<弾正記・第十四章>

 

< 元亀元(1570)年・春 >

 わしの右大臣就任、そして改元。新しき世は、徐々に天下の既成事実となりゆく様である。しかしこの日の本にそれを認めぬものがおる間は、わしの戦が終わる事は無い。
 かくしてわしはこの初春を、上州・箕輪の地にて迎える事となったのである。


「おお、盛氏殿か。どうじゃ? 降伏した身代が十倍になって戻ってきた心持ちはの?」
 そしてわしの率いる四万の軍を迎え撃つは、新生葦名家の当主・盛氏殿と一万五千余の敵勢であった…

「さて、如何なものやら… 今久秀殿を討ち取れれば、紛れも無く晴れがましい気分になるは間違いござらぬが」
 やや苦笑気に、盛氏殿は口元を歪めて応える。
「左様か、ならば存分にお相手致す。好きな気分になられるが宜しかろうて…」
 わしは、かくして今日も全軍に突撃の号令を下す。


「六百万石、か。やはり人を野望に狂わすには十分な身代であるようじゃの。
しかし今の情勢で一年後には如何ほど残るか、それを少しは考えてみても良かろうにの…」
 戦が終わり、直正・清綱等が挙げし盛氏・盛興親子の首を実験しつつ、わしはついぞそんな事を考えた。


 かくして「大国・葦名」の幻影は半年余りの短い寿命を終え、ここ箕輪の地にて終焉を迎えたのであった。


(天下)
●葦名盛氏討死。重臣猪苗代盛国跡を襲い、猪苗代家となる。



< 元亀元年・冬 >

 …当家の快進撃が各地で続く中、一人の重臣がひっそりとこの世を去った。
 幕府最後の管領にして、晴元の元から当家に馳せ参じてより、十五年来各地でわしと苦楽を共にしてきた功臣・細川氏綱である…


「そうか、見取って参ったか…」
「御意」
 いつに無く無表情で、言葉少なに藤賢が答える。
「わしが見舞うた時は、細川一門の行く末について随分と頼まれたがのう。そなたには他に何ぞ申しておった
か…?」
「はっ。…最期に兄上は、殿に感謝の言葉を申しておりました」
「感謝…か」
 ふと、わしの脳裏に最後に見た氏綱の顔がよぎる。
「はっ。『傀儡の管領職と晴元めの手下に甘んじてきたわしにとって、殿に御仕えした十五年のみが真の我が人生であった』と。それが、兄上の言葉でございました…」
「そうか… 氏綱め、早く死に過ぎおったの」

 らしくもなくしんみりとした空気がわしらを包む。
 そしてそんな雰囲気を吹き飛ばしたのは、やはり藤賢であった。

「御意。…しかしこの藤賢、これでますます簡単には死ねなくなりましたぞ!」
「…うむ?」
「兄上の分まで、この世を楽しまねばならなくなりましたからな!」
 そうにっこり笑う姿は、少なくとも見た目にはいつもの藤賢であった。



 わしは氏綱を手厚く葬るべく手配をすると共に、藤孝を新たに軍団長へと抜擢する事にした。
 それが一足先に世を去りし功臣に対し、今のわしが出来るせめてもの手向けであった…



< 元亀二(1571)年・春 >

 北条が葦名に、葦名が猪苗代に変わろうとも、崩れ去った均衡は最早元に戻るべくも無い。既に当家の戦いは、段々と掃討戦の様相を呈しつつあった。


「小田原も先日遂に開城致しましたし、越後・武蔵の平定も間もなくでございましょう」
 そう報告する藤賢は、何故かいささか憂鬱そうですらある。
「…そう言えば、今川勢は相変わらずか?」
「御意。さすがにあれでは親興殿も、いやさ殿でも討ち取れますまいて…」


 (猪苗代家の属国である)今川家当主・氏豊。 奴は以前とは異なりその姿こそ常に最前線に見せる様にはなったが、大抵は当家の軍影を見ると疾風の如く撤退して行く上、まれに野戦に応じても、旗下が一部隊でも崩れると簡単に戦意を喪失し逃げ去る等、害こそ無いものの、今や鬱陶しき事この上無い存在にとなっていたのであった。


「まあ敵将が惰弱な事は結構ではあるのだが、の。
  しかし逃げ続けた所で領土が削られるのみで、たいした益なぞ無かろうに…」
「…既に東国では‘今日も逃げたか今川屋形’‘疾風の氏豊’と囃し歌にまでなっておるそうですからな。さて…」
 かくして妙な事に頭を悩ますわしらの元に沼田からの早馬がもたらされたのは、それから間もなくの事であった。



