<建安四(199)年・一月 〜長安〜>
「…まさか、こうもあっさりと勝敗が決するとは!」
「袁家の底力恐るべし、ですな…」
「後を継いだのは、言焦にいて難を逃れた曹昂殿だとか。しかし今の袁家の勢いでは…」
『袁紹軍の猛攻により許昌が陥落、曹操殿は戦死』
私が留守を預かる長安は年明け早々、各方面からもたらされたそんな急報により、まさに騒然としていた。
そして私が殿の代理として留守を預かる主な者達、即ち文官の法正・魯粛及び武官の顔良・甘寧を密かに一室に呼び集めたのも、まさにそんな時分の事であった。
「皆既に耳にしている事でしょうが… まず許昌の陥落と曹操殿の戦死は確定的です。
そして帝も…どうやら袁家の手中に落ちてしまわれた由。
更に付け加えれば、混乱に乗じて呂布軍が言焦に乱入したとの報も先程入って来ました。 おそらくは後継の曹昂殿も、最早この世の人では無いでしょう…」
そこで私は一旦話を止め、場を見回してみる。 何やら忙しく思案にくれる態の者、目を閉じ、じっと考えにふける者、戦の予感を感じてか紅潮する者、壁の地図を見やって微動だにしない者… 諸将の態度は様々ではある。 が、うろたえ騒ぐ者は一人とて居ない。 私はその様子ににこりと笑みを浮かべると、あらためて話を続けた。
「相次ぐ大敗の結果、現在洛陽を守る曹軍は敗残兵を含めても二万に満たぬ模様であり、最早強国としての曹家は事実上消滅した、と言っても良いでしょう。
…そしてその事実は言うまでもなく、今我が国の領土が侵されても、彼の国からの援軍は到底期待出来ぬと言う事をも意味しています」
現在殿以下の主力軍が出払っているこの長安を守るのは、精鋭とは言え三万余に過ぎない。
だがそれに対し南方には、練度で劣ってはいても上庸のみで六万、総勢では十三万を越える軍団が存在するのである。
私はまず、二人の武官に向けて語りかけた。
「顔将軍、甘将軍。上庸に居る劉表殿が、この機に乗じてつまらぬ事を考えぬとも限りません。
殿が戻られるまでは両将こそが頼みの綱… 宜しく頼みます」
「承知しました、安んじて御任せを。 もっともあの男の事、それ程機敏な真似はおそらく出来はしますまいが」
「はっはっは。 軍師殿、心配は無用よ! 文官崩れの率いる軍など、何万いようが木偶同然。わしらが片っ端から叩き潰してやりますぞ!」
頼もしげに肯くと、変事に備えるべく退出する両将。それを目で見送った私は、次に法正へと顔を向ける。
「さて法正、其方は檄文の用意を。 細部は任せますので『張繍は義によって盟友曹操殿の仇を討つ』『袁紹は帝を蔑ろにする逆臣である』という主旨のものを、いつでも出せる様にしておいて下さい」
「はっ。…お急ぎですか?」
「いや。袁紹殿へどう対処するか、全ては殿が戻られてからの事。 必要無くなるやも知れませんが、念の為です」
そして法正も一礼して退出した後、私は一人残った魯粛へと向き合う。
「魯粛。御苦労ですが、あなたには陳留に潜入してもらいます…」
かくして皆が散会し、再び静寂を取り戻した密室。 そんな空間で、私は一人暫し佇んでいた。
…遂に天下が動き出した、そんな高揚する気分と、相反するもう一つの感慨の為に。
「しかし、まさかこうもあっけなく貴方が亡くなられるとは… せめてゆっくりと眠られよ、曹公…」
巨星墜つ。私は無性に、そんな巨大な喪失感に襲われていたのである。
<建安四年・一月 〜西涼・前編〜>
わしの涼州遠征もここ西涼において、遂に大詰めを迎えようとしていた。
「北の本城付近に馬騰以下一万余、西の支城に馬超隊一万余。敵戦力は以上の様です」
田豊の報告を受け、わしは思わずほくそ笑む。
「良し! 奴め、軍を再編する暇も無かった様だな。 それでこそ強引な追撃を続けた甲斐があったというものよ…
よし趙雲、おまえに先鋒を任す! 敵を蹴散らし、一気に城への道を切り開け!」
「はっ、御任せを!」
かくしてわしと馬騰の最終決戦は、趙雲の猛進撃でその幕を開けた。
(同刻・馬超別働隊本営)
「馬超様… 張繍軍が動き出しました。手筈通り我々も渡河し、敵の背後を突いてやりましょう!」
俺は見張りの報告に肯くと、直ちに全軍の渡河を命じる。
俺がこうして本城から離れて布陣しているのは「最早逆転を狙うには、敵の兵糧を奪い取るしか手は無い!」という、親爺の作戦ではあったが…
「(しかし騎兵ならいざ知らず、こんな機動性の無い陣で本当に間に合うのか?
