<建安七( 202)年・五月>
劉表とは無事に同盟を更新し終え、南皮に陳宮・顔良等四万を配する事で、劉備を牽制する体制も整った。
…時は来た! わしは再編を終えた十三万四千余の精兵を見渡すと、満足気に賈[言羽]へと振り返った。
「いよいよだな、賈[言羽]! …許昌の状況に変化はあったか?」
「いえ、相変わらず淳于瓊以下一万余が守るのみの様です。呂布等がすぐに駆けつけて来るとしても、精々三万といった所でしょう」
そんな賈[言羽]の報告にわしはゆっくりと肯くと、あらためて出撃を待つばかりの我が精兵を見渡してみる。
趙雲・張遼・夏侯淵・夏侯惇・徐晃・馬超・張[合β]、そして参軍に賈[言羽]。
今これほどの陣容を誇るのは、天下広しといえども自賛では無しにわしの軍のみであろう。
「(ふふ、呂布め。我が精兵、破れるものなら破ってみるが良いわ!)」
わしは一人そうほくそ笑むと、諸将に出撃の命を下した。
「よいか! これより我が軍は、偽帝と手を結びし逆賊・呂布の討伐を開始する。 まず手始めに陥すは許昌!
皆、勇を奮えい!」
かくしてわしは、遂に宿願を果すべく勇躍して兵を進めた、のだが…
「くそっ、まさかもぬけの殻とはな! 奴め、味な真似を…」
「意地で勝ち目の無い抵抗を図るより、戦力の集結を優先させたのでしょうが… 大した決断力です」
そう。我等が許昌への侵入を果した際、既に敵はあっさりとこの地を放棄しており… わしは無血の内にこの大都市を制圧する事になったのであった。
「ふん、呂布め。流石に袁譚如きとはものが違うか!
…まあ良い。貴様が逃げた所でわしはどこまでも追いかけ、必ず叩き斬ってくれるわ!
せいぜい首を洗って待っておれよ…」
こうしてわしは奴の居るであろう東方を睨みつけると、不燃を余儀なくされた闘志を鎮めるべく、ひとり気炎を上げ続けていた。
<建安七年・八月>
「くそっ、呂布めが。ええい、忌々しい!」
許昌無血占領にやや気勢を殺がれたわしであったが、その後も手綱を緩める事無く進撃を続け、奴から相次いで陳留・[言焦]をも奪い取る事に成功したのである。 …無血で。
無論無血の勝利であっても、着実に奴を追いつめているという事自体に変りは無いのだが… 闘志をいなされ続けている形のわしとしては、どうにも苛立ちを禁じ得なかったのである。
「ふん。兵力をかき集め、少しでも勝機を高めた上で乾坤一擲の戦いを挑もうという腹か!
実に理に適っておるではないか、呂布め! …ええい、だからこそ、だからこそ余計に腹立たしいわ!」
胡車児は遥か安定にあり、賈[言羽]も中座している。そんな中、わしは臣下には見せられぬ様な苛立ちを一人発散させ続けていた。
「殿。只今凶報かつ吉報である知らせが入って参りましたぞ…」
そして賈[言羽]がようやく戻ってきたのは、わしが多少なりとも落ち着きを取り戻した、そんな時分の事であった。
「…凶報で吉報? ふん。やはり呂布絡みか、賈[言羽]?」
「はっ。どうも急遽呂布と劉備殿の間に同盟が結ばれた模様です。 ついては濮陽に隣り合う徐州に六万余の兵が駐屯しております故、数万規模の劉備軍が濮陽攻略戦に介入してくる公算が高くなりました」
「…! ふん、劉備め。どこまでもわしの邪魔立てをしてくれるものだな!
ええい、忌々しい!
…だが賈[言羽]よ、それでその報のどこが吉報なのだ?」
またも劉備! わしはいまや呂布と共に我が疫病神の感がある奴の、遂に公然たる挑戦にあらためて苛立ちを覚えたのだが… それを報告する賈[言羽]の表情は、何故かにこやかですらあった。
「はっ。主殺し・略奪・虐政と、呂布の悪業は天下に知らぬ者とて御座いません。しかるに劉備殿が彼の逆賊と結んだからには… これで大手を振って彼をも排除する事が出来る、というものです。 やはり青・徐二州に割拠する大勢力を放置しておくのは、今後何かと差し障りが出かねませんからな」
「ふん。如何に善人ぶろうが、奴も所詮は『あの』陶謙の後継者という事よ。
うむ、そう考えれば確かに吉報だな。 …よし賈[言羽]よ、不逞な逆賊共に一つ目にものを見せてやるか!」
「はっ。例え劉備軍が介入して来ようと、ものの数ではありません。 殿、ここは躊躇せず、一気に呂布に止めを刺しておくべきかと」
わしはそんな賈[言羽]の言に力強く肯いた。そして新たな展開を迎えたが為か、先程まで感じていた苛立ちも不思議な程に治まり… 今や再び激しい闘志が湧き起こって来たのである。
「(呂布め… もう逃げ場は無いぞ。今度こそ、今度こそ貴様の素っ首を刎ね、我等の怒りと董相国の無念を晴らしてやるわ!
