<弾正記・第八章>

 

< 永禄六(1563)年・春 〜前編〜 >

「大大名と呼べる家も随分少なくなったの」
 乱破どもの報を見ながら、わしはらしくも無い感慨にふける。
 最早百万石を越える大国と言えば、北条(543)・今川(321)・朝倉(113)・毛利(400)、そして我が松永(230)家のみである。
 当家がこの日の本の五強に入っているのは勿論悪い気分では無い。しかし…

「毛利の総勢四万九千四百余… そしてわしの兵が二万四千余か…」
 大方予想はしていたものの、あらためて具体的な数字を突きつけられると、やはり危機を感じずにはいられぬ兵力差である。
 今戦った所で勝機はあるのか。 戦を避けるには非常の策もやむを得ぬであろうか…

「父上、お休みの所申し訳ございません」
 不意の呼び声が、もの思いにふけるわしの意識を呼び戻した。

「久通か、何用じゃ!」
「毛利家よりの使者でございます。 …当家と新たなる関係を築くべく、元就殿の書簡を持参したとか」
「ほう、 新たなる関係のう…」
 ふと気づくと、わしはにやりと笑みを浮かべていた。 そして先ほどまでの不安は、何故かまやかしの様に奇麗に消え失せていた。
「(ふっ、わしとした事が埒も無い。このわしがわし以外になれる筈があろうか? 一体何を悩む事があろう…)」
 わしは立ち上がると、ゆっくりと使者の待つ大広間へ向かった。



「御使者殿、遠路大儀であった。 して、人質は持参致されたのかの?」
 座につくやいなや、使者が口上を述べる間もなく、わしはそう問いを発した。
「は!? 人質、人質ですと!」
 あまりに意外な問い故か、使者は一瞬阿呆の様な表情を浮かべた。そして僅かな自失が過ぎると、瞬く間にその顔を朱に染めていった。
「お、御戯れも程々になされよ! それは当方の言葉でござるぞ!」
「ほう、安芸では降伏を受ける側が質を出されるのか? あいにく都の流儀は逆でござってのう…」

「…つまりは久秀殿、降伏される御積もりはさらさら無いと言う事で宜しいのですかな?」
 怒りを押さえるが如く努めて淡々と喋る使者に対し、わしは笑みを絶やさずに返答を続けた。
「なんと! 御使者の趣は降伏の申し入れでは無く、勧告であられたのか…」
 そしてわしは一転沈痛な表情を作り、言葉を繋ぐ。
「御使者殿、元就殿によろしく御伝え下され。 一世の英明なる名を汚されぬ様、御隠居なされよと。 此度の事は耄碌老人の世迷言としてこの久秀の胸にそっとしまい置き、決して他言致しませぬ故…」

「失礼致す!」
 わしの言が終わるか終わらぬやのうちに、使者は紅を差したかの如き真っ赤な顔で、荒々しく座を蹴立てて退出していった。
「それ久通、早急に皆を集めよ! 当家始って以来の大戦じゃ!」
 わしはあらためて不敵な笑みを浮かべると、わしと使者のやり取りを見、呆けた様に動かない久通に檄を飛ばした。



< 永禄六年・春 〜中編〜 >

「…というわけで毛利家の降伏勧告を丁重に撥ね付けたのだがな、どうも元就殿は自らわしを打つべく、主力を引き連れ上月まで出張られているという事じゃ」
 所は当家の諸将が揃い踏みせし大広間。 わしは集まった皆に事の次第をかいつまんで話すと共に、現在の状勢を説明し始めた。
「とりあえず当家の国境に集まりし毛利勢は、上月に三万、姫路に三千、というところの様じゃな」
 明確な数字として脅威を感じるとまた違うものなのか、大広間にあらためてどよめきが走る。 まあ、無理も無い事ではあるが。
「して、迎え撃つ策じゃがの…」



 わしの説明を聞き、大広間のどよめきは益々強くなる。…まあ、当然の反応であろうて。 わしの策など、我ながら最早策と呼べる代物ですら無いのだから。
 もし敵がこの様な策を本気で考えていると知れば、わしとてそのあまりにも都合の良い皮算用を嘲笑うであろうて。

