<弾正記・第十二章>

 

< 永禄十(1567)年・春 >

「皆、集まったの…」
 二条城・大広間。そこには我が松永家の諸将が勢揃いしていた。

「皆も聞き及んでいるとは思うがの。三条公の訴えし今川家による御料所横領、最早疑う余地も無いわ…」
 そこでわしは一旦言葉を切り、ぐるっと座を見回す。
 驚愕する顔・動揺する顔・高揚する顔、そしてにこにこする顔… 様々な表情がわしを見つめていた。

「当家は、最早昔日の一大名では無い。日の本一の大名として、天下の仕置きをも司るべき大名家である。その 当家が、この様な非理を見過ごす訳には参らぬ! 例え相手が我が盟友であろうとも、いやだからこそ余計に当家は、断固たる態度でかかる非道を処断せねばならぬのだ! …今川を討つ!」
 わしはゆっくりと立ち上がると、矢継ぎ早に命令を下した。

「藤賢は一万二千の兵を率い、延暦寺を制圧し王城の安寧を確保せよ!」
「久通は同じく一万二千の兵をもって長浜を攻略し、近江を平定すべし!」
「親興は二万三千の兵をもって大垣へ赴き、美濃への足掛かりを確保せよ!」
「そしてわしは一万七千の兵をもって那古屋を攻め、東海への道を開く! ものども、抜かるでないぞ!」
 わしの命を受け、返事と共に勢いよく立ち上がる諸将。座のどよめきは次第に激しさを増してゆく。


「なお、あらためて皆に告げておく!」
 そしてわしは、場のざわめきを圧するかの様に言を継ぐ。
「此度の様な非理が平然と罷り通るは、一にこの乱世が原因である事は言を待たぬ! よってこの戦は、ひとり今川征伐に終わるものではありえぬ。
そう、同家と共に北条・上杉といった御政道を乱す輩全てを一掃する、天下の大掃除じゃ!
皆、励め! 大義は当家にあるわ!」
「「エイエイオー! エイエイオー! エイエイオー!」」
 そしてそんなわしの激に応える様に、諸将唱和による掛け声は、地を圧するかの如き勢いをもって大広間を包み込んだ。


 いよいよ、天下一統への大戦の始りである。 兵を挙げてより十三年、わしの心もこれまでに無い高ぶりを感じずにはいられなかった…



< 永禄十年・秋 >

 当家の電撃的侵攻から始った今川征伐は、今の所順調に推移していた。
 数箇所より一斉に攻勢をかける我が軍に対し、今川勢も必死の防戦を試みつつ局地的には反撃にすら出てもいたのだが、北条家と激しく対立している現状では戦力の集中も思うに任せず、結果としては各隊が虚しく各個撃破され、あたら葛山氏元・朝比奈泰朝ら宿将と多数の兵を失うばかりに終わっていたのである。


「所詮は雪斎あっての大今川、という事か。 まさかこうも脆いとはの…」
 予想を遥かに越える快進撃の中、わしはかつて一度だけ顔を合わせた事のある、数年前に世を去った黒衣の怪僧の事を懐かしい様な妙な気分で思い起こしていた。



 既に近江は陥落し、美濃・尾張も半ばが失陥。わしが義元殿と濃州・兼山にて再会を果たす事になったのは、そんな情勢のある日であった。
「ほう、敵勢は二万一千か、万を超える数の迎撃は初めてじゃの。ふむ、それにその旗印… 遂に義元殿本隊のお出ましか!」 
わしは大物見の報告を受け、直率する三万四千の兵の足をいささか早めた。


「これはこれは義元殿、まさかこの様な形で再会致す事になるとは… まさに乱世の習いとは申せこの久秀、口惜しゅうてなりませぬぞ。
ですがこれも天下の為、道理の為。ご容赦召されよ…」
 あの同盟締結時より九年ぶりの邂逅に、わしは思わず陣頭にてそう語りかけていた。
 しかしそんなわしの衷心からの言葉も、義元殿の心には届かなかった様である。

「この痴れ者めが! …だが思えば、貴様如きに誑かされたわしも愚かであったわ。
こうなれば貴様の素っ首を叩き落とし、天下の害を除いてくれようぞ!」
 そして怒りも露にそう言い放ち、全軍に突撃の下知を下す義元殿。

「ふふふ、流石に劣勢時の戦ぶりまでは、禅師に教えてもらえなかった様じゃの。
皆、焦るでない! 十分に敵を引き付けつつ迎え撃ち、幾多の激戦を勝ち抜いてきた当家の力を、名門の御曹司殿に骨の髄まで味合わせてやるが良いわ!」
「御意!」
「腕がなりますな…」
 直正が、清綱が、にっこりと微笑む。そしてそんな我が方の様子をを知ってか知らずか、今川勢は勇壮に次々と、喚声を揚げつつ我が陣へと斬り込んで来たのであった…



 …朝比奈信置・羽柴秀吉の両将の首と万に迫る屍。
 それが最初の大規模な衝突における、義元殿の置き土産であった。




< 永禄十年・冬 >

 今川治部大輔義元、四十九歳を一期に逝去。そんな急報がわしの元に届いたのは、兼山の戦が終わってまもなくの事であった。
「既に嫡子・氏真殿は身罷られておりますので、御舎弟・氏豊殿が跡目を継がれるとの事です」
 そんな藤賢の報を受け、わしは突然の悲報に顔を崩さずにはいられなかった。

「うむ、先日あれ程御元気だったものを… 何か余程の心労でも重なられたのであろう、 御気の毒な事よ」
「おそらく心中では、御料所横領を恐懼なされていたのでは無いでしょうか。 …痛ましい事ですな」
「うむ。 かくなる上はこの天下に再び秩序を取り戻す事こそ、義元殿に対する何よりの供養であろう… 引き続き  征伐を推し進めねばな!」
「御意!」


 かくして、新たなる決意を胸に戦は続く。
 冬を迎えても当家の進撃は止まる事無く、中部方面では遂にわしの軍が信濃・高遠に達し、東海方面では榊原康政・山本勘助等の敵勢九千が鳴海にて壊滅を遂げた。

 …今川家崩壊への道は、何に影響を受ける事も無く進捗し続けていた。

 

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