それに…それまで本当に城は持つのか?)」
「安定の戦い」以来期せずして遊軍化し続けた俺は、進軍を命じつつもそんな言い知れぬ不安を拭い捨てられなかった。
そしてようやく川を渡り終えようとした俺を迎えたのは… 案の定と言うべきなのか、遠くで煙を上げつつ白旗を掲げた西涼城の姿と、戦の終結を告げに来た軍使の姿…
「ふ、ふざけるな! 結局俺が一度も碌に戦わぬうちに馬家は滅亡か?
親爺の『兵法』とやらは、俺を遊軍にする以外、一体何の役に立ったというんだ!
…こんな馬鹿馬鹿しい戦がやってられるか!」
…距離があるにも関わらず、わしの元にまで轟いた馬超怒りの絶叫。それは奴にとっては不本意極まりないであろうが、こうして三ヶ月に渡ったわしと馬騰による死闘の幕切れとなったのである。
<建安四年・一月 〜西涼・後編〜>
「馬騰… どうだ、わしに仕えぬか?」
「お断りよ… わしは西涼の雄・馬騰だ! 敗れたとはいえ貴様などに仕えられるものか!
戯言を言う暇があるなら、さっさと首を刎ねい!」
連戦の末、わしは遂に馬騰を捕らえる事が出来た。 あまり虫は好かぬ奴だが、確かに殺すには惜しい男ではあり、わしは何とか奴を取り込もうと試みたのだが…
奴の意志は、ひたすらに固かった。
「仕方ない、望み通りにしてやるわ。 …何か言い残す事はあるか?」
「ふん、今更何を言っても仕方があるまい! …貴様が郷里を虐げる畜生ならば化けて出てやる、ただそれだけだ!」
「…貴様の郷里など知った事ではないが、わしの生まれ育った州は、わしの手で守り育ててやる。その事だけは教えておいてやろう」
そして馬騰は一瞬、ほんの一瞬だけ頭を縮めると、自ら刑場へと走り去っていった。
…それがわしが最後に見た、生きている奴の姿である。
「馬騰は降伏を拒み、自ら死を選んだ。 …其方達の中で、わしに仕える気のある者はいるか?」
かくして馬騰の処断を終えたわしは、引き続き勝者のみの権利たる捕虜の引見を行っていた。
「ふざけるな! 貴様等に誰が降るか!」
「…」
ひたすら罵詈雑言を喚き散らす輩は無視し、わしはぐるりと無言の者達を見回す。
そして真っ先に我が言葉に応じた者は… 以外にも奴の息子・超であった。
「正気か、兄者!? 奴は父上の仇で…」
「やかましい、親爺の事など知るか! 俺は戦いもせずにとっ捕まって首を刎ねられる、そんな馬鹿げた死に方は絶対に御免だ!