「藤賢… 沼田にて義清が猪苗代盛国の首を挙げたそうじゃ」
 早馬は先日軍団長に抜擢した村上義清からのものであり、沼田城攻略と敵当主の首級を挙げた、という勝報を告げるものであった。

「さすがは義清殿、見事な手並みですな!
…しかし、よく考えてみれば盛国を討ち取った、という事は…」
「奴には世継ぎはおらぬ。まあ、順当に言えば後継者は重臣… つまりは氏豊という事になるかの」
 わしの言葉を聞くや、藤賢は珍しくも溜息をつく。 そして気を取り直すと、やや自棄気味にいい放った。

「まあ良いではありませぬか、殿! 奴の全ての城を奪い取るまで、童遊びに付き合ってやるのも一興、一興…」



< 元亀二年・秋 >

 当家の進撃が遂に出羽・下野に達する中、意外な人物が我が元に馳せ参じて来ていた。
 今川家の重臣・高坂昌信その人である。


「しかしの、この期に及んでそなたが寝返ってくるとは思わなんだぞ…」
 わしの言葉に動じる様子も無く、昌信は淡々と思いの丈を述べる。
「御疑いは御尤も。 しかしこの昌信、御家滅亡の後敢えて義元公に降りしは、武士として生きんが為。 断じて、あのような連歌狂いに殉じる為に節を曲げた訳ではございませぬ!
何とぞ、拙者に武士として生きる事が叶う場を与えて下さいますよう…」
 そう真摯に語る昌信を見ては、わしはそれ以上謀略の余地を疑う理由を持たなかった。 まあ、奴が今更そんな手立てを弄するとも思えんがの。

 それに、わしも謀略に関する嗅覚には自負がある。少なくとも、奴の素人臭い手口に引っ掛けられる様な覚えは微塵も無い。
 何かに堪えるかの様にじっと動かぬ昌信に、わしはそっと声を掛けた。


「良かろう。そちの身は義清に預ける故、思う存分武功を挙げるが良いわ。
…昌信よ、‘弾正’の名に恥じぬ活躍を期待しておるぞ!」
「……御意!」

 かくして天下統一を目前に新たなる名将がまた一人、当家に加わったのである。



< 元亀三(1572)年・秋 〜天下布武〜 >

 数多の群雄が覇を競いし戦乱の世。しかるにその戦乱の幕が遂に、松永久秀の手によって音も無くゆっくりと引かれようとしていた。



「ようやく、追いつめたの」
「長い道程でしたなあ」
 わしの嘆息に藤賢がにっこりと応じる。

 元亀三年秋。各地で掃討されつつある今川勢は、最早房総の一部と東北にその余燼を残すのみであり、中でも当主氏豊以下面だったものは全て、ここ陸奥白石へと追いつめられていた。
 そして文字通りの最後の戦いに参ずるべく、当家の誇る九軍団・十六万にも及ぶ大軍も、大方がこの地へと集結していたのである。


「今川勢の動きはどうじゃ?」
「全く討って出る気配はありませぬ様で。総勢九千、貝の様に閉じこもっております」
「…降伏は断固拒否するが、だからといって何等手を打つで無く、無為に最期を迎えようというのか。 まあ、奴らしいと言えばらしいがのう」
「いえ、何もしていないという訳では無い様ですな。城より逃げて来た者の話によれば、氏豊自ら音頭を取って、戦勝祈願の百万連歌を行っているとか」
「…ほう。まあ、首尾一貫していると言えば言えるのう。この期に及んでも所思を曲げぬとは、ある意味たいしたも のよ…」
「御意…」

 まあ、今更彼奴の阿呆ぶりに感心しておっても始らぬ。わしは全ての決着をつけるべく、全軍に対し総攻撃の下知を下した。
「さあ行けい、ものども! 天下の一統は最早目の前ぞ!」



 そして短いが激しい攻防戦の末、白石城はあっけなくその最期の時を迎えた。
 天高く炎を吹き上げる本丸の中、氏豊は連歌を詠ずる声と共に消えゆき、残る城兵・部将達は次々と城を脱出し我が軍門に降った。
 …ここに、応仁の乱より百年以上にも渡りこの日の本を覆った戦乱は、遂にその終焉を迎えたのであった。


「全ての終わりか、それとも始まりか。はたまた只の一時の夢か。
ふふふ、わしはこの天下を一体どの様に御していったものかの…」
 天をも焦がすかの様な炎を見つめながら、わしはにやりと笑みを浮かべていた。

 

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