時は建安元(196)年。黄巾の乱に端を発した戦乱は未だ収まる気配すら無く、群雄が所狭しと各地に割拠する、そんな時代である。
そしてここ宛にも、一人の群雄が高々とその旗を掲げていた。
「…とまあ、天下の情勢はこの様な仕儀かと」
「ふむ…」
所は、宛城の一室。
そこでは今後の方針を決めるべく、張繍軍の中枢たる君主と参謀が密議を交していたのである。
「では賈[言羽]、率直に言っておまえは何が最良の策と考えるのだ?」
「そうですな… 結局は殿の御心次第、では無いかと」
「わし次第?」
「御意。もし殿が富貴と安泰を御望みなら、曹操殿もしくは袁紹殿につくのが最良の選択かと。 しかし、もし別のものを御望みであるのならば…」
そこで一旦、言葉を区切る賈[言羽]。 そして何かを窺う様な奴の目に対し、わしは同じく目で続きを促す。
「殿… 今も夢を御覧になっておられますか?
大きな、破滅と隣り合うやも知れぬ大きな夢を…」
わしは思わずはっとし、奴を見つめる。
出会った時からの事ではあるが、此奴の千里眼にはどうも敵わぬ。
だが…
「天下、か。 はたして、わしなどの手に収まる夢かな…」
天下。それはわしにとって、甘美と、それ以上に強烈な恐怖を伴う言葉。
そう。わしは今でも、董相国の栄華とその末路を、色鮮やかに脳裏に浮かべる事が出来る。
「(分不相応な夢ではないか? だが…それでもわしは夢みてみたい!
乱世に生まれ合わせた武人として、我が名を芳香と共に青史に留めたい!)」
わしはちらりと奴を見る。奴…賈[言羽]がいれば、わしの夢想が現実になりうるのではないか?
そんな思いがふと心をよぎる。
「賈[言羽]… お前はわしがその様な器だと思うか?」
そしてわしの冗談めかした、だが紛れも無く本気をまぶしたその問いに対し、賈[言羽]は呆れるでもなく、気負うでもなく口を開いた。
「さてさて。私程度のものでは、とても予測しかねる様な話ですからな。
ただ…」
「ただ?」
「もし本気でその御積もりがあるのならば、私は殿にこの身を賭けましょう。
それでは答になりませぬかな?」
そういってにこりと笑みを浮かべる賈[言羽]。 場に流れる暫しの沈黙。
そしてあくまで泰然と、だが紛れも無く真剣な奴の目を見たわしは、急速に一つの結論へと傾きつつあった。
「ふっ、賈[言羽]よ。そういう物言いは世間では意見では無く、焚き付けと言わぬか?」
かくしてわしと賈[言羽]は顔を見合わすと、どちらともなく笑い始めた。
何とも無性に良い気分である。
此奴と組めば、例え叶わなくとも最高の夢が見れる、わしはあらためてそんな確信を抱く事が出来た。
「やってみるか、賈[言羽]! 天下に号令をかけ、我らの名を史書に刻むのもなかなか面白かろう!
」
「御意!」
そう。それがわしの、天下の群雄とわし自身に対する密やかな宣戦布告であった。
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