…張繍殿、俺はあんたに仕えるぞ!」
結局馬超の投降が呼び水になったのか、続いて程銀・馬玩・王子服の三将もわしに仕える事を誓った。
なお、喚き散らす休・鉄の兄弟と降伏を肯んじぬ馬岱・梁興については、本来なら斬るべきかも知れぬが、わしはあえて解き放ってやる事にした。 …滅び去った宿敵に対する、ささやかな気持ちのつもりである。
「さて、流石に連戦は応えたわ… まだ同盟も半年残っておるし、しばし此処で休息するのも良さそうだな」
こうしてとりあえずの区切りを付けたわしは、懐かしき故郷でしばし太平楽に浸っていた。
無論その時は、翌日に賈[言羽]から早馬が来、取り急ぎ戻る準備をする羽目になるなどとは、予想する筈も無かったのである…
<建安四年・一月 〜陳留・前編〜>
激動の一月も半ばを過ぎた頃、軍師の命を受けた私は密かに陳留を訪れていた。
「ま、大体想像はつくがな。…話だけは聞いてやろう」
「張繍軍の魯粛と申します。夏侯惇将軍、御会い出来て光栄です」
勿論、私の使命は言うまでも無いだろう。
「…つまりは俺に張繍の部下になれと、そう言いたい訳だな。
ふん、命惜しさに殿を裏切った俺を欲しがるとは、全く物好きな奴も居たものよ」
「…将軍が曹公第一の忠臣である事は、天下に知らぬ者とて御座いません。
先に袁紹に降られたのも、曹公より先に死ぬ訳にはいかぬ、そう思われた為の苦渋の選択と推察致しますが」
私の言葉に対し、将軍は鋭い目でねめつけてきた。その時の将軍の目は、まさに私を睨み殺すかの如きものであり、私は全霊をもってそれに対抗する。
…ややあって、将軍は自嘲気味に言葉を吐き出し始めた。
「ふん、それも例の『軍師殿』の御推察か? ふん。まったく見てきた様にほざくものだな。
だがな、いくら其奴が知恵者だろうが、俺の心を全て読める訳ではあるまい。
…俺は人の手を借りる気は無い」
「非礼を承知で申し上げますが… 将軍は御一人で、本当に袁紹を討てる可能性があると思われますか?」
「…何だと?」
「あえてもう一度申し上げますが、将軍が曹公第一の忠臣である事は、天下に知らぬ者とて御座いません。何故袁紹がその例外でありえましょう? 将軍が亡き曹公の仇を狙うなど、あどけなき童子ですら思いつく様な話です。
何を御考えかまでは判りかねますが、まず間違いなく失敗し、犬死する事と相いなりましょう。
もしそれでも構わぬ、意地さえ見せられれば良い、とおっしゃるのなら… 失礼ながらそれは将軍たるものの決意では無く、匹夫の蛮勇とお呼びせねばならぬものかと」
「! なっ…」
<建安四年・一月 〜陳留・後編〜>
「匹夫」。その言葉の効果は予想以上であった様だ。 将軍は見る見るうちに顔を紅潮させていき、またも睨み殺すかの様な視線を送ってくる。
だが今度のそれには先程とは違い… 生気に満ちた怒りが溢れていた。
「…貴様、ほざいたな! …ふん、ならば俺からも聞いてやろう。俺が張繍の元に行けば、必ず奴を討てるとでも言うつもりか?」
そう言って不敵な笑みを浮かべる将軍。その言葉は返し技のつもりであったろうが、私はここぞとばかりにたたみかける。
「すぐにとは申しませんが、必ずや。 …なにしろ我が君の志は、天下にあります故」
「…!」
「我々の元に来て頂ければ、将軍には万余の兵を御預けし、縦横に働いて頂く事になります。
つまりは奴が戦わずして降りでもせぬ限り、必ずや仇を討つ機会があると言えましょう」
「…ふん、随分と大きく出たものだな。 しかし真にそれは張繍殿の御意志か?」
口調こそ変わらぬものの、将軍の心は初めて揺れ動いている様である。そして私は、そんな将軍にあえて馬鹿正直にぶつかる事にした。
…理由は無い。ただそうすべきと信じたからである。
「いえ。報告は致しましたが、殿は現在涼州に赴かれている為、未だ正式な御許可を頂いてはおりませぬ。 ですが留守中の全権を預かりし賈[言羽]の、首を賭けての約定で御座います。 …もし御不満ならば、若輩ですが私めの首もお付け致しましょう」
長い…沈黙。 どのくらいの時を経てか、その間じっと私をねめつけていた将軍が、遂に口を開いた。
「…ふん、良いだろう。 最早俺の望みは只一つ、誰が天下を取ろうが知った事では無い!
