<弾正記・第四章>

 

< 永禄元(1558)年・春 >

 元号も改まった事であり、本年も今後に備えて天下の大勢力を確認しておく。
 北条(119)・今川(163)・武田(73)・上杉(114)・朝倉(86)・三村(75)・宇喜多(52)・毛利(101)・大友(77)・島津(77)、そしてわしの松永家(75)…

 顔ぶれはあまり変わらぬが、特に北条・今川の伸長ぶりが著しい様だ。 特に今川については、位置的に見てそう遠くない内に和戦いずれかの選択を迫られる事は間違い無かろう。さて…


 とりあえずわしはあえて信貴山城の救援を後回しにし、引き続き長光寺城攻略に力を注ぐ事にする。
「六角義賢殿は機を見るに敏であろうて」
 それが、訝る家臣に対するわしの答であった。


(天下)
●蘆田家が朝倉家に、一色家が三村家に降る。
●三村元親討死し、重臣武田高信が後を襲い武田家となる。
●阿蘇家・徳川家・最上家滅亡。



< 永禄元年・夏 >

 わしは手勢四千を引き連れ、急ぎ信貴山城へと向う。 わしの予想通り六角家に留守を衝かれて桑名城を奪い取られた長野勢は、身代不足の為にその兵四千を二千八百まで低下させた、との報がもたらされた為である。
 そして半年以上に渡る攻囲に疲れ果て、本貫の桑名喪失により士気も低下していた敵軍は、数刻の交戦の末に算を乱して敗走していった。

「藤定殿、貴殿に国司殿の御加護があらん事を…」
 わしは追撃を手控え、落ち行く藤定殿をそっと見送った。


 …なお六角家に居城を包囲されていたが為、彼も国司殿と軌を同じうした最期を迎えた、との報を耳にしたのは、それからまもなくの事であった。


(天下)
●龍造寺隆信討死し、傘下有馬義貞が後を襲い有馬家となる。
●宇都宮家滅亡。



< 永禄元年・冬 >

 わしは秋口より開始した伊勢侵攻を本格化させ、安濃津・桑名を相次いで包囲下に置いた。 わしの為に長野家を滅ぼしてくれた義賢殿の志を無下にするのも心苦しいものである。 せっかくの馳走をば遠慮無く頂戴する事にしよう。

 また先年興ったばかりの堀江家が、旧主朝倉家によって滅ぼされたとの報も入って来る。
 一時的ながら朝倉領を東西に分断し、その勢力拡大を足踏みさせてくれた事には多いに感謝すべきであろう。 いずれ機会があれば、墓の一つも築いてやるのも悪くないやも知れぬて。


(他国)
●六角軍、長光寺城を包囲。


(天下)
●葦名家が北条家に降る。
●河野(通存)家・麻生家滅亡。

 

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