簡単なことだった。
いつだってやろうと思えばできる立場にいた。
だけどしなかった。それはただの私の甘え。

この都市を出る。それはただ単純で簡単なことだった。
何の準備も無く出ることだって出きた。
けれど私は臆病にも万全の準備をしてから都市を出ることとした。

母親には何も告げずに行こうと思う。
それが最良だと思う。言えばきっと止められる。
私の母親の中の立場はわかってるつもりだった、わかってる上で私は出て行く。
泣き付かれでもすれば私の決心は恐らく揺らぐ。

ただ、今は夜が明けるのを待つ。そうすれば私の世が明けることとなる。
夜明けとともに出発。それは香里とも決めたことだ。
二人でこっそりと出て行こうと決めた。それがやっぱり一番。旅立ちに見送りは要らない。
きっと私は将来ここには死体で返って来る。嫌な表現だが的確でそうなるだろうと思う。

身の回りに使う物を入れた鞄の中身は見ない。見たってしょうがない、いつどこで無くなるかわかったものじゃない。私は化粧道具の一つも持ってない。年頃の女としては異例だろう。
ただ、私は2つだけ確認した。
一つは私の剣。従兄弟が送ってくれた大切な剣。恐らく私の旅にはこれが重要な意味を持つことになるのは直感ではあるが感じていた。これは特別な剣であるのだろう。

もう一つは私もいつから持っているのかわかったものではないもの。卵形をしたアクセサリーである。
不思議な感じがするそれを私は何故か持っていた。いつどこで誰に貰ったのかすら覚えていない。
小さい頃から持っていたような気もすれば、昨日ふと拾ったような気もする。
けれど捨てれない、何だろうか、私にもよくわからない。

ちょっと辺りが明るくなった。夜明けは近い。
私は立ち上がり約束の場所に向かうことにした。
剣と小さな鞄。それだけを持ち私は自分の部屋を後にした。
不思議と特別な感情すら湧かなかった。
ここは私の居場所ではなかったのかもしれない。
あの日から、私の居場所は外界だったのかもしれない。

階段を慎重に降りる。ここで母に会ってはまずい。
でも、私の微かな望みとしてやはり挨拶くらいはしたいとは思っていた。

だが、その希望も現実に起こればある種の絶望へと変わった。

「名雪、出て行くのね。」

しまった、私はそう思った。
そうだ、この母親が私の行動を見抜かないはずがない。
今日はあの約束の日の次の日、誰だって何かあると疑うのは普通かもしれない。
それが母親ともなるともっともだろう。

「うん、だって、私このままじゃ終われないもん。」

「そう、あなたが一度決めたこと、もう私は口出ししないわ。
でもね、お願いだから生きて帰ってきて頂戴。」

「うん、祐一に会って、ちょっとしたらすぐに帰ってくるから。」

私は適当だが真実味のある嘘を付く。

「嘘付いちゃダメよ、名雪。ちゃんとわかってるのよ。好きなだけ好きなことしていらっしゃい。
私が死ぬ前に一度帰ってきてくれたらそれでいいんだから。」

「・・うん。」

私は泣きたくなった。
妙にこの母親が恋しくなった。
でも私はもう母親を過去の人としてしか考えないでおく。
出発に後悔を残すことになるから。

母親は私に一通の手紙を渡してきた。

「これ、最後まであなたに渡そうかと迷ってたの・・・・」

手紙は従兄弟からだった。
私は表面上なんの感情も見せずにそれをいつも通りの仕草で見ることとした。

内容はこうだった。

〜名雪。最初に謝っておこう。俺は約束の日にお前を迎えに行くことはできない。俺は今いろいろと込み入った事情の渦の中にいる。今は自分のための行動だが、いずれは大きな厄災の中に身を投じる。それでよければ俺はお前を旅に連れて行こう。ただ、前に送ったその剣で自分の身を守らなければならなくなるが。
だが、その前に一つ頼みがある。今、あるやつが大変困っている。そいつは俺の恩人なんだが、今そいつが大変な状況にある。そいつを助けてやって欲しい。とりあえず、旅の最初だ、ゆっくりでいいからミッドガンド王国に行って欲しい。そこまで行けばたぶんそいつと出会える。頼む、事情はまた説明する。