張繍殿に御仕えしよう。 …例え貴様等が愚かな夢想家であろうとも、確かに俺一人でやるよりはまだ可能性はあるだろうからな」
「おお!」
私は喜びの余り、思わず将軍の手を取った。 それに対し不敵な笑みで応える将軍。
その態度は最初に感じたどこか投げやりなものでは無く、いつのまにか天下に名を轟かせた猛将のものへと戻っていたのである…
…こうしてわしが涼州に居る間に、一人の復讐鬼が我が軍へと馳せ参じる事になったのである。 なおわしが賈[言羽]達の誓った夏侯惇への約定を即座に承知したのは、無論言うまでも無い事であろう。
【諸国の動静】
・呂布軍が曹昂領・言焦に侵入し、同地を占領。 その際君主曹昂死亡し、満寵が跡を襲う。
<建安四年・四月>
涼州から急遽帰還する羽目になったわしは、夏侯惇との顔合わせ・旧馬騰軍の再編等の事後処理、袁紹への対応を主とした今後の方針検討、と慌ただしい日々を過ごしていた。
曹家の残党たる満寵軍はあまりにも弱体で、あろう事か旧都・洛陽を戦わずして袁紹軍に明け渡す様な体たらくであり… わしと奴が国境を接するのは、最早時間の問題であるだろう。
そしてわしが期せずして懐かしい(といっても考えればたかが一年半ぶりに過ぎぬのだが)部下との再会を果したのは、そんなある日の事であった。 尤も、その原因自体は決して喜ばしい事では無かったのだが…
「おう、胡車児よ! 久しいな…」
「はっ。殿には御変わりも無く…」
そう。新野太守として長らく我が元を離れていた胡車児が、劉表の大軍に攻められたが為、帰還を果す事となったのであった。
「道中難儀であったろうが、良くぞ無事に戻った!
流石のお前でも、一人で十万を相手にするのはちと骨だろうからな。
…しかし残念であったな! 見事新野を守り抜いておれば『人中に胡車児あり』と青史に名が残ったやも知れんのにな!」
「いや、真に惜しい事をしました。せいぜい五万くらいが相手なら、腕を奮った所なんですが…」
新野失陥。それ自体は無論喜ばしい事では無いが、元より放棄を前提に統治していた場所であり、別段腹立たしい訳でも無い。 わしとしては、今は奴が無事に戻ってきた、それだけで充分だった。
「久しぶりですね、胡車児…」
そしてわしらの話が弾む中、ようやくもう一人の男がやってきた。にっこりと微笑む宛城以来の部下… 言うまでも無く、賈[言羽]である。
「ああ軍師、御久しいですな! 御活躍ぶりは新野でも良く耳にしましたぞ!」
「賈[言羽]よ、して首尾は?」
胡車児と久闊を叙す賈[言羽]は、わしの問いかけにゆっくりと肯く。
「はっ。今魯粛より知らせが参りまして… 無事劉表殿より『新野の代金』を頂いた、との事です」
「『新野の代金』? 」
ぽかんとする奴に、賈[言羽]がにこにこと解説する。
「ええ。今は兵を動かす訳にはいきませんので、殿と相談の上、代わりに黄忠殿を引き抜く事で埋め合わせとさせて頂きました」
暫し顔を見合わせ、やがて笑い出すわし達。
胡車児の、賈[言羽]の、そしてわしの笑い声が広間を包む。
それは以前こそ馴染みではあったが、今は妙に懐かしさを覚える光景でもあった。
『思えば、全ては我等三人から始まったのであったな』。 わしは不意にそんな感慨にとらわれる。
「さて、思えば我等が揃うのも久々よ!
ここはひとつ、宴と行くか!」
「御意!」
「はっはっは、それはありがたい! 殿、ではこの胡車児、ここは一つ新記録に挑戦してみますぞ!」
「貴様は何をしに新野へ行っておったのだ?
