<建安九(204)年・一月>
「見てろよ、俺はいつか一旗挙げてやるぞ!」
思えばわしがまだ涼州の小役人だった頃、酔ってそう息巻いた事があったな。
「こんな時代だ、一つ青史に名を留める様なでかい事をやってやるぞ!」
思えばわしが叔父上の元で部隊長を務めていた頃、やはり酔ってそう息巻いた事もあったな…
さて… こうして天下に押しも押されぬ大勢力を築き上げたわしは、今、酒を食らいつつどんな風に息巻くべきであろうか?
遂に完全な「中原の大掃除」を成し遂げたせいか、実に平穏極まる新年。
わしはそんな贅沢を存分に味わうように、一人杯を傾けつつ、物思いに耽っていたのである。
「(李[イ寉]・張魯・馬騰・満寵・袁紹・袁譚・呂布・劉備・袁術。思い返せば、何と多くの群雄を叩き潰して来たものか!
そして… わしは奴等の墓標の上に、一体どんな世を築こうというのだろうな?)」
ひたすらに駈け続けて、ようやく立ち止まるだけの余裕が生まれたからか。
わしは今更ながらそんな事を考えつつ、ゆっくりと杯を呷り続けた。
「(乱世を終わらせ大平の世を築く、それは言うまでもない事だ。そして…)」
そして… わしはその後に続けるべき言葉を口に出せぬまま、董相国の無残な最期を、袁術めの哀れな末路を、賈[言羽]の言葉を、我が心の内の相反する想いを… 雑多なまま知らず知らず思い浮かべていたのである。
やがて、半刻余りも経った後だろうか。結論と言って良いか判らぬ様な結論をようやく見出したわしは、ふらりと立ち上がり、酒気を払う様に軽く頭を振って呟きを漏らした。
「さて…まだあるな。まだ時間は充分にある。
今はただ、わしに出来る最善を尽くしながら… せいぜい我が軍師殿を怒らせぬ政でも心掛けるとするかな?」
そう。結論を出すのも、気を緩めるのも、全てが終わってからでも充分な筈だ。
揚州に巣食う諸侯を平らげ、荊・益二州の仕置きを終えるまで、成すべき事はまだまだあるのだから…
【諸国の状勢】
・劉璋軍、劉表領襄陽を襲うも敗退。
<建安九年・九月>
「ええと、諸葛瑾殿と張昭殿は人事に、程普殿と全j殿は武官に… ふう、厳白虎軍からの投降者はあと何人おりましたかな、田豊殿?」
「揚州戦における降兵達ですが、とりあえずは再編の上、黄将軍の元で練兵を…」
「南方戦における兵站と補充兵についての基本計画が整いました。なお地勢状、やはり水運が中心になり…」
漢帝国の中枢、そして今や飛ぶ鳥を落す勢いの権臣・張繍の本拠でもある帝都洛陽。
その地の要人達は今日も今日とて日々の政務に、先日平定した建業・会稽・呉の事後処理に、そして来るべき戦の準備に、と勤しんでいた。
無論、
「…廬江の孫策軍がおよそ十万、荊州一帯の劉表軍が三十万、益州一帯の劉璋軍が二十六万弱… ふむ。もし敵が合従すれば計算上では、五十万の兵を擁する我等にも優に対抗出来ますが…」
「…まあ、お互いが攻めぎあっている現状では、所詮は絵空事だろうな。
それにもし奴等が慌てて連携を取ろうとしたところで、平和に馴れ、核となる将帥をも欠いた大軍だ、今の殿の敵にはなりえまいと思うが如何かな」
「ええ、同感です。…ふふ、孝直殿、そう考えれば我等の長年に渡る地道な暗躍も、充分な成果があったという事ですな」
諜報・流言・引き抜き・内応・扇動… 張繍軍の破竹の進撃を陰ながら支えてきた古参の参謀・魯粛と法正も、言わずもがなその中の一組であり、二人は広げた地図を見やりつつ、常の如く互いに集めた情報の交換と分析に余念が無かった。
