の鎖に。
「いい加減にして下さい! そんな血染めだの巨人だの、まったくどこの世界の話ですか!」
「この世界よ」
 あっさりとしたミリニアの声。彼女が穏やかに指差す先には、優しげな光に包まれたショーウインドウ。置かれているのは、累々たる屍の上に立つ家と、その中で幸せそうに微笑む家族の人形。ややどす黒い赤が滲んだ服を着るサンタクロースは、なぜか片手に斧など持っている。ツリーに掲げられるのは星や箱などではなく、銃弾と干し首。それらを違和感なく通り過ぎる恋人達。よくみれば、通りの奥まった所には、男たちが電飾から身を隠すように潜んでいる。何を狙っているのかは考えたくもない。
 その光景に、有無を言わせぬ恐るべき世界の法則が含まれていることを知り、ノイリスは引き下がらざるをえなかった。
「……もう何も言いませんから、勘弁して下さい」
 絶対的な恐怖に対して人は従順になる。その言葉を身をもって知るノイリスであった。
「解かればいいのよ。もうあんなこと人前で言っちゃダメだからね」
 そう言うと再び決意を込めた表情に戻り、ミリニアは繁華街の方向を歩きながら見やる。
「そうと決まれば、まずは二人であの裏切り者どもを粛清しに行きましょう!」
 潔く危険な言葉を吐いたミリニアに慄きながらも、ノイリスは何とか次の言葉を繋ぐ。
「そ、そういえば、友人方とはどんな予定を立てていたんですか?」
「うーん、もう計画は破綻になっちゃったから言っちゃうけど、25日00:00をもって武装蜂起ね」
「本気だったんですか!?」
「だって、ちゃんと<フェンリル>も用意してきたよ?」
 そう言いながらミリニアは黒のレザーコートをはだけさせてみせる。その裏側にはばっちりホルスターに収まった黒い拳銃。ミリニアの愛銃<フェンリル>であった。その他にも手投げ爆弾やフリーズトラップなど危険な品がいっぱいだ。プリーツのスカート姿にははっきりと似つかわしくない。いや、むしろ似合っているのか。それすらもノイリスには解からない。
「ライフルとかランチャーはさすがに無理だったけどね」
「待って下さい! ハンターズ武装規定違反じゃないですか! それに、武具所持規則違反も!」
「聖なる夜の秘め事だから許されるわよ。あなたも共犯だし。あぁ……ショットでなぎ倒したかったなぁ、カップル」
「それははっきりとダメだぁぁ!」
「てぃ」
 首筋に拳銃で一撃を入れられ、ノイリスは為す術も無く倒れこむ。
「もー、あんまりうるさいから時間に間に合わないじゃない。もう引きずっていくから0時まで黙っててね、相棒さん」
 一瞬おちゃめな表情を無理矢理作って言うと、再び戦士の表情に戻って歩みだすミリニア。本当にノイリスは引きずられていく。
「誰か助けて下さい! キリストでもサンタでもいいから、助けて――」
 ノイリスの叫びは、誰にも届かない。

 ちなみに0時前から振り出した雪に見惚れて、ミリニアが計画をさっぱり忘れてしまったおかげで、ノイリスは監獄行きを何とか免れたことはまた別のお話。

草書