<最期の言葉・歴史編>

 

1.「昔より 主をばうつみの 野間なれば  報いをまてや 羽柴筑前」 (織田信孝 / 辞世の句)

 争いに敗れ、切腹を余儀なくされた際の辞世の句より。
 辞世の句というと大概、色々怨みや無念はあれども最期は穏やかに、という雰囲気のものが多い中、ここまで強烈な呪詛を個人名まで挙げて詠んでいるこの句は、何か瘴気すら吹き出ているような感じで、初めて見た時より強く印象に残っています。
 そして思えば彼の最期の念どおり、この後三十年余りで豊臣家は地上から綺麗さっぱり消えてしまった訳ですから、世が世ならば、彼も大怨霊として奉られたのでしょうか…

 

2.「芳香を百世に流せぬばかりか、もはや腐臭を遺す事も出来ぬとは!」 (桓温 / 東晋史)

 帝位簒奪の一歩手前まで来ながら、病魔によって退場を余儀なくされた彼の無念の叫びより(但し、彼の「男子、芳を百世に流す能わずんば、亦当に臭を万年に遺すべし」という台詞を基にした、創作やも知れません)。
 再び中華を統一した偉大な皇帝として名を残す(即ち芳香を流す)事が出来ぬばかりか、もはや簒奪者として悪名を史書に刻む(即ち腐臭を残す)事すら出来ぬ!  そんな彼の病床での思いは如何ばかりであったのか…
 特に「例え悪名であろうとも!」という辺りが、強く印象に残っております。

 

3.「百姓を害する事なかれ。但し重臣達は朕を誤らせた者達故、殺し尽くしても可なり」 (明朝 崇偵帝 / 明史)

 李自成軍の北京侵攻に際し、臣下達に見捨てられ裏山で首を吊って果てた皇帝の遺詔より。
 転覆しつつあった明朝を立て直そうとするも適わず、都に攻め込まれた際も臣下達の逃亡によりろくな抵抗すら出来ず、中国史上でも屈指であろう孤独な最期を遂げる羽目となった皇帝。
 そのあまりの悲惨さと、最期まで百姓(人民)を気に掛けた皇帝としての矜持。そしてなにより、時には改革の足を引っ張り、最期はさっさと自分を見捨てて逃げ出した臣下達に対する強烈な呪詛の念が、強く印象に残っております。  

 

4.「最高司令官は立ったまま死なねばならぬ」 (ローマ皇帝 ウェスパシアヌス / 「ローマ皇帝伝」) 

 死の直前、気絶するほどの苦痛の中で必死に立ち上がろうとして。
 日頃諧謔を好み、死にそうになった際もそれすらネタにしていた同帝ですが、この台詞を見ると、やはり本質的には生真面目な人物で、最後まで皇帝の名に相応しい武人たらんとしていたのかな、と思います。

 

5.「私に敵対する者達を安心させてやろう」 (ハンニバル / ??) 

 亡命先でローマ側から引き渡し要求が出ている事を知り、それを潔しとせず自死を選んで。
 第二次ポエニ戦争において縦横無尽に暴れまくり、ローマに幾度となく痛撃を与えた名将・ハンニバル。 ザマでの敗北以降は、祖国カルタゴの政治改革を図るも亡命を余儀なくされたり、ローマからの追求を避けて各地を流浪する羽目になったりと、なにかと不遇だった様ですが、その最期においての不遜なまでに自信に満ちた言葉は、まさに流石かと。

 

6.「もはや余の首を刎ねるキリスト教徒は一人もいないのか!」 
 (ビザンツ帝国皇帝 コンスタンティヌス11世 / ビザンツ史)

 オスマン=トルコの大軍に遂に都の城門を破られた際、崩れ立つ自軍と迫り来る敵軍を見やって。
 正直この辺りの歴史については、まだ色々と知らぬ事が多いのですが… 凋落し変質し果てたとはいえ、千数百年続いた帝国の最後の末裔のかくも悲痛な叫びは、最初に目にした時より、強く印象に残っております。

  

 

 

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