そして… 今や二人の見解は、遂に一つの結論へと集約されようとしていたのである。
「先日届いた軍師の御書簡によりますと、これまでの揚州平定戦を通し、懸案であった南方の風土に対する目処も立ったとか。 一方残る敵勢力は、将兵は有れど地力の無い孫軍、数ばかり多い烏合の衆とも言うべき劉表・劉璋の徒が、互いに孤立して在るのみ…」
「うむ… 私も同感だ、子敬殿。 荊州の張り子の虎に益州の穴熊、奴等が倒れ天下が定まる日は、最早そう遠い事ではあるまいよ」
過信では無く、増長でも無く。冷徹に自他を分析したという自負の元、彼等は顔を見合わせ、静かに肯きあった。
そう。彼等は確かに今、一つの「終わりの始まり」を、紛う事無き「現実」として認識しようとしていたのである。
暫し、余韻に浸るかの如き静かな時が流れ… やがて法正は笑みを浮かべたままゆっくりと立ち上がると、さも自然に、だがどこか遠くを見やる様に魯粛へと語りかけた。
「…かくして、三劉地に堕ちて乱世は終わり、新時代の幕は上がらん、と。
どうです、そうは思われませぬかな、子敬殿?」
そして、法正の言葉に対し魯粛は一瞬目だけ目を光らせたが… 結局、彼も無言で肯きを返した。
<建安九年・十月 〜前編〜>
「大軍に区々たる用兵など必要無い、目指すは孫策の首只一つだ! 全軍進め!」
九月。この半年の間にリュウヨウ・厳白虎・王朗を相次いで捻じ伏せたわしは、揚州に残った最後の雄・孫策を討つべく、十六万八千余に及ぶ大軍を率いて廬江へと進撃を果たしていた。
我が軍の誇る騎兵隊を阻むかの様な湖沼の地・廬江。其処で手ぐすね引いて待ち構えるは地の利を得た敵の精鋭十万。
その中へわしは全軍を率い、一路無秩序な突撃を開始したのである。…まるで、兵法を知らぬ蛮人の様に。
先の三戦における戦訓から、この揚州の地で我等北方の軍が秩序だった細やかな行軍を行なう事が如何に至難か、その事を嫌という程思い知らされたわしと賈[言羽]の出した結論。
それが地力の差を利しての、この小細工無しの真っ向勝負であった。
「進め、進め! 目の前の道を踏破し、敵を討ち取る事のみを考えよ!」
「進め、進め! 脱落者に構うな。無事な者のみで良い、速度を緩めるな!」
「進め、進め! 全軍、進め〜!」
かくして夏侯淵が、馬超が、徐晃が。少なからぬ我が精鋭達が沼地に脚を取られ混乱するのを尻目に、わしはただひたすら、狂った様に孫策を目指して馬を駈けさせていったのである…
(同刻・孫策軍本営)
「全く… 奴等、とても正気の沙汰では無いな、周瑜」
「…ええ。全く蛮人か賊か、とても正規軍とは思えぬ程の無秩序な行軍ですな。ですが…」
「…ああ。全く、最悪の戦術だな」
所は孫策軍の本営・廬江城。其処では、若いながらも近隣に豪勇と智略を轟かせる国主と切れ者として名高い軍師が、共に張繍軍の様子を眺めやっていた。
無秩序極まるばらばらな突進、沼地に脚を取られ脱落していく将兵。彼等の目に映る光景は紛れも無くそんな張繍軍の醜態だったのだが… その表情は苦々しげであり、杳として冴える事は無かった。
両者とも敵軍が無様さと引き換えに得た物が何か、口にこそ出さねど理解せざるを得なかったからである。
「…殿、こうなっては…」
「ああ、止む得まいよ。敵が水上におらねば仕掛けも役に立たぬし、端から連携していなければ、それを崩して隙を突きようも無い! ふん。こうなれば奴の望み通りの消耗戦であろうが、真っ向から受けてやるまでだ!
