<弾正記・第五章>

 

< 永禄二(1559)年・春 >

 兵を挙げてよりはや四年、遂に当家も100万石の大台を突破した。しかしながら東西で北条・今川・毛利といった超大国が勃興している現在、とうてい安穏とした気分になれるものではない。

 奴等の猛烈な勢力拡大に比べれば、当家の歩みなど遅々たるものかも知れぬ。
 だがそれでも勝ち残りを目指す為には、足を止めずひたすらに隣国を飲み込み続けねばならぬのだ。 そう、まさにうわばみの如く。


 …ともかく、まずは六角を屠る事に全力を傾けん。
 桑名を落とし、長光寺を救い、藤賢軍と連携しつつさらにわしは義賢を追撃して、東へ東へと兵を進めて行く。


(天下)
●宇喜多家重臣垣屋続成、謀反を起こし自立するも毛利に降る。
●小野寺家が安東家に降る。
●松浦家滅亡。



< 永禄二年・夏 >

 この夏、わしは単身当家の命運を賭けた交渉に当っていた。
「…左様。確かに貴国に比べれば、わしなど所詮は出来星の成り上がり者に過ぎぬやも知れませぬ」
 わしは今川家当主・義元殿に真っ向から相対すると、さらに言葉を継いだ。
「もしこの久秀を只の鼠と思し召すならそれも結構。上洛なり伊勢を窺うなり、御心のままになされよ。
しかしいざとならば、わしは我が全知を振り絞って貴国に仇なす所存。 たとえかなわぬとて、貴国の家運に陰りをもたらさずにはおりませぬぞ…」

 わしは淡々と、しかしながら全霊を込めて、事実と自負を武器としつつ義元殿を説き続けた。
 今川は確かに当家を圧する超大国ではあるが、斎藤・武田・上杉等との確執を抱えている今ならば同盟に応じよう、その読みがわしを支えていたからである。
「…解り申した。美濃・尾張を境とし、両家不戦の盟を結び申そう」
 暫しの沈思の上、遂に義元殿は肯き、かくしてわしは当面の東方国境の安泰を勝ち取る事に成功したのである。


 そしてわしは義元殿と起請文を交わすと、休む暇も無く伊勢にとって返し、長島へと兵を進めた。 今度こそ後顧の憂い無く、義賢殿との決着をつけんが為である。
 わしの率いるは四千二百、そして六角勢も四千二百。数では全くの互角。 いざ、心置きなく武略と天運を競ってくれよう。

「それ! 敵勢を引き付けつつ、先手を取るのだ。抜かるなよ!」
 一路わしの本陣を目指し進んでくる敵勢を前に、わしの心はらしくも無く高ぶり続けていた…



 それから数刻後、長島での血みどろの激戦は多くの ー我が軍二千四百・敵勢四千という多くのー 兵の血を啜りながら、ここに集結した。
 …最後に笑いしは、やはりこのわしであった。


 そして敵勢を掃討しつつ長島包囲の体勢を整えるわしに、藤賢からも観音寺城包囲開始との早馬がもたらされた。 鎌倉以来の名門の終焉まであと一歩、あと一息である…


(天下)
●千葉家が北条家に、伊予宇都宮家が大友家に降る。
●椎名家・筑紫家滅亡。
●大友宗麟討死。重臣立花道雪が後を襲い、立花家となる。



< 永禄二年・秋 >

 燃え上がる長島城において、義賢は自刃して果てた。
 足掛け二年半に渡った六角家との抗争は、かくしてわしの完全勝利によって幕を下ろす事に成ったのである。
 また、これによって当家は大和・和泉・山城・伊勢、そして近江半国と摂津の一部を領する事となり、名実ともに近畿最大の雄になったと言えよう。
 そして朝廷も、そんなわしの威勢を追認するかの様に新たな官位を送り届けて来ていた。

「松永侍従か… どうも似合わん気がするのう」
 まあ官位など、所詮はどうでも良い事だ。 わしにとっては所詮、利用出来るものの一つに過ぎぬのだから。


(天下)
●有馬家が毛利家に、一条家が立花家に降る。
●一色家・三木家滅亡。
●十河一存討死。三好義賢が後を継ぎ、三好家に戻る。



< 永禄二年・冬 >

 松永侍従、そんな新しい官位に慣れぬ暇も無く、また新たなる官位が朝廷よりわしに遣わされた。
「松永大膳大夫久秀。うむ、良いではありませぬか! やはり侍従等よりこちらの方が余程梟雄らしくて殿に相応しゅうござる!」
 藤賢もそう事の他喜んでいた。 まあわしは奴の様な喜び方をするつもりはないが、確かにまだこちらの方がしっくりこよう。


 六角家亡き今、次の獲物は北近江の浅井家。そんな思惑の元に兵を観音寺に集結させていたわしであったが、当の浅井が突如今川の傘下になった事により、すっかり水を差された形になってしまった。

 だがそんなおりしも、またも朝倉家にて謀反発生の報が入る。 今度は重臣・真柄直隆が自立したあげくに宇喜多家に降ったとの事である。
 …どうやら、次の獲物は考えるまでも無い様である。


(天下)
●一条家滅亡。

 

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