<弾正記・最終章>

 

< 最終章 〜 元亀四(1573)年・春 〜 >

 今川家滅亡より数ヶ月。天下を制し京に凱旋を果たした久秀は、文月に行われる改元及び自らの左大臣叙任に合わせ、二条城にて今後の統治体制を決する大評定を開催する旨を天下に宣していた。
 そして「新たなる世」とは如何なる世か、を巡り世情が一段と喧しくなる中、久秀は信貴山城本丸・茶室にて腹心の藤賢と茶を楽しんでいた。



「房総の諸城も無事降り、遂に完全な天下統一が成りましたな、殿…」
「うむ、ようやくの事戦も終わりよ。全く兵を挙げてよりこの方、気を抜く暇も無かったの…」
「しかし、楽しゅうござりましたなあ」
「…まあ、の」
 心より嬉しそうな藤賢に苦笑を返すと、わしは奴に茶を進める。


「しかし、殿。 今後の政、如何されるおつもりですかな?」
 やや表情を改め、藤賢がわしにそう問いかけてくる。
「さあてのう。決めておると言えばそうも言えるが、決めておらぬと言えば言えぬ事もない、まあその程度のものよ。…思えばわしは、今迄只ひたすらに‘進む’事のみ考えてきたからのう。正直、現状に戸惑わぬでもないわ」
 別に奴に飾る必要も無いので、わしはそう正直な所を述べてみる。

「ほう。では誠に言葉通りの大評定、でございますかな?」
「いやさ、大評定自体は当家の者共に一体感を持たさんが為の方策よ。なにせ、殆ど皆が外様の様なものじゃか らの。
大評定はあくまで大評定、政の思案は別儀よ… まあ無論、良き案が出ればそれを取りいれるにやぶさかでは無いがの」


 どんな形を取るにせよ、わしが政の主導権を握る体制を築く事に変わりは無い。
 その点を押さえつつ、いかにうまく政権を作り上げていくか… 悩みは尽きぬ。
「成る程… そういえば、既に結構な数の具申がなされておるとか?」
「まあ、の。将軍職を得て幕府を開くとか、天下の総管領ないしは摂関の様な立場で政を執り行うとか、皆々しつこく売り込んでくる事よ」
「ははあ、それはまた…」

 最早かくれ無き天下人となったわしには、坊主・貴族・浪人・商人等様々な者が、これまで以上にしきりに目通りを願う様になっていた。
 そしてその者達は往々にして、色々な土産や提案をわしの元にもたらしていた。


「わしの家系の‘調べ’も随分行われておる様じゃぞ。 源三位の末裔じゃとか、八幡太郎の十五世とか、の。報告 では他にも確か藤橘の類も有ったかのう。
…まあ皆意見と共に、随分熱心に我が先祖を‘探索’しておるようじゃ」
「ははあ。…そういえば、仏典や古文書を漁っているものもいるとか?」
「うむ。乱世を治めたわしは只の人では無く、何か神仏の化身に相違無い、という事での。まあその上で主上より 姓と天下統治の任を給う、とかいう案らしいが、既にその典拠を‘発見’してわしの所に持って来た者もおるわ」
 わしはいささかうんざりとした気分で藤賢に話を続けたが、奴は逆にこれ以上無い程愉快そうに笑っていた。

「くっくっく。…いやはや、まるで武則天にでもなられた様ですなあ、殿」
「笑い事ではないわ。…まあ統治さえ円滑に進むのならば、わしの肩書きが将軍だろうが関白だろうが、たいした 問題では無いがの」
「ふむ、成る程… では皇帝でも法主でもようございますかな?」
「じゃから茶化すでないわ、藤賢。そんなに乱世が恋しいか?
…しかし形式とは面倒なものよ。統治には便利じゃが、やはり鬱陶しく思う事もあるわ…」


 どうにも滅入ってきたわしは、ふと窓辺より空を見上げてみる。そこには他所でも度々見た筈の、抜けるような青空が広がっていた。しかし…
「いやはや、天下は広うございますが、やはりここより見る空が一番美しゅうございますなあ」
 わしに合わせるかの様に空を見上げ、さりげにわしが言おうとした言葉を横取りした藤賢に、わしは思わず苦笑する。そしてその苦笑が呼び水となったか、ふいに思い出した事があった。


「のう、藤賢?」
「は?」
「もう随分前の事であったがの、そちは以前この空を見て謀反日和と申したの。
ならば今のこの空、そちにはどんな日和に見えるのじゃ?」
「ははあ。この日和でございますか…」
 藤賢は暫し呆けた様に空を見つめると、わしに顔を向け、にっこりと微笑んだ。

「申すまでもなき事。今日の日和も、日の本一の梟雄日和でございますぞ!」



〜 完 〜

 

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