待っておれ、呂奉先…)」
わしは濮陽で決戦の準備を整えているであろう奴に向かい、心中そんな怪気炎を上げ続けていた。
<建安七年・九月 〜前編〜>
「敵勢はおよそ四万四千。既に『徐州軍』の旗も翻っております!」
今度こそ呂布めと決着を付けるべく、十三万余の軍を駆って濮陽へと乗り込んだわしは、街道沿いに軍を展開させつつ物見からの報告を受けていた。
「ふん、劉備め。早くも軍を派遣しているとはな! 随分と熱心な事ではないか…」
「呂布軍そのものは敗戦と相次ぐ天災によってぼろぼろです。ここは手筈通り、城に篭もる呂布隊のみを狙い打ちにするのが上策かと。 劉備軍の後続が参着する前に、一気に勝負をつけてしまいましょう」
そしてわしは賈[言羽]に肯くと、即座に全軍に号令を下した。
「敵に何万の劉備勢が加わろうとも、所詮は全て逆賊、恐るるに足らん!
わしと趙雲・夏侯惇は正面より、張遼・徐晃・夏侯淵は西の橋より、馬超・張[合β]は東の森を突破し、三方より濮陽城を踏み潰すのだ!
狙うは呂布の首、ただ一つ。雑魚に構わず力の限り進軍せよ!」
(同時刻・濮陽城呂布軍本営)
「殿、それでは更に数万の劉備軍がこちらに向いつつあるのですね?」
「ああ、陳羣。そういう話だ。 …しかしあの大耳野郎、よりにもよって先日まで俺の部下だった典韋を寄越してくるとはな。 はん、相変わらず嫌味な野郎だ!」
『張繍軍布陣開始!』既に物見よりその報を受けていた私は、そんな殿の言葉を聞き、ようやくほっと胸をなで下ろした。 劉備軍の先遣たる典韋隊一万五千余に加えて後続も無事到着すれば、どうにか二対一以上まで兵力差が縮まる目処が立つ為である。
「殿。これで私めに打てる手は尽き果てました。…後は殿の采配に御任せするしか御座いません」
「なに。良くやった陳羣、上等だ! …後は俺達の仕事だ」
殿は私にそう満足気に肯くと、傍らの腹心・高順殿に笑みを浮かべつつ語りかけた。
「高順! 今や我が軍で纏まった戦力を有しているのは、俺とお前の隊だけだ。 こうなれば劉備の軍を敵にけしかける隙に、俺達でなんとか張繍の本隊を叩き潰すしか手は無いだろう。 …行くぞ!」
「御意! 天下に名高き呂布軍の力、奴等に思い知らせてやりましょう!」
そして兵力を持たぬ私は、最早悠然と出撃して行くそんな二人の武運を祈るのみだったのだが、同時に…
「私に典韋殿、いや呂布軍それ自体も、かな。 まさに乱世だな…」
状勢の混沌ぶりに、思わずそう呟かずにはいられなかった。
…かくしてそれぞれの思惑を胸に、わしと奴の最初で最後の決戦は幕を開けた。
<建安七年・九月 〜中編〜>
「ええい、くそっ! くらえ、くらえっ!」
なんとか勝機を掴むべく勇躍して出陣した俺達であったが、張繍軍の進撃速度と圧力は俺の予想を遥かに越えたものであり… 俺が長躯出撃を断念し、城に篭って迫り来る敵にひたすら弓を浴びせ続ける羽目に陥るまで、そうそう時間はかからなかった。
「雑魚に構うな! 目指すは呂布のみ、踏み潰せ!」
「邪魔立てするな。どけ、どけ!」
まず初めに、東西南の三方から迫り来る敵の大軍を迎え撃った曹仁・曹洪・牛金の諸隊が一瞬のうちに叩き潰され…
「ええい、どけ、張遼!」
「…そうはいかんさ、高順。 此処を通しはせんよ!」
次に、頼みの高順隊も敵に半包囲され、行動の自由を失い…
「典韋隊、動きません! 城に篭もったまま矢を放つのみです…」
「一体何しに来やがったんだ、あの野郎は! くそっ…」
その上支城に篭った劉備軍が、いっかな積極的に動こうとはしなかったからである。
「ふん、呂布め。今こそ曹昂殿の仇を取らせてもらおうか…
いくぞ、淵!」
「おうよ、惇!」
「よしっ、もう奴に逃げ場は無いぞ。全軍突撃!」
そして夏侯惇・夏侯淵・趙雲… 森を越え、道を迂回し、我が軍を踏み砕いて一路俺を目指して突進してくる敵の各隊。