…悪いな、公瑾。どうも俺の器量はここまでだったらしい」
そして、そう思わず自嘲の笑みを浮かべる孫策に対し、にやりと微笑みを返す周瑜。 …その笑みは、到底軍師が君主に向けるものではありえなかった。
「ふん、伯符。一人でさっさと亡国の君主を気取る気か? どうせ無茶はとうに承知な我等の野望だ、せいぜい最後まで足掻いてみようぜ!」
…かくして此処に両軍の、思惑と意地を秘めた乱戦の幕は上がった。
<建安九年・十月 〜中編〜>
「どけどけっ、雑魚はどけ! この錦馬超の行く手を阻む奴は一人残らず叩っ斬るぞ!」
「ええい、通すか青二才め! この黄蓋の陣、抜けるものなら抜いてみい!」
正面からがっぷりともみ合う、歴戦の猛将と累代の宿将が。
「敵の足場は悪いぞ! それっ、一気に突き崩せ!」
「邪魔立てするか、小僧!」
「ええい、これでも食らえ!」
二万の手勢を縦横に操って奮戦する若き軍師と、その軍を鋭く切り崩さんとする勇将達が。
「それ、押せ、押せ! あと一息で我等の勝ちだ、かかれ、かかれい!」
「…ええい、くそっ! 食らえ、食らえ、食らえっ!」
幽州から揚州まで、文字通り中華全土を疾駆してきた覇者が、一気に敵を押し潰さんと、その精鋭を挙げて城へと攻めかかる。 一方の若獅子は咆哮を上げ、自軍を取り囲む敵勢に対し矢玉の雨を降らせつつ、悪鬼の如き奮戦を示す。
それは、まさしく互いに返り血を浴び続ける消耗戦。だが地力において隔絶した差がある両者にとって、その損害は到底等価ではありえ無い。双方に死傷者が出る度、その戦力差はじわじわと広がらざるを得ず… 孫・黄・韓・周と、孫策軍の擁する将帥達の旗は、張繍軍の苛烈な猛攻の前に一つ、また一つと地に倒れていったのである。
そして…
「敵将孫策、我が張[合β]隊が見事召し捕ったぞ!」
…戦いは、終わった。
何度撃退され、どれほどの兵が地に伏したか。 到底数える気も起きぬ程の激闘の末、遂に城は陥ち… ここに血塗れの乱戦は、ようやくその幕を閉じたのである。
<建安九年・十月 〜後編〜>
戦いに敗れ、我が前へと引き出されてきた孫策。
奴はこの期に及んでも取り乱す事無く、ただ静かにわしを見つめるばかりであった。 …全く、噂に違わず、大した肝の据わりぶりだ。
董軍時代、長沙の孫堅の噂は良く耳にしたものだが… 息子の此奴も紛れも無く虎である様だ。
「張繍殿。噂に聞く覇者の戦い振り、しかと見せてもらったよ… 見事だな。
全く、これほど狂った戦も出来るとは… 天下の群雄を片っ端から薙ぎ倒しているだけの事はある」
「…それは痛み入るな、孫策殿。こちらもあの孫堅殿の息子の力量、嫌という程味合わせて頂いたよ。出来ればその力、我が軍に加えたい程にな」
そして、わしと孫策の会見は始まり、何とはなしに無駄であろうなという思いがあったものの、わしは奴に誘いをかけて見たのだが…
…全く、こういう予感は実に良く当たるものだ。
「悪いな。俺はどうにも、他人に膝を屈する事が出来ぬ性分でな。今は亡国の主として、俺の為に死んでいった多くの者達に死をもって詫びたいだけだ。
…代わりといっては何だが、寛大な処遇は俺の部下や一族にこそ頼みたい。 弟の権などは、俺よりもずっと器がでかい男だ。奴が生き残ってくれさえすれば、俺も後顧の憂い無く自侭が通せるというものだ…」
『国は失っても、誇りは失えぬ』。そんな揺るぎ無い決意を発する奴に、わしが果たして何が出来よう。 わしに出来たのは奴に静かに肯く事、それだけであり… 奴はそんなわしに深々と頭を下げると、自ら刑場へと進み、その露と消えたのである。