まあよい、ほざいたからには、出来ねばどうなるか…覚悟しておけよ!」
そして翌日、わしと胡車児は見事に潰れていた。
…まあ多忙な日々の中、たまにはこんな日があっても良かろうて。
<建安四年・六月>
「…この様に評定で提案されておりました呂布殿との同盟の件は、無事成立致しました。 なお詳細につきましては、ショウヨウが戻り次第御報告致します。
また満寵殿との同盟についてですが、今月一杯で失効となっております」
「ふむ、遂にか…」
楽しい宴も一睡の夢。胡車児は新たに安定へと赴任し、わしは今日も政務に明け暮れていた。 そして日常茶飯の事ではあるが、一つの決断を下すべき時がはや真近に迫っていた。
「同盟が失効してしまえば、袁紹殿が弘農侵攻を躊躇う理由は無くなります。 しかしかの地は、長安の安全と洛陽への進出に関わる要地。今後和戦何れの道を取るにしても、袁紹殿に押さえられるのは思わしくありません。 先手を打って、我が国が押さえておくのが上策かと」
いつもの事ながら、そう冷静に状勢を分析する賈[言羽]。 奴の判断は何時も的確だが、言うまでもなく最後の決定は我が責任においてしなければならぬ。 わしはじっと考えにふける。
「ふふ、考えてみれば叔父上も実に目の付け所が良い御方だった訳だな。
…やるか、賈[言羽]! 死に体の満寵を討つなど、大した兵もいらぬであろうからな」
「はっ。ただおっしゃる通りではありますが、出来れば我が軍の総力をもって派手に侵攻する方が宜しいかと存じます。
此度は洛陽の袁紹殿に我が軍の偉容を示すと共に、満天下に袁家への対抗勢力としての我々の存在を印象付ける良い機会… うまくいけば『今後』もなにかとやり易くなりましょう」
そう言って、にこりと微笑む賈[言羽]。 以前此奴を張良・陳平に例えた者がおったそうだが、少なくとも今の天下にこれほどの知恵者はそうはおるまい。もしわしに天命というものがあるのなら…
いや、妄想は程々にしておこう。
今はただ、進むべき道を必死に駆け続ける、それで良い筈だ。
「うむ…良かろう! 張繍軍の力、そろそろ満天下に知らしめるのも面白いな…」
そして、わしもあらためてにやりと笑みを浮かべる。
遂に東…中原へ! 其の日はもう、間もなくであった。
<建安四年・七月 〜前編〜>
「満寵様、張繍軍が動き出しました! 張繍自らが総大将となり、総勢は… 十一万乃至十二万! 奴等のほぼ全軍です!」
国内掌握はようやく一段落したものの、軍の再建はいまだ道半ば。 長安方面の諜報を行っていた孫礼が私の元に慌てて駆け込んできたのは、殿が亡くなられてからようやく半年余りが過ぎた、そんな時分の事であった。
「まずは西から、ですか…」
「…張繍自らが出て来たのならば、奴のみを狙えば勝機はあるな」
孫礼の報告を聞き、私の左右、荀ケ殿と郭嘉殿がそんな呟きを漏らす。
殿亡き後この弘農に集っているのは、私を含めて僅かに十五将、二万四千余。
諸将の過半を既に失い、兵力も往時の六分の一に満たない。
あの悪夢から半年。 中原に威を奮った曹軍のなれの果て。 それが…今の私が率いる満寵軍の実態であった。
「…行きますか、夏侯淵将軍。 張繍は勇猛な男、突出した奴を叩ければ勝機はあるやも知れません」
「ああ、承知した。…行くか」
そして私と将軍、いまだ指揮すべき兵を持つ我等二人は、言葉少なに広間を出る。
勝算はどの程度あるのか、仮に今回勝利を獲てもその後『東』に対抗出来るのか、最早それを問うものは誰一人いない。 だがそれでも戦わずして降る、その意見だけは全く出はしなかった。
『曹軍の誇りにかけて、戦わずして降れぬ』。 それこそ、いやそれのみが、我等が抵抗を続けてきた所以だったからである。
「(所詮誰も、殿の代わりになどなれはしません。 殿、あなたのおられぬ軍に、『曹軍』の名は重すぎました…)」
私は空を見上げると、誰にも聞かれぬ様、そっと呟きを漏らした。
<建安四年・七月 〜中編〜>
(満寵軍先鋒・夏侯淵隊本営)
「ふん、とうとう俺も最期か。…まあ今更それは構わんさ。
だが… 只では死なんぞ。 死路の道連れに、敵の先鋒を必ずつき合わせてやる! 俺の武人としての意地にかけてな…」
俺はそうひとりごつと、西の方へと目をやる。 砂塵を巻き上げつつ張繍自慢の騎馬軍団が突進してくる様が、ここからだとはっきりと見える。 旗印から察すれば、敵の先鋒は夏侯… 夏侯!?