「藤賢殿の四千で姫路を襲い、と、殿は一万八千余の兵で上月を襲い、敵を殲滅なさる、と?」
 うわずりつつも問い質す氏綱に、わしはにこやかに返答を返す。
「うむ。姫路を先に包囲下に置き、その上で上月を攻めれば、哀れ毛利勢は袋の鼠、という寸法じゃ」
「し、しかし上月の毛利勢は数もさる事ながら、兵四千の部隊を六隊も擁しているとか。
それに引き換え我が方は…」
「まあそれに近い部隊も合わせせいぜい三隊、という所だの。数でも戦闘力でも我が方がひとかたならぬ不利、という事じゃ」
「な、ならば…」
「大博打じゃが、他に策は無い。…それとも誰ぞ、わしと皆を唸らす妙案を持つ者はおるか?」

 わしの言に、今度はどよめき転じて静まり返る大広間… そしてその重い空気を吹き飛ばしたのは、やはり、と言ってもよかろう、あの藤賢であった。

「おのおの方、何をそのように心配される?」
 景気を付ける、というよりは心底不思議そうな顔で藤賢は言を発した。
「毛利元就なるもの、神算鬼謀の古今の名将、そういう噂ですな。 しかし、所詮は人ではござらぬか? 我らが殿、悪鬼羅刹よ、天魔よと呼ばれる我らが殿が、何故人如きに敗れるものか!」

 …興奮し、立ち上がる藤賢、それを呆然と見つめる諸将、そして… 大笑。

「はっはっは。そうか、所詮は人か、藤賢殿!」
「所詮は時流に乗った田舎豪族、本家梟雄たる殿の敵であるものかよ!」
「たかが一万の兵力差よ、殿の知略にかかればものの数でもあるまいて!」
 やややけくそ気味だが、藤賢の言葉により広間の雰囲気は、先ほどまでとはうって変わり活気に満ち溢れたものとなっていた。
 場に揃いしは十一名。他家より馳せ参じた細川氏綱・赤尾清綱。自ら仕官してきた伊丹親興・細野藤敦・赤井直正。戦の果てに降った京極高吉・島秀安・六角義治・波多野秀治。そして…藤賢と久通。


「(さて、と)」
 わしは一人一人を見回す様に眺めると、高らかに戦の開始を告げた。
「此度は当家存亡の懸かった大戦、狙うは元就めの皺首一つよ!
 さあ、皆には武士の本懐を全うする機会をくれてやる、行くぞ!」
「「エイエイオー! エイエイオー! エイエイオー!」」
 広間の歓呼の叫びは、止まる所を知らなかった。



< 永禄六年・春 〜後編〜 >

◆姫路周辺◆

「かかれい! 斬れい! 死ねい!」
 わしはひたすらに兵を駆りたて、敵陣を切り崩していった。
 この姫路付近の毛利勢は数こそ三千を擁するものの、それぞれ数百の兵を率いる降将達の混成部隊であり、所詮戦力としてはものの数ではない。
「野中鎮兼討ち取ったり〜!」
 わしが高々と敵将の首を掲げると、奴等は脆くも算を乱して敗走していく。
 わしはそこですかさず姫路城の包囲を開始しつつ、ひたすらに殿の御武運を祈り続けた。
「(殿、元就が如き一飲みにして下されよ! この藤賢、まだまだ楽しみ足りませぬぞ…)」



◆同時期・上月付近◆

「殿、見事な布陣ですなあ」
 直正が感嘆したかの様に言葉を漏らす。確かに敵勢三万が雁行の陣を取り、真っ向から我が軍全てを飲み込まんとしている様は、まさに壮観であった。
 そしてわしも敵に対抗するが如くに、全軍を縦に並べる様に布陣していた。

 わしと奴、確かに一見同じ様な布陣ではある。だが大部隊を間断なく並べた敵陣に対し、わしの陣は我が本隊を含む三隊一万余の主力を左翼に集めているという、内容的には著しく偏った布陣であった。
「元就の本陣は北方、林沿いじゃな…」
 この戦力差で勝ちを制すには、大方が小勢の寄せ集めでしかない右翼で敵を牽制しながらその意識を引き付け、その間にわしの率いる左翼で他の部隊を出来得る限り無視しつつ敵本陣を急襲し潰す、それ以外に道は無い。
 これがわしの全てを賭けた采配であった。