そんな敵の波状攻撃に耐え切るには、今の俺の軍はあまりにも疲弊し尽くしていた。
「援軍はまだか? くそっ、あの大耳野郎、偽善者野郎! 肝腎な時には何の役にも立たねえ! くそっ!」
俺は死力を尽くして防戦に当ったものの、結局次から次へと襲い来る敵勢を防ぎきれる筈も無く… 業火の中、濮陽は陥ちた。
<建安七年・九月 〜後編〜>
「呂布よ、久しぶりだな… 会いたかったぞ、ずっとな」
「ちっ…」
尻尾を巻いて逃げ去った劉備勢は捨て置き、未だ燻り続ける濮陽へと入城を果したわしは、遂に念願通り呂布めを我が前に引き据えていた。 思えば、あの日からなんと長かった事か…
「呂布よ。貴様のせいでわしらは危うく皆殺しにされかけたが… ふん。どうだ、今自分が同じ目に遭う気分は?
ん?」
「ふん、張繍! 貴様なんぞに遅れを取る様では、この俺の武も地に落ちたというものよ… つまらぬ御託はいらんし、弁明も命乞いもする気は無い! とっととこの首、刎ねれば良かろう…」
三重に縄を掛けられながら、なおも傲然とわしを睨み続ける呂布。 武将としては殺すに惜しい男であるのだが、董家恩顧の身としては、やはり此奴だけは生かしておく訳にはいかぬ。わしはほんの僅かながらあった迷いを振り切ると、奴に速やかに引導を渡す事にした。
「ふん、呂布よ。流石に覚悟だけは良いようだな… まあわしも、今更貴様の言い訳などを聞くつもりは無い。董相国に叔父上、その他貴様の為に道を狂わされた多くの者の怒りを今こそ味わうが良いわ! さあ、来い!」
「…けっ、張繍! てめえもせいぜい同じ事を言われぬ様にするんだな!」
かくしてわしは手ずから奴を刑場へと引いて行き… 既に亡き皆に成り代わり、その最期を眼に焼き付けた。
そしてわしは、御定まりの捕虜引見へと移る。
「我等の完敗です。かくなる上は張繍様に御仕え致しましょう」
「過分な評価を頂きまして… 私で良ければ御仕え致します」
張遼・賈[言羽]等の説得も功を奏し、高順・陳羣を始めとした十二将がわしに降り、劉曄・周倉等投降を潔しとせぬ九将は解き放った。
かくして忌まわしき謀反人・呂布はその勢力もろともここに消滅し、わしは遂に十年越しの恨みを晴らし終えたのであった。
<建安七年・十一月>
「機先を制するどころか、薮蛇に終わってしまったな、徐庶…」
「…申し訳御座いません、殿」
所は北海・劉備軍本営。 そこには今後の方策を練るべく、我が国の重鎮たる徐庶・孔融・陳珪が顔を揃えていたのだが… 皆の表情は決して明るいものでは無かった。
我が国の安全を図る見地から実行した、濮陽戦への介入。 それは予想以上にあっさりとした呂布の滅亡を受け完全に頓挫したばかりか、計画とは逆に張繍の敵意と圧力を一心に受ける結果を招いていたからである。
「現在張繍軍の主力は続々と平原に集結中です。ここは我等も関・張両将をはじめとした主力を此処に呼び寄せては如何かと…」
「いや、徐庶よ。それでは一体誰が徐州を守ると言うのだ?
あの地は張繍のみならず、偽帝めにも狙われているのだぞ! まずは枝葉より本を固めるのが肝要であろうに…」
「これは聞き捨てなりませんな、陳珪老。そもそも『本』を忘れているのは貴方の方ではありませんかな? そもそも王者の軍とは…」
参謀・豪族・名士。それぞれの思惑や利害が絡み合う論戦はいつ果てるとも知れず… わしは思わず溜息を吐いていた。
「(寄り合い所帯の悲しさ、か。さてどうしたものかな…)」
場を統制する参謀、自前の勢力。 此処でそんな無いものねだりをしても、何ら目前の危機は解決しない事は充分に判っている。 わしは皆の議論に耳を傾けつつも、必死に最良の道とは何かを思案し続けていた。
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