「なっ! 夏侯? ま、まさか…」
今迄奇妙な程に冷静だった反動か、俺は無様な程に狼狽した。 そしてこちらに迫り来る敵軍から進み出た一人の将… それは、やはり俺の良く知る男であった。
「惇、お前生きていたのか! だが何故張繍軍に…」
一瞬呆然とした俺は、気づくと陣前に躍り出て、そう奴に問い掛けていた。
「淵よ、久しいな… 俺はこうして、恥を晒して生きているよ。『殿』の仇を討つ為に、な」
そう自嘲気味に、俺が見た事も無い様な笑みを浮かべる惇。
…俺は、只混乱した。
「惇! 俺はもう自分が何をすべきなのか、何が正しいのか、全く判らんよ。 俺は…」
「…俺とて判らんさ。自分の行動が正しいかどうかすら、な。 …だが、俺達は武人だ。
迷う暇があれば戦う、それで良いのでは無いか?」
例え様子が変っていても惇は惇。そんな当たり前の事を感じると、俺のもやもやは何とはなしに晴れ… 今度は逆に訳も分からず闘志が湧いてくる。 …我ながら実に度し難い事だが。
「…それもそうだな。 ではいくぞ、惇! ここはそう簡単に通さぬ故、覚悟しろよ!」
「ふん、面白い! 淵よ、俺の攻撃に耐えられるものなら耐えてみよ!」
こうして、俺と惇の初めての戦いは始まった。
(弘農城・満寵軍本営)
「ちっ、満寵め! ええい、皆落ち着け、落ち着くのだ!
くそっ!」
この城に真っ先に取り付いてきた張繍隊は、私の仕掛けた計で見事に混乱している。
今奴の本隊を潰す事は、決して不可能事では無い。 …あと二万程の兵さえあればの話、だが。
張繍隊の混乱をよそに、敵の後続が次々と殺到してくる状況で私の出来る事、それは余りにも限られ過ぎていた。
「(趙雲・張遼・顔良、後ろに見えるのは馬超・魏延に徐晃殿…
ふふふ、良くもこれだけの将達を揃えたものですね)」
私は必死に防戦の指揮を執りながら、頭のどこかでは自分でも呆れる程に、そんな呑気な事を考えていた。
そして数日間に渡る攻防戦の果て、我が軍は壊滅し城は陥落した。
衆寡敵せず… 私は五倍の敵に対し完敗を喫したのである。
<建安四年・七月 〜後編〜>
「…では満寵。どうあっても降れぬか」
「はっ。 御厚意には感謝致しますが、無能非才の身とは言え、私は仮にも曹操様の後を受けし者。殿の御名を汚す様な真似だけは出来ません」
此度の戦いも我が軍の大勝に終わり、わしは敵君主・満寵と相対していた。 圧倒的な劣勢下、城を堅固に守りつつわしの隊を思うが侭に掻き乱したその手並み、殺すには余りにも惜しい。 わしは何とか奴を降そうと説いたものの… 奴の意志は小揺るぎもしなかった。
「将軍…」
そして満寵は沈黙したわしの後ろに立つ男、夏侯惇へと目を向け、微笑みを浮かべつつ語り掛ける。
「将軍、あまり気に病まれますな。 結局の所、我々は曹家の残照に過ぎなかったのですから。
将軍は、今後も御自身の信じる道を歩まれますよう…」
「満寵…」
己を罰するかの様に同席した夏侯惇を、穏やかにそう諭す満寵。
あらためて殺すには惜しい者ではあるが…
この男を翻意させる術は、今のわしには無い。
「では、私はそろそろ参ります。 …将軍、あの世で殿達と歓迎の準備をしておきますので、『主賓』の方は宜しくお頼み致します」
「承知した! 必ず、俺の命に代えても送ってやる。 …殿に、よろしくな」
「はっ。 …私が言うのも妙ではありますが、将軍・張繍殿、御武運を!」
かくして満寵は刑場の露と消え、そして…
「もう何をすべきか判りません。 ですが惇が信じた張繍殿に、俺も御仕えしたく思います」
引き続き捕虜の引見に移ったわしは、投降を受け入れた夏侯淵・楊彪・廖化・韓暹・孫礼・張紘・王双の七名を新たに我が軍に迎え入れ、それを潔しとせぬ荀ケ・郭嘉・張允・毛介・董承・車胄・王脩は解き放った。
かくして群雄としての曹家勢力は… 遂に名実共に天下から消え去ったのである。
<状勢報告 〜建安四年・八月初頭現在〜>
(有力諸侯)
・袁紹・・・九都市・十七万六千余
曹操を倒し、名実共に天下最強の群雄となった河北の雄。
