<弾正記・第二章>

 

< 弘治二(1556)年・春 >

 わしは一旦堺の包囲を解き、信貴山城に兵を引いた。兵の補充と共に、藤賢との合流を図る為である。
 そして奴が思わぬ朗報を携えにこやかに参着したのは、それからまもなくの事であった。

「殿。我が兄が、殿と共に修羅の道を歩むべく馳せ参じてくれましたぞ!」
 そう言って奴がわしに引き合わせたのは、管領家の一門・細川氏綱であった。
「どうぞ、よしなに…」
 我が前に進み出て、そう言って頭を垂れる氏綱。
 どうも晴元との間で相当な確執があった様であり、わしは喜んで氏綱とその配下四百を当家に迎え入れる事にした。


 かくして戦備を整えたわしは、再び堺へ向けて進撃を開始した。
 再び久米田にてわしを迎え撃つ三好勢。その軍は当主長慶を大将とし、当然主力、の筈であった。
 しかし四国での消耗故か、我が軍六千余に対する敵勢は、僅か二千余に過ぎなかった…
 そこでわしは、まずは無益な戦いを避くべく、旧主に呼びかけてみる事にしたのである。

「長慶殿、ここは御退きなされよ! わしなどを相手にされるより、本貫の地を荒らす宇喜多めを討たれた方がよろしかろうぞ!」
 …一瞬の沈黙の後、返って来たのは紛れも無い怒声であった。

「久秀、この謀反人めが! 我が恩を忘れたばかりか、よくもぬけぬけとその様な世迷言を! 心配せずとも貴様の素っ首を叩き落とした後でそうしてやるわ!」
 そして、そのまま全軍に突撃を命じる長慶殿。

「やれやれ、変わらぬ御人よ…」
 わしは突出して来た敵本隊を藤賢・氏綱隊と包み込むように迎え討つと、一気に勝負をかけた。


「殿、わしを世に出してくれた恩については忘れませぬぞ…」
 遠くで三好勢の退き鐘と我が軍の歓声が聞こえる中、届けられた旧主の首に対し、わしはそう手向けの言葉をかけた。
 梟雄たるわしが、それ以上の言葉を発せられる筈もあるまい…


(天下)
●椎名家、越後上杉家に降る。
●波多野晴通討死、同宗高が後を継ぐ。
●三好長慶討死、十河一存が後を継ぎ十河家となる。



< 弘治二年・夏 >

 わしは堺の包囲を続け、遂にこれを落とした。これで十河家を近畿から完全に追い落とすと共に、遂に我が家も港と水軍を手にした事になる。
 とりあえず今は水軍を整備する資金などあろう筈も無く、四国侵攻など論外である。だが疲弊した十河家にも当面大軍を動かす力はあるまい。
 さて、いまのうちに次の手を考えねば…


( 天下 )
●扇谷上杉家、越後上杉家に降る。
●扇谷上杉家・佐野家滅亡。



< 弘治二年・秋 >

 この度、朝廷が正式にわしを大和守に叙任するとの内意が伝わってきた。またそれを賀すかの様に、伊丹親興が当家に仕官をしてきた。実に結構な事だ。
 とりあえず目の上の瘤どもを除去したわしは、堺にて藤賢と今後の策を協議する事にした。

「坊主どもや畠山家は、どうも積極的に外へ動く気は無い様だな。当面は放っておいても害はなかろうて」
「御意。 と致しますと、我が家にちょっかいを掛け兼ねぬのは十河・長野そして御所様…
そうそう、そういえば何でも御所様が殿に刺客を放たれたとかいう噂がありましたなあ」
「ふむ… いや真ならば御所様も情けなや。 おそらくは伊勢等の如き奸臣の讒言に惑わされたのであろうが、軽々しく刺客を放たれるとは…」
「ほう、やはり貞孝めですかな。…してそうなれば、刺客どもはいつ頃仕掛けて来るのが適当でありましょうや?」
「…うむ、勅使御下向の日あたりが危ういわ」
「…成る程。 ああ、そう言えば勅使殿は貞孝めとは旧知の間柄でしたな。もし奴の手紙でも見つかれば、真偽の程も明らかになりましょうなあ」
「うむ。その様な凶事が起こらぬに越した事は無いが、いざと言う時にはその方に御所様の君側の奸を除いてもらわねばなるまいて…」



 「久秀刺客に襲わる。からくも難を逃れしも、黒幕は将軍家と伊勢貞孝」、そんな噂が京雀の口を賑わすと共に、藤賢率いる二千余の軍が二条城に迫ったのは、それからまもなくの事であった。
 「御所様御討死!」最終的にそんな結末を迎えたこの事件の真相は、歴史の闇の中である…


(天下)
●小野寺家、伊達家に降る。
●陶家滅亡。
●足利義輝討死、後藤賢豊が後を襲い、後藤家となる。



< 弘治二年・冬 >

「奸臣どもは討ち果たしたが、御所様まで儚くなってしまう事になるとは…
無念じゃな」
 燃え上がる二条城をみつめながら、わしはそう呟いた。まあ「真相」は新たに当家に出仕した京極高吉が語ってくれようし、 今はただ光源院様の御冥福をお祈りする事がわしの役目というものであろう。

 …さて、とりあえずは伊勢・安濃津の攻略に向わせた藤賢からの朗報を待つとしようか。


(天下)
●麻生家が毛利家に、後藤家が六角家に降る。
●後藤家・相良家・浦上家・河野(海岸)家・織田(信長)家・阿蘇家滅亡。

 

弘治三年へ


戻る