「たのむぞ、直正! 右翼でまともに敵勢と渡り合えるのはそなたの部隊だけじゃ。何とか時を稼いでくれ…」
「御任せ下され! 殿が天魔ならこの直正めは赤鬼! 毛利ずれにそうは後れを取りませぬぞ!」
 呵呵と笑う直正と別れ、わしは林沿いに敵陣を目指して進軍を開始する。
 そして時を同じくし、敵将清水宗治が我が右翼目掛けて突撃を開始する。
 …西国分け目の戦いは、かくして始った。



「かかれ、かかれい!」
 合戦開始からはや数刻。元就本隊の邀撃に成功したわしは、必死に兵を励まして敵陣を突き破らんとしていた。
 だがその一方で既に我が右翼は、圧倒的な敵の猛攻を受けて四分五裂の有り様であり、直正隊・義治隊等の必死の奮戦で辛うじて我が左翼の側面を守っている様な惨状であった。

「島秀安殿、討死!」
「京極隊・波多野隊、全面壊走! 両将の生死は解り申さず…」
「敵勢の突進をこれ以上支えられませぬ!」
 悲報・悲鳴は引きも切らずわしを苛む。そして敵勢も本隊を守らんと次々にとって返して来る。…時を貸せば、挟撃されて砕け散るのは我が軍の方である。

 しかしわしの決死の猛攻により、西国に無双の名を轟かせし一文字三つ星の旗が地に倒れるのが一足早く、辛くも勝敗は決した。



 鳴り響く引き鐘の中、敵勢は体勢を立て直すべく、一路上月城を目指して退いていく。
「いかなる損害も構わぬ! 追え、そして上月城を攻め落とせ!」
 そしてわしの号令一下、我が軍は疲れた身を励まし合い、敵を追い散らしつつ城へと雪崩れ込んでいった…



 …燃え上がる上月城にて元就・宗治等は腹を掻き切り、福留親政・吉川元長等九将は降伏。ここに、毛利家主力軍三万は一気に崩壊したのである。

 かくしてわしは千載一遇の機会をものにし、乾坤一擲の博打にて勝ちを制したのであった。


(天下)
●小野寺家が北条家に、伊達家が毛利家に降る。
●能登畠山家・吉見家滅亡。
●毛利元就討死。子息吉川元春家督を継ぎ、吉川家となる。



< 永禄六年・夏 >

 先の上月での大勝は、当家と毛利(現吉川)家の力関係に激震を与えるに十分なものであった。我が方も秀安以下、決して少なくは無い代価を払わされたが、その甲斐あって両家の戦力比は一気に互角近くまで縮まったのである。

 そしてわしは軍の再建・増強を図りつつ、先の余韻が冷めやらぬうちに徹底的に吉川家を叩き伏せるべく、手始めに姫路に猛攻を加え、これを落とした。


 また氏綱より、一年半に渡る包囲戦の末、遂に八上城を落とした、との報も入った。
 なおこれにより今更ながら、朝倉家の影は西国から完全に消え失せる事になったのである。


(天下)
●武田(高信)家が北条家に、南部家が吉川家に降る。
●北条氏康討死し、重臣北条綱成が跡を継ぐ。



< 永禄六年・秋〜冬 >

 わしは秋の税収を元に軍の増強を進め、二万五千という大兵をもって更に西へと進撃を開始して行った。
 そしてわしと吉川勢は、岡山にて再び激突する事となったのである。

「ざっと一万、と言ったところか。本隊再建の為の時間を稼ごうという腹だろうが、健気なだけで無意味な行為じゃ な」
 しかし敵にどんな思惑があろうと、それがわしにとっては敵の兵力を削ぐ得難い機会である事に変わりは無い。
 わしは元春殿の好意に甘えるべく、全軍に突撃を命じた。


 この岡山の戦いは、敵の薄い陣を我が大軍が揉み潰しにかかるという、まさに上月の戦いと攻守所を変えたかの如きものであったが、勿論勝敗は変わる事無く我が軍の圧勝に終わった。
 なお付け加えておけば、僅かばかりの足止めの為に元春めが支払った代価は、敵家中随一の切れ者・小早川隆景と奴の岳父・熊谷信直の首級であった…


(他国)
●北条傘下武田(高信)家、鳥取城を奪う。


(天下)
●朝倉家が北条家に降る。
●南部家・安東家・伊達家滅亡。

 

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