関係は非友好的だが、修復はまだ可能な段階。 ただし時を置けば更に強大化し、対処不能となる可能性も高く、同盟には注意を要す。
また、帝を擁している点にも考慮が必要である。
なお注意すべき敵将として、沮授・張[合β]・文醜・程c・于禁・キョチョ等が挙げられるが、曹家の旧臣等一部の将については、招聘出来る可能性が少なくないと思われる。
・劉表・・・六都市・十四万余
肥沃な荊州を本拠に強大な兵を擁し、潜在力にも侮れないものがある南方の雄。
関係はやや非友好的だが、修復はまだ可能な段階。
なお同軍には水戦巧者が多く、こちらから攻め込む場合には注意を要す。
・劉璋・・・五都市・十三万余
険阻な益州を地盤に強大な兵を擁し、潜在力にも侮れないものがある辺境の雄。
関係は友好的であり、比較的同盟は容易と思われる。
(注意を要す諸侯)
・劉備・・・三都市・十万二千余
徐州を中心とし、侮れない戦力を持つ。 関係はやや友好的。
・呂布・・・二都市・三万二千余
兵力は左程では無いが、こと戦闘面では侮れない。 関係は友好的かつ同盟中であり、うまく操れれば袁紹戦での手札と成り得る。
(その他の諸侯)
・リュウヨウ・・・一都市・七万八千余、友好的。
・袁術・・・二都市・七万五千余、中立的。
・孫策・・・一都市・五万六千余、中立的。 ただし人材が豊富な為、潜在力は侮れない。
・厳白虎・・・一都市、四万五千余、中立的。
・王朗・・・一都市、三万余、友好的。
(参照)
我が国・・・八都市・十二万余
(以上、張繍軍諜報部起草・状勢報告草稿より)
<建安四年・八月>
満寵を踏み砕いたわしは、無事中原への橋頭堡を確保する事が出来た。
しかしそれは同時に、いよいよ奴と直に国境を接し、本格的に対立するという事でもある。
「遂に四世三公とやりあう、か。さて…」
所は長安、時は夜。 わしは皆と協議の末「機を見て洛陽への侵攻を図る」事を決したものの、言い知れぬ不安に駆られてか一人夜空を見上げていた。
「殿、如何なされましたか。 …天命でも御見えになりますかな?」
そしてそんなわしに不意に声をかけてきたのは… 我が軍師殿であった。
「賈[言羽]か… ふん、わしに天文など判るものか。 なんとなく星を見ておった、ただそれだけの事よ」
そう振り向きもせず答えるわしに対し、賈[言羽]は無言のまま隣へやって来ると、同じ様に夜空を見上げながら問いかけてきた。
「…不安でございますか、殿?」
「…不安でない筈がないわ。 相手は国力・兵力で我等に勝り、あの曹操を鎧袖一触で討ち取った天下屈指の名門だ。不安でない筈がない」
「……」
「判ってはおるのだ、賈[言羽]よ。 わしの望みを果す為には必ず奴と戦わねばならず、そして時が立つ程我が国が不利になる、という事はな。だが…」
賈[言羽]の問いかけを受け、わしはつい堰を切った様に次々と不安を口走った。
しかし奴はそんなわしを無言で制すると、初めてこちらを向き、にこりと微笑んだ。
「殿、あまり御案じなさいますな。 袁紹殿の強盛も、今はまだ膠で固めた程度のもの。付け込む隙は少なからず御座います。
必ず、必ずや我等が切り崩して御覧にいれます故、今はただ我等と、そしてなにより殿御自身の御力をば御信じあれ」
賈[言羽]の眼と落ち着き、それはわしをいつも安堵させる。 はっと息を吐いたわしに、奴はさらに言葉を継ぐ。
「一年。まずは一年程御待ち下さいませ。 私めは今の時点でも五分の勝機を見込んでおりますが、必ずやそれを二分は押し上げてみせましょう」
珍しい賈[言羽]の大言。 『此奴ですら、やはり興奮は隠せぬか』。 ふとそんな事を考えた時には、わしの不安はいつの間にやら霧散していた。
「ふふ、賈[言羽]よ。 其処まで言うのであればお前の手並み、しかと見せてもらおうか…」
わしは奴にそう声をかけると、再び夜空を見上げた。 …我ながら現金な事に、今度は言いようの無い高揚感に包まれながら。
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