冒険者初心者の名雪へ、従兄弟の祐一より〜

「これは一昨日あたりに着た物なの・・・・私は最後までこれを渡そうかどうか迷ったの・・・・」

「何故?普通の手紙じゃない、お母さん。」

「この都市でしか生きていないあなたにはきっとわからないことでしょうけれど、ミッドガンドと言えば大陸全土を巻き込んだ紛争の中心部なのよ・・・田舎のこんなところにまで火の粉は来ていないけれど、あそこはもう死者の都市とまで言われるほどのものなのよ・・・しかも、祐一さんのその恩人・・・それはきっと反乱軍の総責任者のことだと思うの・・・」

「何故お母さんにそんなことわかるの?」

「・・・反乱軍の相沢祐一・・・知らない者なんていないわ。ミッドガンドから見れば超一級戦犯よ・・・彼は反乱軍の斬り込み隊長だったのよ。そんな場所、そんな人物に自分の娘を近づける。そう思うだけで私は気が気じゃないの。死の確率を高めるだけ。」

母は私の死を直感しているのだろう。私もたぶん死ぬと思っている。
でも、私のその程度じゃ止まらない。
人生17年、それだけで甘い生活は十分だと、そう思っている。
ただ、あとは旅の途中で野垂れ死にでもすればいいと思っている。

祐一のことをこんなとこで知れたのはよかった。
今のところなんの手がかりもなかったのだから。
ミッドガンド、そこに行けば私は本当の意味で自由になれる。ただ、そう思った。

私は母に一度だけ抱きつき、礼を言った。

「ありがとう。」

一つの言葉に百の想いを込めて。

「いつでも帰ってきていいのよ。あなたの居場所はここなんだからね。」

今わかった、私の居場所、それは自分の部屋でもなく、外界でもないのかもしれない。
母親の中、それが私の最後の居場所なのかもしれない。
それでも私は歩みだした、外へと。母親の揺り篭の外へと。私自身の外へと。

さようなら小さい私。よろしくね巣立ったばかりの私。

家を出る前、母親に小包を貰い、それを鞄の中に入れて、私は家の外へと出て行った。

夜はもう明けていた。
私は約束の場所へと急ぐ。
都市の入り口、それが約束の場所。

入り口の門のところに二つの影が見えた。

「名雪、遅いわよ。」

「名雪さん、おはようございます。」

「あれ?栞ちゃんも一緒なの?」

「ええ、昨日なんか感づいちゃってね。何が何でも出て行くって譲らないのよ。」

「そう・・・栞ちゃん。遊びに行くんじゃないよ。いつ死ぬのかすらわからないし、文句も言えないのよ?」

「・・でも、私お姉ちゃんがいなくなったら一人だし・・・」

そうだった、忘れていた。私はなんて過ちを犯してしまったのだろうか・・・・
自分のことしか考えていない私は自分自身を嫌悪した。
この姉妹は今親戚の家に預かってもらっていたのだった。
両親は戦火で死んだ。そう聞いている。
もしかしたら私はこの最愛の姉妹の幸せを潰してしまったのかもしれない・・・・

「そう。じゃあ、お姉ちゃんと離れちゃダメだよ、栞ちゃん。」

「はい!」

心の中で謝る。そして感謝する。

「まあ、回復系の魔石に慣れた人間も必要だしね。」

栞は確かに回復が得意だった。
解毒の力も強かった。

「じゃあ、行きましょうか。」

私は最後に入り口の門を踏み出すのを目をつむりながら感じた。

さようなら、私の大きな揺り篭さん。
ありがとう、私を包んでくれたお母さん。
よろしくね、まだ見ぬ旅の日々よ。