かくして江南で名を馳せし群雄孫家の滅亡を看取ったわしは、いつも通り捕虜達の引見へと移る。
「…これも乱世の常。かくなる上は我等も張繍様の覇業の為、微力を尽くさせて頂きます」
胸中には様々な想いがあろうが、そう静かに頭を垂れて臣従を誓った孫権・韓当等十七将を迎え入れ、
「過分な評価はありがたいが、どうにもそんな気にはなれぬ。 …好きにしてくれ」
色濃い疲労を漂わせつつも、断固投降を拒絶した周瑜・黄蓋・孫静等七将は、好きな様に身を処させるべく解き放つ事とした。
…さて、廬江を得、揚州を完全に平らげた事により、荊州への道は全て開いた。これで残るは…
<建安九年・十二月>
「さて、いよいよですな、軍師」
「…ああ、ついにな」
建安九年も終わり、間も無く十年の足音が聞こえてこようという年の瀬。
劉表との不戦の盟が年明け早々にも失効を迎えるという状況下、張繍軍きっての重鎮・賈[言羽]は、都より呼び寄せた属僚の一人法正から、様々な報告を受けていた。
劉表軍の防衛体制、各種工作の進行状況、糧秣の補給体制に別働隊の戦備、更には都の人士と宮廷の動静等等… 彼が軍師として、輔弼の臣として思案すべき事は幾らでもあったからである。
「ふむ、劉表戦については特に問題は無い様だな。既に殿の御決断も下っている故、後は実行あるのみか…」
「はい。 ところで軍師、例の内々の件についてなのですが…
殿の御気持ちが固まるまで、いま暫くは現状のままで宜しいのでしょうか?」
やがて一通りの報告を終えた後、心なし声を潜めつつ、直属の上司たる賈[言羽]に改めて何かの確認を求める法正。
それに対し賈[言羽]は一瞬目を閉じたものの… 直ぐ静かに、首を振った。
「…いや、そろそろ始めてもらって構わぬ。なにせ、到底一朝一夕にいく話でも無いからな。 拙速はならぬが… 準備の方は早いに越した事は無い」
「…はっ、承知致しました。では皆と図った上、慎重に進めさせて頂きます」
「さて、と」
かくして報告と打ち合わせを終え、一礼して退出する法正を見送った私は、ゆっくりと立ち上がった。
…越権行為である事は百も承知である。だがこの件については、私に躊躇いは殆ど無かった。 いずれは殿も董卓様の一件を振り切って御決断下さると思い、今迄先延ばしにして来た事ではあるが… やはりどの様な道であれ、方針だけはそろそろはっきりさせるべきであろう故に。
…もし私と殿の目指すものが違ったとしても、この一件の処理は別に大して難しい話では無い。 その時は功に奢った参謀の暴走という事で、私が責任を被れば良いだけの事に過ぎぬ。
いや、殿が「忠臣」の道を選ばれるのであれば、この一件はむしろ天下に忠節を示す、格好の材料になるやも知れぬ。
…そう、それだけの事なのだ。
「…さあ、命を拾った『段公の甥』として、私は成すべき事を成すとしようかな」
「名実の不一致は騒乱の苗床」。その思いに変わりは無い。 秩序が乱れし時、常に真っ先に割を喰わされてきた辺境の民の一人として、私は信じる道を進むのみである。
…しかしこういった時、何とも寒門というのは気楽で良いものだ。
たとえ何があろうと、持ち得ぬものに泥が塗られる心配などは無いのだから!
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