<弾正記・第一章>

 

< 天文二十四(1555)年・春 >

「まずは計画通り、か…」
 あの信貴山での会合から半月。無事に大和と勝龍寺城を奪取し、三十七万石余の所領を切り取って三好家からの独立を果たしたわしは、勝龍寺城にて次の策を練っていた。
 我が家と周囲の諸勢力との関係は、険悪かさもなくば無関係である。どのみち、外交にそうそう期待出来はしまい。遅かれ早かれ、戦う事は避け得ぬであろう。

「さて、まずは落ち目の管領家から叩くとするか…」
 わしは多聞城より藤賢を呼び寄せると共に、一路細川晴元の牙城・高槻へと全軍四千余を進めた。しかし晴元は戦いを避け尼崎へと引いていった為、わしはそのまま同城の包囲を開始する事にした。


(他国の当家に対する行動 注:以後は「他国」と略す)
●北畠軍二千余が大和に乱入、信貴山城の包囲を開始。


(天下の状勢 注:以後は「天下」と略す)
●木曽家が武田家に、高梨家が越後上杉家に降る。
●陶家臣吉見正頼、謀反を起こし自立するも毛利家に降る。
●富樫家・豊前宇都宮家滅亡。



< 天文二十四年・夏 >

「北畠勢による信貴山城の包囲も続いている様ですが、捨て置いてよろしいのですか?」
 所は高槻の包囲陣。本拠信貴山が攻められているという状況下、そう不安を漏らすものも少なからずいた。しかし、このわしが長年に渡って築いた城がそう易々と落ちるものとも思えぬ。そこでわしは、まずは管領家の半身を断つべく高槻城の包囲に専念し、これを落城させた。
 さて、次は苔の生えた国司殿に御退場願うとしようか…


(天下)
●沼田家・赤松家・古河公方家滅亡。



< 弘治元年・秋 >

 高槻城を失った管領家は、俸禄不足により大混乱に陥っている様である。今は反撃してくる余力もあるまい。
 そこて後事を藤賢に委ねたわしは、直率する四千の兵で遂に信貴山城救援の軍を発したのである。

 おりしも大和は雨模様であり、わしの接近を知り急遽包囲を解き布陣した北畠勢も、その姿を雨中に隠していた。
 しかし、当然ながら大和はこのわしの庭の様な地である。敵が如何に知恵を絞ろうとも、所詮はわしの予想の内でしかなかった。
「国司殿、身の程をわきまえぬ野心は身の破滅の元ぞ!」
 わしの嘲笑が聞こえたか聞こえぬか、我が急襲の前に敵の大将北畠晴具はその骸を虚しく陣前にさらし、同勢は雪崩を討って伊勢へと壊走していった。


 なお、この時既に同家本拠・安濃津は、留守を衝いた長野家の包囲下にあったが為、逃げ去った敵将達も結局悉く落ち武者狩りにかかりあい果てたという。
 これが名門・北畠家の、あまりにもあっけなくも哀れな最期であった。


(天下)
●有馬家が龍造寺に、水野家が今川家に降る。
●菱刈家・水野家滅亡。



< 弘治元年・冬 >

「管領家は結局混乱を収拾出来ず、本願寺に屈服してその余命を保つ有り様なり」
「信貴山での合戦に刺激を受けたか、三好本隊の先鋒が堺に上陸」
 激戦の末に本拠を救ったわしの下に、そんな乱破どもの報告が次々と入って来る。…特に後者は捨て置く訳にはいかぬ。

「本隊が来る前に、少しでも叩いておかねばな…」
 わしは自軍を立て直すと、引き続き四千の兵をもって、三好勢の要衝たる泉州・堺へと進撃を開始した。
 敵将は名うての戦上手・三好義賢であったが、二千に満たぬ兵では我が軍の進撃を支えるすべも無く敗走。
わしは奴を追い、堺の包囲を開始した。


(天下)
●神保家が椎名家に降る。
●織田(信広)家・安芸家・神保家・小田家滅亡。

 

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